2009年06月17日

平和ぼけ

よく、他者への理解、創造力なんて言い方をする。自分とは違う人間の考え方にも、思いめぐらせよ、ってことだ。わりと自戒をもって語られるものの言い方だ。だけど、それには盲点があると思う。他者というのは、ほんとうにありとあらゆる他者であって、それも周囲5mくらいの顔の見える他者だけじゃなくて、自分が思いもよらなかった顔の見えない他者の場合もある。

こんなことがあった。AがBに、私をハメようともくろみを持ちかけた。Bは、そんな卑怯なことはしないと断った。で、Bが私にAのはなしをして、気をつけろと言った。Aとは10年以上会っていない、顔も忘れたようなAだった。だけど、向こうは覚えていて、暇をもてあまし、私に悪事を働こうとした。具体的には良く知らない。暴力か、罠かなあ。A、Bともに男性だ。

私はAとちょっと顔見知りなだけであって、記憶にもなかった。しかし最近はじめて、Aは他の人を、ヤクザを使って人を殺そうとしたり、ホテルに盗聴機をしかけて人をゆすったりしてきたと、Cからきいた。ということは、私はAに、かなりのレベルの悪事を働かれてもおかしくなかったってことだ。Bがやめさせたおかげで、何もなくてすんだ(と、思う)。

怖いのは、こっちは何も知らなかったこと。自分の知らないところで、悪意が働くことのおそろしさのなんたるや。地球上に悪意ってのは、実際に存在するもんだ。だから、私は、他者への理解というのは、生半可なもんじゃなくて、自分への悪意を持つ者がいる、という創造力さえも働かせることだよなって思うわけ。

平和ぼけの人だらけだ。他者への基本的な信頼を持ちながら生きられる人の素直さ(鈍感さ)って、いいよなあって思う。私も最近、つい平和ぼけしてたよな。反省している。

ここぞというところで、ほんのちょっとの隙を誰かにみせたために、大きなチャンスを失ったり、あとほんのわずかな機転がきかなかったために、さらに大きなチャンスを失ったり、そういうことって、よくあるんだよ。愚かで目も当てられないよね。しょうもないことで、命を落とすことも、やっぱり失敗することもおおいにあるわけよ。自分の発言が、その後どんな効果と影響を及ぼすか、考えられない人はだめなんだよ。やっぱ。苦しくても、形になるまで緊張に耐えなきゃなんないわけ。

何を言ってるんだか、さっぱりわからない人も多いだろうけれど、状況判断を見誤らない政治的なセンスというのかな。見知らぬ他者の存在をおもいめぐらすこともできない、平和に生きていること自体に危機感を持てないような、勘の悪い人間には、なりたくないよなってこと。平和を一枚ひっぺがえしたら地獄なんだ、ってのを気をゆるすと忘れそうになる。

他者の言語がわからなかったゆえに命を落としたり、フランス系ドイツ人ともドイツ系フランス人とも、どちらとも言える民間人の家族がたまたまフランス系ドイツ人と名乗ったがゆえに、第二次世界大戦後、無理矢理ある東欧のドイツ人収監キャンプに長い年月収容されて筆舌に尽くしがたい目にあったりとか、そんな話を友人たちから(沖縄の人や、外国籍の友人だけど)きいて、納得する。ある状況で、やっちゃいけないミスをおかすってことがある。とくに、言語ができないってことが、致命的なことになるってことがある。

だから、外国語って、ちやほやされることでは絶対にないし、駅前のような自己実現とか、スキルアップなんかじゃなくて、生命がかかってることだと思う。私のヨーロッパプロモのSnigelはすさまじく英語ができるけど、彼がすごいのは、そこのところがすごくよくわかってる人だからだと思う。

うーん。なんなんだろうね。やっぱり「最悪の事態」が想像できないってのは、自分がなまくらになってたんだろうな。日本だからって、安心しきっていました。世界共通だよ、「政治的な勘」を常時働かせるってのは。それを、思い知らされた、今日このごろです。

