2009年02月18日

妄想禁止

昨日は2曲録音を行った。たまに奇跡がおこる。何をやってもうまくいく。どんなフレージを重ねても美しい。あの奇跡はいったいなんなのだろう?と思う。音楽は数学と根底が同じだとつねづね思うけど(事実、古代ギリシャ、アリストテレスの時代では音楽と数学はそもそも分ちがたく同じ教科で、宇宙の解明のための学問だった)、あの奇跡の瞬間を、数学的に分析したら、なにが起きているのだろうか?その一瞬、音楽は、宇宙と同じになった!って思ってしまう。

昼間、ドラマーのハンキンさんが大量のエクレアを持って、陣中見舞いに来て下さった。彼は先日、音楽を始めたばかりのような、中学生か高校生?のように、スピード感のある録音を終えたばかりだ。完璧だったので、一回のテイクでオッケーだ。もう最高!防音ガラスの向こうから、そっと立ち会うことができて非常に幸せな瞬間で、面白かった。ごめんなさい、嘘です。そっと立ち会ってなんかいません。防音ガラスの向こうできゃあきゃあ踊り狂っていました(笑)。

神童ベースのこーちさんは、事情があるようで録音ができないとの連絡あった。がーん。ベースがいないと、完成しない。無理だ。誰も代わりにはなれやしない。自分のなかで、いろいろああだこうだ考えたけど、そんなもやもやしていてもだめだ。私は差別主義者ではないけど、後にも先にも女の腐ったようになってはぜったいにダメなんだ!

そこで、書道をした。「妄想禁止」って書いた。うーん。すがすがしい。日本文化って好き(はあと)。うまくいかないのは、たいてい自分の被害妄想にあるって思う。もっと別のたいへんな政治状況の国に生きているのであれば、現実的で直接的な被害も多いけど、日本はちょっと違うと思う。自分で勝手に妄想して勝手に自分で被害を受ける人が多い。そして同じ生きているのでも、被害妄想によって膨大な時間を無駄にするのと、行動して現実を直視してボディーブローを食らうのとじゃえらい違う。どっちが好みかといえば、後者の方だよなあ。

まあ、なんとか地道に録音中です。ちなみにエンジニアは、山岸涼子の『アラベスク』に出てくる主人公ノンナの親友のアーシャの旦那さんでレニングラード交響楽団でフルート奏者をしているセルゲイ氏に外見がそっくりな小山さんです。京都ではサクラダもいろいろ職人じゃのう、おぬしと思うような仕事をしてくれています。鬼に金棒です。私が知らなかったミュージシャンとの出会いも、今回の録音を通じておそらくこれからたくさんあると思います。

さて話は変わり。一方で、被害妄想ではなく、誇大妄想は、必要だと思うのね。誇大妄想がなければ、人間だけど私はただのセミの抜け殻だと思う。これまで、誇大妄想で生きて来たようなものです。自分が考えたこと以上のことは、実現しないのでひたすら遠くまで考える。私は、頭がおかしいところはあるけど、それを人の役に立てることができるとしたら、その頭のおかしいところだなって思う。言ってて自分でも、これはいかがなものかなって思うけど(笑)。

たかが人間ですから、そんなに長くは生きないけど、それでも私の後から登場する、頭のおかしな女の子が、私の頭のおかしい曲を気に入って聴くかもしれない(笑)。

私が研究している黒人霊歌だって、まさか1850年代の南部の黒人奴隷の人は、未来の2009年に遠いの国のみねまいこが、それをのりのりで熱心に調べているとは、思わなかったと思う。いや、こっちはのりのりなんだけど、曲は本当に暗いのよ!前も言ったけど黒人霊歌って、最初から最後まで「死にたい」としか歌っていない。しかも全曲がその調子(笑)。でも、それらが現代のわたしに確実に届いてるわけよ。

根は深い。だけど、希望はある。そして私は、太陽の照るアメリカ南部の綿花畑で、微風に吹かれて、歌いながら死にたい。しかし実際、南部で死にそうなったら、ファッ◯とかなんだとかとんでもない悪態をついて「こんなつもりじゃなかったの!死ぬ前に日本に帰ってヒノキのお風呂に入りたいわけ!あんたに私の気持ちがわかる?」なんて言って、死に対して、めちゃめちゃに抵抗すると思うけどね。それは、いつだって。まだ死んでたまるかよ、バーカ。

誇大妄想力で、さらにあともう1曲仕上げて、それをバンドでのリハ、さらに数曲アレンジを加えて、さらに楽器の録音がけっこう残っている。神様、これまでの事は全部帳消しにして、私にあなたの宇宙を音楽で解明するための時間とお金をください、そして全面的に助けてください(←相当なお調子もん)。私の後から来る、こういっちゃ失礼かもしれないけど、頭のおかしな女の子たちに曲を残したいのです。という感じかなあ。だがしかし、現時点で半分は確実にできたぞ。
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2009年02月11日

REAL POLITICS

NHKが、振り込め詐欺をルポした特集番組をやっていた。派遣切りにあった人たちや、学生が、いくらでもバイトをしにくるとのこと。それは組織の末端で、お金を引き出しに行く役割として。200万円を引き出したら、2万円の報酬。組織の足がつかないように雇われるわけだけど、組織の足となった人は、やっぱり足がつくよなあ、と思ったが、一方で私は不謹慎かもしれないが、ごはんを食べるためなら、やっていいんじゃないかという気にもなった。

私のはなしをしてもいいかな。別に面白くもないかもしれなけど。私は、何年か前、子どもを育てながら、修士論文を書いてた頃が一番、お金がなくって、スーパーの178円のクリームパンが「ああ、おいしそうだな。最近、ろくに食事もしてないな、お腹が減ったわ」と思ったけど、お財布に55円しかなくて買えなくて、万引きしようと思ったことはあったね。だけど「九大大学院生、クリームパンを万引き」って記事が出たら、ちょっとそれは恥ずかしいだろうと思ってやめた。

しかし、そのとき実は万引きしても良かったのだと後で知った。「期待可能性が無い」という法律の概念があり、犯罪をしなかった可能性が低い状態にあった、ゆえに刑は軽い、という解釈だそうだ。つまりこの場合、(クリームパンを万引きしようとした被告=わたしは)生活に困窮しており、犯罪を犯さざるを得なかったと認められて、刑が軽かったはずだ、とのこと。なーんだ、そうだったのかと思った、やればよかった(笑)。

食うにも困る人が出ているのは、こうなったのは、いったい誰がどういう経緯で、派遣労働法の改正をすすめたのか、原因を突き止めるレポートは必要だと思う。でも、一回しかテレビでそんな特集は見たことが無い。今、困っている人の味方です!と、政治家はえらそうにしているけど、あの法改正に反対した政党はほとんどいなかったはずだ。

派遣労働者を、派遣先の企業は「人件費」として、会計で計上しているのではなく、「物件費」として計上しているのだと、最近初めて知った。もちろん派遣会社そのものは、派遣労働者を「人件費」として計上しているそうだが。実際の雇用関係があるのに、それを「無い」と恥ずかしげもなく言えるような法律がとんでもなく間違っていると思うのだけど、「経費」が一番安く押さえられるから、やめられないのが現状なんだろう。

労働の価値とか、労働の意味とか、自己実現とか、社会的上昇とか、そんな労働にまつわる「精神(エートス)」みたいなものが、軒並みばっさりやられて、物件費として人間が計上される現在では、詐欺で2万円を数分で稼ぐことは、そもそもあまり内容を持たない気がする。悪事という意味もない、そこにはその場限りの「派遣」的な、ちょっとわりの良い労働という意味しかないのだ。ついに、ここまで来たのだなあ。拝金主義。

そんじゃあ、現状に対して自分が何かするか?といえば、いまいち気がのらない。どんな差別反対、反戦運動も私はすべて指示するけど、じゃあ自分がなにか主体的に運動に参加するか?といえば、しないと思う。理由は、すべての反対運動は最終的に自分自身が「正義づら」をして、終わるのが常だからだ。この間までいい顔をして「ゆるさないぞー」と反権力の旗を揚げていた人が、時間が経つと自分こそが正義の代表のような顔になる。

ところが、たった一冊の本が、ものすごく、どんな運動よりもはるかに影響力を持つことがある。最近読んだ、何冊かの本。書いた人はそういう態度だった。非常にまともなこと、いわゆる正義を述べてるけど、態度がヤクザかマフィアのようで、こういう芸当は、なかなかできない。悪党のように怖くて、なのに正義が貫かれている。こういうことができる人間はなかなかいない。作家の名は辺見庸だ。

私が自分の中で常々思うのは、大学の無料化。家庭環境で大学に行きたくても行けない人がたくさんいるのは、すごくおかしい。そうなると貧困が固定化するからまずいのと、そもそも日本の教育費は高すぎる。なんでも、ドイツは大学に行くのに、無料だということだ。具体的にどうやったら無料にできるのか、よくわからないのだが、自分の中の社会への願望があるとしたら、私の場合これなので、宣言しておきたい。

実に嫌な夢をみる。NHKホールの裏で着替えている。楽屋で着替える時間はなく、通路で着替えている。仕事なので、別に恥ずかしくもない。走ってステージに行く。途中でスタッフに頑張って下さいと声を掛けられる。いちいち声を出す暇もなく走っている。イントロが始まって、拍手も聴こえる。やばい、急がないと。ステージにつくと、見慣れたミュージシャンが居り、ギターはゆうじさん、ドラムはハンキンさん、ベースは誰なのか暗くて顔がよく見えない。そして「ああ!」と思う。「しまった!曲がまだできていない!」と。はじまったのに、なにも準備ができていないのだ。歌えない!舞台のそでから出るに出られず、一方で演奏はすでにはじまっているという息が詰まるような焦りの中で、毎朝目が覚めるのだ。
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2009年02月05日

黒人霊歌への回帰

今週一週間は、寝る間もなかった。わたしの周りは、失業者と鬱病の人間でいっぱいだ。そんな話は聞き飽きた。私だけは元気でいようと決めたので、とても元気だ。

デビッドバーンとブライアンイーノの共作の新譜を聴いていた。ろくでもなかった。デビッドバーンが歌って、イーノがトラックをほぼ作っているんだけど、デビッドバーンの「ひらひらした自由」な感じが殺されていて、いたって平凡だった。イーノのトラックはセンスがもちろんあるけれど、音数が多すぎるし、もっともっとシンプルにできるはず。いちばんまずいのが、コーラスをイーノが担当しているけど、二人の声質が合っていないのと、コーラスも同様にイーノがいじりすぎて、デビッドバーンの自由奔放な歌が死んでいた。共作というものが、こんなに難しいのかと、これほどの人たちでもダメなときはダメなんだねと思った。

もうひとつの原因は、テーマがゴスペルへの回帰という点だ。ただし、エレクトリックなゴスペル。なるほど、実はそのネーミングに惹かれたのだけど。しかし、ふたをあけると、ただの気の利いた賛美歌、ということになってしまっていた。ゴスペルは、アフリカンアメリカンの女たちが歌えばゴスペルになるけど、アングロサクソンの男性が二人で歌えば、普通の賛美歌になるんだ、ということ知った。もう、死ぬほどつまらなかった。

30回くらい聴いたけど、腹が立ってしょうがない(笑)。なんでこんなに怒っているかといえば、はたと気がつく。自分がゴスペルやりたいだけじゃんって。本当をいえば、ゴスペルじゃなくて、黒人霊歌がやりたいんだけど。自分の研究で集めた南北戦争時代に、音楽的な技術のある北軍の兵士が南部で初めて黒人霊歌を聴いてぶったまげて採取した譜面とか、たくさんもっているんだけど、まだ自分の中で消化できないままでいる。しかし、死ぬまでに吹き込んでみたいとは思うんだがなあ。

