2006年09月15日

2006 World Tour in Amsterdam

東京公演の約1週間後、重たいスーツケースをよしよしと手なずけながら、私のソウルメイトことミッフィーの待つオランダへ。各ライブハウスからの返事も待たずにのこのこワールドツアーの続きに無謀にも出かけて行ったことは、出発のとき、私は結局なにもできないで終わるかも知れない、だったらアホだよなーという自覚は自分でも十分にあった。アホでいい、飛ぶべし!

ということで、アムステルダムに着いたら、まずは演奏場所として紹介されていたJimmy Wooという、超お金持ちの娘であることが彼女の徳の一部であるパリス・ヒルトンが、アムス滞在の際に立ち寄ったという最先端クラブへ。夜7時。日本は夏だったのに、ここはもう冬。さみい。。。セーターを着込んで開店を待つ。

いつになっても閉まっているので気の長い私もさすがにおかしいと思い、向いのインド料理の店で事情をきくと、週末にしかそのクラブは開かないんだと。なめてんなー。でもその週末にはもうアムスを出立している予定だった。じゃあ次もう一件。Rainという超人気クラブの偉い人を紹介してもらっていたので、出演を打診してもらった。が、ついに連絡先を教えていたホテルの部屋の電話は鳴らないままだった。

古い市民劇場の入り口の軒下夕方5時から10時まで演奏を雨の日も風の日も、いつ通りかかってもそこにいるロシアのバラライカのバンド「Russian Souvenir(ロシアのおみやげ)」がいた。その名前のセンス(可愛らしいことと、主題がはっきりしていること)にいたく興味を持っていた私は、ある日、演奏終了後の彼らと夜更けまで延々と話した。

ちなみにこのバンドのプーチン大統領にそっくりなバイオリニストは、みねまいのチラシを見るなり「ねね、ここに書いてるバイオリンの人はどこ?どこ?」と子供みたいにきく。「彼女はキョウトにいるんだよ。ここには来てない。会ってみたかったの?ごめんね。」「キョウトはどこ?」「キョウトを知らない?ロシアのレニングラードみたいなところなの(適当な知識で言ってます)。」「ああ!キョウトシティのこと?キョウトシティなら知ってる。」「同じだって」

「私のアムス滞在中に、是非ともみなさんのように路上や広場で演奏したいんだけど、どうしたらよいか是非わたくしめに教えていただきたい!」するとロシアのおみやげのリーダーが「それは難しい。まずアムスで無許可で音楽を路上演奏したら、すぐに警察が飛んで来るんだ。僕達は、その許可を持っているからこそこうやって演奏ができるんだ。路面電車を2回乗り継いで、市庁舎で申請するんだよ。君にも市からの申請が降りることを心から祈ってるよ。」ちなみにここのリーダーは、青い目の長髪の美青年、性格もよく、、、

翌朝、市庁舎へ。言われた駅を降りたけど、そういえば市庁舎に行くといっても、どの建物が市庁舎か知らない。でも何故だろう?そんなときに全神経を研ぎすまして歩けば、真直ぐに市庁舎に辿り着くのだ。そして市庁舎の中に入ると、何階のどの部署に行けばいいのかもわからないのに、最初に入ってみた部屋の受付の人に事情を説明すると、この部屋でいいのだという。ほ、ほんとに全神経使った甲斐があったよ、まいちゃん!

他の人がやってるのを真似して番号札を取って、長椅子で待つ。ここにはいろんな用件のアムス市民が集まっていた。電光掲示板で自分の番号が表示されるのを待つ。1時間は待った。そして私の番が来た。担当者にまず、私がオランダ語は話せないこと、できれば会話も文書も共に英語ですべて執り行って欲しい旨を伝えた。ほぼ100%に近い確率でオランダ人は英語を話す。

役所の人の見解はこうだった。「あなたがアムス市民であろうと旅行者であろうと、市内の路上で演奏するための許可証は平等に発行されます。その点は安心して下さい。しかし、あなたのような電子楽器(アンプを含む)の使用は認められません。尚、市があらかじめ指定したスペースにおいてのみ演奏が認められます。つまり、あなたがハープ(なんでハープと限定したのかは不明)を弾きながらマイクを使わず地声で歌い、しかも市によって決められた場所と時間に歌う、そういうケースによってのみあなたに許可証が発行されると言えます。」

「がちょーん(日本語で)。私の演奏がうるさいかどうかご自分の耳で確かめてから判断してください。電子楽器を使用する音楽にはその音量はピンからキリまであるわけですから、さあさあ!ここでオーディションをしてもらいましょう!」といって、私はヘッドフォンを渡して、その役所の人に自分の音楽を聴かそうとしたわけ。すると彼は笑いながら「あなたの音楽がうるさかろうが、そうでなかろうが。電気を通した楽器である以上、いかなる楽器もアムステルダムの条例によって認められていないのです。無論、例外はありません。」

