2009年07月20日

MY NEW ORLEANS

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(Those above photoes were by Dan, Thanks a lot, Dan.)

Hello! Good news for you! I am still alive!

I want to write in Japanese but I can't find the font at all. Sony! Oh, not "Sony" but I mean to say "Sorry".

Well, I am in New Orleans. I had a performance with Jay-Ray & Gee A'Cappella Trio on the street (They appears in some movies, I,ve never seen them though). And I sang the GOSPEL music at the African-American Curch on sunday morning as well.

Mississppi river, a steam boat,a smell of coffee, a sound of jazz and so on...I mean typical New Oleans, those things like that impressed on me the 19th and the first decades of the 20th century. Yes, I am very simple. If not so, America IS simple.On the other hand, the race relations are complicated.

I got some acquaintances, they are all musician. Do you know the band "HOT 8"? I am big fan of them in Japan, so I was really happy to talk with them. We met each other on the street. Consequently, I reckon this city is small.

I have a lot of things to let you know but I have to go to work at Tulane University today. I hope to meet you again if I can be out of gunshot all the time fortunately. WA-HA-HA. See you later, but I don't know when "later" is.

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2009年07月08日

マイコーの死

死んでしまったのは私じゃない、マイケル・ジャクソンだ。当然衝撃も受けた。しかし誰もが心のどこかで「いずれこうなるはずたった」というような、そんな共通の了解がすでにあったように思えるのは、私だけだろうか。

福岡の音楽環境を豊かにするNPO団体「ドットエフ」の有馬さんと水上さんと私などが集まり、計4人でマイケル追悼集会を、カラオケで行った。有馬さんが「マイコー、私たちにこんなに楽しみを分けてくれてありがとうー!!」とマイクを通して彼女らしい素直なコメントをした。そして、ちょっと天をあおいだ(上を向いた)。肉体から解放されたマイケルは、今どんな顔をして、このメッセージに耳を傾けているのだろうかと、私は思った。

マイケル・ジャクソンの整形は嘲りの対象となって久しいが、そこに悲しさがつきまとうのは、彼が「白人化」していったことに、「笑えなさ」があるからだ。マイケル・ジャクソンを白人へと駆り立てる、巨大な権力構造なんちゃらかんちゃら...まあ一言でいったら、「人種差別」だけど、アメリカという国は、あそこまで一人の人間を追いつめる、実に生きにくい国なんだなと、あらためて思い知る。

彼が"Off The Wall(俗語で「異常な」とか「とっぴな」という意味もあったと思う)"、"Thriller(怪奇)"、"BAD(悪党...ちなみに標準語ではただの悪だけど、African Americanの俗語では「すげえヤツ」というニュアンスも)"、"Dangerous(ぶっそうな)"などというタイトルでオリジナルアルバム(ベスト版以外)を発表していったことは、すごく分りやすい。そこには彼自身の、アメリカ社会での立ち位置が、そのまま如実に表れていたのではないだろうか(それは彼の収入とは関係ない、彼のアイデンティティの問題として)。つまり、Off The Wall、Thriller、BADとは、どれも異形の存在だということだ。

彼ほどの人が、それでもずっと異形の存在としてしか存在できなかったというのは、信じがたい。だが、自分がこれほどの成功をおさめスーパースターになったからこそ「なんでそれなのにアメリカ社会で、白人と対等になれないのか?」という苛立ちと絶望は、自分が手にした成功と同じだけ大きかったのだと思う。事実、スターになってもまだ得られない、本質的なアメリカ的な成功=「白人化」への努力は、端から見て(まったく余計なお世話なのだが)、涙ぐましいほどになった。やがて2000年代には、"Invincible"でついに「無敵」になる。彼のアイデンティティは外見の変化によって完成され、もやは非のうちどころない、ということなのだろうか。でも、悲しいことに"invincible"という単語は、文脈によっては逆の意味になる。「絶対に克服できそうにない」と。

