2009年06月04日

毎日奇跡をおこすのよ

こんにちは。毎週水曜日に更新中の週刊『みねまいこ』ですが、ここのところ間に合いません。どんまい。

薄暗いんだよなー。光のもとで、空と海はもっと鮮やかでなければならないわけ。

チェコに演奏に呼ばれた件を今、なんとか軌道に乗せようとしているけど、うまくいくのでしょうか?そんでもって、ボストンで私と似たようなことをやっているアメリカ文学の研究者の本を読んで、感想文を送って連絡してみたらすぐに返事が来た。「おいで、おいで(吉原の女郎さんみたいだな)。こっちの(アメリカの)学会に入りなよ。私が推薦するし。うちらと一緒に議論しましょうよ」と呼んでくれた。でも、母国語以外で完璧に論理的な文章を書いたり議論するというのは、なかなか難しいんだよなあ。ノーベル文学賞をとったような人が出てくるような学会なわけよ、そこが。アメリカにこれから2年くらい行こうかなあ。行くべきなのかなあ。昼は研究して、夜は現地でバンドを組んでどっかで演奏したらいいんだもんね。日曜日は黒人教会でオルガン弾きたいな、合唱隊もいいけど声質が合わないものね、違うものは違うのよ。この週刊『みねまいこ』を読んでくれた方が、東京のとある型破りな学会でみねまいこに11月に発表させたらどうだと推薦してくださったというはなしを知って、唖然。私はアメリカ文学が専門なので、領域外で果たして通用するのか思うけど、なんでもやりますやります、やらせてください。そんで12月がまた別の学会で発表なんだ。その関係で7月に一度東京に行かなきゃなあ。世界激場の仕事が目白押しだし(鳥のメジロがいっぱい電線にとまって互いに押し合っている)、マンションの下に子猫が住み着いたので、餌付けしたいし(名前は「とらたま」に決めました)。

さーがんばるぞー。世界全員が敵!

今日のタイトルは、marimekko(minemaikoではない)という私が好きなフィンランドのファブリックデザインの人が、よく言っていたらしい言葉で、その言葉もわたしは大好きです。
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2009年05月28日

写真だけ。

Whatareyoulookingat.jpg

冬に中洲を歩いていて、同行カメラマンに、LEICAというローバートキャパと同じカメラで撮影してもらった写真。アーティスト写真にとおもったもののボツにしましたが、最近なんとなく面白く思い直したので出して来ました。建設現場の囲いに、大きく "WHAT?" と書かれてありました。
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2009年05月20日

「沖縄で思いがけず、私は何かに衝突してしまった」 I Won't Be Silent Anymore

(みねまいこが狂ったと思うなよ。今日は、カフカの『変身』みたいなはなし)

沖縄、琉球大での学会発表は、楽しかった。私の発表中、会場の中からひとりだけ「うん!うん!」と声を出して反応がある。アメリカの黒人教会ならば「Oh, Yes! I will.」とか「Amen!」のようなノリだろうか?なんとなく普通じゃない方だな、と思っていたら、あとから友人からきいたところによれば、私がやっていることの第一人者のめちゃめちゃ有名な某大学の教授だった。なんでも12月に別の学会があるから、そこで私が発表するようにということだった。

さて、沖縄は思っていた以上にすごかった。夕方、1日目の学会が終わりバスの中から、風景をながめていた。琉球大のある那覇市郊外には、女性の子宮を形どった墓がどっかりと地面に根を張り、その脇を高校生の男の子がアイスバーを片手に自転車で通り過ぎていった。墓のそばの畑では、おばあさんがエプロンみたいな薄手の服を、着ているのか、脱げかかっているのか、おそらく全身で風化しかかっていたのかと思う。おばあさんが、ただ立っていた。夕暮れ、ただ立っていた。

那覇の市街地を歩く。アメリカの文化と日本本土の文化と、台湾の文化とそして沖縄の古い伝統文化との4つがあって、それらを状況に応じて複雑に選択しているような気がした。いろんな人と話してみて不思議だったのは、自分の好きなものだけに集中して宗教的なまでにわが世界の構築を繰り返し、実はそこに自ら軟禁状態になっているようなバランス感覚の悪い人たちがいなかったことだ。それはたぶん、何かひとつのたとえば大きなグローバリズムのようなものがやってきたときに、十分逃げたり闘えるということでもあると思う。それがもし1つの文化だけでほそぼそとやっていたとしたら、簡単に大きな波に飲まれて負けてしまう。スターバックスが林立したり、大企業が戦略的に流す情報が大きな事件になったり、重箱の隅をつつくような趣味を展開したり、「それしかない」ということはそういうことだ。

島唄を初めて生で聴いたけど、なんとか歌えた。ステージで、島唄のトップクラスの歌い手と一緒に歌った。感激。実際に歌ってみた印象は日本古来の持っている「歌」のメソメソした感じがまるでなかったこと(もちろん音階とコードの違いは大きい)。百人一首からつづくメソメソ感。額田大王らはちょっとちがうけど、読めばわかる。実にみんなしょーもないことで、メソメソしてきた。髪を長くしてひきこもりみたいに奥の部屋に住んで太陽も浴びず、昼夜逆転の生活、体力は失われるばかりの生活をすれば当然そうなっちゃう。百人一首のメソメソ感は、J-POPへと続いている。その影響力の強さはある意味すごいのだが、今回うたった島唄は奇麗な色の鳥のことも、戦争も、セクシャルないらやしいことも、親が死んだことも、男と女の清純さも、すべてからっと乾いていた。明るかった。

さて、観光をして、いよいよ福岡に戻ることになった。夜の便だった。「もうすぐ福岡空港に着陸します」というアナウンスに飛行機からの夜景をふと見た。その時だった。福岡の街が、くねくねと生き物になった。ビルのひとつひとつが巨大なナマズのようなドロのような色をして、ミミズの全身がツルンと、のっぺらぼうになったような暗い生き物に見えた。そしてビルの灯が、赤い目だった。それらの気持ちの悪い生き物は口はなく、赤い目をふたつ光らせて、くねくねと上空にむかって当てもなくうごめいていた。それが一斉なのだ。見渡す福岡の街がすべて、その生き物で埋め尽くされていたのだった。

私が狂ったのか、と一瞬思った。でも、こういうことなのだ、と了解した。これは自分の中の確信なのだ。私は、ここまでこの街、もしくは自分の属している生活の背景、自分の今の状況がこれほど嫌いなんだと確信した。確信しても、それでも冷静ではいられなかった。本当に眼下では、異様な赤い目の生き物が体をくねらせて街一面、垂直にはえていたのだから。

いろいろな憎しみの感情が湧いた。あんたの心の弱さが嫌い、あんたの重たいプライドが嫌い、あんたの小心さが嫌い、あんたのしつこさが嫌い、24時間他人に認めてもらわないと生きた心地がしないmixiみたいな性質のあんたの行動が嫌い、あんたのすすり泣きが嫌い、あんたの社会性の無さが嫌い、ぐずぐずして人生を決められないあんたが嫌い、あんたの大人になりきれない甘えが嫌い、実は形式しかない/誰も信じてないくせに/意地でも残そうとする男尊女卑の祭りが嫌い、バカな男を肯定してあげる一歩下がってあげる女が憎い、出席番号は常に男子から/生徒会長も男子が望ましい/そんな中学校で、自分の才能を自分で押し出しちゃったり、諦めることを大人になることだと悟る女の子たちを目の前で見てて、手を貸さない大人の女たちが憎い、自分の壊れやすい何かが壊れないようにガラス細工のように「自分」てやつを頑強に守るあんたが嫌い、自分の頭が悪いせいで人生を難しくしてばかりのあんたがぜんぶ悪い。そう、こんなふうに。

地上に着いたら、その生き物はふつうのビルになり、気配さえもなかった。でも、私の中で悪寒として残っていた。家に着いて、眠る直前にもうれつな気持ちの悪さがあり、その後で全身が火のように熱かった。服を脱いで見ると、あちこちに真っ赤な珊瑚礁のような腫れ物ができていた。表面がガタガタと浮き出てくる。ほんのちょっとの肌の滑らかさもなかった。鏡で顔を見た。顔は大丈夫だった。しかし、ショッキングピンク色のクマが目の周りにできていて、なにやら幸せそうな薬物中毒者のようだった。いやいや、それどころではない。

首から下のその異様な熱さは、その後で猛烈なかゆみになった。掻きむしる度に、あの上空から見た不愉快な生き物を思い出し、怒りを覚えた。そのガタガタとした真っ赤なできものが首から下、やがて全身にひろがっていった。こんなことってあるのだろうか。いつか写真で見たグレートバリアリーフというのか、珊瑚礁の棚のような出来物が体に浮き上がって、つぎつぎに私の体を占領して行った。

ところで、沖縄ではずっと前は小学校で「遺骨拾い」の時間があって、生徒が近くのガマなどに拾いに行っていたという、そんな、今回の沖縄滞在で、芥川賞作家の又吉秀喜氏から聞いた話とからみあったのだと思う。夢中で体にできた大量の赤い腫れ物と格闘していると、白い骨と、みやげ品店で見かけた、白くなった珊瑚の死骸がたくさん目の前に浮かんだ。そして目を閉じると、なおさらふたつがカサカサと白く降り積もるのだった。

目を開けると私の皮膚には、白いカサカサとした骨になる前の「血と肉を持つ人間たち」が赤い珊瑚になって浮かんでくる気がした。そしてその珊瑚はやはり、今はやがて白くカサカサになる前のまだ生きている「赤い珊瑚」なのだが、そういったものが表面に染み付いて、一瞬で私を大量に占領した。そして絶望的に私の皮膚の上の腫れ物は決して死んではくれず、私の制御できない力をもって、いっそう生きようとしているようだった。

ヒステリーなのだろうか?アレルギーなのだろうか?病院に行っても、医者はわからないと言った。もらった薬を飲んだらしばしおさまるのだけど、気をゆるすと、また腫れ物がいっせいに出てくる。しかしスタジオでのリハーサル中は出ない。でも終わるといっせいに出てくる。これはいったい何なのだろう?わからない。いっせいに生き生きとした赤い珊瑚が皮膚の上で生命力を吹き返す、そして私はそれをコントロールできない。そこで、私は自分を放っておく。何もしない。顔から下にはまともな皮膚がない、私の体には珊瑚ばかり。

自分の中で次々と生まれてくるのは、怒り。
根治しないのはいつも、怒り。
生命力というべきか。

誰かが言っていた。「みねさんは巫女的な性質がある」だとか、西洋のキリスト教会では「霊的感性が他の人よりも圧倒的に優れている」だとか。人が言っていたのは、このことなのだろうか。家族や友人は、私の体の異様さを見て「元海軍司令部壕の手榴弾の跡に似ている」だとか「血しぶきみたい」だとか「人間から異形の存在に変化する」なんて勝手なことばかり言っている。そんなわけないだろ。

何もできない、皮膚が不愉快でたまらない。ひたすらうめいていた、でもいいことを思いついた。珊瑚は地球温暖化で1度海水の温度が上昇したら死滅する。だから、私も1度平均体温を上げよう。無謀な試みはいつの時代も同じ。私はアメリカの西部開拓者のように、西へ向かった。奇妙な思いつきではあるものの、自転車で西へ、佐賀県に行くことにしたのだ。

走りながら私は風景を見ていなかった。南部戦線で一家全滅しての無人になった民家や、ひめゆりの女の子たちが大事にしていたおしゃれな雑誌の切り抜きやかわいい柄のハンカチが見えた。沖縄では光の量が多すぎていつもすべてが白っぽかった。そんな強烈に焼き付いた像から逃れるために自転車で走った。

結局、佐賀にはたどり着けなかったが、福岡市の中心から西へ20数km進んだ時に、体中から珊瑚がどんどん消えていくのを感じた。得体の知れない私の中の怒りは消えて、後には妥協という名の平和な生活が待っているのかもしれなかった。死滅してしまえば、もったいない気もした。記念に一部分残しておけばよかった。山をいくつ超えましたっけ?ああ、ため息とともに、自転車の向きをかえ、来た道をまた20数kmかけて戻った。
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2009年05月13日