追伸。私のヨーロッパプロモのSnigelと、元アメリカの某大手航空会社勤務のご友人様。お二人のご教示のおかげで、先日、自分が納得できる条件と価格の航空券をゲットできました。ありがとう。
posted by minemai at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月11日

もうしわけ

ない!週刊『みねまいこ』毎週水曜日が守れない。なんで毎週水曜日に更新することにしたかっていうと、1992年から韓国の日本大使館の前で、元慰安婦の女性たちが毎週水曜日に、現在もずっと抗議デモをずっとやっているからなのよ。彼女たちは、日本軍の犯罪に遭うまでは、キュートな女の子だったわけ。女の子をそんな目に遭わせるなんて、もうぶち殺していいと思う。こっちは当の日本軍の末裔で、おもいきり加害者の国だけどさ、それでも同じ日に、なにか声を大にして言いたい気持ちになるのよ。女の子たちにとって、なにも終わっちゃいないわけ。

さて、なんでこんなに多忙なのか。それは、アルバムをほぞぼそやっているのと(オオカミ少女だなあ、誰も信じてくれないだろうなあ)、研究をすすめて早いとこ博士論文を提出したいのと、そのために近々アメリカに調査にいかねばならず、膨大な準備に追われているわけなのです。

もちろん勉強をしに行っただけじゃだめだもの。不良ですから。夜はあらゆる深南部のジャズバーとブルースバーで歌おうと、殴り込みをかけようと、音楽の準備もしてるのね。だからなの。そんでもって日曜日には、黒人教会に殴り込みなわけ。ああ、だんだん私はマルコムX化しています。殴り込みだってさ。ははは。

お楽しみに!
posted by minemai at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月04日

毎日奇跡をおこすのよ

こんにちは。毎週水曜日に更新中の週刊『みねまいこ』ですが、ここのところ間に合いません。どんまい。

薄暗いんだよなー。光のもとで、空と海はもっと鮮やかでなければならないわけ。

チェコに演奏に呼ばれた件を今、なんとか軌道に乗せようとしているけど、うまくいくのでしょうか?そんでもって、ボストンで私と似たようなことをやっているアメリカ文学の研究者の本を読んで、感想文を送って連絡してみたらすぐに返事が来た。「おいで、おいで(吉原の女郎さんみたいだな)。こっちの(アメリカの)学会に入りなよ。私が推薦するし。うちらと一緒に議論しましょうよ」と呼んでくれた。でも、母国語以外で完璧に論理的な文章を書いたり議論するというのは、なかなか難しいんだよなあ。ノーベル文学賞をとったような人が出てくるような学会なわけよ、そこが。アメリカにこれから2年くらい行こうかなあ。行くべきなのかなあ。昼は研究して、夜は現地でバンドを組んでどっかで演奏したらいいんだもんね。日曜日は黒人教会でオルガン弾きたいな、合唱隊もいいけど声質が合わないものね、違うものは違うのよ。この週刊『みねまいこ』を読んでくれた方が、東京のとある型破りな学会でみねまいこに11月に発表させたらどうだと推薦してくださったというはなしを知って、唖然。私はアメリカ文学が専門なので、領域外で果たして通用するのか思うけど、なんでもやりますやります、やらせてください。そんで12月がまた別の学会で発表なんだ。その関係で7月に一度東京に行かなきゃなあ。世界激場の仕事が目白押しだし(鳥のメジロがいっぱい電線にとまって互いに押し合っている)、マンションの下に子猫が住み着いたので、餌付けしたいし(名前は「とらたま」に決めました)。

さーがんばるぞー。世界全員が敵!

