2009年09月16日

ワインはお好きですか?ハムはお好きですか?

今は、日本にいる。最近の2ヶ月のことを、一番最近から、過去にさかのぼって述べる。2ヶ月で、あまりにいろんなことがありすぎて、人格すら変わってしまった気がしている。さて、今週から、週間『みねまいこ』は、これまで通り、毎週水曜日に更新する。ちなみに水曜日に更新している理由は、韓国の日本大使館前の「水曜デモ」に合わせているから。


「某都市、プラハ、マドリード:8月〜最近」

@某都市
 プラハでライブするために、ヨーロッパに向かった。超格安航空券で行ったのに、さらに無料でヨーロッパ内を移動するチケットもおまけで付いていたので(どうやって採算を取るのだろう?)、まずは、某都市に住む友人C会いに行くことにした。2005年の夏に欧州プロモーションのSnigelに連れられてドイツでプロモーションをした際に、紹介してもらった人だった。
 「音楽と空間」part(1)、そしてpart(2)を書いたが、日本のライブハウスをめぐる問題を考えるきっかけになった店Xが実は某都市にあり、そこに彼女と出かけることにしたのだった。2009年に、はたしてその店はどうなっているのだろうか?その前に簡単に店Xの説明をしたい。
 問題の店Xがある某都市は、旧共産主義国だ。そのことと関係があるのかどうかは知らないが、店Xは、いくら食べても、料金は「あなたが決めて下さい、満足したぶんだけお支払いください。」というシステムだ。ワイン、サラダ、パスタ、デザート、パン。これだけのメニューで、じゃんじゃんテーブルに並ぶ。客は皿に好きなだけついて、うろうろしながら食べるのである。その店が果してどうなったか?
 友人Cとでかけた、某都市の店Xは、残念なことに今では観光客に占拠されてしまっていた。イタリア人とアメリカ人のバックパッカーが大勢で押し寄せて来ては、長居して、わずかな金で大量に飲み食いしては帰って行き、さらにはその情報をたよりに別のバックパッカーが…という見事な悪循環になっていた。つまり、地域のコミュニティーや、地域の若者がふらりと寄って、継続的に店にお金を払いつづけ、大きな黒字は出ないが赤字も出さないようなぎりぎりの経営が可能、そんな条件が、みごとに壊されていた。つまり、「食い逃げ」に近い。
 それで、店Xはどうしたか?なんと、Yという店を新たに作った。もちろん同様のシステムだ。そのYができたのは、おそらく2005〜2008年の間だろう。その店Yは大量の観光客にへき易した、地元民が集う新たなスポットとなった。そして最初の店Xは完全に、観光客仕様として、切り盛り。地元民は寄り付かなくなり、新たな店Yに地元民は移動した。だが、観光客にかぎとられ、Yにも押し寄せてくるのは時間の問題かもしれない。
 しかし、ここからが面白い。なんと経営者は、間髪入れず店Zを作ったのだ。その店は、地元民ですら、見過ごしてしまうような場所にさりげなくあり、ベビーカーを押したお母さんとお祖母さんが、一杯ひっかけにきていたりもできる。落ち着いた住宅街にあった。バス停もなく、電車もない場所だった。つまりこういうことだ、その店は「店を作っては逃げ、作っては逃げ」ている。やり方としては、非常に面白いと思う。
 友人Cは、自分の仲間を呼び出してくれ、歓迎会をやってくれた。普段は南アフリカで仕事をしている人や、スイスで働いている人、ブルガリアから働きに来ている人々、私も含め計8人で、店Zに集い飲んだ。帰り際、支払いということになり、友人Cが皆の分をまとめて払いにいくと、店長が出て来て「あなたがたはあまりにも飲んだから、これじゃ足りない。」と言って少しもめた。たしかに皆相当に飲んでいたので、それは納得のできる主張だった。
 友人Cは、「MAIKO以外は(私は酒は飲まなかったから)、もう10ユーロずつ出して」というと、仲間の男性Bが断固として拒否するのだった。「ここはもう、社会主義じゃないだろー。完全に社会主義的なやりかたでやるんなら、この店のポリシーとしてつらぬくべきだろー?金額が足りないっていうなら、それじゃたんにここも他の店と同じだろー?納得できないね。おれは、今日はこの金額を払うと決めたんだから、これしか払わんー」と。
 友人CとBの間で議論が始まる。それで、ほかの仲間もきいてる。そのうち、BとCの間で出た結論をたずさえて、友人Cが店長と話にいく。店長が意見を述べ、それを友人Cが持って帰って、またこっちで相談。それが幾度かくりかえされる。最初はきいていて面白かったが、しまいには私も飽きて来て「私が10ユーロを払うわ。うちらの内、誰が払っても同じでしょ?10ユーロプラスするしてもいいくらいは満足したもん、私が払うわ」と言うと、Cが「Bの良心が問題なの」と、お金を戻される。
 数十分経過する。結局Bが折れたのだった。店で食事をするのに、社会主義と資本主義について、人々の良心について話し合う必要があるって、面倒といえば面倒だけど、面白い店ではある。2005年は、Snigelがレジで彼の哲学にもとづき多めに支払いをした(詳しくは「音楽と空間part2を参照)。だからモメなかった。しかし、今回はたまたま出した金額が少なかった。実は、その経営方法について、今回の店Zの店長に質問してみたが、彼は英語で話すのがしんどいようで、途中で途切れてしまった(その気持ちよくわかります)。わかったことは、NPOがやっているのでもなく、どこかのお金持ちのアメリカ人かだれかが趣味でやっている店でもない、ということ。いずれまた、この店に行って、今度はもうちょっと経営の仕方を聞いてみたいと思った。

@プラハ
 最初に結論を述べると、残念なことに、プラハでライブはできなかった。風邪で体を崩して、ずっとホテルで寝ていたのであった。プラハに住む友人のハンガリーの女の子が、薬やら食べ物やら世話をしてくれようとしたけど、元気にならなかった。大ボケだ。なにをしに、ヨーロッパ「くんだり」まで来たのやら。あまり記憶もない。街の印象もない。プラハは、五木寛之の小説で読んでいて、さぞ雰囲気のある街だろうと思っていたが、色んな意味で寒々しい街という印象だった。熱でうなされていた。これは熱が出る前の写真です。
19082009(007).jpg


 とにかく残念だった。昼間なまり色の空を見て、夜は書き物をして、朝は午前3時頃に目が覚めて、夜遊び帰りの人たちが乗る路面電車をうつろな気分でながめていた。
 「くんだり」で思い出した。そういえばクンデラの『存在の耐えられない軽さ』はチェコが主な舞台だった。しかしあれはプラハ市内ではなく、ブルーノという街だった。しかし、カフカがいたではないか。でも、カフカの雰囲気も無ければ、カフカの恋人、ミレナがパタパタと軽やかに、衝動の赴くまま、おてんばに走り回っていた面影もない。プラハへの感情を高めようとしても、なにも湧かなかった。きっと、ここは、共産主義が終わり、ロシアの支配が去り自由になった!という喜びもつかの間、別の支配が始まっただけの街なのだ。その名を資本主義という。
 しかも、わたしたちは戦後、資本主義が高度になった過程を経験したあとで、90年以降、新自由主義を経験しているだけだから、耐性も批判もできる体力がまだある(と、思いたい)。だけど、防波堤もなにもないまま、新自由主義の波が一気に押し寄せたら、いったいどうすりゃあいいの、資本主義の実体が明らかになるにつれ、こんなはずじゃなかったと、国民全員が、いっしゅんパニックになったのではないかと推測する。
 こ難しいことを言ったが、それはたとえばこういうことなのだ。ある日、私はホテルの向かいにテスコという大形スーパー(ダイエーみたいなもの)があって、そこにふらふらと買い出しに行ったわけ。ひとりの老婦人が、ボロをまとい、カートに支えられているのか、カートを押しているのかわからない足取りで進む。「お買得!大容量!」とおそらく書いてあるパック詰めの1人で飲むには多すぎるオレンジジュースを、ぷるぷると震える手で、カゴに入れた。この人は、少女時代に第二次世界大戦があり、成人してからはロシアの占領、長い冬があり、体制が変わり、春がきたと思えば、老いていた世代、70後半〜80代だろう。そして、その長く待ち望んだはずの西側の「自由」の行き着く先が、ダイエースーパー。正義って何よ。
 20代や10代はフットワーク軽く、英語を覚え、仕事にありつき、可能性があるような雰囲気をまとっていた。でも、30代〜40代は、とっくに学校教育を終えるころに体制が変わったので、人によって異なるだろうけど、それでもみんな大なり小なり、きっと1から生きて行く別のやり方を見つけて、「再社会化、再チャレンジ」というのをしなければならなかったんだと思う。大変なことだよ、それは。ともかく全体として、街を覆う雰囲気が、暗く重く、ずっと資本主義社会育ちのノー天気な私でも、旧共産圏の怨念のようなものを感じ、それが重くのしかかった。それで、つらかった。ライブもできなくて、気が滅入った。
 街を出る前、友人のハンガリーの女の子が、綺麗なMoserというブランドのチェコガラスでできたピアスを私に送ってくれると約束してくれた。それで、日本に帰ってからは、毎日郵便受けをのぞく日が続いているんだ。

@マドリード
 さて。帰りに寄ったマドリードでは、全快し、こんな感じ。元気。
Scan 1.jpeg


ここでは、ひょんな成りゆきで、滞在先のホテルにたのまれて日本からの国際電話で、日本語から英語への通訳をした。電話の通訳どころか、通訳の経験が初めてで、緊張と疲労で汗だく。でも、すごくうれしい。誰かに必要とされるのは、嬉しかった。報酬は、ルームサービスてんこ盛り。「ワインはお好きですか?」「ハムはお好きですか?」おかげでひさしぶりにワインと、おいしい食事にありつけた。金子光晴の詩をふと思い出した。金子光晴の「パリ、初めて異性にふれたのもパリ」というくだりが、「マドリード、初めて居場所を得たのもマドリード」という言葉に置き換わった。街が「おいでおいで」と言っている気がした。脳が舞い、闘牛でもしかねないほど(もちろん私が牛ね!)、全身に力が満ちていた。
 ところで、以前にスペインはバルセロナで一緒にステージで演奏したバンドのメンバーを会うことがあった。イタリア人なのだが、イタリアがベルルスコーニ政権の間は、イタリアに戻る気はないと言っていた。それでイタリア以外のEU圏内で仕事を見つけては働いているようだった。彼曰く「みねさんのバルセロナのライブの際の他のメンバーは、知らなかった?マヌチャオMANU CHAOのバックバンドだよ、そんでドラマーは別件でテレビによく出てるよ、テレビつけてみー。」とのことだった。なるほど、それでものすごく歌いやすかったのだ。バンドのリズムも音程も、ボーカルに吸い付く感じで、心底楽しかったのだった。マヌチャオのバンドの人たち、力量のあるいいバンドだった(マヌチャオ氏のCDには、正直あまり興味がないのだけれど...器用な方だなとは思う。こほん)。
 一方で、自分の日本の今のバンドを思うと、憂鬱な気持ちになった。今のバンドを100%鍛えるか、メンバーを不特定多数にして可能性を試すか。言っていることが、ちょっと妙だけど、これまで音楽と思っていたのは音楽じゃないって思う。ぜんぜん音楽じゃない、私は何やってたんだ?あー、いっぺん終わった。そんな気持ちで、マドリードのスターバックスで「オレンジジュースちょうだい!」と言って、ボーッとしていた。
Scan0.jpeg 


「日本、フクオカ:8月上旬」 
「世界激場」の勉強会、JIYU-KENKYUは、夏休み特別スペシャルで、現代評論家の佐藤直樹を招き、話をしてもらった。その様子については、こちら。今後も月に1度の勉強会開催。参加者も募集。ブックマークもよろしく。世界激場のホームページが、きれいにリニューアルされている。こちら。
http://sekaigekijou.jugem.jp/


「日本、トーキョー:7月下旬」
所属芸能事務所、アフロディーテの社長と会う。いろいろお世話になる。


「ニューオリンズ:7月」
 渾沌が深く堆積した場所だった。整とんや、法や、キリスト教は、湿度と暑さと邪教と、甘い油菓子によって、放逐されていた。もちろん警察もいるし裁判所もあるし教会もあるのだけど、「そんなもん、信じないっ。いつも心にあるのは、道徳を失う快感っ。」そんなスローガンが目をこすると、青空に見える気がした。
 私は、昼間はチュレーン大学のアミスタッドリサーチセンターに通い、夕方から朝にかけては暴れたのだった。昼間のまじめな話ははぶく。今、論文を書いている。そのほんの一部分が2010年の3月に本として出版される予定なので、それで読んで欲しい。