不謹慎な物言いかもしれない。だがもし彼が、スティービー・ワンダーのように盲目であれば、彼はあそこまで追いつめられなかった気がする。

トップになれ、競争しろ、自分の財産を守れ、自由とは財産の自己所有にある、成功をおさめろ、そんなアメリカ的な自由主義という「価値」を内面化して、才能と機会を十分に使いトップに立ったのに、まだ上に白人がいる。という感覚(なのかな?)。マイケル以外にも、アメリカという国に追いつめられているのは、あの一見強そうな意志の固まり、マドンナだと思うのだが、彼女はマイケル・ジャクソンとは違う方法で、実は独特の追いつめられ方をしていると思う。その話は別の機会に。

2009年7月4日の朝日の朝刊で、マイケル・ジャクソンへの追悼記事があり、その中でブロードキャスターのピーター・バラカン氏が、「スリラーの呪縛」というタイトルで(彼がつけたタイトルではないかもしれない)語っていらした。切り抜いてとってあるのだけど、彼曰く、白人のヴィデオしか流さなかったMTVと、マイケルがそこに初めて風穴を開けたこと、そしてその「スリラー」を結局彼自身が越えられなかったということだった。

だとしたら、マイケル・ジャクソンは、やはりゾンビに象徴されるように、最後まで異形の存在としてしか、アメリカ社会に君臨できなかったのではないだろうか?

私の言うことはなんの解決も、変化ももたらさない。だけど、ふと思うのだ。いいんじゃない?白人になりたかったら、なっていいんじゃないかと。そんなことをいえば、アメリカの黒人の右派団体が怒るかもしれない。だが、白人になりたい黒人が、本当に白人になっただなんて、そんなめちゃくちゃな人、マイケル・ジャクソン以外にかつていなかったではないか。彼だけだ、本当にやってしまったのは。私は、そこが彼のすごいところだと思う。

そして、死んで残るのは、きらきらした歌とミュージックビデオだけだ。もう、誰も彼を悪く言わない。バラカン氏の言葉を借りれば「とんでもないアイドル性、スター性があった」マイケル・ジャクソンとは、あのような生き方、死に方をした点において、極めてアメリカの黒人だったのだと私は思う。そして、私のベタないい方だけど、あっけなく本当の星になっちゃった。もういいんだから。光を出して、ぶっ飛ばして、アメリカから遠く離れ、百億光年先へ行ってね。心底、そう思う。いろんな死亡説が流れているが、私は個人的に寿命だと思った。

さて、今日の私のコメントは、彼の外見の変化ばかりをおもしろおかしく追ってきたメディアと、同じような次元になったかもしれないけど、一度何か言っておきたかった。そして、マイケルジャクソンがたどった経緯というのは、20世紀初頭や19世紀後半、奴隷解放後のアメリカで生きる黒人男性がたどってきた精神的経緯と実は何も変わっていないって、今思う。それについてきちんと述べるには少し時間が必要そうなのと、私は曲がりなりにも、アメリカ文学の研究者としてやっている側面もあるので、語るなら資料を出しつつ本気で論証したい、だから今日は割愛するよ。

ところでひらがなの「まいこー」は、しばらく海外出張で、行き先はその問題のアメリカ!『週間みねまいこ』の読者の皆さんにとって、アメリカなんて珍しくもなんともないだろうし、私も基本的に宿と大学の往復なのでびっくりするような経験はないと思うけど、休みの日には、知り合いの通っていたある深南部の黒人教会で歌いたいと思っているので、その点でいい報告ができるよう頑張ります。みねまいこーって真面目だなーって、自分で言ってちゃあしょうがないや。

参考:
朝日新聞、2009年7月4日(土)ピーター・バラカン『「スリラー」の呪縛』(福岡版、23面)。
ネルソン・ジョージ『リズム&ブルースの死』(早川書房、1990年)。
Ralph Elison, "Invisible man"., Vintage Books, 1995.
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2009年07月01日

Nothing but death can keep me from it 死ぬまでやるのよ

おはよう。

まずは、お知らせ。世界激場のサイトを、下記の場所へ、引っ越しました。自由参加のJIYU-KENKYUも毎月やっています。次は、7/5(日)です。どなたでも、お気軽にご参加ください。
http://sekaigekijou.jugem.jp/