お知らせ。

体調不良により、休息をとります。
次回更新は、5月20日(水)を予定しています。
みね
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2009年04月26日

臨時更新:JIYU-KENKYUお知らせ

世界激場関連の勉強会、JIYU-KENKYUが、5/3(日)12:00〜福岡市美術館のカフェで行われます。どなたでもお気軽に、ご参加ください。
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/

毎週水曜日更新中の『週刊みねまいこ』は、4/29(水)、5/6(水)の2週間、休刊します。次回の更新は、5/13(水)です。お楽しみに。

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2009年04月22日

12年の物語

毎週水曜日更新の『週刊みねまいこ』が始まりましたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。今日は、私が最近経験した、自分にとってものすごく大きな、最大といってもよかったくらいのことが、変化したことについてのおはなしです。

のっけから私事なのですが、私が大学時代からひとりで育ててきた子どもが先日、中学生になりました。苦労は多かったよなあ。一番の苦労は、経済的苦労かなあ。これは涙なくしては語れない!クリーニング屋さんの真上に住んでて、1Fのクリーニング屋さんに、バスケットに赤ちゃんを入れて働きに行ってたもの。それをやりながら、卒論書いてたり、入学試験を受けたりしてたっけ。がんばり屋といえば聞こえはいいけど、ちょっと異常だと思うよ(笑)。

気がついたら、そんな異常な生活を12年間も続けていたのよ。びっくり。ガラスを割っただとか、喧嘩しただとか、脱走しただとかで小学校からよびだされたり、子どものお誕生日会だとか(NHKのディレクターがケーキを持って来てくれました)、PTAの役員だとか、地区の行事だとか、お稽古ごとの送り迎えだとか、私の20代は自分自身のために使ったといえる時間は、あまりなかったよね。その子どもが、今週夕ご飯を食べながらこう言ったわけ。「これからは自分のことは自分でできるし、僕は家事もできる。だから、お願いです。家のことは僕がすべてやります。おかあさんは外で仕事して、もっとお金を稼いでください。」しーん。

そりゃそうだ。今のままでは、ただの貧乏な母子家庭だもの。友人から「『世界激場』なんて少し社会的な音楽イベントをやってるけど、まいちゃんがいちばん格差社会の底辺じゃないの」と、わたしずっと陰で笑われてきたんだもん(笑)!しかも、私は大学院で借りた奨学金がまだ相当にあるからね。さあ、どうする!これが共働きで、夫がいたのならまだ違ったと思うけど、まあ私は、たんなる「◯ちがい」。美人だけど。

しかし今回の「子どもの独立宣言(アメリカ独立宣言みたい)」によって、本当に私がこれから仕事を本気でできる環境が整うのであれば...?私にこんな幸運がやってくるとは、思いもしなくって、「いっさい容赦しないわ、パワー全開で本気でやるわ」と舞い上がってしまった。もちろん実際はまだ子育てや家事は続くのだろうけど、子どもがそう高らかに宣言したときに、カチリと音をたてて人生が変わったような気がした。

とりあえず、日々の暮らしに(まあ、家事と育児と日銭稼ぎのアルバイトかな)忙殺されて疲れたまま、ずっと解決できずにいたことを片付けてしまおうかと。まずは10年書けなかった博士論文をなんとか提出したいのよね(笑)。とりあえず博士論文の構想の一部として、5月に沖縄の琉球大学で開催されるアメリカ文学会で研究を発表する予定。私の今回の研究のメインテーマは、Toni Morrison(トニ・モリソン)とSlave Narrtive(奴隷の自伝)とAfrican Cosmology(アフリカ的世界観)についてです。ちゅうか、テーマがこんなに分裂していたらまずいし。ええと、この発表はすでに破綻していますね(笑)!直します。

さて明日の予定は、朝から夜までレコーディング。明日は、古庄くんのベースを主に録る。私は他人に対して、理由もなく威張る癖があるので、ぜひ明日は気をつけたい(微妙なメンタルが録音には影響しますからね)。それが終わったら夜は家族や友人と中華料理をぜひ食べに行きたいな、と思っている。12年、子育てをこれまで真面目にやってきた、その打ち上げをしようと思ってね。ささやかな喜びも、なかなかいい。しかし12年にふさわしい、ものすごく強く大きな喜びが、明日は押し寄せてくるはず!もう、いいのよ。もう、終わるのよ。自分が好きな、新しい物語を作っていいってことなのよ。
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2009年04月16日

ラジオ出演

まず、宣伝を。今週の金曜日、4/17(金)に、cross fmのmorining gateに、朝7:30頃より、生出演の予定です。
朝から元気いっぱいの予定です。
通勤で車の運転をしながら、チューニングを合わせてみて下さい。福岡県全域です。ひょっとしたら山口も下関ならば入るかしら...?

***
さて、毎週水曜日に更新中の『週刊 みねまいこ』ですが、昨日からパソコンを前にずっと頭をひねっていて何時間もねばっていたけど、しかしまったく書けずにとうとう日付変更線を超え、なんと木曜日の明け方になってしまいまいました。書けないときは書けません(楽しみにしていた方は、ごめんなさい)。

どうも書けないときには理由がちゃんとあるもので、分析の結果、以下の3種類のようだ。
1)外国語を使う必要があった場合、日本語の回路にしばらく切り替わらない
2)自分の中で、ものの味方や世界像が変わることがあった場合、これまで信じていた言葉をいったん疑ったり、手放す必要に迫られている
3)なまけている

今回は、1〜3の全部が同時に起きており、筆が進まない。お手上げだ!ただ、2番がやってくることは滅多になかったのだけど。

なんというか....うーん。「頑張ります!」
そのかわり、来週の水曜日の更新は期待してて下さい。
書けない日は、シッポをまいて逃げます!
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2009年04月09日

着物という妄執

こんにちは。1年に1回くらい天才になることがある、みねまいこです。「筆舌に尽くしがたい」ほどに多忙のため、今週の『週刊みねまいこ』は数日延期します(タイトルだけ、UPしています)。

さて、改めましてこんにちは。4/5(日)、世界激場関連の勉強会、JIYU-KENKYUがありました。そちらで報告を行っています。興味のある方はどうぞ。

4/9(木)には、公開リハーサルを親不孝通りのKING BEEで行った。第一部、第二部とやって、第二部はほとんどセッション。ブルースコードをベースに即興で私とバンドで曲を構成していった。最中にある感覚が沸いて楽しかった。それは8分休符や16分休符が目の前にはっきり見えたということ。今回はMacとの同期はまったく行わず(打ち込みは無し)バンドだけのシンプルな演奏だったけど、そうなると音数が極端に少ない。結果的に、ボーカルの次のフレーズは16分休符遅めに待って入るとか、そんな息継ぎのような「間」を手に取るように簡単に作れたので、そこが楽しかった。ひどくひどく、楽器の音と音の隙間、一瞬生まれる「間」をかぎとっていた。以前、ジャズバーで歌っていたときの、ミュージシャン同士の皮膚感覚レベルでの勝負!みたいな感覚が蘇った。こういうのもいいと思う。むしろ、こっちの方が私にとって正しいのかもしれない。

面白かったのが、第一部終了後に、お客さんとして来てくださったご夫婦が「長男の嫁に...でも、あなたはもう、どなたかいらっしゃるんでしょう?」と縁談を持って来てくださったことだった。ティファニーの宝石商の方だった。ときめいてしまう。何に?思いがけない縁談に?ティファニーに?ふふふ。あなただったら、どっち?わたしの場合、こたえは、、、。

さて、今日は着物の話をしたい。実は世界激場関連のJIYU-KENKYUで、辻井喬『伝統の創造力』を読み、報告する機会があった。その際に、一度正面から伝統と取っ組み合いをしてみてもいいのでは?という気持ちになった。伝統というと、日の丸とか君が代とか神道とか神風とか侵略戦争を思い出すものか、もしくは男たちだけが活躍できる芸能(歌舞伎、能など)や技術(寿司職人や、宮大工とか)しかなく、女の私にはアレルギー状態か、選択肢がないというしろものだった。

唯一、女性にできそうな伝統的職業といえば、海女さんみたいな仕事はありそうだけど、寒い海に入りたくない!海といえば!ところで全然関係ないが、オペラはなぜあんなに面白くないのだろうか。音の迫力はあるけどストーリーが目も当てられないくらいにひどい。弱い女がたいてい男のために尽くして、やっぱり弱いから女が病気なんかで死んで終わる。そこで思うのだけど『ジョーズ』なんかをオペラにすると良い。以下、ジョーズのテーマで歌って下さい。「サメ、サメ、サメ、サメ、サメだー」って大舞台で大迫力だと思う。まず成功すると思う。あとは『ゴジラ』とか。以下、ゴジラのテーマで歌ってみてください。「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」みたいに歌って、オペラ歌手が闘うわけよ。すごくいいオペラになると思うよ。小道具をしこんでおいて、舞台で火なんか吹いたりしてね。ね。素敵じゃない?

話を戻すとですね。一度、敬遠してきた日本の文化を正面から受け入れてみようかと。それでたぶん、伝統なんていっても時代によって「ねつ造」された部分はたくさんあるんだけども、それでも自分にとって「信じるに値する伝統とは何か?」っていうことを考えてみようと思ったわけ。

忙しい合間、博多駅のそばの喫茶店でコーヒーを飲みながら外を見ていた。すると横断歩道をコリアン系のチマチョゴリ姿の女の子たちが風に吹かれて信号を待っていた。チマが花のように大きく膨らんで、天国にいるみたいな気持ちになった。そして私は、日本の着物が着たいと思った。

そうこうしていると数日後、着物を着る機会があった。

kimono3.jpg

※スキャンの際に、画像が反転しているため、
打ち合わせの左右が逆になっているように見えています。

帯は人間国宝の金糸の帯。桐の箱に入っていた。着物は、これは手で柄を描いて染色しているわけではない。なんと総刺繍、すべての柄が糸で一針一針、糸は微妙な色で陰影がつけられ、すべてが刺繍で表現されていた。圧巻の着物だった。地の色は、水色。もちろん上には上の着物があることは知っている。何千万もするような。私の着物はそこまではいかない。だが袖を通しただけで、心が通った。だから、いい着物だとわかった。見る人が見たらわかるのだろう、着付けの人が「あっ!」と言い、帯からえり、小物に至るすべてが完璧に計算しつされていると言った。福岡の博多座の前を歩けば、着物を着て観劇を楽しんだ後の老婦人の団体を黙らせ、街を歩けば知らない人から「そのお着物の写真を撮らせて欲しい」と言われた。

これは、私の祖母が私に作ってくれたものだ。祖母は富豪でもなんでもない、サラリーマンだった優しい祖父がいて、ずっと年金生活者だった。料理が上手だった。普通の生活をしていたと思う。ただ、着物だけは「狂気」と言ってもいい。月賦をくんでも、自分の思う最高の品を買っていた。私が作ってもらった着物はこれだけはない。他にもあって、もし自分の命の危険にさらされるくらいに生活に困ったときに質に入れてしまおうと、大学生の頃姑息なことを考えていたこともあった。幸い、そこまで悪党になる勇気はなかったのですべて着物は手元にある。今思うと、とんでもないことだった。一度手放したら、二度とめぐってこない。また、これだけの着物を作れる作家も、どんどんこの世からいなくなる。

いろんな柄がある。どれも品がある。色に目がさめる。見ていると、私も狂ってしまいたい。

祖母は数年前から、痴呆で病院にいる。お正月に着物を着てお見舞いに行ったことがあった。もう今では誰のこともおもいだせない。祖母は、何も思い出せない自分が悔しくて、ぽろぽろ泣いていた。私の顔を覗き込んでじいっと考える。でも思い出せない。それが悔しくて、また泣いている。祖母は私が子どもの頃から、私の額と、お尻の形が美しいと言っていた。病院で両方を見せるわけにはいかないが、とりあえず前髪を上げて額を見せた。それでも効果はなかった。