チュレーン大学のアミスタッドリサーチセンター。この日は雨。
Scan 5.jpeg

 さて。夕方から朝にかけては音楽しかやらなかった。欧州プロモのSnigelをダブリンからわざわざ来させるわけにもいかなかったので、自分で交渉して演奏活動をせねばならない。つまり、面倒くさい。それで、ストリートで演奏して日銭をかせぐミュージシャンの仲間に入れてもらうことにした。暑い。どうしよう。アカペラグループが歌っているのに出くわしたので、「いまだ」と思い、観客の中から彼らの演奏に合わせ私が大声で歌った。必然的に、彼らを取り囲む観客の注目は私に集まるわけね。それで、アカペラグループは「きみい。そこで歌われたら迷惑なんだよね、こっちに来い!!」という経緯になったのだった。成功です。なんて私はずるがしこいのでしょう。
 自己紹介するけど、マイコという名前がどうも発音できないようなので、「マイケルジャクソンと同じ名前でいいよ。でも、女だから、ミス・マイコーと呼んで。」と言うと、腹を抱えてみんなが笑った。恥ずかしかったけど、皆が楽しいのなら、それでいい。中学か高校の頃、リアルタイムで公民権運動を経験して、キングが暗殺されて挫折してこの間の自然災害もくぐりぬけた人たちだと思う、そんな彼らアカペラグループと行動を共にさせてもらうことになった。
 「なった」といっても、私が電話番号をきいて、電話して「あ、私だけど、今日、何時からどこのストリートでやる?」と私が積極的に動いて、むりやり入れてもらっただけ!面白かったのは、もし私が道に迷い、辿りつかなければ、ニューオリンズの連中の携帯の連絡網が動きだすことだ。道でうろうろしていたら、「あんたやろ?あんたのこと、○○さんが探しよったよ。そこにおっちょき(なぜか大分弁で翻訳します)。あんたを見つけたら、その場でひきとめちょくように、いわれちょるんよ。そこにおっちょって!」。そんふうに誰かが私を発見してくれて、すぐに別の誰かに連絡する。さらには誰かが優雅な足取りで歩いて迎えにきてくれるのだった。
 しかし私が「知らない人と歩くつもりは毛頭ない」と断わると、その兄ちゃんはひざをカクンと折って笑い「やれやれ」と何やらまた電話をかけ、10分するとアカペラグループ本人全員で迎えに来て合流。それから私を入れた全員で仕事予定のストリートにたどり着くのだった。今思えばいい人たちだった。それにひきかえ、私はなんと、迷惑千万な異邦人なのだろう。

これは、前にも公開した写真ですけど。
neworleanslive1.jpg

 路上で歌い、小銭を稼いで、夜は高級レストランでどさ回り。だけど、その高級レストランは白人が食べて、黒人が給仕して、黒人が歌を歌って楽しませる、という人種構成だった。人種差別は南部にはありません。公正なる資本主義のもと、各人の努力と所得の結果、結果的に客が白人で、給仕と演奏が黒人です。それだけのことです。そんな目に見えない偽りの了解があった。そして何よりも、機会の平等とか、教育格差とか、そんな問題を問題として考えるのは、この暑さとだるさで持続しない。
 その高級レストランでは私が歌う機会はなかったため(「黒人の」ミュージシャンが歌うことに意味があるのと、彼らのレパートリーに私がついていけなかったのと)、だんだん私の機嫌が悪くなる。そうしたら、空いた時間ごとにメンバーが「ミス・マイコー、こちらの絵画をお見せしよう。ここはクリントン元大統領も来たレストランなんだけど、この絵画は由緒正しい誰々の作、そして…」と、機嫌を取りに来る。
 3時間くらい、テーブルをまわり、チップをかせぎ、奥の部屋でお金の計算をすることにした。その夜は私を入れて4人。私は今夜歌っていないから、要らない。ひーふーみー、ひとり30ドルずつ、残りは活動費にプールする。「今日は稼いだなあ!」と、汗をふき、嬉しそうだった。よかったね。30ドルは3000円にも満たない。一日でそれだけだとしたら。しかも病気の日もあるし、ハリケーンだってまた来るに違い。きっと健康保険も入っていないのだし、だとしたらあとは神頼みか、笑うしかないんじゃないか、と。そこで私は笑うしかない日が来るまえに、まず祈る方を選択してみようと、こんな提案をした。
 「あのね、みなさん。今夜の曲は何だった?黒人霊歌が主だったでしょ?ということは、私たちは、神の名を語ってお金を稼いだというわけ。だとしたら、神様にありがとうの一言くらい言うべきじゃなくって?」
 すると、ひとりが突然目頭を押さえて涙ぐみ、「みんな、ミス・マイコーの言う通りだ。マイコー。きみはさすがだ。よくそのことに気がついてくれた!さ、輪になろう!」そして手をつなぎ、4人で神様に祈ったのだった。リーダーの祈りはどうにいったものだった。私はフランシスコ・ザビエルが宣教しに来たいわばポルトガル経由の大分の日本人教会で育ったが、私以外はアメリカの黒人教会でみんな育ったのだった。みんな、長い距離を移動したり、大変な思いをして移動させられたよね。この400年くらいの世界史が自分達の今夜の祈りにつづいていると思うと、不思議な気持ちになった。それと同時に、生きている限り私たちが主役よ!誰にも文句は言わせない!というライブ感があった。

_DSC3396.jpg

 さて。結局、本当にその夜は私の出番がなかったので、やっぱり私はますます機嫌が悪く、だからメンバーがぞろぞろ私の帰路、ホテルまでついてきて、少しでも私の機嫌がなおるよう歩きながら大声で町の知り合いたちとばったり会う度、宣伝をするのだった。「彼女はマイコーっていうんだ!いい歌手で、ダチなんだ、ダチなんだ!」と。私も見知らぬ人に大統領の気分で手を振って(お調子者)、ホテルの玄関までくると楽しくなり、機嫌もすっかりなおってまたねと別れた。
 夜、眠る前に考えた。そんなに長い期間滞在したわけじゃないけれど、彼らだけじゃなく、いろんな人にアメリカで会って、話をして楽しかったり、頭にくることをされたり、単純だからこっちも頭にきてきっちり仕返しをしたり、肩をくんで歌ったり、人づてにあるバーの女主人にきくといいということで、そのバーに行ってあることを教えてもらおうとドアを開けると、昼間から無職の連中がスロットマシーンをうつろな瞳で見つめては酒を飲んでいて、全員がこちらを振り返ったので少し驚いたり(でもきっと、知らない東洋人が来て彼らも驚いたのだろうけどさ)、黒人教会の音楽に感激して最初から最後まで泣きじゃくっていたら(←迷惑なやつ)隣の女性が始終手をつないでくれたり、なんかいろいろあったんだけど、本当にどうして違和感がないのだろう。どうして私は、こんな遠い国にいるのに、知らない人と話が通じるのだろう。通りを歩いていたら、知らない人から「あんたの歌、きいたよー。」と声をかけられるのも嬉しかった。
Frenchquarter.jpeg

 理由を思いつく前に、すぐに眠ってしまうのだった。眠りかけたとき、昼間見かけた、駐車場に棄ててあったペプシコーラの空き缶の裏に、目の周りに赤いふちどりのある黒い鳥が「暑い。」と言ってぼう然とつったっていたことを思い出した。真っ白な夾竹桃の花は、フレンチクオーターで「私たちの美しさは、まだこんなもんじゃないわよ。見てなさいよ。」と、挑むように咲いていた。ミシシッピー川は、人間にばれないように、ときどきこっそり時間を止めたりしていた。殺人も強盗も強姦も、警察による民間人への発砲も、ふつうにある町だけど、嫌いになれなかった。私は、聖と悪と善と俗にまみれて、汚くても、ぐちゃぐちゃな町で、生きるのが好きだ、ぐちゃぐちゃな音楽が好きだ。
 ひとつ気がついたシンプルな真理は、私はアメリカ南部の空気を、もうとっくの昔に知っていたということ。日本の教会で黒人霊歌を歌い始めたのが10代だったが、それから大学で、1840年代〜1850年代生まれの人たちの残した記録を調査して来て10年以上がたつ。つまり、私は南部で出会った人々の本人たちも知らないような、じつにひーひーひーひーおじいさんやおばあさん、4世代から5世代のことをよく知っているのだ。だから、私は昨日今日、ここに来たわけじゃなかった。日本にいたけれど、私の心はとっくの昔からここにあった。そしてきっとこれからも、ここから出て行くつもりはない。

以下、おまけの写真。

Scan 9.jpeg

あ、まちがえた。このコ、スイスのうるさいコ。

週末に郊外のプランテーションの見学にバスで行ったとき。奴隷制度の富で建てられたお屋敷の前で、晴れやかな笑顔をうかべる悪魔のようなわたくし。
Scan 7.jpeg

案内人が南北戦争当時のお嬢様のコスプレで現れるというので、きっとスカーレットオハラみたいな女が「私たちの過去の栄光をご覧なさい!」と、仁王立ちで解説するんだろうなあ、落ち込むなあ、奴隷制ってと思っていたら、「ドスドスドス、はーい!話を聞きたい人、集まってー!」すごみのある女の子が登場して。
Scan 6.jpeg

ミシシッピー川で、不思議な落書きを見つけた。
Scan 2.jpeg Scan 3.jpeg


1970年代のニューオリンズの写真。これは、たぶん葬式の様子。人が死ぬと、明るい葬式が行われる。撮影は、ニューオリンズで活躍した有名な写真家、Michael P. Smithによるもの。すべてチャラになるくらい、素敵な写真。
SmithP..jpeg


さて、私が出会った若い男のミュージシャンたちの殆どの人が(女性ミュージシャンはあまりいなかった、なぜだろうか?)、貧困となんらかの体調の悪さと(たぶん)、競争どころかスタートラインにも立てなかったり、キャッチフレーズとして「これからますます音楽は金にならない、しかし打ち込む価値はある、だがつらい、暑い、」という感じだった(日本で音楽をやっている連中とたいして変わらない)。

その中でも少し、本当に1人とか2人とかは、心がまだ死んでおらず、奇跡の魅力を振りまいていた。そんな男は、わざわざ話をしに近寄ったりしないのだ。私が何も注文していないのに、テーブルには飲み物が届く。不思議に思って周りを見回すと、ハンサムな、ハーレムルネッサンスの頃(1920年代のニューヨーク)のような仕立ての白いスーツの男がほほづえをつき、秋の空を見るような遠い目をしてこちらを見ていた。私が「ありがとう」と声に出さないず口だけ動かして言ったら、「にやり」と笑った。その後、彼は友人たちと踊り狂っていたが、悪い男なのか、紳士なのか、よくわからなかった。素敵だった。かなり話が脱線してしまった。とにかく、そんなパッションのある人間が1人か2人まだ残っていた。それにしても写真!私も飛びたい!!

過去の海外ライブ、その他

2006 東京ーアムスーバルセロナ
http://minemaiko.sblo.jp/article/5287453.html
http://minemaiko.sblo.jp/article/5287414.html
http://minemaiko.sblo.jp/article/5287451.html

2010 沖縄琉球王国
http://minemaiko.sblo.jp/article/36777415.html
posted by minemai at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年07月20日

MY NEW ORLEANS

neworleanslive1.jpgneworleanslive2.jpg_DSC3398.jpg_DSC3394.jpg_DSC3396.jpg
(Those above photoes were by Dan, Thanks a lot, Dan.)

Hello! Good news for you! I am still alive!

I want to write in Japanese but I can't find the font at all. Sony! Oh, not "Sony" but I mean to say "Sorry".

Well, I am in New Orleans. I had a performance with Jay-Ray & Gee A'Cappella Trio on the street (They appears in some movies, I,ve never seen them though). And I sang the GOSPEL music at the African-American Curch on sunday morning as well.

Mississppi river, a steam boat,a smell of coffee, a sound of jazz and so on...I mean typical New Oleans, those things like that impressed on me the 19th and the first decades of the 20th century. Yes, I am very simple. If not so, America IS simple.On the other hand, the race relations are complicated.

I got some acquaintances, they are all musician. Do you know the band "HOT 8"? I am big fan of them in Japan, so I was really happy to talk with them. We met each other on the street. Consequently, I reckon this city is small.