最近は、何を読んでも、見ても、たいがいのものがつまんない。自分の感性が摩滅したわけじゃなくて、本当につまんないの。もうぜんぶが色あせて見えてしょうがない。仕方がないのよ。世界最高レベルを垣間見ちゃったんだもの。

先日、日本の総理大臣よりも偉い人に頼み事をした。なおかつ、キューバのカストロ級のスケールだよなあ、あの方は。その人を相手にものを申すわけだから、その準備のために、心と頭を全力で使ったんだよね。パソコンの記録をみたら、900分も下書きしてた。それ以前の下調べの時間も入れたら、どれくらい集中したかなあ。これでうまくいかなくても、もういいよ。スケールの大きな失敗は失敗するだけの価値が絶対にあるわ。そう思ってやってた。

そしてこの話はここで保留。私はとても幸せです。次は密度が勝負なの。

さて、この長雨。近道を通ろうとして、閉まっている門をジャンプしてよじ上り、敷地に入った。飛び降りたら、足がじーんとした。しかも、うっかり赤い傘の骨を「くの字」に曲げてしまった。

ヘンな形の傘のまま、侵入した敷地を早歩き。しかし、行く手にはなんと鉄条網が張られていた。マンガじゃないんだからと自分に言ったけど、あらゆる出口に鉄条網が張り巡らされていた。いつからこんなもん張りやがって、いったいだれが張ったんだ(敷地の管理会社でしょう)!子どもの頃に読んだ『トム・ソーヤーの冒険』に出てくる、洞窟に閉じ込められて餓死するジョーの姿を一瞬、重ね合わせた(大袈裟)。

前方に進むのだ。きっと、ここから出られるわ!鉄条網のわずかな隙間を、身をよじらせて外に出ることに決めた。全身をリラックスさせて、少しずつ身をよじらす。頭、首、肩、指先、胴、腰、足、最後に足の先、鉄条網に引っかかりそうになっては、慎重に、息を殺して、なおかつ流れるように。

結果は大成功。さ。次は、荷物。人の気配がしたので、物陰に飛び込んで隠れた。いったい私は、何をやっているんでしょう(笑)。小動物のように出て来て、鉄条網の向こうにおいてたバッグも、傘も、こちらがわに、ひっかけないようにして、そっと隙間をくぐらせる。静かに。静かにね。これも、成功。一カ所だけひじのところ、ジャケットをすこし、破いてしまっていたことに気づいた。大好きなYohjiのジャケットが。

これを読んでいる皆様。愛で突っ走って幸せにおなり。
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2009年06月24日

はちゃめちゃな雨

雨がずっとやまなかった。ただただひどい雨で、ノアの洪水ってこんな感じだったのかって、窓の外を見てた。グランドや芝生に水の層ができて、ぜんぜんもったいぶらないで、気前よく空が雨を放出していた。

傘を持ってきていたけど、傘が役に立ちそうもなく、ひと仕事を終えた後の、某建物の1階でうろうろ心がさまよっていた。そしたら、ばったり、知り合いとはちあわせた。「あれー?なんでー?!」

この9年くらい知り合いだけど、一度もちゃんと話をしたことのなかったひとまわりくらい年上の女性Aさんで、彼女が「帰り、どうする?乗ってく?」と話をふってきたので、二つ返事で彼女の車に便乗させてもらった。「いつも、どうしてるの移動は?」「自転車が多いです。まだ私、Aさんみたいに、バカスカ稼いでないから。わはは。」なんて遠慮のない会話で、雨の中よりも川の中を走るみたいに走った。

雨はもともと二人を親密にしてくれるのか、あまりにひどい雨でだったのでヤケになったのか、さっき駐車場まで歩くのに頭からずぶぬれになってすっかりお互い化粧が落ちたからなのか、9年間の疎遠さが嘘みたいにぶっとんだ。