本当の古い黒人霊歌は、よくあるイメージのように「熱狂的に、感動的に、歌い上げる」ものじゃなかったらしい。有名なAmaging Graceはじつは黒人霊歌なんかじゃないんだ。あんな前向きで健全なもんじゃなくて、もっと乾ききった態度でたんたんと歌う。ただし、声の存在感がものすごくて、それだけでぞくっとする。そんなものだったらしい。歌詞も希望なんてぜったいに歌わない。しみったれた自己憐憫も、他人に甘えることもない。たんたんと「死にたい」としか歌わないんだ。一番古い黒人霊歌は、全部がその調子。それは、すごいインパクトだったろう。

美しいものは、いい。本当に、いいと思う。

他人のいうことをお利口にきいて、変えたりしなくてよかった。自分から、何も諦めなくてよかったと思う。ずっと長いこと待っていたら、むこうから会いたかった者が、血相変えて走って迎えに来てくれた気分だった。
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2009年01月28日

キャタピラ キャタピラ

昨日、東北にすむイチゴ農家で、小さな田舎で政治をやってる戦前生まれの親戚とはなしをする機会があったが、発音が聞き取れず苦労した。でも、この言葉が喋れたら、どれほど私の日本語の発音と抑揚は豊かになるだろうかと思った。それにしても、向こうもこちらの発音がわからなかったかと思うけど、年季の入った東北っ子の日本語は、英語と同じくらいしか聞き取れなかったわ。

それでも、なんとか聞き取れたことがいくつか。10年前くらいに、自分の田舎の農協の仲間10人で、カンボジアの農業を視察に行ったこと(その時点で何かがおかしい)。カンボジアからの帰りに、空港(どこの国の国際空港かは聞きとれず)が爆破されて帰れなくなったこと。ホテル(同じくどこの国のホテルかは聞きとれず)で1週間缶詰。空港爆破のときにたまたまその国にいた外国人は約50人。そのうち12人が日本人で、日本人のうち10人が自分の田舎の農協の連中(他の2名は大学生だったとのこと)。ホテルの外には、葉っぱでカモフラージュさせたいわゆる戦車というやつがキャタピラキャタピラいって走っていたそうだ(この擬音語だけは私の創作です)。

タイの軍隊が迎えに来てくれて、無事に◯◯から(場所聞き取れず)全員ワイヤーでつりあげられて救出されたが、その軍のヘリコプターに全員が乗るには重くて持ち上がらずそこで飛行機のように滑走させて離陸。しかもしばらくの低空飛行の間には、下から砲弾で狙われていたため、いつ落とされるかとこのときは本気で怖かったそう。無事、どこかの空港につくと(タイかな?)、世界中から報道関係者が1000人集まっており、農協の一団も出席した緊急記者会見。これにもまためんくらってよおーとのこと。

日本の共同通信の記者が寄って来て「写真はないか?」ときいてきた。なぜなら、外国人が事件当時50人しかいなかったばかりか、空港爆破直後、報道関係は入国できなかったのか、写真は存在しない。実は、自分の農協の◯◯さんが、こっそりデジカメで一部始終、極秘のタイ空軍のヘリの中までも撮影してたらしい。共同通信社は「1000万円出す!売ってくれ!」と言った。でもよう。うちらの◯◯さんはそんな、金で動くような人じゃねえんだもん。男気のある人だでよう。ぜったいに売らねかった。そんで、NHKに80万で売ったべや!(あのお。結局売ったのなら、920万円をふいにする「男気」ってのは、一体どんなものなのか説明してもらいたいのですが。by みねまい)。

そんな農協連中膝栗毛の話の後、東京の市場には明日出回り、明後日の食卓に上がる予定の、朝つんだイチゴを8箱いただいた。毎朝、4時に起きて畑に行ってイチゴの前にしゃがむ。太陽が少しだけ出て来たらイチゴが光合成を始める。そうすっと、葉っぱの上に水滴がじんわり浮かんで来て、それは奇麗なんだって。それを見るのが好きなんだって。

家に帰っていちごを洗って白いお皿に盛って...なんて冗談じゃない。待てないことを「興奮」っていうんだ。ほいほい開けてその場で食べた。つみたてのイチゴを一度にこんなに食べるのは、贅沢だなって思った。洗わなくていいとのこと。無農薬だからって。でも、箱のどこにも「無農薬」なんて書いていない。これ、「無農薬」って書けば市場で価値が上がるし、スーパーではみんな有り難がって買うのになあと思ったけれど、そんなの「どうでもいい」んだろうなあ。細かいことにこだわんないってのは、大事だなって、反省しながら、イチゴをつぎつぎに口に放り込んでも、まだ両手に減らないイチゴ。そんな私の「ユートピア」ってやつを経験した。そして、1月が終わる。

追記。
2/1(日)に、世界激場主催の「JIYU-KENKYU」(勉強会)を福岡市美術館で行います。辻井喬氏の『ユートピアの消滅』を読み、議論を行います。たくさんの方のご参加をお待ちしします。
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/blog/
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2009年01月21日

資本主義の廃墟

バンダイから、通常プチプチと呼ばれるたぐいの(英語で「バブル」と呼ばれていたのをニュージーランドで聞いたことがある)緩衝材が、「むげんプチプチ」というおもちゃとして作られたのが、一昨年前のことだったと思う。通常はプチプチをつぶして破って空気を押し出す一回きりの切なさが楽しいんであって、しかしむげんプチプチは永遠に消費されない。決して消費されえないものが、商品になるってところにびっくりした。消費されるから、また次の消費があるわけで。ここにきてついに、消費されないというのがコンセプトの商品が、ヒットするってことは、いわば消費文明の究極の自己矛盾だなと。つまり、壁に行き着いたのだな、わたしたちの消費社会は本当の本当に行けるところまで到達したのだな、というそんな象徴的な出来事として受け止めた。

もちろん、こんな感じ方は私個人の独断と偏見と単なる「大げさ」なのであるけども、このむげんプチプチに、これから先どんな世の中になるんだろうという不安と、恐怖のような気分の悪さを覚えたのは事実だ。それをいじって遊ぶ大人たちの「心性」が怖かった。玩具と永遠に戯れ続ける、そんな終わりのない感覚も怖くって。余計なお世話なんだけどさ。「むげんプチプチにみる日本的高度消費社会の限界点」なんている主張をしているのは、私だけかもしれないが、案外、この勘は外れてもいないと思う。その玩具が発売された2007年は何かが行き詰まった年で、あとは後退するだけの日々のようだ。体裁をとりつくろっても、廃墟になりそうだ。

私は、すぐれた消費が好きだ。いいものを買うと楽しい。人生が変わる気がする。思想がすっきりとして、整理される気がする。だからいつも命がけで物を買う。洋服を選ぶのも、生きることと同じだ。買い物は音楽よりも得意だ。安くていい物を見つけるのも、ものすごく素早くできる。安くて悪い物は悪い物なので絶対に買わない。物と値段にはあまり関係がない。常に高い物が良い物とは限らない。しかし、良い物には高い物が多い。

私がいま、一番わからないことは、これから消費が縮小していく方向に時代がひたすら流れるのか?それともまだまだ拡大するようにみんなが必死に努力するのか?もしくはそうこうやってもがきながら、実は水面下で何か新しい時代にシフトすることを模索するべきなのか?ってこと。

この10年くらいはとくに、新しいものを作り出せなくて、ひとつの物の中にそれまでバラバラに存在していたものを詰め込んで、その「組み合わせの新しさと組み合わせる技術」だけで、勝負していたようなところがあった。たとえば電話とインターネットとカメラとテレビとウォークマンを足した商品とか、ゲームと万歩計とスポーツジムと家計簿を合わせた商品とか、そんなミクスチュアーの意外性や詰め込むまでの小型化、そんな技術的な努力、みんなそこで勝負していたと思う。でもそれも行き詰まるだろう。個人的にはi phoneが出たときに「あんたも行き着いたね。」という印象を受けた。好奇心旺盛(それを人はミーハーと呼ぶ)なのでとりあえずは欲しくなるんだけど(笑)。

まあそうなってくると、生きるのは、つまらない。先が見えないんじゃ、つまらない。停滞する時代から、息を吹き返したいと思うのは当然だろう。そんなとき、思うのは、「歴史」のようなもの。この10年20年のことを考えていては、それは所詮目先のことで、人間が小さくなってネズミのようになってしまうにちがいない。そう考えて思いを馳せるのは、ガウディのサグラダファミリア。200年かけて完成するかどうかもわからない建築って、どういうことよ?って思う(近年は石ではなくコンクリートを使用するようになったので早まっているとのこと、でも信じません、笑)。あれを思うと、ぜんぶ、せこい話がぶっとんじゃう。

あとはこれを言うと笑われるかもしれないけど、わたしたまに心が弱ると映画『ベン・ハー』をビデオで観てる。これが長いんだ。どこまでもしつこい映画なんだ。でも見ちゃう(笑)。2000年前に空前絶後の繁栄を極めたローマ帝国に刃向かった、エルサレムというローカルな場所に住む男二人(ベンハーとイエスキリスト)の出来事。そんな昔の話(注意:ベンハーは架空の人物)がすたれないってどういうことよ?って思う。歴史の感覚を身につければ、自分の中に別の秩序が生まれて、遠くまで見える。つまり私は象やキリンになれるのだ。

もっとも優れて資本主義や時代や常識に反抗できたものだけが、もっとも大事に記憶されるというのは、不思議なことなのだけど、どうも事実らしい。そして、それ以前に私たちに足りないのは勇気なんだと思う。せこく生きるのはやめましょう。みんな、像やキリンになりましょう。以上、みねまいこからの主張でした(ぺこり)。
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2009年01月14日

不景気というけれど

世界激場2の公式ブログができたので、今後気になる方はチェックしてみてください。今度JIYU-KENKYUと銘打って月に一度、美術館に集まる予定。そこで作家の辻井喬氏の本を読み討論をします。そんなお知らせが告知されています。ぜひ勉強会には誰でも参加してください。
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/blog/

さて、連日のように非正規雇用の話題が流れているが、マスコミはすぐに飽きるだろうって思う。いまは世間の同情をかっているだけであって、ことの本質に迫るような言論がないように思える。また、同情というきまぐれな感情は、ある日手のひらをかえすように憎しみに変わることもありうるのであって、とくにワイドショー的な報道は本来、日和見な態度を専門とするので、真に受けることはできない。

大企業の工場近隣の市の職員が正月返上で、解雇された労働者の対応に追われているという。12/31もハローワークやってますとニュースで言っていたけど、誰が働いているのだろう?ちゃんと時間外手当をもらっているのだろうか?なんて考えたりもする。きっと現場は、矛盾だらけで嘘ばかりなんだろうな。真面目な労働者ばかりじゃないだろうし、態度の悪いでかい、勤労意欲のない失業者だっているだろうと思う。だけど、やらなきゃなんない、というよりはむしろ、これまであまりにも失業した人に対するセイフティーネットを行政がはって来なかったんだなって思う。つまり、どの世界でも結局下っぱばかりが今回ひどい「しわ寄せ」を受けてるわけだ。切り捨てられる労働者も、休日にこきつかわれる市の職員も。

企業はこれまでさんざん儲けてきて、実は金をごっそり貯め込んでいるのだから、もうこの際全部吐き出させていいと思う。ちょっと景気が悪いからといって自分ちの労働者の解雇するのは、絶対にやってはいけないことをやってるんであって。

態度を責められるべき責任者が責められないで「解雇」された「野宿者」の様子や、「不況の荒波」ってやつの様子ばかりがとりあげられていることが、さっぱりわからない。みんなが同情して、同情するのと同時に、自分は外で寝なくていい、食べるものもある、ラッキーだなと「他人の不幸を見て自分が安心するための報道」が多すぎるって気がする。

自分にひるがえって。不景気だというけれど。その雰囲気がやだ。お金がなくなっちゃったって、愛がなくなることの方が大問題だ。お金なんか、銀行から(無断で)もってくればいい。そんな勇気がなかったら誰かに食べさせてもらえばいい。これまで国に税金を払って来たのはなんのため。なんというか、社会のこの停滞感、虚無感、疲労感を意志を持って無視しなきゃいけない。ある男性の知人が「まいこ〜!あのね、コピー&ペーストのやり方を発見した〜!」と頬をピンクにして走ってくるので「は?」と思ったら、この10年間、パソコンで仕事をしていて、ずっとみんなこんな大変な作業を、どうやっているんだろう?僕もがんばらなくっちゃ。一字一句複写しないとならない文章を見ながら自分でうって、文章を一字一句うつしてた!んだそうだ(笑)。これから君のことをピンクちゃんと呼んであげよう。そこでわたしは毎日朝の9時から翌朝の4時くらいまで仕事をしないと、いろんなことが間に合わないんだ。でもぐずぐず言ってる女の腐ったのみたいになるわけにはいかない(私は別に性差別主義者じゃないけど)。やれば間に合うなら、やればいいじゃん!