今日のタイトルは、marimekko(minemaikoではない)という私が好きなフィンランドのファブリックデザインの人が、よく言っていたらしい言葉で、その言葉もわたしは大好きです。
posted by minemai at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月28日

写真だけ。

Whatareyoulookingat.jpg

冬に中洲を歩いていて、同行カメラマンに、LEICAというローバートキャパと同じカメラで撮影してもらった写真。アーティスト写真にとおもったもののボツにしましたが、最近なんとなく面白く思い直したので出して来ました。建設現場の囲いに、大きく "WHAT?" と書かれてありました。
posted by minemai at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月20日

「沖縄で思いがけず、私は何かに衝突してしまった」 I Won't Be Silent Anymore

(みねまいこが狂ったと思うなよ。今日は、カフカの『変身』みたいなはなし)

沖縄、琉球大での学会発表は、楽しかった。私の発表中、会場の中からひとりだけ「うん!うん!」と声を出して反応がある。アメリカの黒人教会ならば「Oh, Yes! I will.」とか「Amen!」のようなノリだろうか?なんとなく普通じゃない方だな、と思っていたら、あとから友人からきいたところによれば、私がやっていることの第一人者のめちゃめちゃ有名な某大学の教授だった。なんでも12月に別の学会があるから、そこで私が発表するようにということだった。

さて、沖縄は思っていた以上にすごかった。夕方、1日目の学会が終わりバスの中から、風景をながめていた。琉球大のある那覇市郊外には、女性の子宮を形どった墓がどっかりと地面に根を張り、その脇を高校生の男の子がアイスバーを片手に自転車で通り過ぎていった。墓のそばの畑では、おばあさんがエプロンみたいな薄手の服を、着ているのか、脱げかかっているのか、おそらく全身で風化しかかっていたのかと思う。おばあさんが、ただ立っていた。夕暮れ、ただ立っていた。

那覇の市街地を歩く。アメリカの文化と日本本土の文化と、台湾の文化とそして沖縄の古い伝統文化との4つがあって、それらを状況に応じて複雑に選択しているような気がした。いろんな人と話してみて不思議だったのは、自分の好きなものだけに集中して宗教的なまでにわが世界の構築を繰り返し、実はそこに自ら軟禁状態になっているようなバランス感覚の悪い人たちがいなかったことだ。それはたぶん、何かひとつのたとえば大きなグローバリズムのようなものがやってきたときに、十分逃げたり闘えるということでもあると思う。それがもし1つの文化だけでほそぼそとやっていたとしたら、簡単に大きな波に飲まれて負けてしまう。スターバックスが林立したり、大企業が戦略的に流す情報が大きな事件になったり、重箱の隅をつつくような趣味を展開したり、「それしかない」ということはそういうことだ。

島唄を初めて生で聴いたけど、なんとか歌えた。ステージで、島唄のトップクラスの歌い手と一緒に歌った。感激。実際に歌ってみた印象は日本古来の持っている「歌」のメソメソした感じがまるでなかったこと(もちろん音階とコードの違いは大きい)。百人一首からつづくメソメソ感。額田大王らはちょっとちがうけど、読めばわかる。実にみんなしょーもないことで、メソメソしてきた。髪を長くしてひきこもりみたいに奥の部屋に住んで太陽も浴びず、昼夜逆転の生活、体力は失われるばかりの生活をすれば当然そうなっちゃう。百人一首のメソメソ感は、J-POPへと続いている。その影響力の強さはある意味すごいのだが、今回うたった島唄は奇麗な色の鳥のことも、戦争も、セクシャルないらやしいことも、親が死んだことも、男と女の清純さも、すべてからっと乾いていた。明るかった。

さて、観光をして、いよいよ福岡に戻ることになった。夜の便だった。「もうすぐ福岡空港に着陸します」というアナウンスに飛行機からの夜景をふと見た。その時だった。福岡の街が、くねくねと生き物になった。ビルのひとつひとつが巨大なナマズのようなドロのような色をして、ミミズの全身がツルンと、のっぺらぼうになったような暗い生き物に見えた。そしてビルの灯が、赤い目だった。それらの気持ちの悪い生き物は口はなく、赤い目をふたつ光らせて、くねくねと上空にむかって当てもなくうごめいていた。それが一斉なのだ。見渡す福岡の街がすべて、その生き物で埋め尽くされていたのだった。

私が狂ったのか、と一瞬思った。でも、こういうことなのだ、と了解した。これは自分の中の確信なのだ。私は、ここまでこの街、もしくは自分の属している生活の背景、自分の今の状況がこれほど嫌いなんだと確信した。確信しても、それでも冷静ではいられなかった。本当に眼下では、異様な赤い目の生き物が体をくねらせて街一面、垂直にはえていたのだから。