なんでも話をきくに(私はふだん、聞き役に回ることの方が多いのだ)、アメリカでも日本でもずっと競争してきたし、男性ともずっと競争をしてきたと(彼女は東大出身なくらいなので、おそらく勝利してきたんだろうけど)。自分は運良く続けてこれたけど、通常は女の子たちが結婚したり、妊娠したりすると普通は中断してしまう。仮にもし一度その競争から降りたら、再び最前線に行くことは難しい。それはたくさんケースを見て来て取り返しがつかないことだと思っている。

だから、彼女はどんな環境でも、女の子たちが競争ができるように、競争を降りなくていいように、男性に頼らないで生きられるようにっていう、平塚らいてう先生がやってきたシゴトを、信念を持って続けているようだった。お。かっこいいじゃん!ちなみに私自身の今後の参考に、アメリカで女で一人、子どもを連れて、孤立無援で、どうすればやっていけるのか?っていう貴重な情報も聞くことができてものすごくラッキーだった。

競争からは降りることなく、高速を降りて、適当な場所でおろしてもらった。やっぱりひどい雨で、笑うしかなく、私がちょっとおどけてみせた。そんで「ありがとうございました。じゃあねー。」と別れた。ふと思ったのは、こんな優秀な女性と私が競争したら、果たして勝ち目はあるのか?ってこと。同じ畑で競争することはないけど、でも東大出身の女の子や、ハーバード出と、自分とを比べたら、私の存在理由って、何?って思った。「あ、こりゃだめだ。勝負にならん」

優等生は優秀な教科書を書けるんだと思う。全体に目をくばった、落ち度のない教科書が。で、私のようなチンピラは、そこで勝負したら負けるに決まっているから、独創性みたいなところで勝負するっきゃないんだろうな。ひとつ、可能性があるとしたら、そこの部分でしか、太刀打ちできないね。それで突然だが、それでバンド名を改名することにした。

「みねまいこ&はちゃめちゃクチャ」よろしく。
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2009年06月17日

平和ぼけ

よく、他者への理解、創造力なんて言い方をする。自分とは違う人間の考え方にも、思いめぐらせよ、ってことだ。わりと自戒をもって語られるものの言い方だ。だけど、それには盲点があると思う。他者というのは、ほんとうにありとあらゆる他者であって、それも周囲5mくらいの顔の見える他者だけじゃなくて、自分が思いもよらなかった顔の見えない他者の場合もある。

こんなことがあった。AがBに、私をハメようともくろみを持ちかけた。Bは、そんな卑怯なことはしないと断った。で、Bが私にAのはなしをして、気をつけろと言った。Aとは10年以上会っていない、顔も忘れたようなAだった。だけど、向こうは覚えていて、暇をもてあまし、私に悪事を働こうとした。具体的には良く知らない。暴力か、罠かなあ。A、Bともに男性だ。

私はAとちょっと顔見知りなだけであって、記憶にもなかった。しかし最近はじめて、Aは他の人を、ヤクザを使って人を殺そうとしたり、ホテルに盗聴機をしかけて人をゆすったりしてきたと、Cからきいた。ということは、私はAに、かなりのレベルの悪事を働かれてもおかしくなかったってことだ。Bがやめさせたおかげで、何もなくてすんだ(と、思う)。

怖いのは、こっちは何も知らなかったこと。自分の知らないところで、悪意が働くことのおそろしさのなんたるや。地球上に悪意ってのは、実際に存在するもんだ。だから、私は、他者への理解というのは、生半可なもんじゃなくて、自分への悪意を持つ者がいる、という創造力さえも働かせることだよなって思うわけ。

平和ぼけの人だらけだ。他者への基本的な信頼を持ちながら生きられる人の素直さ(鈍感さ)って、いいよなあって思う。私も最近、つい平和ぼけしてたよな。反省している。

ここぞというところで、ほんのちょっとの隙を誰かにみせたために、大きなチャンスを失ったり、あとほんのわずかな機転がきかなかったために、さらに大きなチャンスを失ったり、そういうことって、よくあるんだよ。愚かで目も当てられないよね。しょうもないことで、命を落とすことも、やっぱり失敗することもおおいにあるわけよ。自分の発言が、その後どんな効果と影響を及ぼすか、考えられない人はだめなんだよ。やっぱ。苦しくても、形になるまで緊張に耐えなきゃなんないわけ。

