2010年06月09日

キンドル、iPad、蚊

こんにちは。右翼でも、左翼でもない、たんなる過激派の、みねまいこです。一週間、お休みをしてすこし頭を整頓したら、これまで書いた文章の中で、良く書けたものは、たった以下の7つくらいだった。その他は、読んでも時間の無駄だと思うんだな。
自分のライブや音楽のこと
ライブハウス評論
私の高貴な老婦人のこと
オリンピック論
家族のこと
男と女のこと
フェミニズム。以上です。

神戸では、本屋の棚で名前を見かけるような有名な学者に何人もお会いできて、うれしかった。私もいつか、外国に研究と、仕事に行きたい!と思った。ただし平日昼間は研究に費やす、プラス夜は寝ないでライブで稼ぐ。なおかつ、週末は黒人教会で思いっきり演奏する。帰りにレコード会社まわりをしてチャンスをつかむ。家に帰って本を書く。最初に戻る。私の場合は、そんな多忙な生活になるだろうけど、それでも行きたいなあ。

今週の月曜日に、ひとつ報告せねばならないシゴトがあったので、週末はずっと英語を日本語に訳して(意訳)いたのだけど、すぐできると思っていたら量が思った以上に多く、あまり寝ていなかった。で、その報告が月曜日に終わって、夜に家路につく。地下鉄で。

ところで私は必要に迫られた場合、Amazonのキンドルという電子書籍を使っている。本(洋書)を丸善に買いに行く時間がないとか、手に入るまで時間がかかるとか、夜中で図書館が閉まっているとか、そのような場合には、1分でダウンロードできるので便利だからだ(総合すると紙の書籍の方がはるかに良いのだけど)。iPadは持っていない。だけど、最近キンドルを使っていると、よくiPadと間違えられる。これが、今日の前提ね。

そう、月曜日。夜の地下鉄で。iPadだと今日も間違えられて、視線を感じる。真向かいに座っていた、6人掛けの席の6人の男性全員がときどきちらちら、「あ、iPadじゃん」と、こちらを見ている視線を感じた。サラリーマン5人と、大学生1人。うーん、これはiPadじゃなくて、キンドルなんだけどなあ。と思いつつ、それを読みながら新規のシゴトをする。

地下鉄の中で、滅多にしたことはないのだけど、本日は睡眠不足のため、居眠りをしてしまった、キンドルを読みながら。そしたら、本気で眠ってしまい、つい「がくっ」と体のバランスを崩してしまった。キンドルは私の手から「つるっ」とすべる。やべっ。

私は眠りながら、それでも瞬間的に、落ちかけたキンドルの端を、かろうじて触れていた右手の指先の第一関節で、「くいっ」とひっかけた。そして、上に向かって軽くふわっと放り投げたわけ。キンドルが浮かんだ滞空時間を利用して、その瞬間に「くわっ」と目を覚まして中腰まで立ち上がり、蚊を殺すみたいに、両手を大きく広げて、水平に弧を描き真ん中ですばやく「ばちん!」。両の手の平でキンドルをはさんでキャッチ。ああ、やばかった。落として壊すところだった!ああ、どきどきした!

すると前からの視線を感じた。向かいの6人席全員が一斉に「ひいっ!iPadが壊れる!」両手を差し出そうかどうしようか、微妙な手の位置のまま、体を前につんのめらして固まっていた。しかもその恐怖の瞬間に、私の目が開いて、曲芸のような技でキャッチしたので、なおさら緊張したらしい。やがて安堵感が満ちて「コノヤローどきどきさせるなよなー」とでも言わんばかりの、恨みがましい顔でこっちを見た後、6人全員、コントみたいに同時に、深く席に座り直したのだった。大学生などは、よほど心臓に悪かったらしく、私が降りるまで何度もこちらを見ていた。

電子書籍なんて、通り過ぎる人類の想い出だ。久しぶりに、人間たちの全身の本能というか、野生が目覚めるような気がした。
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2010年05月27日

おねだり君

今回の分は、自分が書いた文章が退屈だったので、削除しています。

来週は、神戸に出張等々のため、更新はありません。
次の更新は、6/9(水)です。

巻き戻って、
6/2(水)になりますが、福岡で、パンクロックをしているTARGEELINGの聡氏が、ソロ(アコースティック)のライブにて、
みねまいこのイスパーニャを、カバーなさるとのこと。
気になる方は、ぜひこちらへ。
http://www.geocities.jp/tagahillrecords/