いろいろな憎しみの感情が湧いた。あんたの心の弱さが嫌い、あんたの重たいプライドが嫌い、あんたの小心さが嫌い、あんたのしつこさが嫌い、24時間他人に認めてもらわないと生きた心地がしないmixiみたいな性質のあんたの行動が嫌い、あんたのすすり泣きが嫌い、あんたの社会性の無さが嫌い、ぐずぐずして人生を決められないあんたが嫌い、あんたの大人になりきれない甘えが嫌い、実は形式しかない/誰も信じてないくせに/意地でも残そうとする男尊女卑の祭りが嫌い、バカな男を肯定してあげる一歩下がってあげる女が憎い、出席番号は常に男子から/生徒会長も男子が望ましい/そんな中学校で、自分の才能を自分で押し出しちゃったり、諦めることを大人になることだと悟る女の子たちを目の前で見てて、手を貸さない大人の女たちが憎い、自分の壊れやすい何かが壊れないようにガラス細工のように「自分」てやつを頑強に守るあんたが嫌い、自分の頭が悪いせいで人生を難しくしてばかりのあんたがぜんぶ悪い。そう、こんなふうに。

地上に着いたら、その生き物はふつうのビルになり、気配さえもなかった。でも、私の中で悪寒として残っていた。家に着いて、眠る直前にもうれつな気持ちの悪さがあり、その後で全身が火のように熱かった。服を脱いで見ると、あちこちに真っ赤な珊瑚礁のような腫れ物ができていた。表面がガタガタと浮き出てくる。ほんのちょっとの肌の滑らかさもなかった。鏡で顔を見た。顔は大丈夫だった。しかし、ショッキングピンク色のクマが目の周りにできていて、なにやら幸せそうな薬物中毒者のようだった。いやいや、それどころではない。

首から下のその異様な熱さは、その後で猛烈なかゆみになった。掻きむしる度に、あの上空から見た不愉快な生き物を思い出し、怒りを覚えた。そのガタガタとした真っ赤なできものが首から下、やがて全身にひろがっていった。こんなことってあるのだろうか。いつか写真で見たグレートバリアリーフというのか、珊瑚礁の棚のような出来物が体に浮き上がって、つぎつぎに私の体を占領して行った。

ところで、沖縄ではずっと前は小学校で「遺骨拾い」の時間があって、生徒が近くのガマなどに拾いに行っていたという、そんな、今回の沖縄滞在で、芥川賞作家の又吉秀喜氏から聞いた話とからみあったのだと思う。夢中で体にできた大量の赤い腫れ物と格闘していると、白い骨と、みやげ品店で見かけた、白くなった珊瑚の死骸がたくさん目の前に浮かんだ。そして目を閉じると、なおさらふたつがカサカサと白く降り積もるのだった。

目を開けると私の皮膚には、白いカサカサとした骨になる前の「血と肉を持つ人間たち」が赤い珊瑚になって浮かんでくる気がした。そしてその珊瑚はやはり、今はやがて白くカサカサになる前のまだ生きている「赤い珊瑚」なのだが、そういったものが表面に染み付いて、一瞬で私を大量に占領した。そして絶望的に私の皮膚の上の腫れ物は決して死んではくれず、私の制御できない力をもって、いっそう生きようとしているようだった。

ヒステリーなのだろうか?アレルギーなのだろうか?病院に行っても、医者はわからないと言った。もらった薬を飲んだらしばしおさまるのだけど、気をゆるすと、また腫れ物がいっせいに出てくる。しかしスタジオでのリハーサル中は出ない。でも終わるといっせいに出てくる。これはいったい何なのだろう?わからない。いっせいに生き生きとした赤い珊瑚が皮膚の上で生命力を吹き返す、そして私はそれをコントロールできない。そこで、私は自分を放っておく。何もしない。顔から下にはまともな皮膚がない、私の体には珊瑚ばかり。