I have a lot of things to let you know but I have to go to work at Tulane University today. I hope to meet you again if I can be out of gunshot all the time fortunately. WA-HA-HA. See you later, but I don't know when "later" is.

posted by minemai at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年07月08日

マイコーの死

死んでしまったのは私じゃない、マイケル・ジャクソンだ。当然衝撃も受けた。しかし誰もが心のどこかで「いずれこうなるはずたった」というような、そんな共通の了解がすでにあったように思えるのは、私だけだろうか。

福岡の音楽環境を豊かにするNPO団体「ドットエフ」の有馬さんと水上さんと私などが集まり、計4人でマイケル追悼集会を、カラオケで行った。有馬さんが「マイコー、私たちにこんなに楽しみを分けてくれてありがとうー!!」とマイクを通して彼女らしい素直なコメントをした。そして、ちょっと天をあおいだ(上を向いた)。肉体から解放されたマイケルは、今どんな顔をして、このメッセージに耳を傾けているのだろうかと、私は思った。

マイケル・ジャクソンの整形は嘲りの対象となって久しいが、そこに悲しさがつきまとうのは、彼が「白人化」していったことに、「笑えなさ」があるからだ。マイケル・ジャクソンを白人へと駆り立てる、巨大な権力構造なんちゃらかんちゃら...まあ一言でいったら、「人種差別」だけど、アメリカという国は、あそこまで一人の人間を追いつめる、実に生きにくい国なんだなと、あらためて思い知る。

彼が"Off The Wall(俗語で「異常な」とか「とっぴな」という意味もあったと思う)"、"Thriller(怪奇)"、"BAD(悪党...ちなみに標準語ではただの悪だけど、African Americanの俗語では「すげえヤツ」というニュアンスも)"、"Dangerous(ぶっそうな)"などというタイトルでオリジナルアルバム(ベスト版以外)を発表していったことは、すごく分りやすい。そこには彼自身の、アメリカ社会での立ち位置が、そのまま如実に表れていたのではないだろうか(それは彼の収入とは関係ない、彼のアイデンティティの問題として)。つまり、Off The Wall、Thriller、BADとは、どれも異形の存在だということだ。

彼ほどの人が、それでもずっと異形の存在としてしか存在できなかったというのは、信じがたい。だが、自分がこれほどの成功をおさめスーパースターになったからこそ「なんでそれなのにアメリカ社会で、白人と対等になれないのか?」という苛立ちと絶望は、自分が手にした成功と同じだけ大きかったのだと思う。事実、スターになってもまだ得られない、本質的なアメリカ的な成功=「白人化」への努力は、端から見て(まったく余計なお世話なのだが)、涙ぐましいほどになった。やがて2000年代には、"Invincible"でついに「無敵」になる。彼のアイデンティティは外見の変化によって完成され、もやは非のうちどころない、ということなのだろうか。でも、悲しいことに"invincible"という単語は、文脈によっては逆の意味になる。「絶対に克服できそうにない」と。

不謹慎な物言いかもしれない。だがもし彼が、スティービー・ワンダーのように盲目であれば、彼はあそこまで追いつめられなかった気がする。

トップになれ、競争しろ、自分の財産を守れ、自由とは財産の自己所有にある、成功をおさめろ、そんなアメリカ的な自由主義という「価値」を内面化して、才能と機会を十分に使いトップに立ったのに、まだ上に白人がいる。という感覚(なのかな?)。マイケル以外にも、アメリカという国に追いつめられているのは、あの一見強そうな意志の固まり、マドンナだと思うのだが、彼女はマイケル・ジャクソンとは違う方法で、実は独特の追いつめられ方をしていると思う。その話は別の機会に。

2009年7月4日の朝日の朝刊で、マイケル・ジャクソンへの追悼記事があり、その中でブロードキャスターのピーター・バラカン氏が、「スリラーの呪縛」というタイトルで(彼がつけたタイトルではないかもしれない)語っていらした。切り抜いてとってあるのだけど、彼曰く、白人のヴィデオしか流さなかったMTVと、マイケルがそこに初めて風穴を開けたこと、そしてその「スリラー」を結局彼自身が越えられなかったということだった。

だとしたら、マイケル・ジャクソンは、やはりゾンビに象徴されるように、最後まで異形の存在としてしか、アメリカ社会に君臨できなかったのではないだろうか?

私の言うことはなんの解決も、変化ももたらさない。だけど、ふと思うのだ。いいんじゃない?白人になりたかったら、なっていいんじゃないかと。そんなことをいえば、アメリカの黒人の右派団体が怒るかもしれない。だが、白人になりたい黒人が、本当に白人になっただなんて、そんなめちゃくちゃな人、マイケル・ジャクソン以外にかつていなかったではないか。彼だけだ、本当にやってしまったのは。私は、そこが彼のすごいところだと思う。

そして、死んで残るのは、きらきらした歌とミュージックビデオだけだ。もう、誰も彼を悪く言わない。バラカン氏の言葉を借りれば「とんでもないアイドル性、スター性があった」マイケル・ジャクソンとは、あのような生き方、死に方をした点において、極めてアメリカの黒人だったのだと私は思う。そして、私のベタないい方だけど、あっけなく本当の星になっちゃった。もういいんだから。光を出して、ぶっ飛ばして、アメリカから遠く離れ、百億光年先へ行ってね。心底、そう思う。いろんな死亡説が流れているが、私は個人的に寿命だと思った。

さて、今日の私のコメントは、彼の外見の変化ばかりをおもしろおかしく追ってきたメディアと、同じような次元になったかもしれないけど、一度何か言っておきたかった。そして、マイケルジャクソンがたどった経緯というのは、20世紀初頭や19世紀後半、奴隷解放後のアメリカで生きる黒人男性がたどってきた精神的経緯と実は何も変わっていないって、今思う。それについてきちんと述べるには少し時間が必要そうなのと、私は曲がりなりにも、アメリカ文学の研究者としてやっている側面もあるので、語るなら資料を出しつつ本気で論証したい、だから今日は割愛するよ。

ところでひらがなの「まいこー」は、しばらく海外出張で、行き先はその問題のアメリカ!『週間みねまいこ』の読者の皆さんにとって、アメリカなんて珍しくもなんともないだろうし、私も基本的に宿と大学の往復なのでびっくりするような経験はないと思うけど、休みの日には、知り合いの通っていたある深南部の黒人教会で歌いたいと思っているので、その点でいい報告ができるよう頑張ります。みねまいこーって真面目だなーって、自分で言ってちゃあしょうがないや。

参考:
朝日新聞、2009年7月4日(土)ピーター・バラカン『「スリラー」の呪縛』(福岡版、23面)。
ネルソン・ジョージ『リズム&ブルースの死』(早川書房、1990年)。
Ralph Elison, "Invisible man"., Vintage Books, 1995.
posted by minemai at 17:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

2009年07月01日

Nothing but death can keep me from it 死ぬまでやるのよ

おはよう。

まずは、お知らせ。世界激場のサイトを、下記の場所へ、引っ越しました。自由参加のJIYU-KENKYUも毎月やっています。次は、7/5(日)です。どなたでも、お気軽にご参加ください。
http://sekaigekijou.jugem.jp/

最近は、何を読んでも、見ても、たいがいのものがつまんない。自分の感性が摩滅したわけじゃなくて、本当につまんないの。もうぜんぶが色あせて見えてしょうがない。仕方がないのよ。世界最高レベルを垣間見ちゃったんだもの。

先日、日本の総理大臣よりも偉い人に頼み事をした。なおかつ、キューバのカストロ級のスケールだよなあ、あの方は。その人を相手にものを申すわけだから、その準備のために、心と頭を全力で使ったんだよね。パソコンの記録をみたら、900分も下書きしてた。それ以前の下調べの時間も入れたら、どれくらい集中したかなあ。これでうまくいかなくても、もういいよ。スケールの大きな失敗は失敗するだけの価値が絶対にあるわ。そう思ってやってた。

そしてこの話はここで保留。私はとても幸せです。次は密度が勝負なの。

さて、この長雨。近道を通ろうとして、閉まっている門をジャンプしてよじ上り、敷地に入った。飛び降りたら、足がじーんとした。しかも、うっかり赤い傘の骨を「くの字」に曲げてしまった。

ヘンな形の傘のまま、侵入した敷地を早歩き。しかし、行く手にはなんと鉄条網が張られていた。マンガじゃないんだからと自分に言ったけど、あらゆる出口に鉄条網が張り巡らされていた。いつからこんなもん張りやがって、いったいだれが張ったんだ(敷地の管理会社でしょう)!子どもの頃に読んだ『トム・ソーヤーの冒険』に出てくる、洞窟に閉じ込められて餓死するジョーの姿を一瞬、重ね合わせた(大袈裟)。

前方に進むのだ。きっと、ここから出られるわ!鉄条網のわずかな隙間を、身をよじらせて外に出ることに決めた。全身をリラックスさせて、少しずつ身をよじらす。頭、首、肩、指先、胴、腰、足、最後に足の先、鉄条網に引っかかりそうになっては、慎重に、息を殺して、なおかつ流れるように。

結果は大成功。さ。次は、荷物。人の気配がしたので、物陰に飛び込んで隠れた。いったい私は、何をやっているんでしょう(笑)。小動物のように出て来て、鉄条網の向こうにおいてたバッグも、傘も、こちらがわに、ひっかけないようにして、そっと隙間をくぐらせる。静かに。静かにね。これも、成功。一カ所だけひじのところ、ジャケットをすこし、破いてしまっていたことに気づいた。大好きなYohjiのジャケットが。

これを読んでいる皆様。愛で突っ走って幸せにおなり。
posted by minemai at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月24日

はちゃめちゃな雨

雨がずっとやまなかった。ただただひどい雨で、ノアの洪水ってこんな感じだったのかって、窓の外を見てた。グランドや芝生に水の層ができて、ぜんぜんもったいぶらないで、気前よく空が雨を放出していた。

傘を持ってきていたけど、傘が役に立ちそうもなく、ひと仕事を終えた後の、某建物の1階でうろうろ心がさまよっていた。そしたら、ばったり、知り合いとはちあわせた。「あれー?なんでー?!」

この9年くらい知り合いだけど、一度もちゃんと話をしたことのなかったひとまわりくらい年上の女性Aさんで、彼女が「帰り、どうする?乗ってく?」と話をふってきたので、二つ返事で彼女の車に便乗させてもらった。「いつも、どうしてるの移動は?」「自転車が多いです。まだ私、Aさんみたいに、バカスカ稼いでないから。わはは。」なんて遠慮のない会話で、雨の中よりも川の中を走るみたいに走った。

雨はもともと二人を親密にしてくれるのか、あまりにひどい雨でだったのでヤケになったのか、さっき駐車場まで歩くのに頭からずぶぬれになってすっかりお互い化粧が落ちたからなのか、9年間の疎遠さが嘘みたいにぶっとんだ。

なんでも話をきくに(私はふだん、聞き役に回ることの方が多いのだ)、アメリカでも日本でもずっと競争してきたし、男性ともずっと競争をしてきたと(彼女は東大出身なくらいなので、おそらく勝利してきたんだろうけど)。自分は運良く続けてこれたけど、通常は女の子たちが結婚したり、妊娠したりすると普通は中断してしまう。仮にもし一度その競争から降りたら、再び最前線に行くことは難しい。それはたくさんケースを見て来て取り返しがつかないことだと思っている。

だから、彼女はどんな環境でも、女の子たちが競争ができるように、競争を降りなくていいように、男性に頼らないで生きられるようにっていう、平塚らいてう先生がやってきたシゴトを、信念を持って続けているようだった。お。かっこいいじゃん!ちなみに私自身の今後の参考に、アメリカで女で一人、子どもを連れて、孤立無援で、どうすればやっていけるのか?っていう貴重な情報も聞くことができてものすごくラッキーだった。

競争からは降りることなく、高速を降りて、適当な場所でおろしてもらった。やっぱりひどい雨で、笑うしかなく、私がちょっとおどけてみせた。そんで「ありがとうございました。じゃあねー。」と別れた。ふと思ったのは、こんな優秀な女性と私が競争したら、果たして勝ち目はあるのか?ってこと。同じ畑で競争することはないけど、でも東大出身の女の子や、ハーバード出と、自分とを比べたら、私の存在理由って、何?って思った。「あ、こりゃだめだ。勝負にならん」