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2010年05月19日

Those who wish to sing always find a song

こんにちは、みねまいこです。この1週間は、多忙のあまり何も新しいものを作り出しておらず、したがって、なにかをおおっぴらに述べたところで、誰の役にも立ちそうにもないし、でも、そんなぐだぐだつまんない、小さいことを、もごもご言ってる暇があったら、なにか今、ここでやる方がまし。ふん。

というわけで、何が何でも書くため、ネタ探しとして、夜のコンビニエンス・ストアに買い物かごを持って、思いきって女性週刊誌などを目についた雑誌を数冊、購入してきました(ページをめくる)。要約すると、民主党のネタと、男と女のゴシップと、エリカ様と、景気の話。求めているのは、どれもいまいち。すると....自分の母親を発見。

『通販生活』の、とあるページに、超ミニスカート姿の写真で、大阪万博でもちろんそう、太陽の塔を背景に、若い頃の母親がにっこり笑っている...!驚きのあまり「あ。この人わたしのお母さんだわ。」と、棒読みのような声を上げました。人間、見つけようと思えば、何でも見つかるし、会いたい人には会えるのだと、体験してみてわかりました。

ふぁいとお。
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2010年05月12日

Ivo Pogorelich

という男がいて、怪演ともいうべきピアノを弾くのだが、それはそれはいい男だった。そして危ない男が私は好きだ。今日言いたいことは、この2言だけだ。

開演前にアナウンスが流れて「本日、休憩はありません」とのこと。悲鳴に近い観客の声が一斉にあがる。結局ぶっ通しで3時間。途中で脱落者が次々に帰っていった。この人の演奏を嫌いな人は、大嫌いだと思う。でも、彼の音は、すばらしかったし、ショックだった。リストもショパンもラベルも、みんなみんな現代音楽に聴こえる。一音一音の響きを響かせたい様子。曲の起承転結、紆余曲折のような流れと展開は、彼の一音一音の響きの、深い底に沈んでしまった。曲の全体の構成は、目を凝らしてもよく見えない。なるほど「ふふふふふ。僕がぜんぶ、新しく編曲しておいてあげたからね(はーと)。」という、ノリなのかもしれない。

演奏が終わると、立ち上がり、グランドピアノをもくもくと片付け始めて、椅子をもとにもどして、観客の笑いを誘っていた。ああ、「アンコールはないよ」ってことね。こっちも、もういいよ、休憩なしで3時間はきつかった。

回転ドアをくぐると、立ち止まる。こんな演奏を聴いた後で、どうやって家路につけるのだろう。どうやって今まで通りの生活が、平和に送れるのだろう。ふらふらになりながら、まっすぐ家に帰れそうにない。酒だ、酒だ。というわけで、毎日新聞ビルの最上階のホテルのバーに行く(日本語がヘンなわけではなく、建築構造がヘンなの)。でも、あまり飲めずにお酒は残して(興奮状態のあまりウォッカを注文してしまったので、当然といえば当然)、生ハムメロンと、紅茶を追加でがぶがぶ飲んで、妙な組み合わせで胃がへんになり、やっぱりふらふらと外へ出て、川を見る。中洲の川だった。中洲のネオンは本物よりも、ゆらゆらと川に映っている方がきれいだと思った。

話を元に戻す。あんな演奏を聴いた後で、どうやって普通の生活が送れるというのだろう。

無理だね。

だから、早く早く一刻一秒を争って、ここを出なければなりません。どんどん先へ行かねばなりません。結局のところ自分の正直な気持を、捨てては生きられません。だから、そのように自分が思った通りに、何かをしなければなりません。自分の願望を認めなくてはなりません。自分の願望こそを、強く強く意識しなくてはなりません。


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2010年05月05日

やけくそフラメンコ

この連休は、スペインから来ているフラメンコ歌手とフラメンコギタリストに歌を習っていた。自分にとって何かプラスになるからと思ったのだが、結論を言えば、特に何も得るものはなかった(気がする)。結局のところ、私は何も教えたくも教わりたくもないのだ。こっちで勝手に、誰かの中に光るものを見つけて、勝手に真似をすることが好き。