自分の中で次々と生まれてくるのは、怒り。
根治しないのはいつも、怒り。
生命力というべきか。

誰かが言っていた。「みねさんは巫女的な性質がある」だとか、西洋のキリスト教会では「霊的感性が他の人よりも圧倒的に優れている」だとか。人が言っていたのは、このことなのだろうか。家族や友人は、私の体の異様さを見て「元海軍司令部壕の手榴弾の跡に似ている」だとか「血しぶきみたい」だとか「人間から異形の存在に変化する」なんて勝手なことばかり言っている。そんなわけないだろ。

何もできない、皮膚が不愉快でたまらない。ひたすらうめいていた、でもいいことを思いついた。珊瑚は地球温暖化で1度海水の温度が上昇したら死滅する。だから、私も1度平均体温を上げよう。無謀な試みはいつの時代も同じ。私はアメリカの西部開拓者のように、西へ向かった。奇妙な思いつきではあるものの、自転車で西へ、佐賀県に行くことにしたのだ。

走りながら私は風景を見ていなかった。南部戦線で一家全滅しての無人になった民家や、ひめゆりの女の子たちが大事にしていたおしゃれな雑誌の切り抜きやかわいい柄のハンカチが見えた。沖縄では光の量が多すぎていつもすべてが白っぽかった。そんな強烈に焼き付いた像から逃れるために自転車で走った。

結局、佐賀にはたどり着けなかったが、福岡市の中心から西へ20数km進んだ時に、体中から珊瑚がどんどん消えていくのを感じた。得体の知れない私の中の怒りは消えて、後には妥協という名の平和な生活が待っているのかもしれなかった。死滅してしまえば、もったいない気もした。記念に一部分残しておけばよかった。山をいくつ超えましたっけ?ああ、ため息とともに、自転車の向きをかえ、来た道をまた20数kmかけて戻った。
posted by minemai at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月13日

お知らせ。

体調不良により、休息をとります。
次回更新は、5月20日(水)を予定しています。
みね
posted by minemai at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月26日

臨時更新:JIYU-KENKYUお知らせ

世界激場関連の勉強会、JIYU-KENKYUが、5/3(日)12:00〜福岡市美術館のカフェで行われます。どなたでもお気軽に、ご参加ください。
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/

毎週水曜日更新中の『週刊みねまいこ』は、4/29(水)、5/6(水)の2週間、休刊します。次回の更新は、5/13(水)です。お楽しみに。

posted by minemai at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月22日

12年の物語

毎週水曜日更新の『週刊みねまいこ』が始まりましたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。今日は、私が最近経験した、自分にとってものすごく大きな、最大といってもよかったくらいのことが、変化したことについてのおはなしです。

のっけから私事なのですが、私が大学時代からひとりで育ててきた子どもが先日、中学生になりました。苦労は多かったよなあ。一番の苦労は、経済的苦労かなあ。これは涙なくしては語れない!クリーニング屋さんの真上に住んでて、1Fのクリーニング屋さんに、バスケットに赤ちゃんを入れて働きに行ってたもの。それをやりながら、卒論書いてたり、入学試験を受けたりしてたっけ。がんばり屋といえば聞こえはいいけど、ちょっと異常だと思うよ(笑)。

気がついたら、そんな異常な生活を12年間も続けていたのよ。びっくり。ガラスを割っただとか、喧嘩しただとか、脱走しただとかで小学校からよびだされたり、子どものお誕生日会だとか(NHKのディレクターがケーキを持って来てくれました)、PTAの役員だとか、地区の行事だとか、お稽古ごとの送り迎えだとか、私の20代は自分自身のために使ったといえる時間は、あまりなかったよね。その子どもが、今週夕ご飯を食べながらこう言ったわけ。「これからは自分のことは自分でできるし、僕は家事もできる。だから、お願いです。家のことは僕がすべてやります。おかあさんは外で仕事して、もっとお金を稼いでください。」しーん。