優等生は優秀な教科書を書けるんだと思う。全体に目をくばった、落ち度のない教科書が。で、私のようなチンピラは、そこで勝負したら負けるに決まっているから、独創性みたいなところで勝負するっきゃないんだろうな。ひとつ、可能性があるとしたら、そこの部分でしか、太刀打ちできないね。それで突然だが、それでバンド名を改名することにした。

「みねまいこ&はちゃめちゃクチャ」よろしく。
posted by minemai at 05:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月17日

平和ぼけ

よく、他者への理解、創造力なんて言い方をする。自分とは違う人間の考え方にも、思いめぐらせよ、ってことだ。わりと自戒をもって語られるものの言い方だ。だけど、それには盲点があると思う。他者というのは、ほんとうにありとあらゆる他者であって、それも周囲5mくらいの顔の見える他者だけじゃなくて、自分が思いもよらなかった顔の見えない他者の場合もある。

こんなことがあった。AがBに、私をハメようともくろみを持ちかけた。Bは、そんな卑怯なことはしないと断った。で、Bが私にAのはなしをして、気をつけろと言った。Aとは10年以上会っていない、顔も忘れたようなAだった。だけど、向こうは覚えていて、暇をもてあまし、私に悪事を働こうとした。具体的には良く知らない。暴力か、罠かなあ。A、Bともに男性だ。

私はAとちょっと顔見知りなだけであって、記憶にもなかった。しかし最近はじめて、Aは他の人を、ヤクザを使って人を殺そうとしたり、ホテルに盗聴機をしかけて人をゆすったりしてきたと、Cからきいた。ということは、私はAに、かなりのレベルの悪事を働かれてもおかしくなかったってことだ。Bがやめさせたおかげで、何もなくてすんだ(と、思う)。

怖いのは、こっちは何も知らなかったこと。自分の知らないところで、悪意が働くことのおそろしさのなんたるや。地球上に悪意ってのは、実際に存在するもんだ。だから、私は、他者への理解というのは、生半可なもんじゃなくて、自分への悪意を持つ者がいる、という創造力さえも働かせることだよなって思うわけ。

平和ぼけの人だらけだ。他者への基本的な信頼を持ちながら生きられる人の素直さ(鈍感さ)って、いいよなあって思う。私も最近、つい平和ぼけしてたよな。反省している。

ここぞというところで、ほんのちょっとの隙を誰かにみせたために、大きなチャンスを失ったり、あとほんのわずかな機転がきかなかったために、さらに大きなチャンスを失ったり、そういうことって、よくあるんだよ。愚かで目も当てられないよね。しょうもないことで、命を落とすことも、やっぱり失敗することもおおいにあるわけよ。自分の発言が、その後どんな効果と影響を及ぼすか、考えられない人はだめなんだよ。やっぱ。苦しくても、形になるまで緊張に耐えなきゃなんないわけ。

何を言ってるんだか、さっぱりわからない人も多いだろうけれど、状況判断を見誤らない政治的なセンスというのかな。見知らぬ他者の存在をおもいめぐらすこともできない、平和に生きていること自体に危機感を持てないような、勘の悪い人間には、なりたくないよなってこと。平和を一枚ひっぺがえしたら地獄なんだ、ってのを気をゆるすと忘れそうになる。

他者の言語がわからなかったゆえに命を落としたり、フランス系ドイツ人ともドイツ系フランス人とも、どちらとも言える民間人の家族がたまたまフランス系ドイツ人と名乗ったがゆえに、第二次世界大戦後、無理矢理ある東欧のドイツ人収監キャンプに長い年月収容されて筆舌に尽くしがたい目にあったりとか、そんな話を友人たちから(沖縄の人や、外国籍の友人だけど)きいて、納得する。ある状況で、やっちゃいけないミスをおかすってことがある。とくに、言語ができないってことが、致命的なことになるってことがある。

だから、外国語って、ちやほやされることでは絶対にないし、駅前のような自己実現とか、スキルアップなんかじゃなくて、生命がかかってることだと思う。私のヨーロッパプロモのSnigelはすさまじく英語ができるけど、彼がすごいのは、そこのところがすごくよくわかってる人だからだと思う。

うーん。なんなんだろうね。やっぱり「最悪の事態」が想像できないってのは、自分がなまくらになってたんだろうな。日本だからって、安心しきっていました。世界共通だよ、「政治的な勘」を常時働かせるってのは。それを、思い知らされた、今日このごろです。

追伸。私のヨーロッパプロモのSnigelと、元アメリカの某大手航空会社勤務のご友人様。お二人のご教示のおかげで、先日、自分が納得できる条件と価格の航空券をゲットできました。ありがとう。
posted by minemai at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月11日

もうしわけ

ない!週刊『みねまいこ』毎週水曜日が守れない。なんで毎週水曜日に更新することにしたかっていうと、1992年から韓国の日本大使館の前で、元慰安婦の女性たちが毎週水曜日に、現在もずっと抗議デモをずっとやっているからなのよ。彼女たちは、日本軍の犯罪に遭うまでは、キュートな女の子だったわけ。女の子をそんな目に遭わせるなんて、もうぶち殺していいと思う。こっちは当の日本軍の末裔で、おもいきり加害者の国だけどさ、それでも同じ日に、なにか声を大にして言いたい気持ちになるのよ。女の子たちにとって、なにも終わっちゃいないわけ。

さて、なんでこんなに多忙なのか。それは、アルバムをほぞぼそやっているのと(オオカミ少女だなあ、誰も信じてくれないだろうなあ)、研究をすすめて早いとこ博士論文を提出したいのと、そのために近々アメリカに調査にいかねばならず、膨大な準備に追われているわけなのです。

もちろん勉強をしに行っただけじゃだめだもの。不良ですから。夜はあらゆる深南部のジャズバーとブルースバーで歌おうと、殴り込みをかけようと、音楽の準備もしてるのね。だからなの。そんでもって日曜日には、黒人教会に殴り込みなわけ。ああ、だんだん私はマルコムX化しています。殴り込みだってさ。ははは。

お楽しみに!
posted by minemai at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年06月04日

毎日奇跡をおこすのよ

こんにちは。毎週水曜日に更新中の週刊『みねまいこ』ですが、ここのところ間に合いません。どんまい。

薄暗いんだよなー。光のもとで、空と海はもっと鮮やかでなければならないわけ。

チェコに演奏に呼ばれた件を今、なんとか軌道に乗せようとしているけど、うまくいくのでしょうか?そんでもって、ボストンで私と似たようなことをやっているアメリカ文学の研究者の本を読んで、感想文を送って連絡してみたらすぐに返事が来た。「おいで、おいで(吉原の女郎さんみたいだな)。こっちの(アメリカの)学会に入りなよ。私が推薦するし。うちらと一緒に議論しましょうよ」と呼んでくれた。でも、母国語以外で完璧に論理的な文章を書いたり議論するというのは、なかなか難しいんだよなあ。ノーベル文学賞をとったような人が出てくるような学会なわけよ、そこが。アメリカにこれから2年くらい行こうかなあ。行くべきなのかなあ。昼は研究して、夜は現地でバンドを組んでどっかで演奏したらいいんだもんね。日曜日は黒人教会でオルガン弾きたいな、合唱隊もいいけど声質が合わないものね、違うものは違うのよ。この週刊『みねまいこ』を読んでくれた方が、東京のとある型破りな学会でみねまいこに11月に発表させたらどうだと推薦してくださったというはなしを知って、唖然。私はアメリカ文学が専門なので、領域外で果たして通用するのか思うけど、なんでもやりますやります、やらせてください。そんで12月がまた別の学会で発表なんだ。その関係で7月に一度東京に行かなきゃなあ。世界激場の仕事が目白押しだし(鳥のメジロがいっぱい電線にとまって互いに押し合っている)、マンションの下に子猫が住み着いたので、餌付けしたいし(名前は「とらたま」に決めました)。

さーがんばるぞー。世界全員が敵!

今日のタイトルは、marimekko(minemaikoではない)という私が好きなフィンランドのファブリックデザインの人が、よく言っていたらしい言葉で、その言葉もわたしは大好きです。
posted by minemai at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月28日

写真だけ。

Whatareyoulookingat.jpg

冬に中洲を歩いていて、同行カメラマンに、LEICAというローバートキャパと同じカメラで撮影してもらった写真。アーティスト写真にとおもったもののボツにしましたが、最近なんとなく面白く思い直したので出して来ました。建設現場の囲いに、大きく "WHAT?" と書かれてありました。
posted by minemai at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月20日

「沖縄で思いがけず、私は何かに衝突してしまった」 I Won't Be Silent Anymore

(みねまいこが狂ったと思うなよ。今日は、カフカの『変身』みたいなはなし)

沖縄、琉球大での学会発表は、楽しかった。私の発表中、会場の中からひとりだけ「うん!うん!」と声を出して反応がある。アメリカの黒人教会ならば「Oh, Yes! I will.」とか「Amen!」のようなノリだろうか?なんとなく普通じゃない方だな、と思っていたら、あとから友人からきいたところによれば、私がやっていることの第一人者のめちゃめちゃ有名な某大学の教授だった。なんでも12月に別の学会があるから、そこで私が発表するようにということだった。

さて、沖縄は思っていた以上にすごかった。夕方、1日目の学会が終わりバスの中から、風景をながめていた。琉球大のある那覇市郊外には、女性の子宮を形どった墓がどっかりと地面に根を張り、その脇を高校生の男の子がアイスバーを片手に自転車で通り過ぎていった。墓のそばの畑では、おばあさんがエプロンみたいな薄手の服を、着ているのか、脱げかかっているのか、おそらく全身で風化しかかっていたのかと思う。おばあさんが、ただ立っていた。夕暮れ、ただ立っていた。

那覇の市街地を歩く。アメリカの文化と日本本土の文化と、台湾の文化とそして沖縄の古い伝統文化との4つがあって、それらを状況に応じて複雑に選択しているような気がした。いろんな人と話してみて不思議だったのは、自分の好きなものだけに集中して宗教的なまでにわが世界の構築を繰り返し、実はそこに自ら軟禁状態になっているようなバランス感覚の悪い人たちがいなかったことだ。それはたぶん、何かひとつのたとえば大きなグローバリズムのようなものがやってきたときに、十分逃げたり闘えるということでもあると思う。それがもし1つの文化だけでほそぼそとやっていたとしたら、簡単に大きな波に飲まれて負けてしまう。スターバックスが林立したり、大企業が戦略的に流す情報が大きな事件になったり、重箱の隅をつつくような趣味を展開したり、「それしかない」ということはそういうことだ。

島唄を初めて生で聴いたけど、なんとか歌えた。ステージで、島唄のトップクラスの歌い手と一緒に歌った。感激。実際に歌ってみた印象は日本古来の持っている「歌」のメソメソした感じがまるでなかったこと(もちろん音階とコードの違いは大きい)。百人一首からつづくメソメソ感。額田大王らはちょっとちがうけど、読めばわかる。実にみんなしょーもないことで、メソメソしてきた。髪を長くしてひきこもりみたいに奥の部屋に住んで太陽も浴びず、昼夜逆転の生活、体力は失われるばかりの生活をすれば当然そうなっちゃう。百人一首のメソメソ感は、J-POPへと続いている。その影響力の強さはある意味すごいのだが、今回うたった島唄は奇麗な色の鳥のことも、戦争も、セクシャルないらやしいことも、親が死んだことも、男と女の清純さも、すべてからっと乾いていた。明るかった。

さて、観光をして、いよいよ福岡に戻ることになった。夜の便だった。「もうすぐ福岡空港に着陸します」というアナウンスに飛行機からの夜景をふと見た。その時だった。福岡の街が、くねくねと生き物になった。ビルのひとつひとつが巨大なナマズのようなドロのような色をして、ミミズの全身がツルンと、のっぺらぼうになったような暗い生き物に見えた。そしてビルの灯が、赤い目だった。それらの気持ちの悪い生き物は口はなく、赤い目をふたつ光らせて、くねくねと上空にむかって当てもなくうごめいていた。それが一斉なのだ。見渡す福岡の街がすべて、その生き物で埋め尽くされていたのだった。

私が狂ったのか、と一瞬思った。でも、こういうことなのだ、と了解した。これは自分の中の確信なのだ。私は、ここまでこの街、もしくは自分の属している生活の背景、自分の今の状況がこれほど嫌いなんだと確信した。確信しても、それでも冷静ではいられなかった。本当に眼下では、異様な赤い目の生き物が体をくねらせて街一面、垂直にはえていたのだから。