テレビをつけたら、日本で、BBCのリポーターが「これ、BBCから。おみやげ。」と言ってインタビューを受けている山形県の男性に、バイアグラを渡していた。それがちょっと面白かった。そんなことはどうでもいいのだけど。今年は是非、中途半端なチンピラなどではなく、悪党の仲間入りをしたいと思う。
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2009年01月07日

ペット欠礼

12月の読売新聞の記事だったが(日付は大掃除のときに窓をふいて、その新聞を捨てたので、今回確認がとれませんでした。←2008年12/16の朝刊だったことがわかりました。)、こんな記事があった。家族同然に暮らして来たペットが亡くなったので、今年は年賀状を出さ(せ)ない旨を伝える「ペット欠礼」。これにちょっと驚いた次第。こんな「ペット欠礼」が届いたら、しんみりと同情する人と、バカにするなと怒る人と、反応がまっぷたつに分かれるだろうな、と思う。

そもそも年賀状にせよ、欠礼にせよ、新年のごあいさつに対するテンションの高さがよくわからなかったりもするのだが、もしペットが字が読めるのだったら出す意味や価値はあるんじゃないかなって私は思った。

ちょっと思い出したのが、スヌーピーおばさん。私が洗礼を受けた教会に、そのあと悪魔と呼ばれて追い出された教会に(リフレインしつこい)、スヌーピーおばさんという人がいた。どういう人かというと、スヌーピーと暮らし、スヌーピーを育てていた人。

こうなんだ。どでかいスヌーピーのぬいぐるみが2匹(たまにちいさいのが増殖する)。名前、性別を彼女の任意で設定して、食事も一緒(スヌーピーたちの椅子が決まっていて、彼らの前にはきちんと皿が並ぶ)、紅茶も一緒、旅行も、どこに行くのも。レストランでは「この子たちに席を作ってやってください。」と、びしっ!とウェイターを叱ったそうだ。でも彼女は特別にスヌーピーが好きだっただけで、特別になにか精神が病んでたわけではなかった。スヌーピーのこと以外は普通だった。だからスヌーピーおばさんはキ◯◯イってわけじゃなくて、うーんやっぱりキ◯◯イだったのかなあ(笑)。

すごく疲れるのは、こちらの同意なしに、スヌーピーが「リアルな存在」であるとしてを話が始まること。今朝、何を食べて、誰にいま恋しているから(スヌーピーは思春期だったのか?)誰に会うと照れちゃってね。」なんてはなしがつづく。自分が死んだら、スヌーピーは残されてどうしようなんて言って泣いてたなあ。断っておくが、本当にこのおばさん、精神がおかしかったわけじゃなかったんだよ。ただ、スヌーピーが好きだっただけ。いや、やっぱりおかしかったのかなあ(笑)。で、彼女は、残されるスヌーピーを不憫に思って、自分の墓に一緒に埋葬してもらう遺言状を残したのだった。始皇帝の兵馬俑坑(へいばようこう)じゃないんだから(笑)。

彼女には旦那さんがいて、スヌーピーおばさんにつきあって「スヌーピーは生きている」ことを前提に、くらしていたのだが、それも謎。スヌーピーおばさんと、スヌーピーと、おじさんと、川の字になって寝ていたらしいから、もっと謎。どうやって結婚したんだろう(笑)。

ペット欠礼の記事を読んで、おそらくそれに対して出る反感とは、「ペットが家族同然である」という前提を理解できない人から出てくることは確かで、またはそのような前提が強制されることに対しても怒りがわくのかもしれない。だが、スヌーピーおばさんの方が、ずっとすごかったぞ、と。そんな心温まるはなしでございました。
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2008年12月31日

考えて動けば前に進む。新春特大号。

週刊『みねまいこ』、お酒を飲み過ぎて眠いので、明日書きます。12/31

さささ。こんにちは。顔を洗いました。1月1日になりました。さて、まず最初にお知らせをしたい。世界激場2(仮題)が、2009年の晩夏〜初秋に行われることが決まりました。詳しいことは今はまだいえませんが、すでに行動を始めたことは事実です。でも、前回とはかなりイメージが違うと思います。あともうひとつ確実に言えることは、シリーズ化はしないで、たぶん今年か間違っても来年で最終回。息の短いイベントですね(笑)!なぜか、この点は共同主催者の聡さんと、意見が初めから完全に一致しています。主催者側のマンネリ感や、お客さんに対する甘えを、いろんなところで嫌と言うほど見て来たからかもしれません。

ひとつ問題なのが、前回の世界激場のラストで、聡さんが、イベントの命ともいえる看板までを全部ばりばり破っちゃったこと(笑)。もちろん私も事前に実行委員の会議で、シリーズ化はしないよとは言ったけど、もし「またやれ」という意見がお客さんからでてきて、次またやることになったらどうすんだ!このバカ!早くあの男を止めなきゃ!と、追いかけたけど、制止するのが追いつかなかった。この男は〜あ〜あ。ばりばりばり。聡さんは面白かった。

2回目をやるにあたって、他に足りないもの。それは「自分のことや、置かれている問題や、これから何がしたいか、どう生きたいのか?何が好きで何が嫌いかってことを人に説明できる『言葉』だなあ」と思いました。ちゃんと言葉があれば、ものを考えることができるし、問題を解決することもできるはず。でも、ひとりでぐるぐる、うじうじ、くさくさ、どろろろろって感じになってしまったら、永遠に空の青さはわかるまい。自分を助けてくれる相手も見つかるまい。1ヶ月に1回だけでも、知らない人に会ってハイになってみるのもいいんじゃない?

そこで、とりあえず面白そうーと思った方は、2月1日(日)正午12時、福岡市美術館の2階のカフェに集まってください。そこで、最初は辻井喬の『ユートピアの消滅』を読む。そして、話す。つまり研究会をします(ちなみに最初の報告者は私です。ひー準備があ)。研究会の名前は「JIYU-KENKYU」(自由研究)。

福岡市美術館は、大濠公園という大きな池をぐるっと囲むサイクリング&マラソンロードを通ってアクセスできます。入り口は草間弥生さんの水玉のカボチャが目印です。途中、大濠公園の鳩にえさを与えない方がいいよ。こいつら、すごくしつこい。私は粘着気質でしつこい男と鳩が苦手(ああっしまった!男と鳥を同列で表現してしまった!性格の悪さとは隠したつもりも、ひょんなところで出てしまうものです)。それはどうでもいいんだけどさ。私、鳩があんまりしつこいので「これでも食ってなさい」と、鳥の唐揚げをあげたら「うひょーぽぽぽぽぽ」と喜ぶわ喜ぶわ。共食いだってば。この世で想像を絶するおぞましい光景になりました。英語で表現したら"the lowest yet"だぞ。

JIYU-KENKYUのお知らせは、こちらにリンクしておきます。よろしく!
http://blog.myspace.com/index.cfm?fuseaction=blog.view&friendID=1002588756&blogID=459520910

本はところどころ難しいけど、全ての女は女優です。わかったふりをして出席して、報告する予定です。大事なのは、ノリよノリ。ちなみに来るのは、野郎ばかりじゃやだ(笑)、女性がたくさん来て下さると嬉しい。子連れ可、彼氏連れ可、祖父母同伴でも可。私は30代前半、聡さんは私よりもうちょと年上ですが、このJIYU-KENKYUは年齢も誰でもどんな状況でも参加可。この研究会が面白そうだと思ったら、いらして下さい。「事前に本を読んで来る」というルール以外は、何も問いません。喜んで歓迎します。

テキストに選んだ辻井喬(つじいたかし)氏とは、現役の詩人で文筆家。以前は、堤清二というお名前で実業家もされていた方です(無印良品、セゾングループ、スーパーの西友、他にもたくさん、PARCOとか)。実業家としても超一流の大物で、ある意味「敗戦後の日本の風景を作った人」だと私は思っています。でも、それよりも私はこの人の文章はすごいと思っています。とつぜん、非凡な文章が前触れもなく出てくる瞬間がある。賢い人や優等生はたくさんこの世に存在します。でも、そういう人の文章って上手だとしても、のっぺりして平凡でつまんない。でもこの人は、とつぜん遠くまで飛べる。そして飛べるだけに、すごく体力もある作家だと思います。かっこいい人はいくつになってもかっこいい。イギリスのローリングストーンズとか、アホ。一生ベロ出してなさい。あんなのガキよ、くそガキ。でも、日本の辻井喬は死ぬほどかっこいいんだからね!