何を言ってるんだか、さっぱりわからない人も多いだろうけれど、状況判断を見誤らない政治的なセンスというのかな。見知らぬ他者の存在をおもいめぐらすこともできない、平和に生きていること自体に危機感を持てないような、勘の悪い人間には、なりたくないよなってこと。平和を一枚ひっぺがえしたら地獄なんだ、ってのを気をゆるすと忘れそうになる。

他者の言語がわからなかったゆえに命を落としたり、フランス系ドイツ人ともドイツ系フランス人とも、どちらとも言える民間人の家族がたまたまフランス系ドイツ人と名乗ったがゆえに、第二次世界大戦後、無理矢理ある東欧のドイツ人収監キャンプに長い年月収容されて筆舌に尽くしがたい目にあったりとか、そんな話を友人たちから(沖縄の人や、外国籍の友人だけど)きいて、納得する。ある状況で、やっちゃいけないミスをおかすってことがある。とくに、言語ができないってことが、致命的なことになるってことがある。

だから、外国語って、ちやほやされることでは絶対にないし、駅前のような自己実現とか、スキルアップなんかじゃなくて、生命がかかってることだと思う。私のヨーロッパプロモのSnigelはすさまじく英語ができるけど、彼がすごいのは、そこのところがすごくよくわかってる人だからだと思う。

うーん。なんなんだろうね。やっぱり「最悪の事態」が想像できないってのは、自分がなまくらになってたんだろうな。日本だからって、安心しきっていました。世界共通だよ、「政治的な勘」を常時働かせるってのは。それを、思い知らされた、今日このごろです。

追伸。私のヨーロッパプロモのSnigelと、元アメリカの某大手航空会社勤務のご友人様。お二人のご教示のおかげで、先日、自分が納得できる条件と価格の航空券をゲットできました。ありがとう。
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2009年06月11日

もうしわけ

ない!週刊『みねまいこ』毎週水曜日が守れない。なんで毎週水曜日に更新することにしたかっていうと、1992年から韓国の日本大使館の前で、元慰安婦の女性たちが毎週水曜日に、現在もずっと抗議デモをずっとやっているからなのよ。彼女たちは、日本軍の犯罪に遭うまでは、キュートな女の子だったわけ。女の子をそんな目に遭わせるなんて、もうぶち殺していいと思う。こっちは当の日本軍の末裔で、おもいきり加害者の国だけどさ、それでも同じ日に、なにか声を大にして言いたい気持ちになるのよ。女の子たちにとって、なにも終わっちゃいないわけ。

さて、なんでこんなに多忙なのか。それは、アルバムをほぞぼそやっているのと(オオカミ少女だなあ、誰も信じてくれないだろうなあ)、研究をすすめて早いとこ博士論文を提出したいのと、そのために近々アメリカに調査にいかねばならず、膨大な準備に追われているわけなのです。

もちろん勉強をしに行っただけじゃだめだもの。不良ですから。夜はあらゆる深南部のジャズバーとブルースバーで歌おうと、殴り込みをかけようと、音楽の準備もしてるのね。だからなの。そんでもって日曜日には、黒人教会に殴り込みなわけ。ああ、だんだん私はマルコムX化しています。殴り込みだってさ。ははは。