帰るときに、びっくりしたことがあった。着物のそでをつかんで離さないのだ。そして、着物の柄を何度も撫でて、手のひらで絹の清らかな暖かさと、重みを確かめていた。着物だけは、覚えているのだ。自分が審美眼のすべてをかけて見極めて選んだ柄、色、そしてそれに合わせて選び抜いた帯、小物。全てが彼女の愛したものであり、彼女の狂気だった。

たぶん、こういうことだと思う。伝統というものは、誰か一世代、一人でいい。異様なまでに何かに精力を注ぎ込んだら、意図せずして残ることがあるのだ。しかし何に夢中になるかは、本人の才覚によるところが大きい。

祖母は若いときに戦争があって、あまり着飾ったりできなくて、それでも江戸時代の祖母の祖母や明治時代の祖母の母たちが、もっと昔に美しい佇まいで水仕事をしたり、身のこなしの中の優しさとか、鏡の前で年に何度か一番いい着物を着てめかしこんだり、そんな記憶が残っていたと思う。そんな豊かな生活の風景があって、着物を買えるようになったときに、一気に自分の中の記憶の美を放流し始めたのだと思う。

私は、日々洋服を着て生き、西洋音楽で生きている。西洋音楽はいつも他人の顔をしている。かといって日本の古い音楽と、心をひとつにすることもない。また両者を混ぜるような、下品なこともしたくない。大正生まれの祖父母の記憶までしかなく、さらには、空爆で風景は大きく変わった。戦後は世界中どこを探しても、こんなにやりたか放題、街を壊しては作り、大型店が恥も知らずに増殖する国はない。しいていえば、新自由主義を徹底させたアメリカも、日本に近いが、日本ほどではない。一方で、靖国やサムライジャパンが日本の伝統として(ちょっと違うか)あがめたてまつられている。伝統とは、靖国のことではない。伝統というものは、一人の人間の中に生まれた狂気のことだと思う。それを時間と共に発見し、感動しつづけることだと思う。

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2009年04月01日

毎日新聞に掲載されました

最近、丑の刻参りをしている、みねです。と、のっけから大嘘ですが、こちらは本当。3/28(土)の朝刊に、かなり大きなスペースで記事が掲載されました。

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読みながら、少し想像していた。ひょっとしたら刑務所にいる人が読むだろうか、誰かが爪を切るのに使っているだろうか、虐待を受けていたり、あまり幸福な子ども時代とはいえない女の子、しかもその不幸を言葉で表現できないまま、気持ちがいつもふさいでいる女の子が読んでいるだろうかとか、思いめぐらしていた。

さてさて、文中に出てくるイベントは世界激場といいます。公式ブログはこちらです。毎月の勉強会は、誰でも参加できます。お気軽にどうぞ!

これは告知です。みねまいこ&30インチ、公開リハーサルを4/9(木)福岡市内で行います。こちらも、お気軽におこしください。
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2009年03月25日

ハンキンナイト/スピード

今日は先週のライブの報告に徹します。だから今日のブログは、それほど面白くないと思う。たんなる記録の列挙が多いので。

3/21(土)に、博多のプレアデスというライブハウスで出演した「ハンキン・ナイト」。これは、満員御礼で終了した。出演依頼を受けて即席でこの約2週間くらいの間にバンドを結成したので、音楽的には、残念ながら15〜18%くらいのクオリティだったかなと思う。これが自分のソロライブだったとしたら、お客さんに髪の毛をひっぱられて、唾をはかれても文句は言えなかった。しかし、この日のメインはウィーンから来日された内橋和久さん(UAのバンドリーダーもなさっている方)だったので、私は前座だから気楽だったぞ。(←反省がないな!)

内橋和久さんは、私のステージの感想を、一言「衣装が良かった。」とおっしゃった(笑)。あ、音楽が良かったわけではないわけですね、わははは。その日私は、半身が拘束着になっている服を着て歌ったのだった。さて、彼の演奏には、ノックアウトされた。最初のギターの一音。たった一音で、鳥肌が立った。なんじゃこりゃ、なんだこの音のオーラは。なんでこんな音が出せるのだ。たった一音、最初の一音で「ただことじゃあないぞ、この人のギターは」と思った。ものすごかった。最初から思わずスタンディングオベーションしそうになり、後ろの人の邪魔になると気がついて息をつめてやめた。それくらいにすばらしかった。こんな才能のある人がこの世にはいるんだなあ。神様ありがとう。幸福な気分だった。

さて、この日は毎日新聞の取材がライブ中、ライブ終了後に行われた。3/28(土)の毎日新聞の夕刊に、掲載予定。エリアは九州全域です。でも、大きな事件があれば、どんなに優秀な記者の記事でも、私ごときのネタだとふっとぶかもしれないので、確定とは言えないけれど...。でも、九州在住の方は、3/28(土)の毎日夕刊を買って読んでみて下さい。←注!「朝刊:福岡エリア」のようです。

以下のライブの写真は、「せん」さんが、たくさん提供してくださいました。ありがとう。(注意:最初の会場の写真は、私が演奏しているときの様子ではなく、たぶんこの日の最後の方の様子だと思います。)(参考:ギター=大将ゆうじ、ドラム=渡辺ハンキン浩二、ベース=古庄竜太、キーボード=高木一宏)
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以下の写真は、佐藤直樹(現代評論家、刑法学者)がアナログのカメラで撮影してくれたものです。
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とまあ、こんな感じでした。来て下さった方々、どうもありがとうございました。いろんな方からご感想をいただいたのだけど、中でも多かったのが「楽しそうに歌っているので観ていてこっちも楽しい」というコメントだった。いいえ!ちがうんです!楽しそうに歌っていたというよりは、この日、余りの自分のヘタさにびっくりして、恥ずかしくて笑ってしまったのだ。なんだろうね、まったく歌手で歌がヘタだというのは、死罪だね(笑)。そうそうこの2週間で、バンドがやっと流れに乗り始めたので、ついでにボーカルスタイルも変えちゃおうと思ってる。どんどん変える。昨日の失敗なんか知らない。

新しいバンドは、30インチという名前にした。みねまいこ&30インチ。ギターは、めんたいロック出身のベテラン、大将ゆうじさん、ドラムはオンゴロというプログレバンドをされており(昨年CDジャーナルなど各誌で取り上げられた)、内橋和久さんの瞬間音奏で即興演奏をしたり、過去には頭脳警察というバンドの助っ人をなさったり鮮やかすぎて全貌は不明。彼の名は渡辺ハンキン浩二!新加入のベースは古庄さん。古庄さんはですねー。泣く子もだまる、メタル出身だ!しかも練習のオニ。

バンドの名前30インチは、W.H.オーデンの詩からの引用だ。あまりにも異なるジャンル出身である各プレイヤー。最大限に各人から能力を引き出すには、個人の領域を守りつつ、バンドとしても両立できるような関係性(音楽性)が必要だと思ったので、それを意図して、つけてみた。また一方で、互いが30インチの内部に入ったりもできる親しい関係性も、ときには必要だしね。両面の意味でつけたともいえる。

私の鼻先三十インチに

私の人格の前哨線がある。

その間の未耕の空間は

私の内庭、直轄領

枕を共にする人と交わす

親しい眼差しで迎えない限り

異邦人よ、無断でそこを横切れば

銃はなくとも唾を吐きかけることもできるのだ。
___
きゃー(W.H.オーデンにたいして)。

さて、ハンキンナイト終了後は、中洲の「ふとっちょ」だか「ふとっぱら」だか、どっちか忘れたけど、飲み屋へ、打ち上げに直行した。内橋和久もいらっしゃっており、どきどきした。しかし、明日公演があるとのことで、内橋さん他、早めに(といっても夜中でした)帰られた。で、残った私がおり、そして先日うちのバンドを脱退したなんとベースのこーち君がおり(じつはこの日彼は、内橋和久&瞬間音奏で出演していた)。さあ!眼鏡をとれ!(こーち君は別に眼鏡をかけてないんだけど)私と彼、1対1でケンカ&殴り合いだ。なんて面倒くさいことにはならない。みねまいこのバンドのオリジナルメンバーと新メンバーみんなでわーわー。しかも旧ベーシストと新ベーシストが真顔で語り合っている(注意:私の悪口ではなく、エフェクターについて話していたようでした)。結局、午前3時までみんなわーわーいってた。帰宅して、ライブを観に来てくれていた、現代アートのソン・ジュンナンからもらったピンクのカーネーションを銀色の花瓶にいけて、お風呂に入ったら朝だった。

バンドの次に必要なの、スピードよ。
あなたは、どうするつもりなの。
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2009年03月18日

巨大な後悔の怪物

先週、NHKの「プロフェッショナル」という番組を観ていたら、なんてことはない、知り合いが出ていたので驚いた。奥田知志という北九州の教会の牧師だ。奥田さんが北九州の夜の街を、路上生活者に声をかけては、もくもくと歩く。彼の仕事の特徴は単なる支援ではなく、社会復帰をさせるところにある。路上生活者の社会復帰率は全国でも驚異的な業績をあげているとのこと。そんな彼とは10年前、九大大学院の修士課程1年で知り合った。自分は社会人入学であり、普段は牧師で路上生活者の人を支援する仕事をしていると、本人からきいていた。そのときは「へえっ」と思っただけだった。

当時の私は寺園嘉基先生(ナチズムに反対したドイツの神学者カール・バルトの研究者)という先生の下で、黒人神学/黒人霊歌を研究していた。奥田知志さんは、ボンヘッファー(カール・バルトと同じ時代の人)という神学者の研究をされていた。で、私は自分の研究に(人生に)疑問ばかりを感じていた日々で「(やったこともないのに)フッサールの現象学がやりたい!」など大学院入学そうそう、突如無謀なことを言い出した。それに対して「おやりなさい。」とゴーサインを出してくれ、(やったこともないから)ドイツ語から始めることになった。そこでもともとドイツ語が必要な奥田さんと私、寺園先生の研究室で二人肩を並べパイプ椅子におさまり、私がてんで初心者でついていけないため、ドイツ語の基礎から習った。しかも最終的に私は現象学をやる才能が絶望的にないと気がつき挫折したため、習ったご恩に報いることはなかったばかりか、もうドイツ語は忘れてしまった!まさに合わせる顔がない!でも不思議なのは、こうやって他人から献身的に教えてもらったことは、それが短期的な費用対効果のようして外に出て来なくても、こうやって自分の中で後悔とか、感謝として、いつまでも散ってはいかずにずっと残っているってことだ。

で、テレビで奥田さんの姿を見て興味をひかれたのは、あなたにとってプロフェッショナルとは?の質問に「使命の風が吹いたら、自分の都合や好き嫌いを断念できる人」という主旨の話をしていたことだった。たぶん、聖書の箴言16:9「人は心に自分の道を考え計る しかしその歩みを導く者は主である」のことかな?と思った。私が、いちばん苦手な聖書の句だ。Aの方向に行きたい、もしBの方が広い視野(神の目と言ってもいい)でみれば正しいとしても、自分の好きなAの方向に行く。Aでは失敗して、ずいぶん痛い思いをする。なんてことをさんざんやった気がする。人生の終わりに私は、貴重な時間を無駄にしたという「巨大な後悔の怪物」になっているのだろうか?いやいや、そんなくだらないことを考える暇があったら、早起きして新聞配達をした方がいい。もしくは曲のひとつや、ふたつ作ってみろ。そして、次はAではなく、Bを選んでみようか?自分好みのAではなく、自分の理解を超えた不可解なBを!