いろいろな憎しみの感情が湧いた。あんたの心の弱さが嫌い、あんたの重たいプライドが嫌い、あんたの小心さが嫌い、あんたのしつこさが嫌い、24時間他人に認めてもらわないと生きた心地がしないmixiみたいな性質のあんたの行動が嫌い、あんたのすすり泣きが嫌い、あんたの社会性の無さが嫌い、ぐずぐずして人生を決められないあんたが嫌い、あんたの大人になりきれない甘えが嫌い、実は形式しかない/誰も信じてないくせに/意地でも残そうとする男尊女卑の祭りが嫌い、バカな男を肯定してあげる一歩下がってあげる女が憎い、出席番号は常に男子から/生徒会長も男子が望ましい/そんな中学校で、自分の才能を自分で押し出しちゃったり、諦めることを大人になることだと悟る女の子たちを目の前で見てて、手を貸さない大人の女たちが憎い、自分の壊れやすい何かが壊れないようにガラス細工のように「自分」てやつを頑強に守るあんたが嫌い、自分の頭が悪いせいで人生を難しくしてばかりのあんたがぜんぶ悪い。そう、こんなふうに。

地上に着いたら、その生き物はふつうのビルになり、気配さえもなかった。でも、私の中で悪寒として残っていた。家に着いて、眠る直前にもうれつな気持ちの悪さがあり、その後で全身が火のように熱かった。服を脱いで見ると、あちこちに真っ赤な珊瑚礁のような腫れ物ができていた。表面がガタガタと浮き出てくる。ほんのちょっとの肌の滑らかさもなかった。鏡で顔を見た。顔は大丈夫だった。しかし、ショッキングピンク色のクマが目の周りにできていて、なにやら幸せそうな薬物中毒者のようだった。いやいや、それどころではない。

首から下のその異様な熱さは、その後で猛烈なかゆみになった。掻きむしる度に、あの上空から見た不愉快な生き物を思い出し、怒りを覚えた。そのガタガタとした真っ赤なできものが首から下、やがて全身にひろがっていった。こんなことってあるのだろうか。いつか写真で見たグレートバリアリーフというのか、珊瑚礁の棚のような出来物が体に浮き上がって、つぎつぎに私の体を占領して行った。

ところで、沖縄ではずっと前は小学校で「遺骨拾い」の時間があって、生徒が近くのガマなどに拾いに行っていたという、そんな、今回の沖縄滞在で、芥川賞作家の又吉秀喜氏から聞いた話とからみあったのだと思う。夢中で体にできた大量の赤い腫れ物と格闘していると、白い骨と、みやげ品店で見かけた、白くなった珊瑚の死骸がたくさん目の前に浮かんだ。そして目を閉じると、なおさらふたつがカサカサと白く降り積もるのだった。

目を開けると私の皮膚には、白いカサカサとした骨になる前の「血と肉を持つ人間たち」が赤い珊瑚になって浮かんでくる気がした。そしてその珊瑚はやはり、今はやがて白くカサカサになる前のまだ生きている「赤い珊瑚」なのだが、そういったものが表面に染み付いて、一瞬で私を大量に占領した。そして絶望的に私の皮膚の上の腫れ物は決して死んではくれず、私の制御できない力をもって、いっそう生きようとしているようだった。

ヒステリーなのだろうか?アレルギーなのだろうか?病院に行っても、医者はわからないと言った。もらった薬を飲んだらしばしおさまるのだけど、気をゆるすと、また腫れ物がいっせいに出てくる。しかしスタジオでのリハーサル中は出ない。でも終わるといっせいに出てくる。これはいったい何なのだろう?わからない。いっせいに生き生きとした赤い珊瑚が皮膚の上で生命力を吹き返す、そして私はそれをコントロールできない。そこで、私は自分を放っておく。何もしない。顔から下にはまともな皮膚がない、私の体には珊瑚ばかり。

自分の中で次々と生まれてくるのは、怒り。
根治しないのはいつも、怒り。
生命力というべきか。

誰かが言っていた。「みねさんは巫女的な性質がある」だとか、西洋のキリスト教会では「霊的感性が他の人よりも圧倒的に優れている」だとか。人が言っていたのは、このことなのだろうか。家族や友人は、私の体の異様さを見て「元海軍司令部壕の手榴弾の跡に似ている」だとか「血しぶきみたい」だとか「人間から異形の存在に変化する」なんて勝手なことばかり言っている。そんなわけないだろ。

何もできない、皮膚が不愉快でたまらない。ひたすらうめいていた、でもいいことを思いついた。珊瑚は地球温暖化で1度海水の温度が上昇したら死滅する。だから、私も1度平均体温を上げよう。無謀な試みはいつの時代も同じ。私はアメリカの西部開拓者のように、西へ向かった。奇妙な思いつきではあるものの、自転車で西へ、佐賀県に行くことにしたのだ。

走りながら私は風景を見ていなかった。南部戦線で一家全滅しての無人になった民家や、ひめゆりの女の子たちが大事にしていたおしゃれな雑誌の切り抜きやかわいい柄のハンカチが見えた。沖縄では光の量が多すぎていつもすべてが白っぽかった。そんな強烈に焼き付いた像から逃れるために自転車で走った。

結局、佐賀にはたどり着けなかったが、福岡市の中心から西へ20数km進んだ時に、体中から珊瑚がどんどん消えていくのを感じた。得体の知れない私の中の怒りは消えて、後には妥協という名の平和な生活が待っているのかもしれなかった。死滅してしまえば、もったいない気もした。記念に一部分残しておけばよかった。山をいくつ超えましたっけ?ああ、ため息とともに、自転車の向きをかえ、来た道をまた20数kmかけて戻った。
posted by minemai at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年05月13日

お知らせ。

体調不良により、休息をとります。
次回更新は、5月20日(水)を予定しています。
みね
posted by minemai at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月26日

臨時更新:JIYU-KENKYUお知らせ

世界激場関連の勉強会、JIYU-KENKYUが、5/3(日)12:00〜福岡市美術館のカフェで行われます。どなたでもお気軽に、ご参加ください。
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/

毎週水曜日更新中の『週刊みねまいこ』は、4/29(水)、5/6(水)の2週間、休刊します。次回の更新は、5/13(水)です。お楽しみに。

posted by minemai at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月22日

12年の物語

毎週水曜日更新の『週刊みねまいこ』が始まりましたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。今日は、私が最近経験した、自分にとってものすごく大きな、最大といってもよかったくらいのことが、変化したことについてのおはなしです。

のっけから私事なのですが、私が大学時代からひとりで育ててきた子どもが先日、中学生になりました。苦労は多かったよなあ。一番の苦労は、経済的苦労かなあ。これは涙なくしては語れない!クリーニング屋さんの真上に住んでて、1Fのクリーニング屋さんに、バスケットに赤ちゃんを入れて働きに行ってたもの。それをやりながら、卒論書いてたり、入学試験を受けたりしてたっけ。がんばり屋といえば聞こえはいいけど、ちょっと異常だと思うよ(笑)。

気がついたら、そんな異常な生活を12年間も続けていたのよ。びっくり。ガラスを割っただとか、喧嘩しただとか、脱走しただとかで小学校からよびだされたり、子どものお誕生日会だとか(NHKのディレクターがケーキを持って来てくれました)、PTAの役員だとか、地区の行事だとか、お稽古ごとの送り迎えだとか、私の20代は自分自身のために使ったといえる時間は、あまりなかったよね。その子どもが、今週夕ご飯を食べながらこう言ったわけ。「これからは自分のことは自分でできるし、僕は家事もできる。だから、お願いです。家のことは僕がすべてやります。おかあさんは外で仕事して、もっとお金を稼いでください。」しーん。

そりゃそうだ。今のままでは、ただの貧乏な母子家庭だもの。友人から「『世界激場』なんて少し社会的な音楽イベントをやってるけど、まいちゃんがいちばん格差社会の底辺じゃないの」と、わたしずっと陰で笑われてきたんだもん(笑)!しかも、私は大学院で借りた奨学金がまだ相当にあるからね。さあ、どうする!これが共働きで、夫がいたのならまだ違ったと思うけど、まあ私は、たんなる「◯ちがい」。美人だけど。

しかし今回の「子どもの独立宣言(アメリカ独立宣言みたい)」によって、本当に私がこれから仕事を本気でできる環境が整うのであれば...?私にこんな幸運がやってくるとは、思いもしなくって、「いっさい容赦しないわ、パワー全開で本気でやるわ」と舞い上がってしまった。もちろん実際はまだ子育てや家事は続くのだろうけど、子どもがそう高らかに宣言したときに、カチリと音をたてて人生が変わったような気がした。

とりあえず、日々の暮らしに(まあ、家事と育児と日銭稼ぎのアルバイトかな)忙殺されて疲れたまま、ずっと解決できずにいたことを片付けてしまおうかと。まずは10年書けなかった博士論文をなんとか提出したいのよね(笑)。とりあえず博士論文の構想の一部として、5月に沖縄の琉球大学で開催されるアメリカ文学会で研究を発表する予定。私の今回の研究のメインテーマは、Toni Morrison(トニ・モリソン)とSlave Narrtive(奴隷の自伝)とAfrican Cosmology(アフリカ的世界観)についてです。ちゅうか、テーマがこんなに分裂していたらまずいし。ええと、この発表はすでに破綻していますね(笑)!直します。

さて明日の予定は、朝から夜までレコーディング。明日は、古庄くんのベースを主に録る。私は他人に対して、理由もなく威張る癖があるので、ぜひ明日は気をつけたい(微妙なメンタルが録音には影響しますからね)。それが終わったら夜は家族や友人と中華料理をぜひ食べに行きたいな、と思っている。12年、子育てをこれまで真面目にやってきた、その打ち上げをしようと思ってね。ささやかな喜びも、なかなかいい。しかし12年にふさわしい、ものすごく強く大きな喜びが、明日は押し寄せてくるはず!もう、いいのよ。もう、終わるのよ。自分が好きな、新しい物語を作っていいってことなのよ。
posted by minemai at 02:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月16日

ラジオ出演

まず、宣伝を。今週の金曜日、4/17(金)に、cross fmのmorining gateに、朝7:30頃より、生出演の予定です。
朝から元気いっぱいの予定です。
通勤で車の運転をしながら、チューニングを合わせてみて下さい。福岡県全域です。ひょっとしたら山口も下関ならば入るかしら...?

***
さて、毎週水曜日に更新中の『週刊 みねまいこ』ですが、昨日からパソコンを前にずっと頭をひねっていて何時間もねばっていたけど、しかしまったく書けずにとうとう日付変更線を超え、なんと木曜日の明け方になってしまいまいました。書けないときは書けません(楽しみにしていた方は、ごめんなさい)。

どうも書けないときには理由がちゃんとあるもので、分析の結果、以下の3種類のようだ。
1)外国語を使う必要があった場合、日本語の回路にしばらく切り替わらない
2)自分の中で、ものの味方や世界像が変わることがあった場合、これまで信じていた言葉をいったん疑ったり、手放す必要に迫られている
3)なまけている

今回は、1〜3の全部が同時に起きており、筆が進まない。お手上げだ!ただ、2番がやってくることは滅多になかったのだけど。

なんというか....うーん。「頑張ります!」
そのかわり、来週の水曜日の更新は期待してて下さい。
書けない日は、シッポをまいて逃げます!
posted by minemai at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月09日

着物という妄執

こんにちは。1年に1回くらい天才になることがある、みねまいこです。「筆舌に尽くしがたい」ほどに多忙のため、今週の『週刊みねまいこ』は数日延期します(タイトルだけ、UPしています)。

さて、改めましてこんにちは。4/5(日)、世界激場関連の勉強会、JIYU-KENKYUがありました。そちらで報告を行っています。興味のある方はどうぞ。

4/9(木)には、公開リハーサルを親不孝通りのKING BEEで行った。第一部、第二部とやって、第二部はほとんどセッション。ブルースコードをベースに即興で私とバンドで曲を構成していった。最中にある感覚が沸いて楽しかった。それは8分休符や16分休符が目の前にはっきり見えたということ。今回はMacとの同期はまったく行わず(打ち込みは無し)バンドだけのシンプルな演奏だったけど、そうなると音数が極端に少ない。結果的に、ボーカルの次のフレーズは16分休符遅めに待って入るとか、そんな息継ぎのような「間」を手に取るように簡単に作れたので、そこが楽しかった。ひどくひどく、楽器の音と音の隙間、一瞬生まれる「間」をかぎとっていた。以前、ジャズバーで歌っていたときの、ミュージシャン同士の皮膚感覚レベルでの勝負!みたいな感覚が蘇った。こういうのもいいと思う。むしろ、こっちの方が私にとって正しいのかもしれない。