しかし、ただひとつ、面白かったのは、フラメンコは基本的に舞踏のための歌なので、決めるところは決めないといけないのだが、他ははっきりいって、好き勝手。だから、先生も毎回毎回、フレージングが違う。それに合わせて、ギタリストがコードも合わせる。これじゃあ、どんな古い曲も完成していないのと同じ。3小節増えたり(なぜ奇数)、24小節増えたりもして、毎回違う。キープされるのは、一瞬一瞬のリズムだけ。

修練とは、「繰り返し」や「形」をともなって初めて成立する。ジプシーの音楽は、それが不可能なのだ、気分次第で曲は有形の物体のように伸び縮みして行くのだから。

みんな勝手だな。みんな完成しないで、通り過ぎてゆくんだな。ある日、風が吹いて、足下に砂埃が立って、人生を悟り、詩人か歌手か踊り子か酔っぱらいになる(人生の選択肢が4つくらいしかない)。13歳くらいで結婚して労働して、健康に気をつかう日本人よりは、はるかに早く死んでいく。何ひとつ完成させないんだ。そもそも面倒くさいんだ。美しいものを作るって、自分を作って死ぬってこと。フラメンコの楽曲は、そんな「やけくそさ」が目前に見えるようだった。

歌いながら、ああ。私は腹がたってしょうがない。学ぶとか、吸収するとか、プラスになるからとか、そんなのバカな野郎がやることだ。そして私は、大バカ野郎だ!やめた、やめた!そう思っているうちに、ゴールデンウィークの午後、歌っていたビルの外に夏が来た。暑い。マエストロ(先生)は、シャツのボタンをあけ過ぎで、こっちはぜんぜん興味がない胸毛だけだけでなくておヘソも見えそうだから、見せないで。

この野郎、この野郎。この怒りはどこから来るのだろう。怒りの理由は、自分が「非論理的」なことをほざいているときは、自分が突っ走っていて楽しいのだが、相手に「非論理的」なことをほざかれると、ムカつくのだ(フラメンコのリズムは数学みたいに、計算が複雑なので、超論理といえば超論理的なんだけど、超論理ってのは非論理みたいなものだ)。

12拍子やら、見たことのないような拍子やら、スペイン語と英語で、頭が異様な働き方をしてオーバーヒートし、みねまいこ、ぷっつんと切れてぶっ倒れる。ギタリストはブラジルのイエス像のように姿勢を崩さず、隣でダイエットコーラをがぶがぶ飲んでる。そんで、思ったね。くっそー。非論理とやけくそさを競うなら、あんたらジプシーには負けないのに。と思いながら4時間が経過。サッカー用語でいえば、「自分のフィールドでプレイする」ことが最後までゆるされずに、試合終了。

まったく知らない音楽と出会ったゴールデンウィークでした。あー、わたしはむちゃくちゃな音楽が好きだ。

この人たちの音楽は、馬がそばにいる気配がする。しかも1頭だけじゃない。数頭とか、たまに5頭の馬が、20本の足を元気に動かして走っていく。そんな音(リズム)がする。だから大好きだ。コノヤロー(最後まで、おこってる 笑)。

こめじるし。ジプシーよりも、ロマという呼び方が望ましいけども、彼らが自ら「ジプシーの音楽」と言っていたので、今日は大きな愛情と敬意をこめてこの呼称をつかいます。
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2010年04月28日

本がでました

本が出ました(アメリカ文学の専門書です)。私は21人いる執筆者のうちの1人です。
http://www.bookmailclub.com/bmc/reader/search/?.command=detail&book_id=11024&prev=released
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2010年04月21日

中世のFocus

今日は、いつも以上に、おおざっぱな話をしてみたい。ヒエロニムス・ボスの絵がある。去年マドリードで見た絵だ。タイトルは「快楽の園」だったと思う。誰もが感銘を受けるように、私にとってもまた、強い印象を受けた。
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一方で先日、北九州美術館の売店でこんなものを見つけて、つい買ってしまった。約5000円なり。昼ご飯はレストランではなく、ビスケットになってしまった。むむう。
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ボスの上の絵の一部(さあ、どこにあるかな?)をキャラ化し拡大して、オランダの会社がハンドメイドでフィギュアにしたものだ。フィギュアに興味はないのだけど「鳥が青い宇宙服を着て、頭に鍋か、やかんをかぶり、人間を食べている途中」そんなレアなフィギュアには興味があったのだった。