奥田さんが研究されていたボンヘッファーは、ナチズムに対し異をとなえる行動を起こしたことで殺されてしまった神学者だった。いわば、自分の信念に誠実であることを前にして、自らの生命をも断念した人だったといえる。奥田さんには、一緒にパイプ椅子におさまっていた頃よりも、ずっといい顔をしていた。「おお!奥田さんってば、日本のマリア・テレサじゃん!」なんて思った。

番組司会者たちのブログ(興味のある方は参考まで)
http://www.nhk.or.jp/professional-blog/100/16847.html
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/2009/03/post-8953.html
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2009年03月11日

ソン・ジュンナン

現代アートの作家とお会いした。彼の名はソン・ジュンナン(SONG, JUN-NAM)氏。最近になって偶然この作家を知った。彼は神戸出身、今は福岡で活動をしており、しかし今月末で福岡を離れるとのこと。彼のアトリエは第三倉庫にある。そこは匿名の方が正体を現すことなくずっと「あしながおじさん」として支援している場所。そこに遊びに行った。

行く途中で迷い、とうとう海に出た。向こうは対岸、韓国だ。海にパナマ船が停泊していた。船乗りのおにいさんたちが船上から手を振る。私も手を振った。日本に上陸するのには、なにか許可がいるのだろうか?船に乗ったままで、じっとこちらを見ている。私は船を見上げ、一瞬互いに共通の言語を探し、そしてどちらからともなく諦めるのを感じた。言葉の代わりに、笑顔で手を振った。

ソン・ジュンナン氏と話をし、彼のアトリエにもお邪魔して、まさに作品を制作する場所を写真に撮らせてもらったけど、作品と現場はまったく別個の物だという気がするのでここでの掲載はひかえたい。

第三倉庫でのソン・ジュンナン
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アトリエを見せてと私が頼んだら、
そっとご自身のアトリエをのぞいていたソン・ジュンナン

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私が、藤田嗣治でもなくレオナルド・ダ・ヴィンチでもなく、他の誰より彼のことをいい!と思ったのは、ソン・ジュンナンが今を生きているからだ。極論かもしれないけど、私は死んだ人には興味がない。そして彼の作品は、私たちの生きている時代が刻印されている。自分が生きていることを、再確認させてくれる。私にもっと息をさせてくれる。そうじゃなくっちゃいけない。私はもっと世界を愛したい。
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2009年03月04日

音楽と空間(2)人はパンのみにて生きるにあらず

さて前回、日本に1000以上もあるライブハウスに喧嘩を売るようなことを言ったけど、買う人はいないからこれまでのはなしを思いきって要約すると、ライブハウスのチケットノルマ制は「クソだ」と言ったわけだが、じゃあライブハウスに出演しないで別に表現活動の場としてのあてはあるのかといえば、まるでないの。教会に戻って、宗教音楽をもう一度やる気はない。黒人霊歌ならやりたいが、日本のキリスト教会で黒人霊歌を歌ったらきっとまた追い出されるだろう。だったら、自分でイベントをやるしかない。しかし、自分の力でイベントをやるのは困難で大変な労力を伴う。これはいろんな人がすでに経験してきたことだ。か、もしくはチケットノルマが存在しない海外に逃げるしかないだろう。でもいったい海外にまで逃げて、そうまでしないとのびのび音楽がやれない国って、いったい何よと思う。逃げてもいいけど、いまいる場所(とりあえず福岡かな)で自由になることができた方がずっといい。と思っていたら、チェコのミュージシャンから連絡があった。うーん。できれば近所でライブやりたいんだけどな。でも、検討します。そうね、チェコの雪が溶けたら。

ということで、どんな音楽的空間が、みんなでのびのび自由にやれるか?ってのを、考えてみた。これはあくまでも私に十分な財力があれば、実現するはなしであるが、とにかく夢みたいなことを書いてみる。そのうえ私にいつ、資金を持続的に出してくれる世界で5本の指に入るような「パトロン/パトロネス」との出会いがあるとも限らないのだから。

まず、広さについて。ライブハウスは3種類に分けられる。もっとも大きいのは1000人以上の規模のものであり、それは大きな企業の経営するものだ。そのように規模が大きくなると、1日あたり100万はくだらないホールのレンタル料、PA、照明、その他人件費になると思う。事前の準備も入念さが必要になるし、客が確実に入るネームバリューのあるミュージシャンが演奏する必要がある。そうなると、当然そのミュージシャン目当ての客しか入らない。つまり「単発の出来事」として、ライブが消費される現象が起きる。客はライブハウスを通り過ぎていくだけになるだろう。そういう用途の会場は会場として存在意義が十分あるけども、これから何か生まれるというよりも、もうすでに作られたミュージシャンや、東京の資本を中心に作られた既成の文化を、再確認しているにすぎない。また、そこに集まった人たちが偶発的に出会い、自己紹介をし、互いに会場の中をうろうろしながら談笑をしたり、謀議(なんじゃそりゃ)をくわだてたりするだろうか?おそらく、椅子にぎっしり詰め込まれて、身動きも歩き回ることもできず、ひたすら見に来たミュージシャンとの濃密な、対幻想的な(1対1)関係だけで、ショーが進む。客同士のつながりは、まず生まれないと言える。

しかし、200〜500人程の中規模、50人程度の小規模であれば、それほど赤字を気にすることもあるまい(少しは気にしなさいって)。リスクは少ないので、いろんなミュージシャンを出すこともできる。ヘタでも、面白い人がたくさん集まるかもしれない。上手になることはいつでもできる、まずは情熱(そろそろ私も上手にならないといけないネ)!規模は100人くらいでいいのではないだろうか?もっと狭くてもいいかもしれない。きっと客のスペースは、バスケットコート1枚分くらいでちょうどいいんじゃないだろうか。深夜、テレビをつけたら、アメリカの黒人のお兄さんたちが元気に走り回っていて楽しそうだった。走って飽きない距離ならば、客が歩いてうろうろするのも楽しい距離なのだ。そうだよね?そのくらいがちょうどいい気がする。建築は新しく作る必要はない、廃墟で良い。コンクリートの壁のままでいい。そして1バンド60分の演奏だ。じっくりそれくらいの時間を使う。また、それくらいの時間を演奏できないレベルでは困る。

ノルマ制はない。ノルマ制がなくて、いかに客を集めるか?次に、そこを詰めてみたい。キーワードは2つ。「リピート性」と「余暇性」だ。その2つが新しい文化を創ると私は思う。新しい文化が生まれる気配は、人を引きつける。「リピート性」「余暇性」、この2つがあれば、客が来る。ノルマ制の最大の弊害は、バンドが客をライブハウスに連れて来ることだった(←すでに気持ちは過去形)。つまり、ライブハウス自体に顧客がつくわけではないのだ。だから余計にライブハウスはノルマ制にしがみつく。そこで、音楽空間に顧客がつくことこと。これが最大の課題だといえるわけね。顧客、つまり「リピート」してくれること。そして「リピート」して来たくなるような、「余暇性」が空間に漂っていること。ってわけ。

では、「リピート性」はどうやって生まれるかを考えるぞ。アイデアは、私のヨーロッパプロモのSnigel氏とかつて行った、あるヨーロッパの国の首都のはずれにある、地元っ子しか知らない非常に個性的なある店がヒントになった。これは、Snigel氏が自身のHPでもまったく書いていないことだ。彼のHPは影響力があるので、それは聡明な判断だったと思う。HPを見た人が日本から大勢で行くと、たちまち地元の人たちの作っている均衡が崩れてしまう、そんな店だ。事情は後でわかると思う。

その店のテーブルや椅子は質素な木製、ソファーがあったり、突如シャンデリアがぶら下がっていたり、アンバランスでもあるが暖かみのあるリビングルームのようだ。赤いランプシェードがぼんやり灯っている。明るいうちから深夜まで客でごったがえしている。私とSnigelは見つめ合い「みねまいの瞳に乾杯」と彼が言う。うっとりする私。さーて、どこから嘘でしょうか?はい、私とSnigelは見つめ合い〜から全部嘘。すみません、ややこしいことしてしまったが、説明を続けたい。中にはいくつか小さな部屋があり、おそらくレストランとして設計されたわけではなく、普通の住宅を無理矢理レストランにしたようだった。中央に置かれた大きなテーブルには、次々と大きな皿で料理が運ばれて来る。それをセルフサービスで取りにいく。料理の種類は4つくらいしかない。飲み物はワインだけ。つぎつぎカラになり、つぎつぎと笑顔で店員がキッチンから持って現れる。活気がある。

料理が美味しい。たくさん好きなだけとって食べる。皆、幸せそうだ。ある者はソファーを陣取り、ある者は気持ちがいいのか外に椅子をがたがた出して、外で食べている。たしか、私とSnigelも外で過ごした。お腹いっぱいになった日暮れ。薄暗くなり、お互いの顔が群青色になる。空気の色がきれい。寂しげな通りとは対照的に、店には活気がある(うるさい)。Snigelもよくしゃべる(うるさい)。つかれたので最後に会計へ。Snigelが払ってくれたと思う。そこで驚きの事実が告げられる。It dipends on youという主旨の話をされる。お任せします。つまり、値段はあなたが決めること。あなたが満足した分だけ、払って下さい、と。ああ驚いた。さあここで私が支払いに立っていたらどうだろう?美味しかったくせに、たくさん食べたくせになるべく少ない額を出したと思う。私はその程度の人間だ。しかし、Snigelは違うのだ。ホテルのレストランで食事をしたくらいの額を十分に満たすほど、おそらく地元っ子でもそんなに出さないぜ、おい。と思われる額を出した。店員、スマイル。みんなふんわりした空気になった。そしてその店を後にした。どこまでも敷き詰められた石畳に、私達の足音が歴史のように響いていた。良い夜だった。そしてSnigelはいい人間だと思う。

なぜ、支払いを個人の自由裁量にまかせるというユニークな店で、Snigelがあんなにたくさん支払ったのか?その話題が昨年、彼がアイルランドから私の家(福岡)に遊びに来た際にとつぜん思い出して出たことがあった。すると彼は言った(突然ですが、彼は私の恋人ではありません、彼が私の家に泊まったとしても何もありません、しかし彼はゲイでもありません←たぶん、ただの大切な友人です!なんか矛盾した言いようだけど)。「みんながみんな安い金額を払ったら、あの店はつぶれてしまうでしょ?次に行ったときにつぶれてたら、悲しいでしょ?つぶれて欲しくなかったら、お金は出すべきなの。」とのこと。断っておくが彼はとくべつリッチでもない(失敬!)。ただし、彼は極めて「公共性が高い」人物なんだと思う。

公共性。これまで日本人がこれを持てないばっかりに、富士山が世界遺産に登録されなかった、あの公共性だ。同じ店を日本でやったらどうなるだろうか?少なく払う人はいても、Snigelのように高く払う人はいないのでないだろうか。大分県のある地方では弘法大師のお祭り「おせったい」というものが4月にある。毎年持ち回りで、あるエリア内に10軒くらいだろうか、民家を解放し、婦人会が釜と薪で炊いたおこわや、春の山菜が出される。当番の家には大きなのぼりが立つのでひとめだそれとわかる。のんびり歩き回って、入りたくなったら10円、20円のお賽銭で、知らない人の家にあがって食事をいただくことができる。子どもたちが主に食べて回る。ところがこれがテレビで放送されて以来、よそから車でたくさんの人が乗り付けてくるようになり、家族連れでほんとうにわずかなお賽銭で大量に食べさられてしまう。地元の人たちで祝おうと準備した食事はからっぽになるとのことだ。もし日本で、Snigelと行ったような店をやれば、そんな風になってしまうだろうか。

もし、その公共性がうまくクリアできたなら。そうね、Snigelのように「つぶれて欲しくないから僕出すよ」という客がいれば。もしくは今週は金がないからこのくらいしか出せなくても、次の週は「先週の分も多めに出すよ」という客がいれば、店の経営は成り立つ。メニューが限られていてセルフサービスだとしても料理がおいしくて活気があり、支払いのシステムがユニークで料金が自分で決められる店があれば、お金がない日でも安心して何度でも来られる。どんどん人も集まる。そこにかならず「リピート性」はある。そして人が集まるところには、すべての可能性が生まれる。

ぴっ(笛を吹いた)。ここからが私のオリジナルのアイデアなのだが、その店と同じ場所で、音楽をやればいいと思うのだ。ただ、問題は何度も言うように「リピート性」が、公共性に裏付けられない限り、失敗する。そして日本では、公共の利益を考えることに慣れていないため、失敗する可能性が高い。毎回10円しか払わずに、満腹になって帰る客もいるかもしれない。貧乏な若者に混じって、高給取りの社会的地位もある人が、節約のためにこのレストランを利用するかもしれない。しかしもしも公共性の問題がクリアできたら、面白い店ではないだろうか?