面白かったのが、第一部終了後に、お客さんとして来てくださったご夫婦が「長男の嫁に...でも、あなたはもう、どなたかいらっしゃるんでしょう?」と縁談を持って来てくださったことだった。ティファニーの宝石商の方だった。ときめいてしまう。何に?思いがけない縁談に?ティファニーに?ふふふ。あなただったら、どっち?わたしの場合、こたえは、、、。

さて、今日は着物の話をしたい。実は世界激場関連のJIYU-KENKYUで、辻井喬『伝統の創造力』を読み、報告する機会があった。その際に、一度正面から伝統と取っ組み合いをしてみてもいいのでは?という気持ちになった。伝統というと、日の丸とか君が代とか神道とか神風とか侵略戦争を思い出すものか、もしくは男たちだけが活躍できる芸能(歌舞伎、能など)や技術(寿司職人や、宮大工とか)しかなく、女の私にはアレルギー状態か、選択肢がないというしろものだった。

唯一、女性にできそうな伝統的職業といえば、海女さんみたいな仕事はありそうだけど、寒い海に入りたくない!海といえば!ところで全然関係ないが、オペラはなぜあんなに面白くないのだろうか。音の迫力はあるけどストーリーが目も当てられないくらいにひどい。弱い女がたいてい男のために尽くして、やっぱり弱いから女が病気なんかで死んで終わる。そこで思うのだけど『ジョーズ』なんかをオペラにすると良い。以下、ジョーズのテーマで歌って下さい。「サメ、サメ、サメ、サメ、サメだー」って大舞台で大迫力だと思う。まず成功すると思う。あとは『ゴジラ』とか。以下、ゴジラのテーマで歌ってみてください。「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」みたいに歌って、オペラ歌手が闘うわけよ。すごくいいオペラになると思うよ。小道具をしこんでおいて、舞台で火なんか吹いたりしてね。ね。素敵じゃない?

話を戻すとですね。一度、敬遠してきた日本の文化を正面から受け入れてみようかと。それでたぶん、伝統なんていっても時代によって「ねつ造」された部分はたくさんあるんだけども、それでも自分にとって「信じるに値する伝統とは何か?」っていうことを考えてみようと思ったわけ。

忙しい合間、博多駅のそばの喫茶店でコーヒーを飲みながら外を見ていた。すると横断歩道をコリアン系のチマチョゴリ姿の女の子たちが風に吹かれて信号を待っていた。チマが花のように大きく膨らんで、天国にいるみたいな気持ちになった。そして私は、日本の着物が着たいと思った。

そうこうしていると数日後、着物を着る機会があった。

kimono3.jpg

※スキャンの際に、画像が反転しているため、
打ち合わせの左右が逆になっているように見えています。

帯は人間国宝の金糸の帯。桐の箱に入っていた。着物は、これは手で柄を描いて染色しているわけではない。なんと総刺繍、すべての柄が糸で一針一針、糸は微妙な色で陰影がつけられ、すべてが刺繍で表現されていた。圧巻の着物だった。地の色は、水色。もちろん上には上の着物があることは知っている。何千万もするような。私の着物はそこまではいかない。だが袖を通しただけで、心が通った。だから、いい着物だとわかった。見る人が見たらわかるのだろう、着付けの人が「あっ!」と言い、帯からえり、小物に至るすべてが完璧に計算しつされていると言った。福岡の博多座の前を歩けば、着物を着て観劇を楽しんだ後の老婦人の団体を黙らせ、街を歩けば知らない人から「そのお着物の写真を撮らせて欲しい」と言われた。

これは、私の祖母が私に作ってくれたものだ。祖母は富豪でもなんでもない、サラリーマンだった優しい祖父がいて、ずっと年金生活者だった。料理が上手だった。普通の生活をしていたと思う。ただ、着物だけは「狂気」と言ってもいい。月賦をくんでも、自分の思う最高の品を買っていた。私が作ってもらった着物はこれだけはない。他にもあって、もし自分の命の危険にさらされるくらいに生活に困ったときに質に入れてしまおうと、大学生の頃姑息なことを考えていたこともあった。幸い、そこまで悪党になる勇気はなかったのですべて着物は手元にある。今思うと、とんでもないことだった。一度手放したら、二度とめぐってこない。また、これだけの着物を作れる作家も、どんどんこの世からいなくなる。

いろんな柄がある。どれも品がある。色に目がさめる。見ていると、私も狂ってしまいたい。

祖母は数年前から、痴呆で病院にいる。お正月に着物を着てお見舞いに行ったことがあった。もう今では誰のこともおもいだせない。祖母は、何も思い出せない自分が悔しくて、ぽろぽろ泣いていた。私の顔を覗き込んでじいっと考える。でも思い出せない。それが悔しくて、また泣いている。祖母は私が子どもの頃から、私の額と、お尻の形が美しいと言っていた。病院で両方を見せるわけにはいかないが、とりあえず前髪を上げて額を見せた。それでも効果はなかった。

帰るときに、びっくりしたことがあった。着物のそでをつかんで離さないのだ。そして、着物の柄を何度も撫でて、手のひらで絹の清らかな暖かさと、重みを確かめていた。着物だけは、覚えているのだ。自分が審美眼のすべてをかけて見極めて選んだ柄、色、そしてそれに合わせて選び抜いた帯、小物。全てが彼女の愛したものであり、彼女の狂気だった。

たぶん、こういうことだと思う。伝統というものは、誰か一世代、一人でいい。異様なまでに何かに精力を注ぎ込んだら、意図せずして残ることがあるのだ。しかし何に夢中になるかは、本人の才覚によるところが大きい。

祖母は若いときに戦争があって、あまり着飾ったりできなくて、それでも江戸時代の祖母の祖母や明治時代の祖母の母たちが、もっと昔に美しい佇まいで水仕事をしたり、身のこなしの中の優しさとか、鏡の前で年に何度か一番いい着物を着てめかしこんだり、そんな記憶が残っていたと思う。そんな豊かな生活の風景があって、着物を買えるようになったときに、一気に自分の中の記憶の美を放流し始めたのだと思う。

私は、日々洋服を着て生き、西洋音楽で生きている。西洋音楽はいつも他人の顔をしている。かといって日本の古い音楽と、心をひとつにすることもない。また両者を混ぜるような、下品なこともしたくない。大正生まれの祖父母の記憶までしかなく、さらには、空爆で風景は大きく変わった。戦後は世界中どこを探しても、こんなにやりたか放題、街を壊しては作り、大型店が恥も知らずに増殖する国はない。しいていえば、新自由主義を徹底させたアメリカも、日本に近いが、日本ほどではない。一方で、靖国やサムライジャパンが日本の伝統として(ちょっと違うか)あがめたてまつられている。伝統とは、靖国のことではない。伝統というものは、一人の人間の中に生まれた狂気のことだと思う。それを時間と共に発見し、感動しつづけることだと思う。

posted by minemai at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年04月01日

毎日新聞に掲載されました

最近、丑の刻参りをしている、みねです。と、のっけから大嘘ですが、こちらは本当。3/28(土)の朝刊に、かなり大きなスペースで記事が掲載されました。

mainichi090328.jpg

読みながら、少し想像していた。ひょっとしたら刑務所にいる人が読むだろうか、誰かが爪を切るのに使っているだろうか、虐待を受けていたり、あまり幸福な子ども時代とはいえない女の子、しかもその不幸を言葉で表現できないまま、気持ちがいつもふさいでいる女の子が読んでいるだろうかとか、思いめぐらしていた。

さてさて、文中に出てくるイベントは世界激場といいます。公式ブログはこちらです。毎月の勉強会は、誰でも参加できます。お気軽にどうぞ!

これは告知です。みねまいこ&30インチ、公開リハーサルを4/9(木)福岡市内で行います。こちらも、お気軽におこしください。
posted by minemai at 02:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月25日

ハンキンナイト/スピード

今日は先週のライブの報告に徹します。だから今日のブログは、それほど面白くないと思う。たんなる記録の列挙が多いので。

3/21(土)に、博多のプレアデスというライブハウスで出演した「ハンキン・ナイト」。これは、満員御礼で終了した。出演依頼を受けて即席でこの約2週間くらいの間にバンドを結成したので、音楽的には、残念ながら15〜18%くらいのクオリティだったかなと思う。これが自分のソロライブだったとしたら、お客さんに髪の毛をひっぱられて、唾をはかれても文句は言えなかった。しかし、この日のメインはウィーンから来日された内橋和久さん(UAのバンドリーダーもなさっている方)だったので、私は前座だから気楽だったぞ。(←反省がないな!)

内橋和久さんは、私のステージの感想を、一言「衣装が良かった。」とおっしゃった(笑)。あ、音楽が良かったわけではないわけですね、わははは。その日私は、半身が拘束着になっている服を着て歌ったのだった。さて、彼の演奏には、ノックアウトされた。最初のギターの一音。たった一音で、鳥肌が立った。なんじゃこりゃ、なんだこの音のオーラは。なんでこんな音が出せるのだ。たった一音、最初の一音で「ただことじゃあないぞ、この人のギターは」と思った。ものすごかった。最初から思わずスタンディングオベーションしそうになり、後ろの人の邪魔になると気がついて息をつめてやめた。それくらいにすばらしかった。こんな才能のある人がこの世にはいるんだなあ。神様ありがとう。幸福な気分だった。

さて、この日は毎日新聞の取材がライブ中、ライブ終了後に行われた。3/28(土)の毎日新聞の夕刊に、掲載予定。エリアは九州全域です。でも、大きな事件があれば、どんなに優秀な記者の記事でも、私ごときのネタだとふっとぶかもしれないので、確定とは言えないけれど...。でも、九州在住の方は、3/28(土)の毎日夕刊を買って読んでみて下さい。←注!「朝刊:福岡エリア」のようです。

以下のライブの写真は、「せん」さんが、たくさん提供してくださいました。ありがとう。(注意:最初の会場の写真は、私が演奏しているときの様子ではなく、たぶんこの日の最後の方の様子だと思います。)(参考:ギター=大将ゆうじ、ドラム=渡辺ハンキン浩二、ベース=古庄竜太、キーボード=高木一宏)
588788354_26.jpg588729735_207.jpg588729735_86.jpg_DSF1632.JPG.jpg588788354_132.jpg
_DSF1482.JPG.jpg_DSF1452.JPG.jpg_DSF1418.JPG.jpg

以下の写真は、佐藤直樹(現代評論家、刑法学者)がアナログのカメラで撮影してくれたものです。
mine4.jpeg
mine3.jpegmine2.jpegmine1.jpeg

とまあ、こんな感じでした。来て下さった方々、どうもありがとうございました。いろんな方からご感想をいただいたのだけど、中でも多かったのが「楽しそうに歌っているので観ていてこっちも楽しい」というコメントだった。いいえ!ちがうんです!楽しそうに歌っていたというよりは、この日、余りの自分のヘタさにびっくりして、恥ずかしくて笑ってしまったのだ。なんだろうね、まったく歌手で歌がヘタだというのは、死罪だね(笑)。そうそうこの2週間で、バンドがやっと流れに乗り始めたので、ついでにボーカルスタイルも変えちゃおうと思ってる。どんどん変える。昨日の失敗なんか知らない。

新しいバンドは、30インチという名前にした。みねまいこ&30インチ。ギターは、めんたいロック出身のベテラン、大将ゆうじさん、ドラムはオンゴロというプログレバンドをされており(昨年CDジャーナルなど各誌で取り上げられた)、内橋和久さんの瞬間音奏で即興演奏をしたり、過去には頭脳警察というバンドの助っ人をなさったり鮮やかすぎて全貌は不明。彼の名は渡辺ハンキン浩二!新加入のベースは古庄さん。古庄さんはですねー。泣く子もだまる、メタル出身だ!しかも練習のオニ。

バンドの名前30インチは、W.H.オーデンの詩からの引用だ。あまりにも異なるジャンル出身である各プレイヤー。最大限に各人から能力を引き出すには、個人の領域を守りつつ、バンドとしても両立できるような関係性(音楽性)が必要だと思ったので、それを意図して、つけてみた。また一方で、互いが30インチの内部に入ったりもできる親しい関係性も、ときには必要だしね。両面の意味でつけたともいえる。