お楽しみに!
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2009年06月04日

毎日奇跡をおこすのよ

こんにちは。毎週水曜日に更新中の週刊『みねまいこ』ですが、ここのところ間に合いません。どんまい。

薄暗いんだよなー。光のもとで、空と海はもっと鮮やかでなければならないわけ。

チェコに演奏に呼ばれた件を今、なんとか軌道に乗せようとしているけど、うまくいくのでしょうか?そんでもって、ボストンで私と似たようなことをやっているアメリカ文学の研究者の本を読んで、感想文を送って連絡してみたらすぐに返事が来た。「おいで、おいで(吉原の女郎さんみたいだな)。こっちの(アメリカの)学会に入りなよ。私が推薦するし。うちらと一緒に議論しましょうよ」と呼んでくれた。でも、母国語以外で完璧に論理的な文章を書いたり議論するというのは、なかなか難しいんだよなあ。ノーベル文学賞をとったような人が出てくるような学会なわけよ、そこが。アメリカにこれから2年くらい行こうかなあ。行くべきなのかなあ。昼は研究して、夜は現地でバンドを組んでどっかで演奏したらいいんだもんね。日曜日は黒人教会でオルガン弾きたいな、合唱隊もいいけど声質が合わないものね、違うものは違うのよ。この週刊『みねまいこ』を読んでくれた方が、東京のとある型破りな学会でみねまいこに11月に発表させたらどうだと推薦してくださったというはなしを知って、唖然。私はアメリカ文学が専門なので、領域外で果たして通用するのか思うけど、なんでもやりますやります、やらせてください。そんで12月がまた別の学会で発表なんだ。その関係で7月に一度東京に行かなきゃなあ。世界激場の仕事が目白押しだし(鳥のメジロがいっぱい電線にとまって互いに押し合っている)、マンションの下に子猫が住み着いたので、餌付けしたいし(名前は「とらたま」に決めました)。

さーがんばるぞー。世界全員が敵!

今日のタイトルは、marimekko(minemaikoではない)という私が好きなフィンランドのファブリックデザインの人が、よく言っていたらしい言葉で、その言葉もわたしは大好きです。
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2009年05月28日

写真だけ。

Whatareyoulookingat.jpg

冬に中洲を歩いていて、同行カメラマンに、LEICAというローバートキャパと同じカメラで撮影してもらった写真。アーティスト写真にとおもったもののボツにしましたが、最近なんとなく面白く思い直したので出して来ました。建設現場の囲いに、大きく "WHAT?" と書かれてありました。
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2009年05月20日

「沖縄で思いがけず、私は何かに衝突してしまった」 I Won't Be Silent Anymore

(みねまいこが狂ったと思うなよ。今日は、カフカの『変身』みたいなはなし)

沖縄、琉球大での学会発表は、楽しかった。私の発表中、会場の中からひとりだけ「うん!うん!」と声を出して反応がある。アメリカの黒人教会ならば「Oh, Yes! I will.」とか「Amen!」のようなノリだろうか?なんとなく普通じゃない方だな、と思っていたら、あとから友人からきいたところによれば、私がやっていることの第一人者のめちゃめちゃ有名な某大学の教授だった。なんでも12月に別の学会があるから、そこで私が発表するようにということだった。

さて、沖縄は思っていた以上にすごかった。夕方、1日目の学会が終わりバスの中から、風景をながめていた。琉球大のある那覇市郊外には、女性の子宮を形どった墓がどっかりと地面に根を張り、その脇を高校生の男の子がアイスバーを片手に自転車で通り過ぎていった。墓のそばの畑では、おばあさんがエプロンみたいな薄手の服を、着ているのか、脱げかかっているのか、おそらく全身で風化しかかっていたのかと思う。おばあさんが、ただ立っていた。夕暮れ、ただ立っていた。

那覇の市街地を歩く。アメリカの文化と日本本土の文化と、台湾の文化とそして沖縄の古い伝統文化との4つがあって、それらを状況に応じて複雑に選択しているような気がした。いろんな人と話してみて不思議だったのは、自分の好きなものだけに集中して宗教的なまでにわが世界の構築を繰り返し、実はそこに自ら軟禁状態になっているようなバランス感覚の悪い人たちがいなかったことだ。それはたぶん、何かひとつのたとえば大きなグローバリズムのようなものがやってきたときに、十分逃げたり闘えるということでもあると思う。それがもし1つの文化だけでほそぼそとやっていたとしたら、簡単に大きな波に飲まれて負けてしまう。スターバックスが林立したり、大企業が戦略的に流す情報が大きな事件になったり、重箱の隅をつつくような趣味を展開したり、「それしかない」ということはそういうことだ。