音楽の話に移ろう。そのレストランと同じスペースに、しかし別の部屋に音楽の部屋を置くのだ。仮にレストランを「腹が減ってはいくさはできぬ」というニックネームで呼ぼう。そして音楽の部屋を「人はパンのみにて生きるにあらず」と名付けてみよう。うん、いい名前だ。「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋では、4種類の料理とワインしか出さない。パスタ、サラダ、8mm程にスライスされたフランスパン、デザートの4種だ。季節に応じて買い付けた食材で作ると良い。パスタとサラダなら、どんな食材でも応用がきく。デザートは私がティラミスが好きなのでティラミスだけにしたい。よほどの間抜けでない限り、同じシェフが同じティラミスを毎日作り続れば、いずれ世界1の美味しさのティラミスができるようになるのではないだろうか?だんだん私が「お店やさんごっこ」の空想のレベルで話をしていることがバレてきたと思うが、続けよう。

「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋では、壁紙は赤のような茶色が良い。古い額縁に最近描かれた新しい絵が飾られている、とても元気の良い油絵が。体にしっくりとなじむ花柄のソファーがいくつかあり、ビロードのカバーのクッションがあり、足下には複雑な模様のベルギー絨毯もある。木製の質素なテーブルと椅子で構わない。しかし唐突にシャンデリアが天井からぶらさがっていると素敵だ。風が心地良ければ、外に出て食べられるといい。白いシンプルな皿、しかし皿の縁に小さなレースのような模様が浮き出ている、そんな皿に好きなだけ食べ物をよそおって、白ワインを飲みたい。友人と会い、新しい友人と出会う。そして隣の部屋からさっきからディストーションのかかったギターがごうごうと鳴っているのだ。ちょっと見に行ってみましょうか?皿とワインを持って移動する。入り口に「人はパンのみにて生きるにあらず」と書かれている。なんか説教くさいわね!入ると、音が大きくて耳が慣れるまでちょっと時間がかかる。ギターのディストーションがうるさいけど悪くない。

壁はコンクリート打放し。地面も石ころがころがっていてあまり衛生的とはいえない。見上げると天井が高くてびっくりする。なんとこちらの「パンのみにて生きるにあらず」の部屋は、天井は1階から上にむかってぶち抜いて、2、3階分の高さを出している。飾り気はまるでなく、むしろ廃墟すんぜん。「勝手にしやがれ」的な、まるで統制のとれていないアナーキーな感じが、むしろ音楽をひきたてている。ちょっと座って聴こうか。「腹が減ってはいくさができぬ」部屋と同様の木製の質素な椅子がころがっていたり、キャンプ場のバーベキューをするところにあるような、木の長椅子が無造作にある。長椅子の方がワイングラスを置けていいわね、ね。こっちに座らない?

ふうん。ピアノはもしやスタンウェイのアップライト?グランドピアノじゃないところがかっこいい。いま気がついたけど、ここにはスピーカーがない。どうしてないのだろう?あのライブハウスの特有のスピーカー、どこか音が割れてるような、時間が経つとこちらの疲労度が溜まるような音がしない。なのにどうして音が大きいのだろう?ボーカルだけ、見たことがない白い四角いスピーカー(このボーカル専用アンプ付き白いスピーカーは私が前に夢で見たもの、現実には売られていないと思う)でちょっぴり声を拡張しているけど、他の楽器はほとんど生音か、ギターとベースはアンプを使用している。どうしてスピーカーを置いていないのに、音が伸びるし音に芯があってなおかつ迫力があるんだろう?しかも音が澄んでいる。ああ!もしかして、この部屋全体が巨大なスピーカーになるように設計されているというの?!だから天井がゴシック建築の教会みたいに高いんだわ!!さすが、この奇抜な設計のアイデアを思いついたのは「安藤忠雄の髪型を考える会〜あの髪型は一級建築士としていかがなものか〜」の副会長をつとめる、みねまいこだわ!(ふっふっふっ by みね)

演奏が始まって時間が経てば経つほど、音が美しくなっていく。演奏者が集中し始めたのだろうか?たっぷり演奏を聴く。いい音楽を聴くというのは、聴くのではない。音を浴びるのだ。ひとっ風呂浴びた気分だ。食事に続いて、さらなる贅沢。私たちそういえば途中から聴いてたのよね、もう次のミュージシャンが交代する。さっきのひと割と良かった。今度いつ偶然、さっきの人の演奏が聴けるかわからないから、CDを買っておこう。彼氏に聴かせよう。ふうん。今度の人たちは日本では珍しいキューバ音楽。楽しいじゃない!踊っちゃえ。きゃはは。「腹が減ってはいくさができぬ」部屋から「パンのみにて生きるにあらず」の部屋に人が流れて来る。みんな、うっぷんたまってるんだねー。あの人たち社交ダンスの人?めちゃめちゃ本格的に踊ってるわー(笑)。ちょっと疲れたな。ティラミス食べに向こうの部屋に行こうっと。

とまあ、こんな感じで時間を過ごせる場所が必要だと。ちなみにミュージシャンに対してギャラは出さない(オニィ)。演奏の後でCDを売ってもらう。毎日演奏してもらっていい。ここではなるべくたくさんの、いろんな職業、いろんな夢を持ち、いろんな恋愛をして、いろんな秘密を持っている誰かに、行きがかりに聴いてもらうのだ。知らない誰かの好みに委ねる場所、同時に不特定多数に認めてもらう場所。そしてCDを売って収入を得る場所として位置づけてもらう。一人(バンド)60分の演奏だから、聴く方は気に入ったらどこまでも心を自由に泳がせれば良い。気に入らなければ、お皿を持って「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋に戻ってゆっくりくつろぐのだ。明日も早いし帰ろうか?会計は?昨日給料日だったから多めに出すわ。私はダメ、これっぽちしかないの。お金がないときにこの店助かるー。あ、じゃあ私が今日多めに出しとくわ。ってな感じなの!実現したら、楽しいだろうに!

全経営は超有能な人に任せて、調理場は超有能な人に任せて、接客は超有能な人に任せて、会計は超有能な人に任せて、それらすべてにおいて無能な私は、毎日ただ、人々の数時間の「余暇」のために演奏して歌うのになあ!!人々は各人が持てる中から払い、パンと余暇を得る。どんなにお金がなくても人間らしく息をして、生きられる街は、実際にヨーロッパに存在するのだから、日本で存在してもいいはずだ。その後は何かが一人歩きして、関係の網の目が複雑な動きをして、私たちの時代に役に立つ「文化」が生み出されると思う。

こほん。新しい文化を創るだなんて大義名分を出したけど、本当は自分がのびのび歌いたい場所が欲しかっただけみたい。自分がわくわくするような環境が欲しかっただけみたい。ライブハウスのチケットノルマ制なんて世界中で日本だけの悪習だと、ある日わかってびっくりして、無性に反抗したくなっただけみたい。インドの農村で花嫁が焼かれるくらいに、アフリカの女性割礼くらいに、日本のチケットノルマ制はものすごく悪い習慣だと思ってる。手に負えないくらいに最悪だと思う。他の人はどうか知らない。少なくとも私は幸せではない。そのとおり。今の私には空想しかない。だけどそんな場所を見つけようと思ったり作ろうと考えていたりしたら、いつか見つかると思うんだ。今までだって無謀な感性と同時に、現実的にも生きて来れたのだから。結局、夢見る夢子のようなことを言って、この「音楽と空間」をまとめます。そんで、明日からは通常業務に戻ります。バイ。

みねが関わっている「世界激場」2009年の公式サイトのお知らせです;
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/
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2009年02月25日

音楽と空間(1)ライブハウスのチケットノルマ制

先週からノロウィルスという病気に感染して、自宅療養した。もう元気になったのだが、病気の間なぜか「ライブハウス」について考えてばかりいた。私は2007年の5月を最後に「ライブハウス」に出演していない。演奏してきたのは商業施設、野外ステージ、演劇ホールなどだ。ライブハウスに出演しなくなった理由はいろいろあるが、重大な問題が実はそこにあったんじゃないかという気がしている。また、ライブハウスに出演せずして今後私はどこで演奏すべきなのか?という課題は放置されたままだ。そこで今回本を読んだり(参考資料は下)、大学院の授業のノートをだしてきて、自分なりにまとめながら一度意見を述べようと思った。病気で寝ていた時間は5日間、120時間なので、時間はたっぷりあった。それを2回に分けて話したい。

初回は「ノルマ制」についてだ。マリア・カラスの恐ろしいまでの神々しさ、大迫力の歌劇『ノルマ』ではない。チケットの「ノルマ制」についてだ。えげつない話で大変恐縮している。だが、話をしたい。通常ライブハウスでは、出演するミュージシャンにチケットの「ノルマ」を課している。ノルマの金額はライブハウスによって異なる。ミュージシャンは、ライブハウスから「出演しませんか?」と依頼が来ると同時に「ノルマはチケット◯◯枚です」という条件を伝えられる。そこで、ミュージシャンは客を集める。メールを出したり手紙を出したり電話をかけたりして、ファンや知り合いに必死に声を掛ける。もしもノルマがこなせなければ、自腹で払うことになる。たとえば、ノルマ10枚(1枚2000円)の場合、客がまったく来なければ20000円は自腹を切ることになる。

このようなチケットノルマ制というシステムは、通常のライブハウス(ステージ、照明、PA、ドリンクを出す)ではごく当然のことだ。また、全国津々浦々どこへいってもどのライブハウスも「チケットノルマ制」を出演者(ミュージシャン)に課す。しかし、なんと驚くべきことに、「チケットノルマ制」は日本だけの独自のシステムなのだ。2005年にベルギーのとある芸術団体からコンサートの依頼を受けて、ベルギーへ来られないか打診を受けたことがあった。宿泊は無料だが、交通費が自費という悪条件だったので断った。実はそのときたまたま依頼者と話して初めて知ったのだが、ヨーロッパではどんな小さなコンサートでもミュージシャンにギャラが出るということだった。それをきいて愕然としたことがあった。

一度、友人の聡氏(TARJEELING)にこの話をすると「そうらしいですよ。日本だけなんです、チケットノルマ制って。アメリカに一部チケットノルマ制のライブハウスがあるそうですが。ニルバーナのほら、『PAY TO PLAY(演奏するために金を払え)』っていうタイトルの曲がありましたよね?」ということだった。社会学者でミュージシャンの宮入恭平氏の本によれば、アメリカに4軒のみチケットノルマ制のライブハウス(music club)があるとのこと。しかしこのアメリカのライブハウスは、メジャークラス(もしくはメジャー目前)のミュージシャンが出演する会場であり、つまり一般的なライブハウスにはチケットノルマ制はない。とすると、やはりこのチケットノルマ制は日本特有の現象であるわけだ。これはやはり、一度よく考えるべき問題ではないだろうか?

やや先走った言い方をすれば、私は、ライブハウスのチケットノルマ制があることで、一度も幸せだったことはない。常にアムウェイの洗剤を売ってる気分だった(経験はないけど)。みんな誰だって仕事や家庭で忙しいのに「ライブに来てね(しかも平日の夜に!)。チケットいかが?」と、あまりしつこく言えやしなかった。とりあえず声は掛けるけど、またそれでけっこうな人数も来てくれるのだが、しかしこんなことをしていたら私はいつか友だちを失うだろうと思った。最初の何回かは興味や、善意によって。しかし何度も買ってもらうわけにはいかない。気違いねーちゃんが歌う、へんてこりんな曲のためにあなたの貴重な時間を割いて来てくれなんてとても言えない!!もしくは、見ず知らずのファンの方が来て下さったとしても、照れ屋なんだ実は。私には、連絡先をきいて次回からお誘いといえばきこえはいいが、要は勧誘メールや電話を出すなんてどうしてもできない。むしろたぶん脅迫ならできるんだけどね(笑)。それはいくらなんでも唐突だし。考えれば考えるだけ面倒なので自分でチケットを買い取って、周りに配ったりもした。

ライブは通常、4、5組かのバンドが一緒に出演する。そんな中で、各バンドが連れて来た客(たいていがバンドの身内や知り合い)は別のバンドを観て名前を覚えたり、あのバンドは始めて観たけどなかなか良かったので別の日にまた観に行ってみようかというように徐々にファンが増えていくのが理想的だ。ライブを通じてファンがあまりにも増え、業界が注目してデビューというストーリーは、しかし99.99パーセントないと言ってよい。もし、チケットノルマ制のある通常のライブハウスから、そういう奇跡のような経緯をたどるためには、絶対にはずせない条件がある。演奏と曲の良さは当然だが、それからさらに「男性複数からなるバンドであること(女の子のファンは絶対に裏切らないし、さらなる友だちを連れて観に来てくれる)」「バンドメンバーは多い方が有利であること(勧誘の機会がメンバーの数だけ増えるから)」「ライブ開始時点で学生であることが望ましい(ライブに来られるだけの暇を持て余している知り合いが多いから)」この3つだと、わたしは様々な観察の末、個人的に結論づけている。どうだろうか?この日本のライブハウスで、チケットノルマ制を生き抜き、人気を得てデビューし成功したのはすべて若手の男性バンドではなかっただろうか?