私の鼻先三十インチに

私の人格の前哨線がある。

その間の未耕の空間は

私の内庭、直轄領

枕を共にする人と交わす

親しい眼差しで迎えない限り

異邦人よ、無断でそこを横切れば

銃はなくとも唾を吐きかけることもできるのだ。
___
きゃー(W.H.オーデンにたいして)。

さて、ハンキンナイト終了後は、中洲の「ふとっちょ」だか「ふとっぱら」だか、どっちか忘れたけど、飲み屋へ、打ち上げに直行した。内橋和久もいらっしゃっており、どきどきした。しかし、明日公演があるとのことで、内橋さん他、早めに(といっても夜中でした)帰られた。で、残った私がおり、そして先日うちのバンドを脱退したなんとベースのこーち君がおり(じつはこの日彼は、内橋和久&瞬間音奏で出演していた)。さあ!眼鏡をとれ!(こーち君は別に眼鏡をかけてないんだけど)私と彼、1対1でケンカ&殴り合いだ。なんて面倒くさいことにはならない。みねまいこのバンドのオリジナルメンバーと新メンバーみんなでわーわー。しかも旧ベーシストと新ベーシストが真顔で語り合っている(注意:私の悪口ではなく、エフェクターについて話していたようでした)。結局、午前3時までみんなわーわーいってた。帰宅して、ライブを観に来てくれていた、現代アートのソン・ジュンナンからもらったピンクのカーネーションを銀色の花瓶にいけて、お風呂に入ったら朝だった。

バンドの次に必要なの、スピードよ。
あなたは、どうするつもりなの。
posted by minemai at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月18日

巨大な後悔の怪物

先週、NHKの「プロフェッショナル」という番組を観ていたら、なんてことはない、知り合いが出ていたので驚いた。奥田知志という北九州の教会の牧師だ。奥田さんが北九州の夜の街を、路上生活者に声をかけては、もくもくと歩く。彼の仕事の特徴は単なる支援ではなく、社会復帰をさせるところにある。路上生活者の社会復帰率は全国でも驚異的な業績をあげているとのこと。そんな彼とは10年前、九大大学院の修士課程1年で知り合った。自分は社会人入学であり、普段は牧師で路上生活者の人を支援する仕事をしていると、本人からきいていた。そのときは「へえっ」と思っただけだった。

当時の私は寺園嘉基先生(ナチズムに反対したドイツの神学者カール・バルトの研究者)という先生の下で、黒人神学/黒人霊歌を研究していた。奥田知志さんは、ボンヘッファー(カール・バルトと同じ時代の人)という神学者の研究をされていた。で、私は自分の研究に(人生に)疑問ばかりを感じていた日々で「(やったこともないのに)フッサールの現象学がやりたい!」など大学院入学そうそう、突如無謀なことを言い出した。それに対して「おやりなさい。」とゴーサインを出してくれ、(やったこともないから)ドイツ語から始めることになった。そこでもともとドイツ語が必要な奥田さんと私、寺園先生の研究室で二人肩を並べパイプ椅子におさまり、私がてんで初心者でついていけないため、ドイツ語の基礎から習った。しかも最終的に私は現象学をやる才能が絶望的にないと気がつき挫折したため、習ったご恩に報いることはなかったばかりか、もうドイツ語は忘れてしまった!まさに合わせる顔がない!でも不思議なのは、こうやって他人から献身的に教えてもらったことは、それが短期的な費用対効果のようして外に出て来なくても、こうやって自分の中で後悔とか、感謝として、いつまでも散ってはいかずにずっと残っているってことだ。

で、テレビで奥田さんの姿を見て興味をひかれたのは、あなたにとってプロフェッショナルとは?の質問に「使命の風が吹いたら、自分の都合や好き嫌いを断念できる人」という主旨の話をしていたことだった。たぶん、聖書の箴言16:9「人は心に自分の道を考え計る しかしその歩みを導く者は主である」のことかな?と思った。私が、いちばん苦手な聖書の句だ。Aの方向に行きたい、もしBの方が広い視野(神の目と言ってもいい)でみれば正しいとしても、自分の好きなAの方向に行く。Aでは失敗して、ずいぶん痛い思いをする。なんてことをさんざんやった気がする。人生の終わりに私は、貴重な時間を無駄にしたという「巨大な後悔の怪物」になっているのだろうか?いやいや、そんなくだらないことを考える暇があったら、早起きして新聞配達をした方がいい。もしくは曲のひとつや、ふたつ作ってみろ。そして、次はAではなく、Bを選んでみようか?自分好みのAではなく、自分の理解を超えた不可解なBを!

奥田さんが研究されていたボンヘッファーは、ナチズムに対し異をとなえる行動を起こしたことで殺されてしまった神学者だった。いわば、自分の信念に誠実であることを前にして、自らの生命をも断念した人だったといえる。奥田さんには、一緒にパイプ椅子におさまっていた頃よりも、ずっといい顔をしていた。「おお!奥田さんってば、日本のマリア・テレサじゃん!」なんて思った。

番組司会者たちのブログ(興味のある方は参考まで)
http://www.nhk.or.jp/professional-blog/100/16847.html
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/2009/03/post-8953.html
posted by minemai at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月11日

ソン・ジュンナン

現代アートの作家とお会いした。彼の名はソン・ジュンナン(SONG, JUN-NAM)氏。最近になって偶然この作家を知った。彼は神戸出身、今は福岡で活動をしており、しかし今月末で福岡を離れるとのこと。彼のアトリエは第三倉庫にある。そこは匿名の方が正体を現すことなくずっと「あしながおじさん」として支援している場所。そこに遊びに行った。

行く途中で迷い、とうとう海に出た。向こうは対岸、韓国だ。海にパナマ船が停泊していた。船乗りのおにいさんたちが船上から手を振る。私も手を振った。日本に上陸するのには、なにか許可がいるのだろうか?船に乗ったままで、じっとこちらを見ている。私は船を見上げ、一瞬互いに共通の言語を探し、そしてどちらからともなく諦めるのを感じた。言葉の代わりに、笑顔で手を振った。

ソン・ジュンナン氏と話をし、彼のアトリエにもお邪魔して、まさに作品を制作する場所を写真に撮らせてもらったけど、作品と現場はまったく別個の物だという気がするのでここでの掲載はひかえたい。

第三倉庫でのソン・ジュンナン
11032009.jpg

アトリエを見せてと私が頼んだら、
そっとご自身のアトリエをのぞいていたソン・ジュンナン

11032009(002).jpg

私が、藤田嗣治でもなくレオナルド・ダ・ヴィンチでもなく、他の誰より彼のことをいい!と思ったのは、ソン・ジュンナンが今を生きているからだ。極論かもしれないけど、私は死んだ人には興味がない。そして彼の作品は、私たちの生きている時代が刻印されている。自分が生きていることを、再確認させてくれる。私にもっと息をさせてくれる。そうじゃなくっちゃいけない。私はもっと世界を愛したい。
posted by minemai at 23:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月04日

音楽と空間(2)人はパンのみにて生きるにあらず

さて前回、日本に1000以上もあるライブハウスに喧嘩を売るようなことを言ったけど、買う人はいないからこれまでのはなしを思いきって要約すると、ライブハウスのチケットノルマ制は「クソだ」と言ったわけだが、じゃあライブハウスに出演しないで別に表現活動の場としてのあてはあるのかといえば、まるでないの。教会に戻って、宗教音楽をもう一度やる気はない。黒人霊歌ならやりたいが、日本のキリスト教会で黒人霊歌を歌ったらきっとまた追い出されるだろう。だったら、自分でイベントをやるしかない。しかし、自分の力でイベントをやるのは困難で大変な労力を伴う。これはいろんな人がすでに経験してきたことだ。か、もしくはチケットノルマが存在しない海外に逃げるしかないだろう。でもいったい海外にまで逃げて、そうまでしないとのびのび音楽がやれない国って、いったい何よと思う。逃げてもいいけど、いまいる場所(とりあえず福岡かな)で自由になることができた方がずっといい。と思っていたら、チェコのミュージシャンから連絡があった。うーん。できれば近所でライブやりたいんだけどな。でも、検討します。そうね、チェコの雪が溶けたら。

ということで、どんな音楽的空間が、みんなでのびのび自由にやれるか?ってのを、考えてみた。これはあくまでも私に十分な財力があれば、実現するはなしであるが、とにかく夢みたいなことを書いてみる。そのうえ私にいつ、資金を持続的に出してくれる世界で5本の指に入るような「パトロン/パトロネス」との出会いがあるとも限らないのだから。

まず、広さについて。ライブハウスは3種類に分けられる。もっとも大きいのは1000人以上の規模のものであり、それは大きな企業の経営するものだ。そのように規模が大きくなると、1日あたり100万はくだらないホールのレンタル料、PA、照明、その他人件費になると思う。事前の準備も入念さが必要になるし、客が確実に入るネームバリューのあるミュージシャンが演奏する必要がある。そうなると、当然そのミュージシャン目当ての客しか入らない。つまり「単発の出来事」として、ライブが消費される現象が起きる。客はライブハウスを通り過ぎていくだけになるだろう。そういう用途の会場は会場として存在意義が十分あるけども、これから何か生まれるというよりも、もうすでに作られたミュージシャンや、東京の資本を中心に作られた既成の文化を、再確認しているにすぎない。また、そこに集まった人たちが偶発的に出会い、自己紹介をし、互いに会場の中をうろうろしながら談笑をしたり、謀議(なんじゃそりゃ)をくわだてたりするだろうか?おそらく、椅子にぎっしり詰め込まれて、身動きも歩き回ることもできず、ひたすら見に来たミュージシャンとの濃密な、対幻想的な(1対1)関係だけで、ショーが進む。客同士のつながりは、まず生まれないと言える。

しかし、200〜500人程の中規模、50人程度の小規模であれば、それほど赤字を気にすることもあるまい(少しは気にしなさいって)。リスクは少ないので、いろんなミュージシャンを出すこともできる。ヘタでも、面白い人がたくさん集まるかもしれない。上手になることはいつでもできる、まずは情熱(そろそろ私も上手にならないといけないネ)!規模は100人くらいでいいのではないだろうか?もっと狭くてもいいかもしれない。きっと客のスペースは、バスケットコート1枚分くらいでちょうどいいんじゃないだろうか。深夜、テレビをつけたら、アメリカの黒人のお兄さんたちが元気に走り回っていて楽しそうだった。走って飽きない距離ならば、客が歩いてうろうろするのも楽しい距離なのだ。そうだよね?そのくらいがちょうどいい気がする。建築は新しく作る必要はない、廃墟で良い。コンクリートの壁のままでいい。そして1バンド60分の演奏だ。じっくりそれくらいの時間を使う。また、それくらいの時間を演奏できないレベルでは困る。

ノルマ制はない。ノルマ制がなくて、いかに客を集めるか?次に、そこを詰めてみたい。キーワードは2つ。「リピート性」と「余暇性」だ。その2つが新しい文化を創ると私は思う。新しい文化が生まれる気配は、人を引きつける。「リピート性」「余暇性」、この2つがあれば、客が来る。ノルマ制の最大の弊害は、バンドが客をライブハウスに連れて来ることだった(←すでに気持ちは過去形)。つまり、ライブハウス自体に顧客がつくわけではないのだ。だから余計にライブハウスはノルマ制にしがみつく。そこで、音楽空間に顧客がつくことこと。これが最大の課題だといえるわけね。顧客、つまり「リピート」してくれること。そして「リピート」して来たくなるような、「余暇性」が空間に漂っていること。ってわけ。

では、「リピート性」はどうやって生まれるかを考えるぞ。アイデアは、私のヨーロッパプロモのSnigel氏とかつて行った、あるヨーロッパの国の首都のはずれにある、地元っ子しか知らない非常に個性的なある店がヒントになった。これは、Snigel氏が自身のHPでもまったく書いていないことだ。彼のHPは影響力があるので、それは聡明な判断だったと思う。HPを見た人が日本から大勢で行くと、たちまち地元の人たちの作っている均衡が崩れてしまう、そんな店だ。事情は後でわかると思う。