さて、ここからが、本当の週刊『みねまいこ』です。

2008年を振り返って思うのは、資本主義から目をそらさないで音楽をやったこと。それが一番変わったことだった。これまでは、こちらからわざわざライブハウスにお金を払って出演する(させてもらう)ものだって、最悪のところ経験した。でも、そういうことをやっていると、絶対に良い循環は生まれない。労働と対価というシンプルな関係が築かれなければ、資本主義社会で音楽をやる以上、頼む方も頼まれる方も長続きはしないと思う。また、自分が一生このままでいいわけがない。そう考えて、どんなに小額でもいい(極端なはなし、タダでも呼ばれたら行く。出るのは交通費だけで私は構わない)、主催者が本気で依頼して下さるイベントにしか出演しなかった。もちろんライブの本数は結果的に減ったけど、自分で決めて自分で責任をとればいいことなので、満足している。

そして、一緒に演奏するバンドに対しても、どんなに小額でも、演奏という労働への対価を払ってきたので、わたしは今年、小さな経営者だったのかもしれない。一緒に仕事をする仲間には、どんどん豊かになってもらいたいと思っている、それが唯一の人間性が腐らない「健全な道」であろう。もちろん「いくつになっても仲間たちでバンド、うまくやっていって、脱退もあったり、傷ついたりもする、でも、いつまでもこのまま大好きな音楽をやろうね。僕たち。」みたいに、年齢が平行移動していくなかで、全人格でつきあう(別れる)、人間関係を基本的な軸にして音楽を続けるグループもあるし、それでうまく行く(傷つく)人間もいると思う。

でも、私はいっさいがっさい、そういう気持ちの悪い人間関係のすべてが根本的に無理だ。自分が一匹オオカミなのもあるけど、仕事として、きちんとつき合って、それで成果を出したい、それだけで良いんだよなあ。思想性とか、つきつめればみんな違うわけだし。私は、上述のように、今年は音楽をわりと仕事としてシンプルに考えられるようになったので、たぶん言葉や国籍に関わらず、誰とでも仕事ができると思う。そこは、資本主義と向き合った上で音楽をやる美徳だと思っている。資本主義は人を差別しない、匿名化させるからね。というか、日本的な情緒的な人間関係は、苦手なだけなのかもしれない。

なんで、日本的な情緒的な心性が苦手なのか?そして私の思う「日本的な情緒的な心性」とは?って、ちょっと昨年考えていた。ビートたけしが主演した東条英機を題材にしたドラマがクリスマスにテレビでやっていて、なるほどなと思った。日本人の民族性みたいなものが良く出ていたドラマだと思った。いまだに、日本がなんであんな無茶な戦争をしたのか、誰も本当のところはわからないらしい。ドラマでも「なぜ戦争をしたのか、わからない」という結末だった。

私の受けた「感じ」なんだけど、日本人はあることをぎりぎりまで我慢して、ある日突然「キレる」面があるんだろうなと思う。無計画で、論理もなく、説明もなく。ある日いきなり態度が豹変するといえばよいのかな。無計画といえば、日本が戦争に勝てる根拠が「日本は数千年の歴史がある、アメリカは建国たった数百年だし」みたいなことを、メディアも真面目に言っていて。でも、そういう面が少なくとも自分の中にもあるのがわかる。でも、自分の中のそういう単純さを見過ごせば未来がないよな。って思うから、だから嫌なんだと思っている。

吉本隆明の『詩とはなにか』に書いてあったと記憶しているけど定かではない。「戦時中、民衆が抑圧されて暗かったというのは嘘だ、みんな明るかった」とたしか言っていたと思う。たしかに軍部に強制されて戦争を押し付けられた民衆ってのは、嘘なんじゃないかと思う。いけいけどんどんで、欧米相手に戦争を始めたら「すかっとした!」って気分が日本中にあったんじゃないかな?と私は推測する。ずっとアジアの物資もない島国で、西欧列強からはとるに足らない国だと思われつづけて我慢に我慢を重ねて、あるとき日露戦争に勝って欲しかった自信を取り戻して、それから反動ででキレちゃったんだと。

事実、日本がロシアに勝ったのは、日本国内だけの過剰な盛り上がりではなくって、当時は世界中に本当に衝撃を与えた事件だったんだろうなと思う。私が読んでいたアメリカの古い資料、それはある黒人の政治的リーダーが、黒人の植民政策(植民政策とは?アメリカでは、奴隷として連れて来た黒人をアフリカに送り返そう、それが一番問題がなくていいと考える人たちがいて、それで元奴隷が実際に送り返されて建国された国が、今のリベリア共和国。自由という意味の国。すごく悲しい響きがする)を推進する白人たちに向けて演説した中に「黒人に市民権を!アフリカではなく、アメリカで生きたいのです。肌の色で人間の優劣は決めないでほしい、黄色人種の日本人だって驚くべきことにあの大国ロシアを破ったのです!」と、同じ有色人種として日露戦争の結果を引き合いに出して自らの主張の正当性をといていた。それを読んで、こんな文脈で、しかも全然日本と地理的に関係のなさそうなアメリカの黒人に当時少なからず影響を与えたことに、驚いたことがある。日本人が有頂天になってもおつりがくるくらい大きな事件だったんだな、と。

「我慢した反動でキレる」人間をたくさん、これまで見て来た。すごく大好きだった年上の女性が、あるとき夜中に電話をよこして、ものすごい剣幕で怒りだしたことがあった。その女性は40過ぎてから勉強を始めて、私なんかより先に(私は今準備中っす)とっくに博士号をとった優秀な人で、若いときに世界中を旅行していて、まあ自分のものの考え方に非常に影響を与えてくれた女性だった。ことの原因は私がうっかり待ち合わせの日時を間違えたことにあったけど、もちろんそれは大問題なのだが、深夜うちに電話をよこすまでの十何時間も、彼女はずっと耐えていたことが、よく私はわからなかった。携帯電話という文明の利器があるし、ほかの手段も頭がいい彼女だからヘンだと思った時点でいろいろあったはずなのに、なぜこんな遅い時間まで(自分の怒りが頂点に達するまで)我慢したのか?ってことが、不可解だった。その後、お互いバカじゃないので、ちゃんと話をしたのだが。でも、あれだけ知性のある女性が、どうして典型的な日本人のキレかたをしたのか?ってのは、ちょっと驚いた。

なにか、わざわざ我慢して、自分を追いつめて、被害者的心情になってから、ある日いきなりキレるってのは、自分もたまにやってしまうことだった。2年前に「友人だから」という名のもとに、かなりの時間を無償で働かされたことがあった。それでこっちも彼らにはずいぶんお世話になってるし、と思ったあげく苦労してしまって、どかんとキレちゃったことがあった。あ、私って日本人じゃん。日本人のこういうところが嫌だと言っておきながら、今の私は、大日本帝国が国際連盟をいきなり退場したあの場面と同じじゃない。日本人として進歩がないじゃない。これ、ダメだ。これでキレるのは最後にしようと思った。それ以降、日本人的爆発は、やめたのだ。

キレるというやり方は、基本的に子どもっぽくて気が小さいからなのだ。

ところで「怒りっぽい」という言葉がある。それは、日本人的心性でもなんでもない。人は死期が近づくと、怒りっぽくなるらしい。ある有名な評論家A氏が、言っていたそうだ。もう時間がないからなんだと思う。これから先もまだ生きる人を前にして、どうしてテンションが同じでいられようか?やり残したことがたくさんあるのに、どうしてちんたらちんたら彼らと同じスピードで仕事ができようか?私は一生「キレる」ことはないが、ただ「怒りっぽい」日は、やがて未来に来るだろうなと思う。今のうちに、自覚しておきたい。でも、「ごめんね、私もうすぐ死ぬから最近怒りっぽくて...」なんて、誰にも言わないだろうなあ(笑)。そんな説明をすることすら、時間がもったいないんだと思う。

結論を申し上げると、日本的情緒が苦手なのは、自分の中にあるのがわかるし、それがあんな戦争をした日本人の心性と、まさに同じだと思うからだ。だから少しでも、対象化したいんだと思う。別の生き方をしたいんだと思う。

もうひとつ、日本人的情緒として典型的なのは、「ねたみ」「そねみ」だと思う。「うちよりも高いマンションを買ったらしい」「うちの子どもよりもいい大学に入ったらしい」と、よその人がやってる生活の方が大問題な日本では、一致団結して日本を良くしようと立ち上がる日が来るなんて、絶対にないと私は言い切れる。こんな、新自由主義が行き過ぎたせいで(政府の政策の失敗で)大量に失業している人が出ているのに、なにも変わらないのだと思う。さらに問題なのは、貧乏な人が金持ちへの「ねたみ」「そねみ」を増幅させてしまうことだと思う。こうして、分断が分断を呼び、孤独感を強めるばかりだと思う。友だちを作ることが、こんなに大事になる時代が来るとは思わなかったな。

さて2009年に心がけたいこと。それは、仕事はなるべく電話で行うってこと。メールだけのやりとりは過去の経験からいって、ろくなことにならない(ことが多い)。なぜなら、言葉の流れが一方的で、実は誤解が多い。ひとりよがりになりやすい。また、不快な思いをさせないように、誤解されないようにと、気を遣う時間がもったいない。また、全体に相手に対する配慮をちりばめるなんて、そんなヤワな人間関係しかこれまで私は人と築いてこれなかったのかな?という反発も覚える。ちなみに、私は福岡にある「安藤忠雄の髪型を考える会〜一級建築士としてあの髪型はいかがなものか?〜」という会の副会長を数年前からしているのだが、その安藤忠雄の仕事場は国内のやりとりは「メール禁止」だそう。国外だけメール可で仕事をしているとのこと。その方がうまくいくそうだ。なるほどね。メール禁止はちょっと資料や音源のデータの関係上私には無理だけど、なるべく電話を優先させながら、今年は仕事をしていこうと思う。というか、こんなこと、この場で書くほどのことじゃないんだ。でも、どうしても「安藤忠雄をの髪型を考える会」の話しを、書きたかったの(笑)。

2009年は、がんばるべし。じつはあまり目標ってないんだ。

去年の写真が出て来たので、ここにUPします。これは、レコーディングのときのものだね。
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PHOTO BY ハンキンさん&ホイニー

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2008年12月24日

クリスマスと和解

こんにちは。毎週水曜日は週刊『みねまいこ』をお届けします。水曜日だけ、文章書きに変身します。そして今日はクリスマスだ。救い主イエスが馬小屋で生まれた日だ。2000年以上前のことなのに、なかなか風化されないお祝いだ。私は以前、教会のオルガニストをやっていたのだが、不良の限りを尽くしたため、この10年もの歳月、追い出されてしまった。しかし、その教会の牧師からクリスマスカードが先週届いた。来年あたりには、和解できそうな予感がしている。

私が音楽を始めてから(自分で作るようになってから)8年が経った。吉本隆明が「10年続けられたらそれがモノになる」という主旨のことを言っていたと思う。だから2009で9年目でしょ、2010で10年目でしょ。あと2年間は真面目にやるべきだと思っている。そんでもってこれから1年に最低でも100曲は作曲しないと。今のままでは、曲が少なすぎて全然ダメ。たくさん作ってなおかつクオリティーを保つのは至難の業だけど、なんのための技術革新なんだって思う。そう、今年2008年は、いろんな機材を導入したのだ!そうだ、難しいことは機械にやってもらうとしよう(ここは、半分冗談です)。

2011年にもなって進歩がない、もしくは誰も好きにならない音楽を量産していました、ってことになっていたら今のような音楽活動は辞めるべきだと思う。それでも自分が元にいた場所に戻るだけなのだ。そう、教会のオルガニストに戻ろうと思う。他人が作った曲を譜面通りに弾くのだ。「みねさんが弾くと歌いやすい」とよく褒められていたので、ノリのある聖歌の伴奏を追求するのもいいかもしれない。教会音楽にはものすごく良い曲もあったけど、心の中で(こんなカビのはえた曲、ちんたらやってらんないよ)と怒りをこらえながらやっていたことが多かった。自分がそのカビのはえた曲に負けたのだったら、負けを認めて従順に、カビのはえた曲を演奏していくべきではないだろうか?私の「いさぎよさ」は、一番咲きの薔薇にも劣らない。

さて、もう過ぎようとする2008年だが、根拠のない幸福感でいっぱいだ。なぜかは知らない。クリスマスだぞ。ぐずぐずくだらない面倒くさいことは考えていないで、しみったれた感動もどきなんか振り切って、ケーキがつがつ食べて、シャンパン飲んで勝手に酔っぱらってなさい。そしてクリスマスおめでとう!
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2008年12月17日

本音でしか語らないでね

12月13日に、ピーター・バラカン氏の「WEEKEND SUNSHINE 福岡公開収録」が、NHK福岡放送局のスタジオで行われた。ラッキーなことに、私はそこに観に行くことができた。毎週というわけではないけれど、これまで時々は聴いていたFMの番組の収録が、まさか自分の住んでいる町で行われるというのは感激で「来て下さってありがとう!!」という気持ちでただただいっぱいだった。