さて、私の音楽キャリアを商業的な面から述べさせてほしい。10代の頃から大分の教会でオルガンを弾いたり、山口の教会で歌い始めたのがことの最初だが、宣教師から「これからも歌の勉強を頑張りなさいね」という応援の気持ちのギャラをもらったことはあった。また福岡のジャズバーでも歌っていたが、そこではYAMAHAの講師などの実力のある有能なプレイヤーとセッションしつつ、また音楽理論などいろいろ教えてもらっており(すみません、全部忘れました)むしろただでジャズを勉強させてもらっているという感覚だった。ギャラはないがもちろんこちらがジャズバーにお金を納めることもなかった。大塚怜子先生とおっしゃる声楽家の弟子みたいなことをやっていた時期もあったが、仕事をいただくとギャラは声楽レッスンで支払われた。声楽のレッスンは高額であるためこれは助かった。さて20代になると、東京のコンシピオレコード主催のライブに出た。原宿RUIDOだった。レコード会社が宣伝をし、ホテルを用意してくれ、私のような新人に演奏する機会を与えてくれていた。目的は、芸能プロダクションや大手レコード会社や音楽出版社を集めてスカウトの機会を作ることと、客がつくきっかけを作り出すことだったと思う。

その後、福岡でライブをするようになった。まず青年センターという福岡のNPOやNGOの集まっている基地のような公共の施設での、無料ライブに出演した。福岡で活動するのに何から始めて良いのやらわからず、市の広報誌に出演者募集の記事がありそれが出演のきっかけだった。そこで知り合ったPA(現在の私の録音エンジニアの小山氏)や、ファンの方とは現在も交流があり影響を受けているため、よい選択だったとはいえる。しかし一方でもう少し「商業的な活動」もしたいと思い、いわゆるライブハウスに出演するようになったのはこの数年のこととなる。福岡の親不孝通りにあるアーリービリーバーズというライブハウスで「ガールズナイト」というイベントに毎月出演し、毎月ギャラを受け取っていた。ミュージシャンを大事にするライブハウスだったと思う。だがしばらくするとそのライブハウスにはノルマ制が導入された。つまりここからなのだ、私がノルマと出会ったのは。

他の福岡のライブハウスにも出演するようになったが、どこも完全にノルマ制がしかれており、常にシャクゼンとしないものを感じつつ、しかしノルマのなかった環境には戻れないという状況が続いた。また福岡ではストリートライブも計画したが、楽器が傷むのが嫌で計画倒れに終わった。その間、福岡以外の国内では、東京のスターパインズカフェで1度、知り合いのミュージシャンからライブに呼んでいただいた。ライブハウスのオーナーがいい方でノルマはなく、むしろギャラをいただいた記憶がある。プロフィールが長くなったが、つまりノルマを個人的に経験したのは、福岡の数年間だけだということになる。よって、今回のノルマの話は福岡に限定して話をしている。

2007年の5月以降、私は脱サラならぬ脱ノルマを計画したわけだが、理由はノルマ制の持つ根本的な欠陥を発見したからだ。なんて言えば偉そうだけど、ただ単に「貧乏から抜け出そうという意思がない限り一生貧乏だし、ライブハウスやイベンターは説明もせず、当然のようにノルマ制を強要する。私がここから抜け出そうという意思がない限り、一生ノルマを背負いながら歌うことになる。一生それでいいのか?よくないっしょ!『ここがロドスだここで飛べ!これがバラだここで踊れ!byマルクス』」なんて、ひらめきのように思ったからだった。要するに、いいかげん頭にきてたんだ(笑)!しかしそれは、ただ単に自分自身の「不甲斐なさ」の告白であり、「福岡における約2年半のライブハウスでの音楽活動の敗北宣言」でもあるのだが...。

まずライブハウスのノルマ制は何のためにあるかといえば、それはライブハウスが潰れないためだ。どんなに客が来なくても、確実にミュージシャンから安定した入金がある。またノルマ制によって、ライブハウスが集客を行わねばならない責任は究極的にはない。もちろんライブハウスは宣伝をしてくれるだろうが、最終的に客を連れてこなければならないのは、ミュージシャン自身なのだから。するとどういう現象が起きるかといえば、ミュージシャンの連れて来る客は、ミュージシャンか関係者だった、という事態になる。そして客はいつも同じ顔ぶれ、知り合いばかり、みんな身内じゃん、ということが起きる。そればかりではない。ミュージシャンばかりが客だと、この間お前のライブを観に行ったのだから、次は俺のライブを観に来いよなという(言葉に出さないでも)、暗黙のうちに「贈与互酬的」なことが延々と続く。そこから、新しい文化は生まれるだろうか?何か思い詰めた後のような新しさはあるだろうか?仲間内で持ちつ持たれつのコミュニティーが形成されて、ライブは常に身内を相手にしたピアノの発表会状態と化すのは必然的なことなのだ。

では、ライブハウスが悪いのだろうか?メジャーへ行くために一緒に盛り上げて音楽シーンを作ろうよと、甘い夢をみさせて99.99%のミュージシャンを騙す、あくどい商売なのだろうか?ステージにあがる人間は常に更新されていく。常に顔ぶれが変わる。しかも年代は一定、10代〜20代、つまり無知な連中がたえずリクルートされてくる。彼らは今は自分らはこんなんだけど、いつかは花開くと思っている。その切実さを食い物にしているのだろうか。ライブハウスは誰でも、ただノルマを払ってくれるならば誰でもいいのか。成功を夢見てノルマを払う人間は後から後から出て来る。だからライブハウスはつぶれない。宮入氏の著書にも詳しいが、つまりライブハウスの最大で本質的な顧客は、音楽を聴きに来る観客ではなく、演奏するミュージシャンということではないか。高度な騙しのテクニックなんだろうか。いや、それは違う。ライブハウスのオーナーやイベンターは、印象としてみな善意だったように思う。自分はプロになるのに挫折しても、音楽発表の場とチャンスを皆に提供する善意があったと思う。そこでは、盛り上がりもあったことだろう。そんな中から実力をつけた者もいただろう。

しかしノルマ制がある限り、やがて最終段階では行き詰まる。同じ顔ぶれが再生産される空間から、新しい文化が生まれることは難しいだろう。そして新しい文化が生まれなければ、ライブハウスはその本来が持つ魅力のほとんどを失ったことになる。やがて次第に文化を発信したり、生活スタイル、誰かの人生にうっかり関わってしまうような重大な役目などを到底果たすこともなくなるのではないか。求心力も存在意義も失う。新しい時代の匂いや刺激に敏感な人、何か情熱のある面白いものを探している人間は、なんらかの機会がない限り寄り付かなくなる。自分からは「ふらり」と、出掛けてきてはもらえなくなるだろう。そうこうしているうちに、新しい文化は別な方角からやってくる。面白いものは、なにも音楽だけでなくてもいいのだ。

また、ライブハウスも高齢化を免れない。ノルマを背負うミュージシャンの数も減る。宮入氏の著書に詳しいが、なのにいまもライブハウスはどんどん増えているそうだ。そうなると、ターゲットは2007年に退職が始まった団塊の世代のおじさんたちだ。彼らは、お金と時間と良い楽器を(若者よりは)持っている。彼らに思いきってパーティを開いてもらって会場をまるごとレンタルをしてもらうか、もしくはアマチュアを対象としたカラオケ大会がライブハウスでは開かれることになる。もともと照明とスピーカーはある。最適だ。もうすでに一部のライブハウスでは、曜日によってはカラオケ大会が開かれているそうだ。すでにライブハウスは「死に体」以外の何ものでもない。福岡でも、ノルマを払ってくれるミュージシャンをめぐって、ライブハウス同士での競争がいっそう激しくなるだろう。ノルマ経営の行き詰まりはすでに始まっている。

この10年くらいだろうか、ライブハウスに限らない音楽表現活動の場は増えた。「アンチラブハウスの流れ」とでも言うべきか。カフェを中心にしたカフェミュージックや、数は少ないがアイリッシュパブのようなバー、ちょっとした異国風レストラン(フラメンコショーがやれるようなラテン系のものが多い)などだ。基本は飲食のじゃまにならない音楽が、求められるといえる。昔の知り合いに通常は7人くらいでライブハウスに出演しながら、一方でバンドをカフェ向けにカスタマイズし2、3名(アコースティックの楽器を使用し)でカフェやパブをまわり、ライブハウス以外の活動の場を広げる努力をしているバンドもいた。店は基本的収入を、お客の飲食に頼っているからノルマはない。ギャラは出たり出なかったりということだ。そこでの音楽の役割は、客に飲食をより楽しんでもらうことである。したがって演奏する際の条件として、より酒のすすむ、料理がひきたつ音楽が求められることが多い。このように脱ライブハウスの流れは確実に生じている。しかし、演奏する側に音楽的な制約が求められるし、そういった場所ではアンプを通した大きな音では演奏が難しい。

私が思うことは、ライブハウス自身が「アンチ・ライブハウス」というコンセプトで、自らの体質を変えていくといいのではないか?ということだ。月並みな言い方だが、ノルマ制のもたらす悪循環から抜け出す道をライブハウスはミュージシャンと一緒に模索し始めることだ。一方で、他にはない特異さをそなえたライブハウスとなり、今を生き抜く以外にない。史上最高に耳の良いPAを雇うとか、涙が出るほどおいしいドリンクを出すとか、ステージの天井からロープがぶら下がっていて、私が歌いながらアスレチックもできるとか...言っててよくわからないけど(笑)。極端だとしても、わかりやすいメッセージが必要だ。面白ければ、やっぱり本当に面白いのだから。

また私がお客だったらどんなところが好きか、そもそも自分がどんなところで定期的に演奏したいか?という個人的な視点で、次回は今後の展望について、もうちょっと考えてみたい。

続きはこちらです。 音楽と空間(2) 

参考資料:
宮入恭平『ライブハウス文化論』青弓社、2008年。(これは必読!)
毛利嘉孝『はじめてのDIY-何でもお金で買えると思うなよ!』P-Vine Books、2008年。
山田晴通教授(東京経済大学)による、九州大学大学院比較社会文化学府での集中講義「ポピュラー音楽論」(2008/1/21〜25)での授業ノート。(みね私物)
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2009年02月18日

妄想禁止

昨日は2曲録音を行った。たまに奇跡がおこる。何をやってもうまくいく。どんなフレージを重ねても美しい。あの奇跡はいったいなんなのだろう?と思う。音楽は数学と根底が同じだとつねづね思うけど(事実、古代ギリシャ、アリストテレスの時代では音楽と数学はそもそも分ちがたく同じ教科で、宇宙の解明のための学問だった)、あの奇跡の瞬間を、数学的に分析したら、なにが起きているのだろうか?その一瞬、音楽は、宇宙と同じになった!って思ってしまう。

昼間、ドラマーのハンキンさんが大量のエクレアを持って、陣中見舞いに来て下さった。彼は先日、音楽を始めたばかりのような、中学生か高校生?のように、スピード感のある録音を終えたばかりだ。完璧だったので、一回のテイクでオッケーだ。もう最高!防音ガラスの向こうから、そっと立ち会うことができて非常に幸せな瞬間で、面白かった。ごめんなさい、嘘です。そっと立ち会ってなんかいません。防音ガラスの向こうできゃあきゃあ踊り狂っていました(笑)。

神童ベースのこーちさんは、事情があるようで録音ができないとの連絡あった。がーん。ベースがいないと、完成しない。無理だ。誰も代わりにはなれやしない。自分のなかで、いろいろああだこうだ考えたけど、そんなもやもやしていてもだめだ。私は差別主義者ではないけど、後にも先にも女の腐ったようになってはぜったいにダメなんだ!