島唄を初めて生で聴いたけど、なんとか歌えた。ステージで、島唄のトップクラスの歌い手と一緒に歌った。感激。実際に歌ってみた印象は日本古来の持っている「歌」のメソメソした感じがまるでなかったこと(もちろん音階とコードの違いは大きい)。百人一首からつづくメソメソ感。額田大王らはちょっとちがうけど、読めばわかる。実にみんなしょーもないことで、メソメソしてきた。髪を長くしてひきこもりみたいに奥の部屋に住んで太陽も浴びず、昼夜逆転の生活、体力は失われるばかりの生活をすれば当然そうなっちゃう。百人一首のメソメソ感は、J-POPへと続いている。その影響力の強さはある意味すごいのだが、今回うたった島唄は奇麗な色の鳥のことも、戦争も、セクシャルないらやしいことも、親が死んだことも、男と女の清純さも、すべてからっと乾いていた。明るかった。

さて、観光をして、いよいよ福岡に戻ることになった。夜の便だった。「もうすぐ福岡空港に着陸します」というアナウンスに飛行機からの夜景をふと見た。その時だった。福岡の街が、くねくねと生き物になった。ビルのひとつひとつが巨大なナマズのようなドロのような色をして、ミミズの全身がツルンと、のっぺらぼうになったような暗い生き物に見えた。そしてビルの灯が、赤い目だった。それらの気持ちの悪い生き物は口はなく、赤い目をふたつ光らせて、くねくねと上空にむかって当てもなくうごめいていた。それが一斉なのだ。見渡す福岡の街がすべて、その生き物で埋め尽くされていたのだった。

私が狂ったのか、と一瞬思った。でも、こういうことなのだ、と了解した。これは自分の中の確信なのだ。私は、ここまでこの街、もしくは自分の属している生活の背景、自分の今の状況がこれほど嫌いなんだと確信した。確信しても、それでも冷静ではいられなかった。本当に眼下では、異様な赤い目の生き物が体をくねらせて街一面、垂直にはえていたのだから。

いろいろな憎しみの感情が湧いた。あんたの心の弱さが嫌い、あんたの重たいプライドが嫌い、あんたの小心さが嫌い、あんたのしつこさが嫌い、24時間他人に認めてもらわないと生きた心地がしないmixiみたいな性質のあんたの行動が嫌い、あんたのすすり泣きが嫌い、あんたの社会性の無さが嫌い、ぐずぐずして人生を決められないあんたが嫌い、あんたの大人になりきれない甘えが嫌い、実は形式しかない/誰も信じてないくせに/意地でも残そうとする男尊女卑の祭りが嫌い、バカな男を肯定してあげる一歩下がってあげる女が憎い、出席番号は常に男子から/生徒会長も男子が望ましい/そんな中学校で、自分の才能を自分で押し出しちゃったり、諦めることを大人になることだと悟る女の子たちを目の前で見てて、手を貸さない大人の女たちが憎い、自分の壊れやすい何かが壊れないようにガラス細工のように「自分」てやつを頑強に守るあんたが嫌い、自分の頭が悪いせいで人生を難しくしてばかりのあんたがぜんぶ悪い。そう、こんなふうに。

地上に着いたら、その生き物はふつうのビルになり、気配さえもなかった。でも、私の中で悪寒として残っていた。家に着いて、眠る直前にもうれつな気持ちの悪さがあり、その後で全身が火のように熱かった。服を脱いで見ると、あちこちに真っ赤な珊瑚礁のような腫れ物ができていた。表面がガタガタと浮き出てくる。ほんのちょっとの肌の滑らかさもなかった。鏡で顔を見た。顔は大丈夫だった。しかし、ショッキングピンク色のクマが目の周りにできていて、なにやら幸せそうな薬物中毒者のようだった。いやいや、それどころではない。