この日の福岡は、皆さんも知っての通り3カ国首脳会議。厳重警戒で、道路の規制はあちこちでなされており、不穏な空気が漂っていた。そこに「It Ain't Nothing But BLUES(ブルーズ以外の何ものでもない)」と書かれているように見えたTシャツを着たバラカン氏が現れて、一言で言えば「熱くなる音楽」を何曲もかけて解説もしてくれた。警官総動員の外に対して、スタジオの内側にただよう、音楽で作られる幸せな空気に感動的なギャップを感じながらこの日の公開収録を観ていた。

写真は好きに撮っていいですよ、ということだったが、パンダじゃないんだから、失礼では?と思って、なんとなく私は撮影しなかった。が、自分の持つ生来のミーハー精神が頭をもたげて、今頃撮影しなかったことを後悔している始末だ。

ゲストは湯浅学氏。バラカン氏と2人でかわるがわるその場で、福岡に持ち込んだ音源から曲を選び、CD(もしくはLP、EPも)をディレクターに渡して、その場でオンエア。たまに「うーん、次どれにしよう!」と、時間と闘いながら選曲をしているバラカン氏の姿をみて、「うーん、もうすぐ前の曲が終わるのに間に合うのかしら?」と、見ている方は、はらはらどきどきしてしまった。

2時から始まり、予定の収録時間が過ぎても、ずっとバラカン氏は延長して続けた。ほとんどの観覧者が残って一緒に聴いていたように思う。「飛行機は夜の7時だから、それまでやります」とバラカン氏がおっしゃっていたが(笑)、スタジオの都合で「そろそろお開きに」という指示がディレクターから出た。私はこの日の夕方から一曲録音があり、最後までいることができず残念ながら最後数曲を聞き逃して出た。

この日バラカン氏の話を聞いていて、もちろん音楽のはなしだったけど、「言っていることが信用できる」という感覚を覚えた。人間性が優れているとか、そういう信頼感ではなく、「話すことと、考えていること(理念)の差がない」印象を覚えた。それは、聞く方にとってみれば「語られたことだけを、そのまま素直に信じれば良い」ので、非常にラクなのだった。

これは誰にでもよくある経験だと思うけど、誰かと話をして、語られたことの「外」にある別の意図を探す努力を強いられるってのは、非常に疲れる。常に「この人の言ったことの本当の意味は?」なんて、見落とすまいと警戒していないとならない。つまり「語られた言葉」ってのが、そのまま「文字通り」には、信じられていない。

発された言葉がそのまま信じられない社会というのは、どこかおかしいし、おかしくなると思う。それは簡単だ。たとえば母親がいて、子どもに「愛してるよ」と言いながら顔が笑っていない、表情は愛情とは反対の信号を発していたら、あっと言う間に子どもが混乱して、おかしくなってしまうようなものだと思う。Aという情報とBという情報を同時に出すと、受け取る方の心は分裂する。

日本にあるのは、言葉とか理念とかではなくて、支配しているのは、社会にただよっている空気であって、しかもいったん「あいつが気に入らない」っていう空気が流れたら、そこはかとなく止まらなくなる気がする。

考えていることと、語ることと、歌うこと(行動すること)が、ばらばらでなくって一致して同じってのは、いま一番難しくて、いま一番「強い表現」なのかもしれないな、と、バラカン氏の公開収録で、一番考えたことだったよ。

*****

追伸。先月の野外ライブでは、一曲まるまる楽器のチューニングが狂ってしまってごめんなさい。私がおっちょこちょいなミスをしでかしてしまいました。お客さんだけでなく、バンドが演奏しにくかったと思う、ごめんなさいね。謝らないで知らん顔をしておこうと思いましたが、今日は「本音」がテーマなので、さすがの私も良心がとがめたのだった(笑)。
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2008年12月10日

再考。世界激場。そして日本。

週末、世界激場というイベントを一緒に行った実行委員の聡さんと、遅くなった打ち上げ+忘年会を行った。昼間、パン屋のカフェでハイジとペーターのようにパンを頬張りつつ、これからのことについて話した。11月に入ってこれだけ非正規雇用者が解雇されていているのをみると、世界激場というイベントが10月の時点で「格差」「若者の貧困」を扱った音楽イベントを世に出せたのは、誤解を恐れずにいえばタイミングが良かった。たった一ヶ月たった今、もはや雇用状況は目も当てられない状況で、10月に考えていたことはもはや通用しない。現在やるべきことはもっと別なことにステージが移っていると思う。

誰からも頼まれもしないのに、プロダクトアウトすること。本当に、誰からも頼まれていやしないのに、自分で何かを考えて行動すること。そのためには、よく食べて眠って動いて健康でいること。友だちをつくること。夢を守り抜くこと。これだけのことをするのが、どんだけ大変な時代なんだろう!でも、私は大丈夫。みねまいこだから!この無邪気な自信のせいで無茶をして、着地するのに失敗はしょっちゅうだけど、でも大丈夫。みねまいこだから!コンコン(きつね)。

ブエナビスタソーシャルクラブの高齢のピアニスト、ルベーン・ゴンザレス。彼がもう亡くなっていることをつい最近知った。私は、映画公開後にブエナビスタが日本公演にきたとき観に行った。ライブの後、バンドがバスに乗り込む直前に私がひとごみをくぐって「ルベーン!」って叫んだら、彼が、おっとびっくり私の方に近寄って来て、いきなり濃厚なキスをされたことがあった(これを読むのが女達だけだという確信があれば、もうちょっと詳しくどうだったとかあーだこーだと説明したいけど、男性も読んでいると思われるので自重します)。

そんな出来事がうそのようだけど、彼が亡くなったというのも、またうそのようだ。いましかできない人と会って、いましかできないことをするだけで、わたしはいつも精一杯だけど、それだけでいいんだな、と思う。どちらかが死ぬ前に、状況が変わって二度と会えなくなる前に、私にはやっとかなきゃなんないことがあるわけね。

さて、ここからは、最近の「田母神氏と懸賞論文」について考えたことを、いくつか。以前、ここで田母神氏の更迭について異議をとなえて「言論の自由じゃん」などと言ったのですが、その理由を書いてみたい。

論文が全文、朝日に掲載されいたのを読んだけど、言っていることの底が浅くて、つまるところ「陰謀説(日本は西欧列強に巧妙に仕組まれ、巻き込まれて戦争をした)」に基づいた論調に過ぎないと思った。なにも新しいことは言っていない、最近すっかり主流になったのかもしれない、歴史修正主義の論調そのものだなあと、思った。だけ。

そんなイデオロギーの問題はおいておいて、とにかくまずいと思ったのは彼が「更迭」されたこと。これは、非常に問題を残したと思う。憲法で、言論の自由が保障されているってのは、やはり基本だと思う。たとえば以前、外務省の天木直人氏が、小泉政権のときに日本のイラク政策を批判して更迭された。天木氏は日本政府のイラク介入批判をやって、一方で田母神氏は戦争をした大日本帝国を肯定し、そして両者ともに更迭された。両者の主張は正反対だけど意外にも、実は同じ問題を抱えていると思う。つまり更迭ってのは、言論の自由を保障する憲法違反にあたると思うんだよなあ。

哲学者のカントが「(軍隊では)命令に従う義務はあるが、私人として命令を批判する権利はある」ということを言っていた。カントに一票!個人として発言する権利は、発言される内容がどんなものであれ保障されるべきだと思う。そうでないとまずい。自由に言論できないってことの恐ろしさは、『ムーミンシリーズ』の小説の中で、かのスナフキンさんが何度か行動でもって主張しているように、ぜったいに経験すべきではないことのだ!「そりゃそうだわさ(うなずく、ちびのミー)。」

もうひとつ、感じたことは、テレビがとくにそうだったけど、あまりにも田母神論文に対する擁護の意見が多かったこと。「自虐史観から抜け出て、日本を肯定的に捉えよう」とする論調の多さ。それはいったい何なのだろう?と、好奇心がわくほどだ。結局のところ、そんなに難しい話ではない。その根底にあるのは、西洋コンプレックスではないのだろうか。

外国崇拝、舶来主義、ブランド志向(それはちょっとちがうか、でも同じだよきっと)、そのテンションが反対側に針が振れると、愛国心(黒いバンの車っぽいやつね)に行く気がする。で、実は『国家の品格』の藤原正彦氏も、おそらくそうなのだ。いったん外国に行って外国崇拝を一度やって、日本に帰って来たとたんに武士道に変わる。もともと日本人が誰でもある程度は持っている西洋コンプレックスが、逆に振れてしまうのだと思う。サムライブルーとか、なでしこジャパンってのも、西欧列強とサッカーをするときに、つけられたネーミングだと私は推測する。

なんかむちゃくちゃ言っている気もするけど、チャラチャラした歌手なのでチャラチャラしたこと言わせてくださいね。

もっと、さわやかな、普通の愛国心って、見つけられないかなあ?って思う。実際にリアルタイムで戦前戦後を生きて、つまり日本を肯定して、日本を否定して、それでも日本を作って来た日本人たちが、いまどんな風に日本や世界を見ているのか?わたしは今すごく知りたい。
posted by minemai at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年12月03日

流通センターまつり「多の津ミュージックパーク」だぞ

こんにちは。毎週水曜日更新の『週刊みねまいこ』です。風邪等ひいていませんか?
写真が届いたので、11/23(日)のレポなどを行いたいと思います。先週はごめんなさい。書いた内容を消したこと(頭の中ぐちゃぐちゃだったからつまんない文だったから、ちゅうかライブで精力つきてた笑)。

では、ライブに来られなかったあなたのために、報告をしたいな、と思います。
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11/23(日)に開催された流通センターまつり。そこでは、初めての試みとして、野外コンサートが開催されました。多の津ミュージックパーク(T・M・P)です。会場に着いて最初の驚いたのは、ものすごく組織化されていたことでした。まず出演者用の駐車場に、2人くらい整理の人が立っていたし、会場に入ると、ありとあらゆる仕事を細分化させていて、ちょっとここまで整った組織を私は見たことがありません。しかもそんじょそこらの野外フェスよりはるかに快適でお得だと思いました。無料でカニ鍋がふるまわれたし(タラバガニだった)、簡易トイレもたくさん並べてあるし、着ぐるみの人やハッピを着たお兄さんがてきぱき仕事をこなし、チラシをじゃんじゃん配ってくださって集客の努力を最後まで惜しまないし。優秀なPAもスタッフもたくさんいるし!ああ。なんというか、ここって人為的楽園!!左のおふたりは、ちょっと写真が切れているけどワタナベエンターテインメントのBLUE RIVERさん。
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次に驚いたのは、スピーカー。ミュージシャンでさえ、ひょっとしたらあまり興味がない人は、気づかなかったかもしれないけど、じつは相当にいいスピーカーを使っていた。はい。人間、一年に一度はいい音の大きなスピーカーで大音量で音楽を聴かないと、頭が悪くなると思う。それがここでは、大音量を無料で体感できる!すごい!そうやっていろんなことに大感激してしまいました。

はっきり申し上げて、いままでライブをした会場の中で、どこよりもいいスピーカーでした。PAも優秀な方々だと思ったし、なんというか、準備もスタッフの動員の仕方もお金のかけかたも半端じゃない。お客さんが少なかったので(といっても、私が歌うとどんどん増えたと思うんだ...たぶん...気のせいじゃなくて)主催者の方が申し訳なさそうにしていらしたけど、性格的にぜんっぜん気にならない。ただ、これだけの仕掛けをしてあるうえに無料野外なので、もったいない!!!と思った。カニ鍋も無料でふるまわれて、ちょっと寒いけど、なんちゅうか、幸せってこんなこと?と思ったね。だから....