そこで、書道をした。「妄想禁止」って書いた。うーん。すがすがしい。日本文化って好き(はあと)。うまくいかないのは、たいてい自分の被害妄想にあるって思う。もっと別のたいへんな政治状況の国に生きているのであれば、現実的で直接的な被害も多いけど、日本はちょっと違うと思う。自分で勝手に妄想して勝手に自分で被害を受ける人が多い。そして同じ生きているのでも、被害妄想によって膨大な時間を無駄にするのと、行動して現実を直視してボディーブローを食らうのとじゃえらい違う。どっちが好みかといえば、後者の方だよなあ。

まあ、なんとか地道に録音中です。ちなみにエンジニアは、山岸涼子の『アラベスク』に出てくる主人公ノンナの親友のアーシャの旦那さんでレニングラード交響楽団でフルート奏者をしているセルゲイ氏に外見がそっくりな小山さんです。京都ではサクラダもいろいろ職人じゃのう、おぬしと思うような仕事をしてくれています。鬼に金棒です。私が知らなかったミュージシャンとの出会いも、今回の録音を通じておそらくこれからたくさんあると思います。

さて話は変わり。一方で、被害妄想ではなく、誇大妄想は、必要だと思うのね。誇大妄想がなければ、人間だけど私はただのセミの抜け殻だと思う。これまで、誇大妄想で生きて来たようなものです。自分が考えたこと以上のことは、実現しないのでひたすら遠くまで考える。私は、頭がおかしいところはあるけど、それを人の役に立てることができるとしたら、その頭のおかしいところだなって思う。言ってて自分でも、これはいかがなものかなって思うけど(笑)。

たかが人間ですから、そんなに長くは生きないけど、それでも私の後から登場する、頭のおかしな女の子が、私の頭のおかしい曲を気に入って聴くかもしれない(笑)。

私が研究している黒人霊歌だって、まさか1850年代の南部の黒人奴隷の人は、未来の2009年に遠いの国のみねまいこが、それをのりのりで熱心に調べているとは、思わなかったと思う。いや、こっちはのりのりなんだけど、曲は本当に暗いのよ!前も言ったけど黒人霊歌って、最初から最後まで「死にたい」としか歌っていない。しかも全曲がその調子(笑)。でも、それらが現代のわたしに確実に届いてるわけよ。

根は深い。だけど、希望はある。そして私は、太陽の照るアメリカ南部の綿花畑で、微風に吹かれて、歌いながら死にたい。しかし実際、南部で死にそうなったら、ファッ◯とかなんだとかとんでもない悪態をついて「こんなつもりじゃなかったの!死ぬ前に日本に帰ってヒノキのお風呂に入りたいわけ!あんたに私の気持ちがわかる?」なんて言って、死に対して、めちゃめちゃに抵抗すると思うけどね。それは、いつだって。まだ死んでたまるかよ、バーカ。

誇大妄想力で、さらにあともう1曲仕上げて、それをバンドでのリハ、さらに数曲アレンジを加えて、さらに楽器の録音がけっこう残っている。神様、これまでの事は全部帳消しにして、私にあなたの宇宙を音楽で解明するための時間とお金をください、そして全面的に助けてください(←相当なお調子もん)。私の後から来る、こういっちゃ失礼かもしれないけど、頭のおかしな女の子たちに曲を残したいのです。という感じかなあ。だがしかし、現時点で半分は確実にできたぞ。
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2009年02月11日

REAL POLITICS

NHKが、振り込め詐欺をルポした特集番組をやっていた。派遣切りにあった人たちや、学生が、いくらでもバイトをしにくるとのこと。それは組織の末端で、お金を引き出しに行く役割として。200万円を引き出したら、2万円の報酬。組織の足がつかないように雇われるわけだけど、組織の足となった人は、やっぱり足がつくよなあ、と思ったが、一方で私は不謹慎かもしれないが、ごはんを食べるためなら、やっていいんじゃないかという気にもなった。

私のはなしをしてもいいかな。別に面白くもないかもしれなけど。私は、何年か前、子どもを育てながら、修士論文を書いてた頃が一番、お金がなくって、スーパーの178円のクリームパンが「ああ、おいしそうだな。最近、ろくに食事もしてないな、お腹が減ったわ」と思ったけど、お財布に55円しかなくて買えなくて、万引きしようと思ったことはあったね。だけど「九大大学院生、クリームパンを万引き」って記事が出たら、ちょっとそれは恥ずかしいだろうと思ってやめた。

しかし、そのとき実は万引きしても良かったのだと後で知った。「期待可能性が無い」という法律の概念があり、犯罪をしなかった可能性が低い状態にあった、ゆえに刑は軽い、という解釈だそうだ。つまりこの場合、(クリームパンを万引きしようとした被告=わたしは)生活に困窮しており、犯罪を犯さざるを得なかったと認められて、刑が軽かったはずだ、とのこと。なーんだ、そうだったのかと思った、やればよかった(笑)。

食うにも困る人が出ているのは、こうなったのは、いったい誰がどういう経緯で、派遣労働法の改正をすすめたのか、原因を突き止めるレポートは必要だと思う。でも、一回しかテレビでそんな特集は見たことが無い。今、困っている人の味方です!と、政治家はえらそうにしているけど、あの法改正に反対した政党はほとんどいなかったはずだ。

派遣労働者を、派遣先の企業は「人件費」として、会計で計上しているのではなく、「物件費」として計上しているのだと、最近初めて知った。もちろん派遣会社そのものは、派遣労働者を「人件費」として計上しているそうだが。実際の雇用関係があるのに、それを「無い」と恥ずかしげもなく言えるような法律がとんでもなく間違っていると思うのだけど、「経費」が一番安く押さえられるから、やめられないのが現状なんだろう。

労働の価値とか、労働の意味とか、自己実現とか、社会的上昇とか、そんな労働にまつわる「精神(エートス)」みたいなものが、軒並みばっさりやられて、物件費として人間が計上される現在では、詐欺で2万円を数分で稼ぐことは、そもそもあまり内容を持たない気がする。悪事という意味もない、そこにはその場限りの「派遣」的な、ちょっとわりの良い労働という意味しかないのだ。ついに、ここまで来たのだなあ。拝金主義。

そんじゃあ、現状に対して自分が何かするか?といえば、いまいち気がのらない。どんな差別反対、反戦運動も私はすべて指示するけど、じゃあ自分がなにか主体的に運動に参加するか?といえば、しないと思う。理由は、すべての反対運動は最終的に自分自身が「正義づら」をして、終わるのが常だからだ。この間までいい顔をして「ゆるさないぞー」と反権力の旗を揚げていた人が、時間が経つと自分こそが正義の代表のような顔になる。

ところが、たった一冊の本が、ものすごく、どんな運動よりもはるかに影響力を持つことがある。最近読んだ、何冊かの本。書いた人はそういう態度だった。非常にまともなこと、いわゆる正義を述べてるけど、態度がヤクザかマフィアのようで、こういう芸当は、なかなかできない。悪党のように怖くて、なのに正義が貫かれている。こういうことができる人間はなかなかいない。作家の名は辺見庸だ。

私が自分の中で常々思うのは、大学の無料化。家庭環境で大学に行きたくても行けない人がたくさんいるのは、すごくおかしい。そうなると貧困が固定化するからまずいのと、そもそも日本の教育費は高すぎる。なんでも、ドイツは大学に行くのに、無料だということだ。具体的にどうやったら無料にできるのか、よくわからないのだが、自分の中の社会への願望があるとしたら、私の場合これなので、宣言しておきたい。

実に嫌な夢をみる。NHKホールの裏で着替えている。楽屋で着替える時間はなく、通路で着替えている。仕事なので、別に恥ずかしくもない。走ってステージに行く。途中でスタッフに頑張って下さいと声を掛けられる。いちいち声を出す暇もなく走っている。イントロが始まって、拍手も聴こえる。やばい、急がないと。ステージにつくと、見慣れたミュージシャンが居り、ギターはゆうじさん、ドラムはハンキンさん、ベースは誰なのか暗くて顔がよく見えない。そして「ああ!」と思う。「しまった!曲がまだできていない!」と。はじまったのに、なにも準備ができていないのだ。歌えない!舞台のそでから出るに出られず、一方で演奏はすでにはじまっているという息が詰まるような焦りの中で、毎朝目が覚めるのだ。
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2009年02月05日

黒人霊歌への回帰

今週一週間は、寝る間もなかった。わたしの周りは、失業者と鬱病の人間でいっぱいだ。そんな話は聞き飽きた。私だけは元気でいようと決めたので、とても元気だ。

デビッドバーンとブライアンイーノの共作の新譜を聴いていた。ろくでもなかった。デビッドバーンが歌って、イーノがトラックをほぼ作っているんだけど、デビッドバーンの「ひらひらした自由」な感じが殺されていて、いたって平凡だった。イーノのトラックはセンスがもちろんあるけれど、音数が多すぎるし、もっともっとシンプルにできるはず。いちばんまずいのが、コーラスをイーノが担当しているけど、二人の声質が合っていないのと、コーラスも同様にイーノがいじりすぎて、デビッドバーンの自由奔放な歌が死んでいた。共作というものが、こんなに難しいのかと、これほどの人たちでもダメなときはダメなんだねと思った。

もうひとつの原因は、テーマがゴスペルへの回帰という点だ。ただし、エレクトリックなゴスペル。なるほど、実はそのネーミングに惹かれたのだけど。しかし、ふたをあけると、ただの気の利いた賛美歌、ということになってしまっていた。ゴスペルは、アフリカンアメリカンの女たちが歌えばゴスペルになるけど、アングロサクソンの男性が二人で歌えば、普通の賛美歌になるんだ、ということ知った。もう、死ぬほどつまらなかった。

30回くらい聴いたけど、腹が立ってしょうがない(笑)。なんでこんなに怒っているかといえば、はたと気がつく。自分がゴスペルやりたいだけじゃんって。本当をいえば、ゴスペルじゃなくて、黒人霊歌がやりたいんだけど。自分の研究で集めた南北戦争時代に、音楽的な技術のある北軍の兵士が南部で初めて黒人霊歌を聴いてぶったまげて採取した譜面とか、たくさんもっているんだけど、まだ自分の中で消化できないままでいる。しかし、死ぬまでに吹き込んでみたいとは思うんだがなあ。

本当の古い黒人霊歌は、よくあるイメージのように「熱狂的に、感動的に、歌い上げる」ものじゃなかったらしい。有名なAmaging Graceはじつは黒人霊歌なんかじゃないんだ。あんな前向きで健全なもんじゃなくて、もっと乾ききった態度でたんたんと歌う。ただし、声の存在感がものすごくて、それだけでぞくっとする。そんなものだったらしい。歌詞も希望なんてぜったいに歌わない。しみったれた自己憐憫も、他人に甘えることもない。たんたんと「死にたい」としか歌わないんだ。一番古い黒人霊歌は、全部がその調子。それは、すごいインパクトだったろう。

美しいものは、いい。本当に、いいと思う。

他人のいうことをお利口にきいて、変えたりしなくてよかった。自分から、何も諦めなくてよかったと思う。ずっと長いこと待っていたら、むこうから会いたかった者が、血相変えて走って迎えに来てくれた気分だった。
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2009年01月28日

キャタピラ キャタピラ

昨日、東北にすむイチゴ農家で、小さな田舎で政治をやってる戦前生まれの親戚とはなしをする機会があったが、発音が聞き取れず苦労した。でも、この言葉が喋れたら、どれほど私の日本語の発音と抑揚は豊かになるだろうかと思った。それにしても、向こうもこちらの発音がわからなかったかと思うけど、年季の入った東北っ子の日本語は、英語と同じくらいしか聞き取れなかったわ。