そりゃそうだ。今のままでは、ただの貧乏な母子家庭だもの。友人から「『世界激場』なんて少し社会的な音楽イベントをやってるけど、まいちゃんがいちばん格差社会の底辺じゃないの」と、わたしずっと陰で笑われてきたんだもん(笑)!しかも、私は大学院で借りた奨学金がまだ相当にあるからね。さあ、どうする!これが共働きで、夫がいたのならまだ違ったと思うけど、まあ私は、たんなる「◯ちがい」。美人だけど。

しかし今回の「子どもの独立宣言(アメリカ独立宣言みたい)」によって、本当に私がこれから仕事を本気でできる環境が整うのであれば...?私にこんな幸運がやってくるとは、思いもしなくって、「いっさい容赦しないわ、パワー全開で本気でやるわ」と舞い上がってしまった。もちろん実際はまだ子育てや家事は続くのだろうけど、子どもがそう高らかに宣言したときに、カチリと音をたてて人生が変わったような気がした。

とりあえず、日々の暮らしに(まあ、家事と育児と日銭稼ぎのアルバイトかな)忙殺されて疲れたまま、ずっと解決できずにいたことを片付けてしまおうかと。まずは10年書けなかった博士論文をなんとか提出したいのよね(笑)。とりあえず博士論文の構想の一部として、5月に沖縄の琉球大学で開催されるアメリカ文学会で研究を発表する予定。私の今回の研究のメインテーマは、Toni Morrison(トニ・モリソン)とSlave Narrtive(奴隷の自伝)とAfrican Cosmology(アフリカ的世界観)についてです。ちゅうか、テーマがこんなに分裂していたらまずいし。ええと、この発表はすでに破綻していますね(笑)!直します。

さて明日の予定は、朝から夜までレコーディング。明日は、古庄くんのベースを主に録る。私は他人に対して、理由もなく威張る癖があるので、ぜひ明日は気をつけたい(微妙なメンタルが録音には影響しますからね)。それが終わったら夜は家族や友人と中華料理をぜひ食べに行きたいな、と思っている。12年、子育てをこれまで真面目にやってきた、その打ち上げをしようと思ってね。ささやかな喜びも、なかなかいい。しかし12年にふさわしい、ものすごく強く大きな喜びが、明日は押し寄せてくるはず!もう、いいのよ。もう、終わるのよ。自分が好きな、新しい物語を作っていいってことなのよ。
posted by minemai at 02:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月16日

ラジオ出演

まず、宣伝を。今週の金曜日、4/17(金)に、cross fmのmorining gateに、朝7:30頃より、生出演の予定です。
朝から元気いっぱいの予定です。
通勤で車の運転をしながら、チューニングを合わせてみて下さい。福岡県全域です。ひょっとしたら山口も下関ならば入るかしら...?

***
さて、毎週水曜日に更新中の『週刊 みねまいこ』ですが、昨日からパソコンを前にずっと頭をひねっていて何時間もねばっていたけど、しかしまったく書けずにとうとう日付変更線を超え、なんと木曜日の明け方になってしまいまいました。書けないときは書けません(楽しみにしていた方は、ごめんなさい)。

どうも書けないときには理由がちゃんとあるもので、分析の結果、以下の3種類のようだ。
1)外国語を使う必要があった場合、日本語の回路にしばらく切り替わらない
2)自分の中で、ものの味方や世界像が変わることがあった場合、これまで信じていた言葉をいったん疑ったり、手放す必要に迫られている
3)なまけている

今回は、1〜3の全部が同時に起きており、筆が進まない。お手上げだ!ただ、2番がやってくることは滅多になかったのだけど。

なんというか....うーん。「頑張ります!」
そのかわり、来週の水曜日の更新は期待してて下さい。
書けない日は、シッポをまいて逃げます!
posted by minemai at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月09日

着物という妄執

こんにちは。1年に1回くらい天才になることがある、みねまいこです。「筆舌に尽くしがたい」ほどに多忙のため、今週の『週刊みねまいこ』は数日延期します(タイトルだけ、UPしています)。