わーい!こんな気持ちで始まりました。カメラマン、ずりっとずっこけたみたい。手がすべってななめアングルで撮影(本人談)。11/23(日)14:40。
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わたしはじつは一週間前に、会場に下見に来てました。で、大きなもみじの木の下そばにステージが作られるというはなしを聞き、その場所に立ってシュミレーションしてました。で、私は髪の毛の色も、もみじと同じ色に染めてみました。写真は「わたしの髪の毛、もみじと同じ色だよー」ひらひらとお客さんに見せているところ。でも、そんなこと。ちゃんと説明しないと誰もわからないってば(笑)。
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くるくるくるくる(ぱー、ではない)。
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風が吹いた。
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シンセサイザーを弾きながら歌おうと思っていたけど、結局歌うのでいそがしくて、ほとんど弾きませんでした。ド派手なシンセをバーンと置いて、つまり格好だけつけてしまった。
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ちなみに、サポートしてくれたベースのコーチ君とギターのゆうじさんにも、もみじの色に合うコーディネートした衣装を準備してみました。
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自分のCD販売&サイン会が終わり(ご購入いただいた皆様ありがとうございました。いま作っている2枚目のアルバムの制作費で、大きな胸を悩ませていたので、ぜひそちらにつぎ込みたいと思います!)その後イベントがすべて終了したので、帰ろうとしたら、商工会議所の方なのかな?流通センターの偉い方なのかな?白髪の紳士がスーツを上品に着てらっしゃる方が、声を掛けてくださったんだよね。「盛り上げてくれてありがとうね。」と私におっしゃったわけ。

私は、じつは自分の歌が役に立つって、今まで本気で思っていなかったというか、そうありたいとはずっと思っていたけど、まさか本当に役に立つとは思えなかった。だってたぶん、どれも変わった曲ばかりだし(笑)。「ありがとう」と声を掛けられるのは、これはかなり自分自身でもショックな出来事でした。この一言で、正真正銘に「仕事をしたんだな」という気持ちになったんだよね。これで私も、一人前(やっと)になったのかと。これからも、呼ばれたらどこへでも飛んで行く。

終わって、目でお礼をしているところ。
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というわけでした。すべてのイベントが終了する前5分には、すでに50人くらいのボランティアの人たちが、ほうきを持って清掃のために待機していたので、魔法使いがたくさん来たように見えました。この野外フェス音楽イベントはすごかった。たぶんもっと大きく、ある意味これから名物になるよ。

はなしは変わり、しばらくたってからこのように、ライブの報告をしたわけですが、なにかをするのに「ぐずぐずする」というのは、非常に気分が滅入るな、と思いました。なにかをやったら、報告も含めてその場でぱっと終わりたい。「ぐずぐず長引いていつまでも終わらない」というのは、私はあまり好きじゃない。

なんでもそうだけど「待つ」ということは非常につらい。たとえば自分が入院していた場合、お見舞いに誰か来てくれるのをじいっと待っているとか、歌手志望でデビュー寸前までいった女の子が、本当にデビューできる日をじいっと待っているとか、出版社に原稿を渡したのになかなか出版日が決まらなくてじいっと待ってるとか。そんな実現可能でもあてのない類いの「待つ」という態度のこと。これは、相当につらいものがある。

私の前には、けっこうな課題が山積しているけれど、それをやらないと先に進めないのはわかるので、ぐずぐず待たないで、とりあえずぱぱぱっとがんばろうかな、と思う。移動すること。誰かと出会って交通すること。これまでもなんとかなってきたのだから、これからもきっとやれるさ。以上。

*****
11/23(日)2008 SETLIST

彼女の着ている青いドレスは流行している
LOVE YOU MADLY(mixed by コーチ)
鳩のように(mixed by コーチ)
Aimless Walk
イスパーニャ(arranged by サクラダ)
アモーレの生涯
日常がある

ほとんど:頭突きが得意な、みねまいこちゃん
演奏参加 ギター:大石雄二、ベース:コーチ、バイオリン:サクラダ(トラックのみ)

主催者のみなさん&ナイスビームスタジオの田村さん、左座さん、そして小山さん、おつかれさま、ありがとうございました。ぱちぱちぱち(フィナーレ!)。
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2008年11月26日

強く雄々しくあれ

毎週水曜日更新中の、週刊『みねまいこ』です。こんにちは!
まず、ライブに来て下さった方、ありがとう!会場で配られていた、無料かに鍋は召し上がりましたか?

せっかくですから今日は、11/23(日)のライブの報告などもしたかったのですが、撮影してくださったカメラマンからの写真などの資料が届くのが今週末なので、あらためて来週の水曜日にUPします。ただ、このときのライブに関しては、11/19の私のブログに対してコメントをくださった方がすでに、ご自身のHPで写真つきで感想を書いて下さっているようなので(ありがとう!)、そちらで確認できるかな、とは思います。でも、自分でちゃんと来週報告します。

この下に、実はちょっと文章らしきものを書いていたけど、気が変わったので消します。

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2008年11月19日

君がすべて

車のベンツのマークと、ピースマークの区別が、たまにわからなくなる、みねまいこです。

今朝、6時半にいっせいに、普通の目覚まし、携帯の目覚まし、誰かからの電話、炊飯器の「ごはんが炊きあがりました。」という機械女の声、冷蔵庫のブーンという低いうなり、自分自身の「(がばっ)わあ!」と驚く声、全部がいっさいがっさいに鳴りだして、なんというタイミングなんだろう!わおー。家の中にオーケストラ(ちっちゃいけど)がある〜!と、びっくりして飛び起きました。

最近また警察につかまったらしい(笑)、ジョージマイケルの「Listen without prejudice vol1」をたまたま借りてなんとなく聴いていたら、「君が好き、君が大好き、君がすべてだよ!」と歌っている気がした。この人の音楽は別に興味はそんなにないけども、「シンプルに愛を述べる」という感じは好きなので、ぜひ真似しようと思った。というか、昔は自分がこんな態度で生きていた気もするけど、今はいろんなことをこねくり回したあげくに、小さな砂場の大将になった気がする。ちっとも面白くもなんともない。ああ、誰かこんなわたしを殺して下さい。

今週末は、11月23日(日)に、流通センターまつりに出演します。遊びにおいで。私は14:40〜の予定です。テレビのRKB放送でもがんがん宣伝がやっていたらしいけど(私は観ていないのですが)まあ当日会場に行けば様子もわかるでしょう。野外ライブなので、みなさんあたたかくしてくるべし。何を着ようかな。もう冬だし雪ん子みたいな格好にしようかな。では会場で会おう!! CIAO!! アミーゴ!!
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2008年11月12日

緑の牧場をとおって

先週末、欧州プロモーションのSnigelがアイルランドからうちに泊まりに来た。Snigelが、黒髪の気前の良いサンタクロースのようにして、スーツケースから次々とお土産を出してくれて、こんだけ運ぶのに重たかっただろうなあと心の中で思いつつ「ありがとう」と言った。夜は部屋をまっくらにして...といっても、まったく色気めいた話は残念ながら無い。いっしょに怪談話をしてぎゃあぎゃあ騒いだあげく疲れ、夏休みの小学生のように眠った。

Snigelは、私の高校時代の親友で、男性。高校時代に私は3人男の子の親友がいて(私を含めて4人でつるんでいた時期があった)、そのうちの1人なの。みんなばらばらになって、私は福岡、Snigelは東京の大学に入った。たったひとりSnigelとだけはたまに文通していて。たまに私が「JRの格安チケットが欲しいんだけど」と手紙に書くと、「今度会ったら寿司をおごってネ!」というコメント付きでチケットが入っていた記憶がある。

大学の2、3年の頃に「アイルランドに留学する。わし。」という手紙が来て、私も自分のことで大忙しで、それからずっとどこでどうしているのかも知らなかった。私は大学院に進んでとりあえず研究やって、博士課程というやつに進んだときに、これからは、歌をうたいたい。と思い、作曲活動を始めた(現在に至る)。そんな中、主に西洋のロックをひととおり聴くと、アイルランド音楽が根っこのところにあるような気がしてきた。とくにアイルランド音楽の持っている膨大なメロディのストック。そこからひっぱり出して来て作られた旋律って、ロックには多いよな、と思った。じゃあ、現地に行ってみるべ!と思い、行ったのが最初。

行っても何もわからなかったけど(外国なんて行ったことなかったし英語もさっぱりわからなかったし、ただ、パブで私はアホのように踊ってただけだった)また来たいとだけは強く思った。帰国してネットで「アイルランド」と検索したら、アイルランド真実紀行http://www.ikikou.com/というホームページが見つかった。面白くてずっと読んでいた。ある日、そのホームページの著者が本を出したという。著者の名が書かれたその本を見てあぜん。「この人って」それで連絡をとって、返事がきて、やはり高校時代のあいつだということが確認された。私は、ずっと彼だとは知らないで、ホームページを閲覧してきたわけで。何かお能のストーリーのように、げに不思議なこともあるものよのう。という心境だった。

そんな奇妙な再会を果たし、現在に至る私とSnigel(彼はもうかれこれ通算10年以上はアイルランドに住んでいるはず)。私がヨーロッパにプロモーション&ライブに行くと私のPoor English(ヘタなえーご)を、みごとによどみなく相手に伝えてくれたり、私の何のあてもない、単なる無知で無鉄砲な真剣さを、とりあえず無視しないで、彼の語学力と交渉力でもって、ずっと着陸させてくれて来た気がする。

前置きは長くなったけど、Snigelと今回話していて、はっとしたことがあった。一緒に食事に行って、彼にイタリア料理を奢ってもらったのだが、その際にお店の人がレシートや明細を出さないこと。ただ「◯◯,◯◯◯円」と書いた紙切れを示して、それで客が支払う仕組みになっていた。福岡だけかもしれない。他の都市はどうなのだろう?福岡のとくに個人経営の店がそういうやり方をとっている気がする。私はそれに対して別になにも思って来なかったけど、Snigelに言われて気がついた。明細もレシートも出さないというのは、自分らが食事をしたという記録が残らないわけで。ひょっとすると店の人が悪用しようと思えば、脱税だってできるし、その場合、自分たちって「税法上は存在しなかった」ことになるんじゃない?気持ち悪くなあい?うん、そう考えると気持ち悪い。

もちろん、そういう店は「領収ください」と言えば、出してくれるんだけど、こちらから頼まないとくれない。じっさい「明細みせてください」って、ちょっと言いにくい。相手を信用していって印象を与えるのもなあ、とつい遠慮してしまう気がする。

自分が、レシートを出さない店のやり方に、これまでなにも疑問を抱かなかったことは、それだけどっぷり自分のいる今の環境にそまってしまっていたのだなと思った。自分の周囲100mの外に出たいなあ。自由になりたいなあ。ぶつぶつぶつ。

右翼には興味がないし、でもAPAホテルの論文と防衛省の件は、みんなじゃんじゃん自分が好きなこと書けばいいじゃんと思うし、思想の自由!と思うし、左翼は最近すごく活発で、共産党員になる人が増えてるけど、私は資本主義大好きだし集団主義大嫌いだし(関係ないけど大澤真幸編の『アキハバラ発<00年代>』の吉岡忍の文章が面白かった)、右翼にもいろいろあるだろうし左翼といってもいろんな活動団体があるからひとくくりにするなと言われるだろうけど、細かい政策論争に巻き込まれたら人生の無駄だからごめんなさい、右翼左翼それぞれひとくくりにします。