それでも、なんとか聞き取れたことがいくつか。10年前くらいに、自分の田舎の農協の仲間10人で、カンボジアの農業を視察に行ったこと(その時点で何かがおかしい)。カンボジアからの帰りに、空港(どこの国の国際空港かは聞きとれず)が爆破されて帰れなくなったこと。ホテル(同じくどこの国のホテルかは聞きとれず)で1週間缶詰。空港爆破のときにたまたまその国にいた外国人は約50人。そのうち12人が日本人で、日本人のうち10人が自分の田舎の農協の連中(他の2名は大学生だったとのこと)。ホテルの外には、葉っぱでカモフラージュさせたいわゆる戦車というやつがキャタピラキャタピラいって走っていたそうだ(この擬音語だけは私の創作です)。

タイの軍隊が迎えに来てくれて、無事に◯◯から(場所聞き取れず)全員ワイヤーでつりあげられて救出されたが、その軍のヘリコプターに全員が乗るには重くて持ち上がらずそこで飛行機のように滑走させて離陸。しかもしばらくの低空飛行の間には、下から砲弾で狙われていたため、いつ落とされるかとこのときは本気で怖かったそう。無事、どこかの空港につくと(タイかな?)、世界中から報道関係者が1000人集まっており、農協の一団も出席した緊急記者会見。これにもまためんくらってよおーとのこと。

日本の共同通信の記者が寄って来て「写真はないか?」ときいてきた。なぜなら、外国人が事件当時50人しかいなかったばかりか、空港爆破直後、報道関係は入国できなかったのか、写真は存在しない。実は、自分の農協の◯◯さんが、こっそりデジカメで一部始終、極秘のタイ空軍のヘリの中までも撮影してたらしい。共同通信社は「1000万円出す!売ってくれ!」と言った。でもよう。うちらの◯◯さんはそんな、金で動くような人じゃねえんだもん。男気のある人だでよう。ぜったいに売らねかった。そんで、NHKに80万で売ったべや!(あのお。結局売ったのなら、920万円をふいにする「男気」ってのは、一体どんなものなのか説明してもらいたいのですが。by みねまい)。

そんな農協連中膝栗毛の話の後、東京の市場には明日出回り、明後日の食卓に上がる予定の、朝つんだイチゴを8箱いただいた。毎朝、4時に起きて畑に行ってイチゴの前にしゃがむ。太陽が少しだけ出て来たらイチゴが光合成を始める。そうすっと、葉っぱの上に水滴がじんわり浮かんで来て、それは奇麗なんだって。それを見るのが好きなんだって。

家に帰っていちごを洗って白いお皿に盛って...なんて冗談じゃない。待てないことを「興奮」っていうんだ。ほいほい開けてその場で食べた。つみたてのイチゴを一度にこんなに食べるのは、贅沢だなって思った。洗わなくていいとのこと。無農薬だからって。でも、箱のどこにも「無農薬」なんて書いていない。これ、「無農薬」って書けば市場で価値が上がるし、スーパーではみんな有り難がって買うのになあと思ったけれど、そんなの「どうでもいい」んだろうなあ。細かいことにこだわんないってのは、大事だなって、反省しながら、イチゴをつぎつぎに口に放り込んでも、まだ両手に減らないイチゴ。そんな私の「ユートピア」ってやつを経験した。そして、1月が終わる。

追記。
2/1(日)に、世界激場主催の「JIYU-KENKYU」(勉強会)を福岡市美術館で行います。辻井喬氏の『ユートピアの消滅』を読み、議論を行います。たくさんの方のご参加をお待ちしします。
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/blog/
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2009年01月21日

資本主義の廃墟

バンダイから、通常プチプチと呼ばれるたぐいの(英語で「バブル」と呼ばれていたのをニュージーランドで聞いたことがある)緩衝材が、「むげんプチプチ」というおもちゃとして作られたのが、一昨年前のことだったと思う。通常はプチプチをつぶして破って空気を押し出す一回きりの切なさが楽しいんであって、しかしむげんプチプチは永遠に消費されない。決して消費されえないものが、商品になるってところにびっくりした。消費されるから、また次の消費があるわけで。ここにきてついに、消費されないというのがコンセプトの商品が、ヒットするってことは、いわば消費文明の究極の自己矛盾だなと。つまり、壁に行き着いたのだな、わたしたちの消費社会は本当の本当に行けるところまで到達したのだな、というそんな象徴的な出来事として受け止めた。

もちろん、こんな感じ方は私個人の独断と偏見と単なる「大げさ」なのであるけども、このむげんプチプチに、これから先どんな世の中になるんだろうという不安と、恐怖のような気分の悪さを覚えたのは事実だ。それをいじって遊ぶ大人たちの「心性」が怖かった。玩具と永遠に戯れ続ける、そんな終わりのない感覚も怖くって。余計なお世話なんだけどさ。「むげんプチプチにみる日本的高度消費社会の限界点」なんている主張をしているのは、私だけかもしれないが、案外、この勘は外れてもいないと思う。その玩具が発売された2007年は何かが行き詰まった年で、あとは後退するだけの日々のようだ。体裁をとりつくろっても、廃墟になりそうだ。

私は、すぐれた消費が好きだ。いいものを買うと楽しい。人生が変わる気がする。思想がすっきりとして、整理される気がする。だからいつも命がけで物を買う。洋服を選ぶのも、生きることと同じだ。買い物は音楽よりも得意だ。安くていい物を見つけるのも、ものすごく素早くできる。安くて悪い物は悪い物なので絶対に買わない。物と値段にはあまり関係がない。常に高い物が良い物とは限らない。しかし、良い物には高い物が多い。

私がいま、一番わからないことは、これから消費が縮小していく方向に時代がひたすら流れるのか?それともまだまだ拡大するようにみんなが必死に努力するのか?もしくはそうこうやってもがきながら、実は水面下で何か新しい時代にシフトすることを模索するべきなのか?ってこと。

この10年くらいはとくに、新しいものを作り出せなくて、ひとつの物の中にそれまでバラバラに存在していたものを詰め込んで、その「組み合わせの新しさと組み合わせる技術」だけで、勝負していたようなところがあった。たとえば電話とインターネットとカメラとテレビとウォークマンを足した商品とか、ゲームと万歩計とスポーツジムと家計簿を合わせた商品とか、そんなミクスチュアーの意外性や詰め込むまでの小型化、そんな技術的な努力、みんなそこで勝負していたと思う。でもそれも行き詰まるだろう。個人的にはi phoneが出たときに「あんたも行き着いたね。」という印象を受けた。好奇心旺盛(それを人はミーハーと呼ぶ)なのでとりあえずは欲しくなるんだけど(笑)。

まあそうなってくると、生きるのは、つまらない。先が見えないんじゃ、つまらない。停滞する時代から、息を吹き返したいと思うのは当然だろう。そんなとき、思うのは、「歴史」のようなもの。この10年20年のことを考えていては、それは所詮目先のことで、人間が小さくなってネズミのようになってしまうにちがいない。そう考えて思いを馳せるのは、ガウディのサグラダファミリア。200年かけて完成するかどうかもわからない建築って、どういうことよ?って思う(近年は石ではなくコンクリートを使用するようになったので早まっているとのこと、でも信じません、笑)。あれを思うと、ぜんぶ、せこい話がぶっとんじゃう。

あとはこれを言うと笑われるかもしれないけど、わたしたまに心が弱ると映画『ベン・ハー』をビデオで観てる。これが長いんだ。どこまでもしつこい映画なんだ。でも見ちゃう(笑)。2000年前に空前絶後の繁栄を極めたローマ帝国に刃向かった、エルサレムというローカルな場所に住む男二人(ベンハーとイエスキリスト)の出来事。そんな昔の話(注意:ベンハーは架空の人物)がすたれないってどういうことよ?って思う。歴史の感覚を身につければ、自分の中に別の秩序が生まれて、遠くまで見える。つまり私は象やキリンになれるのだ。

もっとも優れて資本主義や時代や常識に反抗できたものだけが、もっとも大事に記憶されるというのは、不思議なことなのだけど、どうも事実らしい。そして、それ以前に私たちに足りないのは勇気なんだと思う。せこく生きるのはやめましょう。みんな、像やキリンになりましょう。以上、みねまいこからの主張でした(ぺこり)。
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2009年01月14日

不景気というけれど

世界激場2の公式ブログができたので、今後気になる方はチェックしてみてください。今度JIYU-KENKYUと銘打って月に一度、美術館に集まる予定。そこで作家の辻井喬氏の本を読み討論をします。そんなお知らせが告知されています。ぜひ勉強会には誰でも参加してください。
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/blog/

さて、連日のように非正規雇用の話題が流れているが、マスコミはすぐに飽きるだろうって思う。いまは世間の同情をかっているだけであって、ことの本質に迫るような言論がないように思える。また、同情というきまぐれな感情は、ある日手のひらをかえすように憎しみに変わることもありうるのであって、とくにワイドショー的な報道は本来、日和見な態度を専門とするので、真に受けることはできない。

大企業の工場近隣の市の職員が正月返上で、解雇された労働者の対応に追われているという。12/31もハローワークやってますとニュースで言っていたけど、誰が働いているのだろう?ちゃんと時間外手当をもらっているのだろうか?なんて考えたりもする。きっと現場は、矛盾だらけで嘘ばかりなんだろうな。真面目な労働者ばかりじゃないだろうし、態度の悪いでかい、勤労意欲のない失業者だっているだろうと思う。だけど、やらなきゃなんない、というよりはむしろ、これまであまりにも失業した人に対するセイフティーネットを行政がはって来なかったんだなって思う。つまり、どの世界でも結局下っぱばかりが今回ひどい「しわ寄せ」を受けてるわけだ。切り捨てられる労働者も、休日にこきつかわれる市の職員も。

企業はこれまでさんざん儲けてきて、実は金をごっそり貯め込んでいるのだから、もうこの際全部吐き出させていいと思う。ちょっと景気が悪いからといって自分ちの労働者の解雇するのは、絶対にやってはいけないことをやってるんであって。

態度を責められるべき責任者が責められないで「解雇」された「野宿者」の様子や、「不況の荒波」ってやつの様子ばかりがとりあげられていることが、さっぱりわからない。みんなが同情して、同情するのと同時に、自分は外で寝なくていい、食べるものもある、ラッキーだなと「他人の不幸を見て自分が安心するための報道」が多すぎるって気がする。

自分にひるがえって。不景気だというけれど。その雰囲気がやだ。お金がなくなっちゃったって、愛がなくなることの方が大問題だ。お金なんか、銀行から(無断で)もってくればいい。そんな勇気がなかったら誰かに食べさせてもらえばいい。これまで国に税金を払って来たのはなんのため。なんというか、社会のこの停滞感、虚無感、疲労感を意志を持って無視しなきゃいけない。ある男性の知人が「まいこ〜!あのね、コピー&ペーストのやり方を発見した〜!」と頬をピンクにして走ってくるので「は?」と思ったら、この10年間、パソコンで仕事をしていて、ずっとみんなこんな大変な作業を、どうやっているんだろう?僕もがんばらなくっちゃ。一字一句複写しないとならない文章を見ながら自分でうって、文章を一字一句うつしてた!んだそうだ(笑)。これから君のことをピンクちゃんと呼んであげよう。そこでわたしは毎日朝の9時から翌朝の4時くらいまで仕事をしないと、いろんなことが間に合わないんだ。でもぐずぐず言ってる女の腐ったのみたいになるわけにはいかない(私は別に性差別主義者じゃないけど)。やれば間に合うなら、やればいいじゃん!

テレビをつけたら、日本で、BBCのリポーターが「これ、BBCから。おみやげ。」と言ってインタビューを受けている山形県の男性に、バイアグラを渡していた。それがちょっと面白かった。そんなことはどうでもいいのだけど。今年は是非、中途半端なチンピラなどではなく、悪党の仲間入りをしたいと思う。
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