さて、改めましてこんにちは。4/5(日)、世界激場関連の勉強会、JIYU-KENKYUがありました。そちらで報告を行っています。興味のある方はどうぞ。

4/9(木)には、公開リハーサルを親不孝通りのKING BEEで行った。第一部、第二部とやって、第二部はほとんどセッション。ブルースコードをベースに即興で私とバンドで曲を構成していった。最中にある感覚が沸いて楽しかった。それは8分休符や16分休符が目の前にはっきり見えたということ。今回はMacとの同期はまったく行わず(打ち込みは無し)バンドだけのシンプルな演奏だったけど、そうなると音数が極端に少ない。結果的に、ボーカルの次のフレーズは16分休符遅めに待って入るとか、そんな息継ぎのような「間」を手に取るように簡単に作れたので、そこが楽しかった。ひどくひどく、楽器の音と音の隙間、一瞬生まれる「間」をかぎとっていた。以前、ジャズバーで歌っていたときの、ミュージシャン同士の皮膚感覚レベルでの勝負!みたいな感覚が蘇った。こういうのもいいと思う。むしろ、こっちの方が私にとって正しいのかもしれない。

面白かったのが、第一部終了後に、お客さんとして来てくださったご夫婦が「長男の嫁に...でも、あなたはもう、どなたかいらっしゃるんでしょう?」と縁談を持って来てくださったことだった。ティファニーの宝石商の方だった。ときめいてしまう。何に?思いがけない縁談に?ティファニーに?ふふふ。あなただったら、どっち?わたしの場合、こたえは、、、。

さて、今日は着物の話をしたい。実は世界激場関連のJIYU-KENKYUで、辻井喬『伝統の創造力』を読み、報告する機会があった。その際に、一度正面から伝統と取っ組み合いをしてみてもいいのでは?という気持ちになった。伝統というと、日の丸とか君が代とか神道とか神風とか侵略戦争を思い出すものか、もしくは男たちだけが活躍できる芸能(歌舞伎、能など)や技術(寿司職人や、宮大工とか)しかなく、女の私にはアレルギー状態か、選択肢がないというしろものだった。

唯一、女性にできそうな伝統的職業といえば、海女さんみたいな仕事はありそうだけど、寒い海に入りたくない!海といえば!ところで全然関係ないが、オペラはなぜあんなに面白くないのだろうか。音の迫力はあるけどストーリーが目も当てられないくらいにひどい。弱い女がたいてい男のために尽くして、やっぱり弱いから女が病気なんかで死んで終わる。そこで思うのだけど『ジョーズ』なんかをオペラにすると良い。以下、ジョーズのテーマで歌って下さい。「サメ、サメ、サメ、サメ、サメだー」って大舞台で大迫力だと思う。まず成功すると思う。あとは『ゴジラ』とか。以下、ゴジラのテーマで歌ってみてください。「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」みたいに歌って、オペラ歌手が闘うわけよ。すごくいいオペラになると思うよ。小道具をしこんでおいて、舞台で火なんか吹いたりしてね。ね。素敵じゃない?

話を戻すとですね。一度、敬遠してきた日本の文化を正面から受け入れてみようかと。それでたぶん、伝統なんていっても時代によって「ねつ造」された部分はたくさんあるんだけども、それでも自分にとって「信じるに値する伝統とは何か?」っていうことを考えてみようと思ったわけ。

忙しい合間、博多駅のそばの喫茶店でコーヒーを飲みながら外を見ていた。すると横断歩道をコリアン系のチマチョゴリ姿の女の子たちが風に吹かれて信号を待っていた。チマが花のように大きく膨らんで、天国にいるみたいな気持ちになった。そして私は、日本の着物が着たいと思った。