麻生首相をみんな本当はねたんでいじめてるんんだと思うし、麻生さんも「金持ちでなにが悪い」とひらきなおってしかるべきだと思うし(それができないのは案外、本当に素直なおぼっちゃんなのかなという気もする)、そもそもお金があるのは本質的に大事なことだと思うし、小室(等ではない)さんはただ資産を増やそうとして失敗しただけで、事業に失敗するのはよくある話なのに、ファンを裏切ったとか、お金の使い方がわかっていないとか、ざまあみろ!みたいなコメントをなんでみんな出すのか、そんなの大きなお世話だと思うし、ずっと彼をみんなねたんでいただけじゃないのかと思うし、ぶつぶつぶつ。

(いきなり話が飛んだところで、書きかけですが、書きかけのまま、失礼します)
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2008年11月05日

マイコージャクソン

とかく日本という国は、「女性の結婚適齢期」とかいくつになったら「従順に」「年齢とともに枯れるべし」とか、病気になったら「先祖からの因果応報」とかホラー話をならべてくるので、そんなもんことごとく反則技で破っていきたいみねまいこ、です。うそうそ、本当のことを言うと、そういう「空気」みたいなものは、自分の中でよく理解できるし、そこから外れてしまう怖さもわかるな、と(意外とKYじゃないのです)。でもそれでもどうしようもなく、反抗してしまう自分がいるので、いっちょここは、勝負かけて、自分が本気で社会、世間的な掟を破るっていう意思表示を、日本的社会(世界でもいいけど)にむけてアピールしたいな。と、思っていました(結局、芸能人に向いてるんだね)。

そこへぜんぜん関係ないけど、ハロウィンが来ました。

先日のApple Storeの打ち上げとして、天神FMドットFのメンバー(yuriさん、テトリスさん)で、ハロウィンの夜に、カラオケ&食事に行くことにしました。事前に「ドレスコードは仮装です」というメールがyuriさんからきていたので、私の目に光がともりました。しかも、彼女たちはかなりノリが良く、感性が豊かな人たちなので、これは何をやっても、OKだということだな(笑)、と勝手に解釈しまして、はい。

さて10/31(金)夜7:30に、キャナルシティーに集合です。歌手としてのアンニュイな自分と、素のふつーの自分との間で悩んだあげく、よくわかんなくなって。マイケルジャクソンのスリラーの衣装を着て(カツラ付き)、集合場所に向かうことにしました。バスはさすがに、乗れませんでした。それだけは勇気が出なかった....。タクシーで向かいました。

私の家族も一緒です。家族というのは、私がぎりぎり20歳超えて...(どっかの問題になっているアメリカのティーンネージャーにあらず)私が大学時代にいつのまにか産んで、ひとりで養育中の子どもも、連れて行きました。ただし、ドレスコードは「仮装」だったので、それなりの格好をしないと連れて行けません。うちの坊やも、がんばって仮装をしていました。えらいぞ!

早く着きすぎて、ぽつんと待つマイケル親子。

あ、きたきた。近づくなりyuriさんが大爆笑。そしてyuriさんも、猫の耳をつける(めちゃめちゃかわいい!)。それを見てあなたも相当に変わってるね〜と思いつついっしょに爆笑。さらにやってきたテトリスさん、頭にかぼちゃを乗せて(ヘアバンド)。やっぱり彼女も相当にヘン。みんなで腹をかかえて大爆笑した後、食事&カラオケへ。
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どっかのコスプレ大会なら産業のレベルで(百人規模)でやるから怖くもないだろうし、用意された非日常の空間でやるだろうから安全なのでは。でも、たった4人でへんな格好で普通の店に入り、普通に移動するってのは、ものすごく恐怖。いや、こっちが怖がっている以上に、周りの人が怖かったかもしれないけど(笑)。

このコスチュームはサウナスーツみたいな素材であったため、サウナ状態で、途中で意識が朦朧としてしまいました。自分の名前がわからなくなって「スリラー暑い...」と口走っていたらしい。スリラーじゃなくて、マイケルジャクソンだってば。というか名前は「みね」ですってば。しかも汗で気化熱がうばわれるので、しまいにはガタガタ震えて、ほんとに自分でもスリラーって感じだった。

カラオケでは、いろいろみんな歌ったけど、みんな上手いねー。良い曲ばかりを選曲するので、思わず調性など曲を分析しそうになったけどいかんいかん、今日はただの遊び「打ち上げ」だった。私は個人的にはマーヴィンゲイの曲が歌えて嬉しかったのと、yuriさんが曲名は忘れたけど「hate!hate!hate!」をドスのきいた感じで連発する洋楽曲を歌ってくれて(普通、女の子は歌わないわな、そんな曲。と思った笑)、私も思わず「hate」関連の言葉の即興コーラスを入れて、それが楽しかった。ふだん言っちゃいけない言葉を連発するって、相当に快感。最後に"we are the world"を全員で熱唱。Apple Storeライブの打ち上げは、異様に盛り上がりました。いやあ、よかったよかった。マイコー的にも、喜んでもらえてよかったです。

マイコーWe are the worldを歌う(写真は正確には別の曲かも?)。
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みんなで帰る途中、タクシーの中で、たまたま私の携帯に電話がかかって、出ていですよーとみんなが言ってくれたので、出てみた。そしたら、マイコーは、自分のカツラが邪魔でぜんぜん相手の声が聞こえなくって。「すみませーん。いまカツラが邪魔で聞こえませーん。」どなたからの電話かわからなかったけど、それだけあやまって「ええい切っちゃえ。」ごめんなさい。もうその頃にはマイコーの中には「カツラをとる」という選択肢はまったくなく(笑)。

お土産をいただきました。家で、がつがつ食べました。手作りだった!カボチャペーストたっぷりヘルシークッキーと、かぼちゃの形のシュークリームでした。すごく、感動してしまいました。この日のために、こんなにすばらしいお菓子を作ってもってきてくださるなんて...。夢見心地に美味しい!ドットFのyuriさん、テトリスさん、ありがとう(こんな超キュートでエネルギーを注ぎ込んだお菓子はある意味すごすぎる!)。来年も「ハロウィンバカ」になりましょう!そのまえにまた、ラジオのお仕事でお会いしましょう!
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私生活のはなしが出たついでに、もうひとつ。帰宅して、子供部屋をのぞくと、坊やはさすがに疲れ果てて、お風呂にも入らず、ばたんきゅーで寝ていました。が。枕元にはお行儀よく、明日着る洋服と、仮装で使った「まさかり」が並べて置かれていました。彼の将来が非常に心配です。

追伸。興味のある方で会員に入っていらっしゃる方は、mixiの「みねまいこコミュニティー」に登録をどうぞ(じつはmixiのみねまいこコミュニティーは上述のyuriさんが運営してくれています!Thanks!)。

編集後記
友だちのハンガリー人(女の子)が言ってたけど、国民性として、がーーーっと遊ぶと、どーーーんと落ちるので、ハンガリー人は自殺率が高い。とのこと。彼女はそんな彼女自身にもある躁鬱気味なハンガリーの国民性を心底嫌がっていました。日本人も、ハンガリー人と同じく躁鬱になりやすいらしい。人によっては、日本人全員が躁鬱病だと言う学者もいる。だからマイコーは、あれだけはしゃいで楽しかった後にどーんと落ち込むのでは?と気をつけていました。そんな躁鬱病の警戒をしつつ、で、もくもくと汗だくになったスリラーの衣装を洗っていました。で、ただそれがちょっとむなしかった、だけ(笑)。

これ言っちゃっていいのかな。数日後にアイルランドはダブリンから、ヨーロッパプロモーションのSnigelがみねまいのところにやってきます。ちょっとMine Maikoのユーロ安に揺れるヨーロッパ上陸作戦会議など(という名のバカ話。私は飲みません。Snigelだけね、きっと酔いつぶれるのは...)をする予定。今年はローマ法王に謁見ライブツアーに行けなかったものね。さてさて、どうなることやら。

クールな歌手もやっています。11/23(日)は、野外ライブです。雨天決行とのこと。2万人規模の人が集まる「流通センターまつり」で歌います。流通センターは問屋さんの集まるエリア。問屋街が歩行者天国になって、100の店舗が露店を出し、フリマもあり、アウトレット&バーゲン三昧らしいです(私は、ニューバランスのスニーカーの問屋さんをチェックして、交渉してさらに格安でゲットしたいなと)。みなさん、ライブをのぞきに流通センターまつりに来い来い!

今回一緒に遊んだyuriさん視点によるハロウィンレポートはこちらです。上の写真は、彼女から送っていただいたものが多いので、重複しているのもあります。笑いながらもずっと撮影してくれた、yuriさんテトリスさん、ありがとう。と、乙女チックにまとめてみましたが、、、いかんせん私はマイコー(来年につづく!)。
http://yurimarin0725.blog.drecom.jp/archive/1397
↑たぶん、yuriさんの文章の方が、私より面白いと思うよ。
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2008年10月29日

新競技「どこまで自由になれるか」競争

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世界激場が終わって、まず興行的にいえば、ひょっとしたら北欧あたりへの飛行機の往復のチケットがシーズンオフならば買えたかな?と思うくらいに赤字だったのだけど(聡さんと二人で重荷を背負い合った、ぐっすん)精神的にはいつも後ろ向き。じゃなかった、前向き!これから自分がやるべきことがみえたな、と。

一方で、イベントの後、すこし不完全感をおぼえた。ずっと考えていて、ある朝地下鉄に乗っていた。そうしたら、取材をしてくれた某新聞社のKさんという記者さんが(女性ね)、一心不乱に立ちながら本を読んでいる。ビートルズって書いてある。そんで、ノーメイクに分厚い眼鏡、髪の毛が逆立ってて、ものすごく刺激的なショートパンツで足を交差させて肩がぐいっと開いた黒のセーター。セクシーなかんじ。でもちょっとまちがうとシゴト帰りのオランダの売春婦(笑)。つまり、記者っぽくないわけ。私の視線に気づいて「あ。みねさん。私昨日の夜、遊んじゃって。この本?私の中でいま、ビートルズの第二次ブームが来てるんです(←なにそれ?)!あ。ここで降ります。また!」と、嵐のように降りていった。

そのとき彼女がぴょーんと去っていったときに、思ったね。これだ!って。これってのは、「自由な気分」ってやつです。ああ、私が欲しかったのは、こんな感覚なんだと。自分の信じていることに、自分がつかまってしまったらそこでおしまいなの。自由じゃなくなるわけよ。あとは老化の一途をたどるし、諦めちゃうし、死んじゃうし、もういいことないよ。つまり、自分自身に掴まらないような、スピード感、自分をうらぎり続けてる勢いみたいなもの。

それって、いいじゃんない?!これをやらなきゃダメなんだと。そう思った。私の言ってる意味わかる?あまり説明になってないかもしれないけど、簡単にいうと「必死になってしがみつくものがなにもない」「自分のことをあっけらかんと片っ端から破壊していく感じ」「細胞を未練なくすてて全部新しく更新する」かなあ。ああ。説明になっていないかもしれない(そこは日本人同士。あうんの呼吸で察してください!)