その店のテーブルや椅子は質素な木製、ソファーがあったり、突如シャンデリアがぶら下がっていたり、アンバランスでもあるが暖かみのあるリビングルームのようだ。赤いランプシェードがぼんやり灯っている。明るいうちから深夜まで客でごったがえしている。私とSnigelは見つめ合い「みねまいの瞳に乾杯」と彼が言う。うっとりする私。さーて、どこから嘘でしょうか?はい、私とSnigelは見つめ合い〜から全部嘘。すみません、ややこしいことしてしまったが、説明を続けたい。中にはいくつか小さな部屋があり、おそらくレストランとして設計されたわけではなく、普通の住宅を無理矢理レストランにしたようだった。中央に置かれた大きなテーブルには、次々と大きな皿で料理が運ばれて来る。それをセルフサービスで取りにいく。料理の種類は4つくらいしかない。飲み物はワインだけ。つぎつぎカラになり、つぎつぎと笑顔で店員がキッチンから持って現れる。活気がある。

料理が美味しい。たくさん好きなだけとって食べる。皆、幸せそうだ。ある者はソファーを陣取り、ある者は気持ちがいいのか外に椅子をがたがた出して、外で食べている。たしか、私とSnigelも外で過ごした。お腹いっぱいになった日暮れ。薄暗くなり、お互いの顔が群青色になる。空気の色がきれい。寂しげな通りとは対照的に、店には活気がある(うるさい)。Snigelもよくしゃべる(うるさい)。つかれたので最後に会計へ。Snigelが払ってくれたと思う。そこで驚きの事実が告げられる。It dipends on youという主旨の話をされる。お任せします。つまり、値段はあなたが決めること。あなたが満足した分だけ、払って下さい、と。ああ驚いた。さあここで私が支払いに立っていたらどうだろう?美味しかったくせに、たくさん食べたくせになるべく少ない額を出したと思う。私はその程度の人間だ。しかし、Snigelは違うのだ。ホテルのレストランで食事をしたくらいの額を十分に満たすほど、おそらく地元っ子でもそんなに出さないぜ、おい。と思われる額を出した。店員、スマイル。みんなふんわりした空気になった。そしてその店を後にした。どこまでも敷き詰められた石畳に、私達の足音が歴史のように響いていた。良い夜だった。そしてSnigelはいい人間だと思う。

なぜ、支払いを個人の自由裁量にまかせるというユニークな店で、Snigelがあんなにたくさん支払ったのか?その話題が昨年、彼がアイルランドから私の家(福岡)に遊びに来た際にとつぜん思い出して出たことがあった。すると彼は言った(突然ですが、彼は私の恋人ではありません、彼が私の家に泊まったとしても何もありません、しかし彼はゲイでもありません←たぶん、ただの大切な友人です!なんか矛盾した言いようだけど)。「みんながみんな安い金額を払ったら、あの店はつぶれてしまうでしょ?次に行ったときにつぶれてたら、悲しいでしょ?つぶれて欲しくなかったら、お金は出すべきなの。」とのこと。断っておくが彼はとくべつリッチでもない(失敬!)。ただし、彼は極めて「公共性が高い」人物なんだと思う。

公共性。これまで日本人がこれを持てないばっかりに、富士山が世界遺産に登録されなかった、あの公共性だ。同じ店を日本でやったらどうなるだろうか?少なく払う人はいても、Snigelのように高く払う人はいないのでないだろうか。大分県のある地方では弘法大師のお祭り「おせったい」というものが4月にある。毎年持ち回りで、あるエリア内に10軒くらいだろうか、民家を解放し、婦人会が釜と薪で炊いたおこわや、春の山菜が出される。当番の家には大きなのぼりが立つのでひとめだそれとわかる。のんびり歩き回って、入りたくなったら10円、20円のお賽銭で、知らない人の家にあがって食事をいただくことができる。子どもたちが主に食べて回る。ところがこれがテレビで放送されて以来、よそから車でたくさんの人が乗り付けてくるようになり、家族連れでほんとうにわずかなお賽銭で大量に食べさられてしまう。地元の人たちで祝おうと準備した食事はからっぽになるとのことだ。もし日本で、Snigelと行ったような店をやれば、そんな風になってしまうだろうか。

もし、その公共性がうまくクリアできたなら。そうね、Snigelのように「つぶれて欲しくないから僕出すよ」という客がいれば。もしくは今週は金がないからこのくらいしか出せなくても、次の週は「先週の分も多めに出すよ」という客がいれば、店の経営は成り立つ。メニューが限られていてセルフサービスだとしても料理がおいしくて活気があり、支払いのシステムがユニークで料金が自分で決められる店があれば、お金がない日でも安心して何度でも来られる。どんどん人も集まる。そこにかならず「リピート性」はある。そして人が集まるところには、すべての可能性が生まれる。

ぴっ(笛を吹いた)。ここからが私のオリジナルのアイデアなのだが、その店と同じ場所で、音楽をやればいいと思うのだ。ただ、問題は何度も言うように「リピート性」が、公共性に裏付けられない限り、失敗する。そして日本では、公共の利益を考えることに慣れていないため、失敗する可能性が高い。毎回10円しか払わずに、満腹になって帰る客もいるかもしれない。貧乏な若者に混じって、高給取りの社会的地位もある人が、節約のためにこのレストランを利用するかもしれない。しかしもしも公共性の問題がクリアできたら、面白い店ではないだろうか?

音楽の話に移ろう。そのレストランと同じスペースに、しかし別の部屋に音楽の部屋を置くのだ。仮にレストランを「腹が減ってはいくさはできぬ」というニックネームで呼ぼう。そして音楽の部屋を「人はパンのみにて生きるにあらず」と名付けてみよう。うん、いい名前だ。「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋では、4種類の料理とワインしか出さない。パスタ、サラダ、8mm程にスライスされたフランスパン、デザートの4種だ。季節に応じて買い付けた食材で作ると良い。パスタとサラダなら、どんな食材でも応用がきく。デザートは私がティラミスが好きなのでティラミスだけにしたい。よほどの間抜けでない限り、同じシェフが同じティラミスを毎日作り続れば、いずれ世界1の美味しさのティラミスができるようになるのではないだろうか?だんだん私が「お店やさんごっこ」の空想のレベルで話をしていることがバレてきたと思うが、続けよう。

「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋では、壁紙は赤のような茶色が良い。古い額縁に最近描かれた新しい絵が飾られている、とても元気の良い油絵が。体にしっくりとなじむ花柄のソファーがいくつかあり、ビロードのカバーのクッションがあり、足下には複雑な模様のベルギー絨毯もある。木製の質素なテーブルと椅子で構わない。しかし唐突にシャンデリアが天井からぶらさがっていると素敵だ。風が心地良ければ、外に出て食べられるといい。白いシンプルな皿、しかし皿の縁に小さなレースのような模様が浮き出ている、そんな皿に好きなだけ食べ物をよそおって、白ワインを飲みたい。友人と会い、新しい友人と出会う。そして隣の部屋からさっきからディストーションのかかったギターがごうごうと鳴っているのだ。ちょっと見に行ってみましょうか?皿とワインを持って移動する。入り口に「人はパンのみにて生きるにあらず」と書かれている。なんか説教くさいわね!入ると、音が大きくて耳が慣れるまでちょっと時間がかかる。ギターのディストーションがうるさいけど悪くない。

壁はコンクリート打放し。地面も石ころがころがっていてあまり衛生的とはいえない。見上げると天井が高くてびっくりする。なんとこちらの「パンのみにて生きるにあらず」の部屋は、天井は1階から上にむかってぶち抜いて、2、3階分の高さを出している。飾り気はまるでなく、むしろ廃墟すんぜん。「勝手にしやがれ」的な、まるで統制のとれていないアナーキーな感じが、むしろ音楽をひきたてている。ちょっと座って聴こうか。「腹が減ってはいくさができぬ」部屋と同様の木製の質素な椅子がころがっていたり、キャンプ場のバーベキューをするところにあるような、木の長椅子が無造作にある。長椅子の方がワイングラスを置けていいわね、ね。こっちに座らない?

ふうん。ピアノはもしやスタンウェイのアップライト?グランドピアノじゃないところがかっこいい。いま気がついたけど、ここにはスピーカーがない。どうしてないのだろう?あのライブハウスの特有のスピーカー、どこか音が割れてるような、時間が経つとこちらの疲労度が溜まるような音がしない。なのにどうして音が大きいのだろう?ボーカルだけ、見たことがない白い四角いスピーカー(このボーカル専用アンプ付き白いスピーカーは私が前に夢で見たもの、現実には売られていないと思う)でちょっぴり声を拡張しているけど、他の楽器はほとんど生音か、ギターとベースはアンプを使用している。どうしてスピーカーを置いていないのに、音が伸びるし音に芯があってなおかつ迫力があるんだろう?しかも音が澄んでいる。ああ!もしかして、この部屋全体が巨大なスピーカーになるように設計されているというの?!だから天井がゴシック建築の教会みたいに高いんだわ!!さすが、この奇抜な設計のアイデアを思いついたのは「安藤忠雄の髪型を考える会〜あの髪型は一級建築士としていかがなものか〜」の副会長をつとめる、みねまいこだわ!(ふっふっふっ by みね)

演奏が始まって時間が経てば経つほど、音が美しくなっていく。演奏者が集中し始めたのだろうか?たっぷり演奏を聴く。いい音楽を聴くというのは、聴くのではない。音を浴びるのだ。ひとっ風呂浴びた気分だ。食事に続いて、さらなる贅沢。私たちそういえば途中から聴いてたのよね、もう次のミュージシャンが交代する。さっきのひと割と良かった。今度いつ偶然、さっきの人の演奏が聴けるかわからないから、CDを買っておこう。彼氏に聴かせよう。ふうん。今度の人たちは日本では珍しいキューバ音楽。楽しいじゃない!踊っちゃえ。きゃはは。「腹が減ってはいくさができぬ」部屋から「パンのみにて生きるにあらず」の部屋に人が流れて来る。みんな、うっぷんたまってるんだねー。あの人たち社交ダンスの人?めちゃめちゃ本格的に踊ってるわー(笑)。ちょっと疲れたな。ティラミス食べに向こうの部屋に行こうっと。

とまあ、こんな感じで時間を過ごせる場所が必要だと。ちなみにミュージシャンに対してギャラは出さない(オニィ)。演奏の後でCDを売ってもらう。毎日演奏してもらっていい。ここではなるべくたくさんの、いろんな職業、いろんな夢を持ち、いろんな恋愛をして、いろんな秘密を持っている誰かに、行きがかりに聴いてもらうのだ。知らない誰かの好みに委ねる場所、同時に不特定多数に認めてもらう場所。そしてCDを売って収入を得る場所として位置づけてもらう。一人(バンド)60分の演奏だから、聴く方は気に入ったらどこまでも心を自由に泳がせれば良い。気に入らなければ、お皿を持って「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋に戻ってゆっくりくつろぐのだ。明日も早いし帰ろうか?会計は?昨日給料日だったから多めに出すわ。私はダメ、これっぽちしかないの。お金がないときにこの店助かるー。あ、じゃあ私が今日多めに出しとくわ。ってな感じなの!実現したら、楽しいだろうに!

全経営は超有能な人に任せて、調理場は超有能な人に任せて、接客は超有能な人に任せて、会計は超有能な人に任せて、それらすべてにおいて無能な私は、毎日ただ、人々の数時間の「余暇」のために演奏して歌うのになあ!!人々は各人が持てる中から払い、パンと余暇を得る。どんなにお金がなくても人間らしく息をして、生きられる街は、実際にヨーロッパに存在するのだから、日本で存在してもいいはずだ。その後は何かが一人歩きして、関係の網の目が複雑な動きをして、私たちの時代に役に立つ「文化」が生み出されると思う。

こほん。新しい文化を創るだなんて大義名分を出したけど、本当は自分がのびのび歌いたい場所が欲しかっただけみたい。自分がわくわくするような環境が欲しかっただけみたい。ライブハウスのチケットノルマ制なんて世界中で日本だけの悪習だと、ある日わかってびっくりして、無性に反抗したくなっただけみたい。インドの農村で花嫁が焼かれるくらいに、アフリカの女性割礼くらいに、日本のチケットノルマ制はものすごく悪い習慣だと思ってる。手に負えないくらいに最悪だと思う。他の人はどうか知らない。少なくとも私は幸せではない。そのとおり。今の私には空想しかない。だけどそんな場所を見つけようと思ったり作ろうと考えていたりしたら、いつか見つかると思うんだ。今までだって無謀な感性と同時に、現実的にも生きて来れたのだから。結局、夢見る夢子のようなことを言って、この「音楽と空間」をまとめます。そんで、明日からは通常業務に戻ります。バイ。

みねが関わっている「世界激場」2009年の公式サイトのお知らせです;
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/
posted by minemai at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記
Copyright (C) 2003-2007 みねまいこ. All Rights Reserved.