ボスは、ご存知のように1450頃〜1516のオランダ、フランドル派の画家。彼についての研究書は世界に山のようにあるだろう、にもかかわらず、敢えて私が確認したいのは、中世の視点についてだ。絵の中のすべてに焦点が当たっている。それはどうしてなのだろうか?という疑問だ。人を食う鳥も、卵人間も、細かいひとつひとつに、ピントが合っている気がする。

一方で近代絵画は、この北九州美術館で見つけたフィギュアのようだ。全体のうちのどこかひとつが拡大されている。そんな視点だ。絵のタイトルの付け方にも、きっとそんなピンポイントの視点が如実に出ている。また「主題+背景」そんなふうにシンプルな構図のような気がする。全体を見るのではなく、ひとつだけに注目して、掘り下げていくというような。ときに内面の奥深くにまで。近代以降、主体や個人の内面が生まれたと、いろんな人がいろんなところで言っているのを、繰り返して言ってもいいのだけど…。

絵のことは(も)よくわからない。でも、この視点の違いを目の当たりにして、近代以降、人間の視覚に、何度強調しても強調しすぎることはないくらい、大きな変化が起きたことだけはわかる。

内面といえば、中世の人たちの内面は、まるでわからない。この絵からは、感情がよく見えない。中世じゃないけど、もっとはるか昔の聖書を読んでも同じ印象をうける。表面的なこと、宮殿の幅が何キュピトあったとか、町に何人の敵がやってきて何人殺したとか、全部燃やし尽くすのに何日かかったとか、何代目の王が何日目にどうしたとか。決して「王は〜と思った」「王は〜と感じた」なんていう表現は出てこない。むしろ数などの表面的なディーテールにこだわる(そして私はそんな乾いた感じが好きだ)。そして、とんでもない数の人間があまり感情を見せないで出てくる。

やがて、放っておいても時代が変わるだろう。近代が終わった終わったと言われてずいぶん経つけど、やっぱりまだ近代で、それでも本当に近代が去ったあと、昔は物を知らずバカだったよね。と、思われる日も来るにちがいない。でも、そんな先のことなんて知ったこっちゃないし、今の時代が嫌いじゃない。

そんなふうにボスの中世と、知ったこっちゃない未来を思ったときに、近代の最大の特色というのは、自画像じゃないだろうか、と思うに至った。歴史上、自画像をたくさん描いた時代は、近代以外にない気がする。よくわからないけれど、古い昔の自画像というものを見たことがない。デューラーくらいだ。

ああ、だから中世の歴史家の阿部謹也はデューラーの自画像を特別に論じていたのかもしれない。晩年は私が粗相をやらかして(お漏らししたわけではない)、怒られて、そのまま会ってもらえなくなってしまったけども、出会って最初の頃の牧歌的な日々に「鏡をみなさい」とよく言われた。鏡で自分を常に見るように、と。意味がわからなかったし、ある種の自己愛のようなものからは遠ざかりたかったので、私はまったく言うことをきかなかったけども、こうやって考えてみると、自画像のことを言っていたのだ。

近代の最後の腐敗した時代に生きている以上、腐敗の中から立ち上がる近代人として、私も近代のテーマを最後まで意識的にやらなきゃダメなんだと今頃になって気がつく。巨大な自画像を描くような喜び。本当は自画像の季節は過ぎ去り、ボスの、見えるものすべてに焦点が合う視点の方が、リアリティと魅力を覚えるとしてもね。

今日は何が言いたいんだか、わかりにくいような、思わせぶりなことを書いてしまった。つまり、近代の自画像のような自己を見つめる焦点と、ボスのような全体への焦点が、ある日同時に、両立すればいいわけ。
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2010年04月14日

宇宙飛行士、学級委員長説

晩に電話が鳴って、友人の声。ハイテンションで「サプラーイズ!」と叫んでいた。何がサプライズなのだろうと不審に思い電話をきる。夜中、とり忘れた夕刊を玄関にとりに行くと、郵便受けに、花がブッ刺してあった。このような日本語はあまり品が良くないけど、本当にブッ刺してあって、手紙には「mixiのコミュで4/9のライブ情報をたよりに彼氏と会場に行ったら、みねまいこはいない、なんと1年前のライブの情報だったことに気づいた。このライブへ行くテンションをどこへ向けてよいかわからないわ!」という、つまり1年、時間を間違ったという主旨が書かれてあった。読んで、ぽかん。うちの家の前まで来たなら、彼氏さんと二人上がってお茶でも飲んで行けば良かったのに…とまあ最近いちばん面白い出来事だった(申し訳ない気持ちと同時に)。元気で面白い女たちは、元気で面白いから最高だ!