頭をがーんと殴られたようなショックを受けて、そうそう大事なのは「自由な気分」ってやつよ!「自分がどれだけ自由になれるか競争」みたいなことを世界激場でやりたかった!だけど、その空気を(自分の基準の)ベストコンディションでは作れなかったんだわ!と気がついた。紙屋高雪をハリセンで叩いてもよかったのよね....。ちー!がじがじがじ。ストレスのたまったハムスター状態(笑)。

yamahaで楽器のメンテナンスをしてもらった後、天神の中心街にハロウィングッズを買いに行った。ハロウィンの日に、先日のApple Storeの打ち上げをする予定。天神FMのradioドットFのスタッフたちと女ばかりでカラオケに行く約束をしたのを思い出したからだ。私は「自由な気分」が欲しい!という猛烈な気分でいたためか、自分の殻を破ろうとしてだったのか、マイケルジャクソンのスリラーのコスプレ衣装(カツラ付き)を買ってしまった。

別の時代が近くに来ている予感、空気を感じてる。だから、早めに誰かと競争をしたい。「どこまで自分が自由になれるか競争」。世界激場が、もし次にあるとすれば、集まった人たちでそんな競争をしたいよね。つぎは、世界激場ではなくて、世界征服って感じでね。というか「世界征服しようとしたら、こんな感じになりました」みたいな。ん?とりあえず、ひとりで始めようかな。私と競争してくれる人は、いないかな。
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2008年10月22日

世界激場が終わり...

http://www.myspace.com/sekaigekijou

さる日曜日。10月19日は運動会!じゃなくて、世界激場が終わりました。あまり客観的な評価が自分ではできないため、イベントそのものに対する社会的評価(いろいろな人からいただく辛辣な、もしくは好意的な、賛否両論のメール)を拝読しつつ、一方で私がやった演奏そのものに対するコメントもききつつ。そんな感じで3日たち水曜日になりました。

世界激場について、まだ自分自身の中で判断がつきかねる。だから、いろんな人の意見が来るのをもう少し待って、掲載許可をいただける方に限って一般公開しようと思う。それで様々な意見を並べることで、どんな社会的意義があったのか?インパクトはあったのか?などを全体像が見えるかなって思う。写真やできれば映像なども、上記のオフィシャルサイトで、他の出演者の許可がとれ次第、順次UPする予定だ。感想などはここにください。社交辞令とかではなく、本気でお待ちしております。
宛先: sekai_gekijou@yahoo.co.jp

演奏そのものは、京都からサクラダが来てくれたので、どれだけ助けられたかわからなかった。世界激場が終わった翌日、サクラダと海までひたすら歩いた。海に出たとき、それがどれほど奇麗だと思えたことか!

テクノやエレクトロニカも叩ける(なんでもできるわけではありません〜と、ご謙遜なさる方だけど、たぶんやってくれと言ったらとりあえずやってくれると思うんだよねーふふふふふ)ドラムのハンキンさんが入ったことで、いろんな遊びの要素が入れられるようになり、選択肢が広がった。いろいろ注文していたら「みねさんこわーい」と言われた気がする(幻聴かな)。裏方でも、いろいろ動いてくださって(車でかなりの荷物を2往復して運んでくださったり、直前に相当に有能な本格派の照明スタッフとアシスタントを探してくださったり)、すっかり私の目はハート。あれだね、こういう修羅場のとき、人間はただのライオンになるね(私だけだって)。いま、自分で作った格言。「雌ライオンは、強い雄ライオンにひかれるものである。」しかーし。またひとたび練習にもどると、どんな素敵な男性も、みんなただのすぐれた楽器にしか見えない。ああ。おそろしい!私という人間は!

ギターのゆうじさんと、ベースのこうちさんは、良かった印象は残っている。もともと力量のある彼らだ。いいえ、正確に述べた方がいい。薄情かもしれないけれど、それが3日前のことだとしても、私は完全に忘れてしまった。ごめんなさい。じつは11/23(日)に流通センター祭りといういろんな企業や、問屋さんが集まって行うお祭りに招待されていて、そこで彼ら二人とは再び一緒に演奏する。つまり、先のことしか頭にない。来月彼ら二人といったいどうやって「新しい感じ」を作るか?そればかり考えて作業を始めているので、3日前の演奏をどんなに思い出そうと思ってもまったく思い出せない。彼らとの来月の演奏が楽しみでしかたがない。いまさらとってつけたようでしかないけど、一緒に演奏してくれてありがとうと言いたい。ライブの後、片付けが遅くまでかかり、終電があるかないか?と話していたので、サクラダもうちに寄るし「こうちくんも、うちに遊びにきなよ。3人で話そう」と誘ったら、「(PAの)小山くんと帰ります。」結局、男性陣で一緒に帰っていった(らしい)のが、礼儀正しい小学生の男の子たちみたいだなーと思って可愛かった。

3、4年間、ずっとおっかけをしてくれてきた女の子が言っていた。みねまいは、最初にみたときひとりで歌っていたけど、今ではこんなに(複雑なことができるように)なって!と。ああ、そうかと思い出した。ほんっと、ひとりだったんだよね。昔は、ただのちんぴらだったよね。いまでもただのちんぴらだけどさ。というか、忘れずにずっと、おっかけしてくれる、あなたの方がすごいと思うんだけどな(笑)。ご期待にそえるよう、あなたを今後30年間くらいは裏切って行きます。なんのこっちゃ。

どうなんだろう?ダメなところは、からっきしダメだった気がするけど、世界激場というイベントは、ふたを開けてみれば「衝撃」はあったのではなかろうか?新聞の取り上げられ方も大きく、反応も大きかった(同じだけ批判も大きかった)。一番遠いところでわかっているのは、東京の出版社関係の方が観に来ていたらしいし、大阪から観に来てくれた女の子もいたし、サクラダは京都から演奏をしに来てくれた。リアルでライブ感があってひりひりする感じ、そして集った人々がいつの間にか共有した愛はあったのではないだろうか?最後に一緒に実行委員をやったタージリンの聡さんと固く握手をし、その後いっきに壁一面に貼ったいろんな人の「言葉」をびりびりと破ったとき、ふとそう思ったのだった。
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2008年10月15日

世界激場のまえにちょっとおはなし

昨日は、朝日新聞の夕刊に、写真つきでインタビューが掲載された。実に派手だった。「世界激場」に関する記事だった。社会欄だ。「三浦元社長自殺 死因は『窒息』か」の見出しの上に、わたしの歌っている写真。

その世界激場は、数日後の10/19(日)の午後14時から、トップバッターは私の演奏で始まるわけだけど、なんというか、正直にいうと、世界激場は自分の中で、もうやりつくしたので、頭の中はもう次のことに入ってしまった。これを二重人格という。

ここでこの日、演奏を一緒にしてくれる人たちを紹介したい。まず、京都からサクラダ。彼女はバイオリン担当。「◯◯の宮」って雰囲気で、、相当に強い印象を残す演奏者だ。一方で、現代的な長身の美女だね。足も長いしね。たぶん、ジーパン買ってもサイズ直さないでいいんじゃないかな。と、どうでもいいことばかり言いましたが、彼女をひとめみてノックアウトマウスされる人も多い(マウスは余計でした)。まあ、この日はリラックスした演奏してくれるのではないかと思う。ちなみに彼女とは、コンシピオのオーディションで出会った。

つぎは、ギターのゆうじさん。いまは、元ゴダイゴの浅野氏と、福岡で一緒に演奏活動もやっている。いぶし銀のような、いいギタリスト。ベースはこーちくん。彼も、ゆうじさんと同じ、上記の浅野氏と一緒に演奏をしている。神童がそのまま大人になったような雰囲気の人。何があってもぜんぜん動じない。たとえば私が去年、泣く子も黙る有名なミュージシャンに「(ある曲で)転調が多すぎる」と言われて、こっちは一応ご意見を参考に、転調を減らそうかと思ってたら「どこのだれがそんなこと言うたかは知りませんが」と普段ほとんどなにも喋らないコーチくんが、とつぜんそう言い出した。で、私は初心を貫いて転調を異様に多いままにしたのだった。ドラムは渡辺ハンキン浩二さん。彼はY.M.O.の完全コピーバンドや、全国的に注目されているオンゴロというプログレッシブバンドで活動なさっている。いつも、楽しそうで、しかもやさしい。こないだ韓国に公演に行かれておみやげに高麗人参石けんをくれた。彼のドラムもお楽しみに。きっと見ていて楽しい気分が感染します。

そんなメンバーで、曲をてんこもり演奏する。

一方で、世界激場は、トークセッションもあるので、そっちも少し説明を。メインは、紙屋高雪さん。彼は今、新進気鋭の漫画評論家だ。で、彼の漫画評論を展開してもらいつつ、私が質問したり、もうひとりの実行委員の聡が話したり。おそらく、音楽イベントにちなみ、『のだめカンタービレ』などの音楽漫画を扱ったりするのでは?と思う。でも、さっぱりわからない。用意はあるけど、トークセッションなので、どこへ行くかわからないし、会場のお客さんの反応次第ってのもあるからね。そして、じっくり、『闇金うしじまくん』など(他多数の漫画が参考になる可能性も大)の漫画を扱いながら、格差社会や貧困、ワーキングプア、フリーターなど、労働問題を扱うはず。いま、わかっているのはこの程度だよ。

というか、私たちは、やりながら考えるのだ。

資料がまだできていないので、きっと今日明日、私はひとり深夜のキンコースで、何百枚も印刷して、紙をそろえて、ホッチキスでぱちんぱちんと、閉じるんだろうなあって思う。それがちょっとつらいかな。ううう。コンシピオの社長だった高橋信之氏(Y.M.O.の高橋幸宏氏の実兄)に「このひとは天才かもしれない」と言われたことのある歌手が、コピー機にはりついて、深夜必死の形相でホッチキスとは(そんな姿、だれにも見られたくないけど、見たらきっと面白いぞ、笑)。

なーんだ。頭の中はぜんぜん次に進んでないじゃん。
わたしは世界激場の準備に夢中!

あなたは?

あなたは風邪等ひかぬよう、世界激場にいらしてください。
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2008年10月08日

Apple Store

Apple Storeでのライブは、ご来場ありがとう。セットリストです。
I had a gig at Apple Store Tenjin last saturday. This is the setlist.

帰れソレントへ from 宇宙Torna a Sorriento-from the space-
固い物はすべて空気の中にとけていってしまうAll that is solid melts into air
LOVE YOU MADLY
POST CAPITAL
太陽とロシアの船ーボサノヴァバージョンーRussian ship under the Sun-Bossa nova version-
日常があるDay-to-Day Resistance

なお、太陽とロシアの船のボサノヴァバージョンは、ベースのコーチくんがアレンジしました。

写真についての説明。※これらの写真は店舗の許可を得て撮影されています。

まず、リハは、PAの北御門さんと。毎晩どこかのライブハウスでPAをなさっているそうです。これまでも何度か、彼とは仕事をしてきました。なんというか、片足を上げて鬼のような形相で指示を出すあたり、私の性格が隠しても隠しきれず出てしまっているかと。
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PA:Mr. KITAMIKADO Thanks!

ベースは神童っぽいコーチくん、ギターはベテランゆうじさん。
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BASS:coach(left), Guitar:Yuhji(right)

なぜか壇上から降りて.....
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junping down from the platform....

頼まれもしないのに、お客さんと握手。
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shaked hands with each other.

イベントをオーガナイズしたドットFに、ありがとう。
(参考)
ドットFに属する(顔でもある)方の視点で、まとめられたレポートです。
http://yurimarin0725.blog.drecom.jp/archive/1370
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