そうこうしていると数日後、着物を着る機会があった。

kimono3.jpg

※スキャンの際に、画像が反転しているため、
打ち合わせの左右が逆になっているように見えています。

帯は人間国宝の金糸の帯。桐の箱に入っていた。着物は、これは手で柄を描いて染色しているわけではない。なんと総刺繍、すべての柄が糸で一針一針、糸は微妙な色で陰影がつけられ、すべてが刺繍で表現されていた。圧巻の着物だった。地の色は、水色。もちろん上には上の着物があることは知っている。何千万もするような。私の着物はそこまではいかない。だが袖を通しただけで、心が通った。だから、いい着物だとわかった。見る人が見たらわかるのだろう、着付けの人が「あっ!」と言い、帯からえり、小物に至るすべてが完璧に計算しつされていると言った。福岡の博多座の前を歩けば、着物を着て観劇を楽しんだ後の老婦人の団体を黙らせ、街を歩けば知らない人から「そのお着物の写真を撮らせて欲しい」と言われた。

これは、私の祖母が私に作ってくれたものだ。祖母は富豪でもなんでもない、サラリーマンだった優しい祖父がいて、ずっと年金生活者だった。料理が上手だった。普通の生活をしていたと思う。ただ、着物だけは「狂気」と言ってもいい。月賦をくんでも、自分の思う最高の品を買っていた。私が作ってもらった着物はこれだけはない。他にもあって、もし自分の命の危険にさらされるくらいに生活に困ったときに質に入れてしまおうと、大学生の頃姑息なことを考えていたこともあった。幸い、そこまで悪党になる勇気はなかったのですべて着物は手元にある。今思うと、とんでもないことだった。一度手放したら、二度とめぐってこない。また、これだけの着物を作れる作家も、どんどんこの世からいなくなる。

いろんな柄がある。どれも品がある。色に目がさめる。見ていると、私も狂ってしまいたい。

祖母は数年前から、痴呆で病院にいる。お正月に着物を着てお見舞いに行ったことがあった。もう今では誰のこともおもいだせない。祖母は、何も思い出せない自分が悔しくて、ぽろぽろ泣いていた。私の顔を覗き込んでじいっと考える。でも思い出せない。それが悔しくて、また泣いている。祖母は私が子どもの頃から、私の額と、お尻の形が美しいと言っていた。病院で両方を見せるわけにはいかないが、とりあえず前髪を上げて額を見せた。それでも効果はなかった。

帰るときに、びっくりしたことがあった。着物のそでをつかんで離さないのだ。そして、着物の柄を何度も撫でて、手のひらで絹の清らかな暖かさと、重みを確かめていた。着物だけは、覚えているのだ。自分が審美眼のすべてをかけて見極めて選んだ柄、色、そしてそれに合わせて選び抜いた帯、小物。全てが彼女の愛したものであり、彼女の狂気だった。

たぶん、こういうことだと思う。伝統というものは、誰か一世代、一人でいい。異様なまでに何かに精力を注ぎ込んだら、意図せずして残ることがあるのだ。しかし何に夢中になるかは、本人の才覚によるところが大きい。

祖母は若いときに戦争があって、あまり着飾ったりできなくて、それでも江戸時代の祖母の祖母や明治時代の祖母の母たちが、もっと昔に美しい佇まいで水仕事をしたり、身のこなしの中の優しさとか、鏡の前で年に何度か一番いい着物を着てめかしこんだり、そんな記憶が残っていたと思う。そんな豊かな生活の風景があって、着物を買えるようになったときに、一気に自分の中の記憶の美を放流し始めたのだと思う。

私は、日々洋服を着て生き、西洋音楽で生きている。西洋音楽はいつも他人の顔をしている。かといって日本の古い音楽と、心をひとつにすることもない。また両者を混ぜるような、下品なこともしたくない。大正生まれの祖父母の記憶までしかなく、さらには、空爆で風景は大きく変わった。戦後は世界中どこを探しても、こんなにやりたか放題、街を壊しては作り、大型店が恥も知らずに増殖する国はない。しいていえば、新自由主義を徹底させたアメリカも、日本に近いが、日本ほどではない。一方で、靖国やサムライジャパンが日本の伝統として(ちょっと違うか)あがめたてまつられている。伝統とは、靖国のことではない。伝統というものは、一人の人間の中に生まれた狂気のことだと思う。それを時間と共に発見し、感動しつづけることだと思う。

posted by minemai at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
Copyright (C) 2003-2007 みねまいこ. All Rights Reserved.