さて、宇宙飛行士の話題が多い。宇宙の話題は、大本営発表ではないけれど、どこか嘘のニュースを流されている気がいつもする。「未来や、宇宙への希望」を語るニュースって、本当なのだろうか?宇宙に行ったら、単なる真っ暗闇がつづくだけで、希望もへったくれもない、何もないところなんじゃないだろうか。地球の未来は、暗い宇宙に本当にあるのだろうか。地球から離れて、人類にいったいどんな希望があるというのだろうか。そんな疑念が湧く。地球は美人もいるし、ブスもいる、バカもいるし、めちゃくちゃな髪型の人もいるし、花もある。海も陸も、大間の黒マグロもすごいんだ、ぜ、と。

もう一つの疑念は「宇宙飛行士、学級委員長説」だ。この言葉は、今私が作ったんだけども、彼らのインタビューを聞くところ、皆エリートなんだけど、破綻のないエリートで、どうも学級委員長の言っている話にしか聞こえない。宇宙船のリーダーとなるべく、選別されてきたのだから、先進国の学級委員長(的資質の人達)がNASAに集まってしまうのだろうけど、それで、科学は進歩するのだろうか(宇宙船で、琴や尺八などの日本の座敷芸やってどうするんだ!別にいいんだけどね)?科学って、『昆虫記』のファーブル先生のような、マッドな人間がマッドな実験をやって、進歩してきたんだろ。クリーンな学級委員長には無理。

もう、2010年に、飽きてきました。早く、年末のクリスマスになるといい。

今月末に本が出ます(たぶん)。また、お知らせします。
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2010年04月08日

鯨と犬

1ヶ月ずっと休みがなかったので、昨日から今日の午後までは、心行くままゆっくりしていた。会社から抜けて出て来てくれた友人と待ち合わせてカレーライスを食べに行く。シーシェパードの話題になり、彼女の意見を聞く。ふむふむ。私は「調査捕鯨船の妨害をするのがシーシェパードで、だったらシーシェパードを妨害する船を…『シーブルドッグ』と名付けて一緒にやりませんか?『シー土佐犬』でもいいです」と提案したら、すごくウケてくださったので、やってみてもいいかもしんないよ。

今週は仙台にいた。知人の老婦人の納骨式だった。あんなに二人楽しかったのに、あっけなかった。もう涙は出ないが、死んだらどこに行くのだろうなあ。と、不思議に思った。

ある小説家の方と先日、飲んでいた。死んだらどこに行くか?と話していた。他の同席者の方が、生まれる前と同じだ、と。生まれる前は自分が経験してきたことのはずで、それと同じ経験を死ぬときにもするのではないか?と言った。小説家の方の発言は、表現の一個一個が輝いているので、要約が難しく、再現不可能だ。私は死後のことは考えてもわからないので、「土葬がいい。微生物がゆっくりと分解してくれる。」などと、ピントの外れた意見を述べてみたりした。

結論。死後は、はてな。

そう、「はてな」なんだ。死後は「青い空に白い雲の大きなはてなが浮かぶ」気がしたから、POST CAPITALという曲を作ったんだけど、やっとその曲のレコーディングの大詰めを迎えている(と、やっとここで話が飛ぶ)。とにかくこの曲は、難曲だ。誰が作ったんだ。すみません、自分の能力を越えた曲だ。でも、ちょっとやってみる。

鯨の肉も、犬の肉も、きっとお腹が減ったなら、美味しくいただきます。
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2010年03月31日

沖縄国際アジア音楽祭

「総評」
すばらしい音楽祭でした!そしてあまりにも大規模。福岡ではMUSIC CITY天神なる音楽イベントがありますが、それを上回る規模の、県単位のイベントでした。なのに、ひとりの若い女性が実行委員会のトップに立って、ものすごい人数のスタッフが組織されていたこと。しかも彼女はずっと私のようなストリートの出演者とも、これまで数ヶ月にわたり何度も個人的にメールで打ち合わせを行ってきたわけです。いったいどうやって全体の仕事も、細かい仕事も、同時にこなしたのか?まず、そこにびっくりしました。そして、その他のスタッフの方々の歓迎ムードと、組織的な優秀さにも驚きました。要約すると、みなさんお祭りに対する集中力がすごい。だから私は、音楽で頑張ります!