首から下のその異様な熱さは、その後で猛烈なかゆみになった。掻きむしる度に、あの上空から見た不愉快な生き物を思い出し、怒りを覚えた。そのガタガタとした真っ赤なできものが首から下、やがて全身にひろがっていった。こんなことってあるのだろうか。いつか写真で見たグレートバリアリーフというのか、珊瑚礁の棚のような出来物が体に浮き上がって、つぎつぎに私の体を占領して行った。

ところで、沖縄ではずっと前は小学校で「遺骨拾い」の時間があって、生徒が近くのガマなどに拾いに行っていたという、そんな、今回の沖縄滞在で、芥川賞作家の又吉秀喜氏から聞いた話とからみあったのだと思う。夢中で体にできた大量の赤い腫れ物と格闘していると、白い骨と、みやげ品店で見かけた、白くなった珊瑚の死骸がたくさん目の前に浮かんだ。そして目を閉じると、なおさらふたつがカサカサと白く降り積もるのだった。

目を開けると私の皮膚には、白いカサカサとした骨になる前の「血と肉を持つ人間たち」が赤い珊瑚になって浮かんでくる気がした。そしてその珊瑚はやはり、今はやがて白くカサカサになる前のまだ生きている「赤い珊瑚」なのだが、そういったものが表面に染み付いて、一瞬で私を大量に占領した。そして絶望的に私の皮膚の上の腫れ物は決して死んではくれず、私の制御できない力をもって、いっそう生きようとしているようだった。

ヒステリーなのだろうか?アレルギーなのだろうか?病院に行っても、医者はわからないと言った。もらった薬を飲んだらしばしおさまるのだけど、気をゆるすと、また腫れ物がいっせいに出てくる。しかしスタジオでのリハーサル中は出ない。でも終わるといっせいに出てくる。これはいったい何なのだろう?わからない。いっせいに生き生きとした赤い珊瑚が皮膚の上で生命力を吹き返す、そして私はそれをコントロールできない。そこで、私は自分を放っておく。何もしない。顔から下にはまともな皮膚がない、私の体には珊瑚ばかり。

自分の中で次々と生まれてくるのは、怒り。
根治しないのはいつも、怒り。
生命力というべきか。

誰かが言っていた。「みねさんは巫女的な性質がある」だとか、西洋のキリスト教会では「霊的感性が他の人よりも圧倒的に優れている」だとか。人が言っていたのは、このことなのだろうか。家族や友人は、私の体の異様さを見て「元海軍司令部壕の手榴弾の跡に似ている」だとか「血しぶきみたい」だとか「人間から異形の存在に変化する」なんて勝手なことばかり言っている。そんなわけないだろ。

何もできない、皮膚が不愉快でたまらない。ひたすらうめいていた、でもいいことを思いついた。珊瑚は地球温暖化で1度海水の温度が上昇したら死滅する。だから、私も1度平均体温を上げよう。無謀な試みはいつの時代も同じ。私はアメリカの西部開拓者のように、西へ向かった。奇妙な思いつきではあるものの、自転車で西へ、佐賀県に行くことにしたのだ。

走りながら私は風景を見ていなかった。南部戦線で一家全滅しての無人になった民家や、ひめゆりの女の子たちが大事にしていたおしゃれな雑誌の切り抜きやかわいい柄のハンカチが見えた。沖縄では光の量が多すぎていつもすべてが白っぽかった。そんな強烈に焼き付いた像から逃れるために自転車で走った。

結局、佐賀にはたどり着けなかったが、福岡市の中心から西へ20数km進んだ時に、体中から珊瑚がどんどん消えていくのを感じた。得体の知れない私の中の怒りは消えて、後には妥協という名の平和な生活が待っているのかもしれなかった。死滅してしまえば、もったいない気もした。記念に一部分残しておけばよかった。山をいくつ超えましたっけ?ああ、ため息とともに、自転車の向きをかえ、来た道をまた20数kmかけて戻った。
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2009年05月13日

お知らせ。

体調不良により、休息をとります。
次回更新は、5月20日(水)を予定しています。
みね
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