というわけで、がんばった結果がこれだよ。翌日3/29の朝刊『沖縄タイムス』に写真が載りました!(一番右が、あなたの町の、みねまいこ)

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「3/27那覇空港」
3/27に空港に着きました。飛行機を降りていきなり垂れ幕が。別の場所には、ガラス張りの空港の3階から2階部分まで垂れ下がった、もっと大きな垂れ幕も。思わず撮影しました(今回は、カメラマン同行です)。

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夕ご飯に、伊勢エビのお味噌汁と、ハリセンボン(アバサー)の唐揚げと、海ぶどうを公設市場でいただいたら、ホテルに帰って早く寝ました。明日は3ステージあるからです。ぐー。

「3/28 くもじspot 14:05」
晴れです。昨日の寒さが嘘のよう。午後2時05分。国際通りのくもじspotで歌い始めます。通行人が多いけども、立ち止まって聴く人は少なし。その方が、燃えるぜい。

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途中で電気が来なくなって、音が止まるというトラブルがあったり、スピーカーの片側からしか音が聴こえなくなるなどのピンチもあったけども、スタッフの方はよくしてくださいました。個人的には、昨年ニューオリンズの路上で修行した経験が生きたのか、ぜんぜん気にならない。ただ、気になったのはねえ。

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キ印のおじちゃんが近寄ってきて、私にコーチを始めたことです!その方はポロシャツのポケットに2本、「うまか棒」をさしていて、それだけで十分やばい(笑)という感じだったけど、歌いながらふと思い出したことは、そう。沖縄は日本で一番、精神病院の数が少ないのです。地域で見守る、というやり方で、病院に閉じ込めたりしないのです。それは、良いことだし、すごいことだと思います。そして知っています。こういうタイプのキ印の人は、絶対に他人に触れたりしないのです。距離を保ったまま「キ印」でいるんだよ。

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初めはちょっとびびってた私。目が助けを呼ぶ。しかし、歌いながら、よく聞けば、そのおじちゃんの言うことが、的を得てるわけ。「疲れたら、顔がこわくなる!スマーイル!そう!その顔!いいよー!スマーイル!OK!かーわいー!」(コーチを受けて、私も一生懸命応じている)「よーし、よーし、今、良い声が出た!よくやった!すごい!OK、OK!いただきました!あ、ダメ。スマーイル。そうそう。かーわいー!OK!」(コーチに褒められてちょっとうれしい私)それで、その後20分間ずっと、コーチの指示に従って、歌い続けました。私の歌が終わると「持ってかえりたーい」と言ったけど、やっぱり何も危害を加えずに、霞のようにどこかへ消えて行きました。
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キ印の人は、異能者に近い気がする。今思えば、このコーチの出現は、私にとって何かの予兆でした。

くもじspotでの演奏の後、疲れをとるために、散歩(じっとしてなさい)。路地で、黄色い猫と「長男」と書いたTシャツの、「那覇の一休さん」みたいな少年に出会いました。彼に話しかけて、人生相談にのっていただくことに。触っても手を洗う場所がないよなーと思ったので、手の甲で猫をなでたのでした。自分の都合のよいときだけ動物を可愛がる、みねまいです。

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「まつおstage 16:35」
私の前の台湾から来たというCheshire Cat柴郡猫(猫という漢字は難しい方の字)さんは、とてもよい演奏でした。透明感のある声のギターの弾き語りは、嫌いな人はいないんじゃないかな。日本語のMCが上手い。私は中国語でも日本語でも、あんなさりげないMCはできない。感心してしまいました。

私が歌い始めたら、なぜか人が遠巻きに(笑)。どこか良い雰囲気のある日本人のお客さんと、外国人ののお客さんと、その他、国籍不明のお客さんが、立ち止まって見ておられた気がします。
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そんでさ。特筆すべき点は、まつおstageのPAさんが優秀で、とんでもないセンスだったの。一度私のいるステージの中で小さな音の宇宙を作って、その後で、外側の拡大する宇宙に(国際通り)音を伸ばしていくような、そんなイメージの音作りだと思いました。だから、私は演奏だけに集中できるので、これまた良い音しか出ない。狙った音、狙った音、すべてが意図したように当たっていました。この最近の3年間のうちで、このステージは、ベストパフォーマンスでした。だから、このステージを見た方は、ラッキーです。
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ちなみにCDもよく売れました。生まれて初めて、白い真新しい色紙にサインを頼まれたのですが、サインなどこれまでいつもただ名前を書くだけだったので、色紙にそれでは見栄えが悪かろうと、即席でデザインして書きました。今後も、この日、アドリブで大胆に作ったなんちゃってサインを使っていきたいと思います(魚とハートが入っています)。
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私の次に演奏された、岡村聡士さんのバンドは、すさまじく上手でした。うちのバンドもそれくらいに鍛えて、今度は一緒に連れて来たい。だから鍛えよう。そのためには…と、鬼のようなアイデアを次々と考えながら、夕食をとりに行きました。この日の夕食は、戦後すぐから、ずっとやっている老舗のステーキ屋に移動しました。沖縄スタイルのステーキでした(食べるのにいそがしい、写真なし)。

「ファイナルステージ 20:00頃」
県庁の前の広場に大きなステージがあり、その裏手にある、控え室へ通されました。野外の控え室はテントなんだけど、その中でいろいろなミュージシャンとお話。伊藤水季ちゃんという女の子とお話しました。ロスからきたPaul Datehさん(バイオリン)と、サポートギターの方とは英語で。みねまい、にわかバイリンガルに変装(変身)です。他にもいろいろな国から出演者は来ていました。

ステージではムードのある多和田えみさんと、爽快なSOUTHさんと、All Japan Goithさんらが爆発的な演奏を繰り広げました。基本的に管楽器は大好きなので、Goithさんらの演奏では、控え室を抜け出して、ひとりぼっちで音楽に合わせて私はステージの裏でわーわー、飛び跳ねていました。そうしたら、スタッフの方が「これから、ファイナルステージの打ち合わせをしますよ!みねさん、控え室に入って下さーい」と声を掛けてくれました。この暗がりの中で、名指しで注意を受ける私ってどうよ…(笑)と反省しつつ、「はーい!」と返事をして…。

曲は忌野清志郎さんの『雨上がりの夜空に』。ステージに上がります。この沖縄国際アジア音楽祭のフィナーレを飾るにふさわしい。みねまいこさん!と名前を呼ばれて、はい!と、手を振りながら登場。全員が上がったところで、安里副知事からのご挨拶。琉球王国の時代、色んな国と交易をしながら、平和に暮らした沖縄は、世界中からミュージシャンを呼んで、音楽を通じて世界に平和を発信するのにふさわしい場所だ。という内容の話で、とても心のこもったよいスピーチでした。

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で、音楽がはじまりました!熱唱します。みねまいこ、脇役のはずなのに、目立っています。ただのバカです。ひたすら歌います。ドレスは、Yohji Yamamoto
でした。友禅染めの麻のドレスです。サイズがあまりに小さくて、誰も入らず、売れ残っていたのを、リーズナブルにゲットしたものです。本来は非常に高価だし、色の出方や、カッティング、縫い目のリズム感、全てがすばらしい、天才が作ったドレス。

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左右に揺れています。
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これで、みねまいこの出来上がりです。
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おしまい(最初の『沖縄タイムス』の記事にもどる)。

「深夜の部」
疲れたけども、このくらい疲れてちょうどいいのです。私はいつもエネルギーが有り余っているのです。そして、沖縄民謡を聴きに行きました。「島思い」というお店へ。彼女はあまりにもお美しい方でした。名人、大城美佐子さんの歌に涙し、プロの三線の弾き手でなおかつ、三線を作っていらっしゃる知念氏から、直々に三線を習ったのだけど、「お誕生日の歌(ハッピバースデー)」と、「僕の名前はやんぼー。僕の名前はまーぼー。二人合わせてヤンマーだー。」のCMの2曲を課題曲とし、それらをわずか10分で弾けるよう、ご指導くださいました。面白かった(笑)。

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左の固まりは、真剣に練習中のみねまいこ。

お店におられたお客さんの数人が「あ、今日国際通りで歌っていましたよね?」と気がづいて声を掛けてくださったのには、照れる気持ちがしました。深夜を過ぎて、またさらにお客が多くなったので、そろそろ引き上げることに(沖縄の方々は、いつ眠っておられるのでしょうか)。

すばらしい、沖縄国際アジア音楽祭でした。
posted by minemai at 17:26| Comment(0) | 日記
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