んがくく。へえ驚いた。そこまで厳密なわけ。日本(今私が住んでるのは博多)では大きな音を出さない限り、外で楽器演奏しても逮捕されることはないのになあ。こりゃもう、さっさとこの国では諦めるに限ります。諦めの早い女ということで、美術館へ。

レンブラントから見ましょうと独り言をいって、かの有名な『夜警』を見る。ええと、レンブラントといえばフランダースの犬のネロとパトラッシュが念願叶って最期に見て、天国へ犬ぞりで昇ったときの絵は、レンブラントの聖母子像かなにかの絵ではなかったっけ?忘れちゃったなあ。どうだったかあ。とまた独り言を言いながら館内を廻る。フェルメールも結構所蔵されていた。ふーんこれね。なるほど。終わり。

では次。ゴッホ美術館へ。ここはすごかった。素晴らしかった。絵の一枚一枚がまるで昨晩完成したように、その油絵の具がまだ今日もキラキラしていたのは、一体どういうことなんだろう。警備員はみな楽しそうに働いており、来場者もそんなキラキラした絵に囲まれて幸せそうに歩く。こんなにハッピーな空間に来られて本当に良かった。

おや?ゴッホの生前の写真が一枚大きく壁一面に張っている場所があった。意外にも彼はハンサムでいい男なのだ!自画像からは狂気にやつれたライオンのような顔だとばかり思ってたのに、意外も意外。本当に姿形も、たたずまいもかっこいい男だ。私はまさにこんな男を探していた!

彼の書いた自筆の手紙も館内に残されており、その英語に訳したものを読むと、なぜ彼が次第に孤独になっていったのかがわかる気がした。絵描き仲間の1人(ゴーギャンのことではない)が何月何日に遠くからゴッホを訪ねる約束をしたらしい。その日を指折り数えたゴッホによる、その予定された来訪者への手紙。

「君が来るのが本当に待ち遠しい。君が来ることを想像すると、今僕の目前で落ちる秋の木の葉も、通りの様子も、すべてが完璧に見える。」このような心を込めた記述が紙一杯埋められ、その木の葉が落ちる様子が紙の隅にペンでさらさらと描きこまれている。これは女性への恋文ととってもおかしくない。

どうなんだろう。これを読んだ相手はどう思っただろう。そこまで思われたら最初はそれに応えていても、長期的にはそのように密な関係は持続が難しいわけで。ゴッホと同じテンションでつきあうとなると、友人であれ恋人であれ、最後は一緒に死ねるような関係にまで行きつくんじゃないかな。そしてそこまでゴッホに付き合える人間は当然、皆無だったと思う。

ところで初めて知ったひとつ面白いエピソードがあった。彼が浮世絵に傾倒していたことは有名だけど、あまりにも日本が大好きになっちゃった彼はある日こう決意したそうだ。「夢にまで見る憧れの日本に行くことが困難であれば、少しでも日本に近い場所へと僕は今、移動するべきなのではないだろうか?」たったそんな理由でオランダから南仏へ移動したというのだ。そして結果的に彼の色彩が変化したという。

それを知って、私は「ああ。私はこんなところまで重い機材を抱えて、外国で歌いたいとそればかりいつも熱病にうなされるみたいにして考えていて、自分でもバカみたいだと思っていたけど....それは何も恥ずかしいことではなかったんだ。本当にこれでよかったんだ!」と思うに至った。それは私の幸福な自己肯定だった。

アムスを発つ日が来た。街並みは綺麗で人は親切だった。雨に降られてパン屋の軒下でしょんぼりしていたら、傍を通りかかったキャリアウーマンっぽい人が「仕方がないわね、お入り!」と傘に入れてくれたこともあった(よっぽど恨めしそうな顔を私がしていたのか?)。でもなぜだろう? 自分の中にある日本の文科省がこれまで何度も口を酸っぱくして言ってきた「生きる力」みたいなものが、時間の経過とともに飴玉みたいに小さくなって行った。

理由は3つ考えられた。一つはライブができなかったこと。これは大きい問題だ。二つめは気候のひどさ。8月のオランダは雨が続く。しかも寒い。ホテルには夜は必ず暖房が入っていた。昼でも革ジャンやセーターを着る必要があった。夏真っ盛りの国から来た私には、この気候は身に堪えるものがあった。三つめは、自由な国と聞いて世界中から若い観光客が集まるけれど、この国に心底破れかぶれの自由などないと、感じたこと!

オランダは御存じの通り、マリファナ、バイシュンが合法で、ついでにいえば安楽死も合法。違法にするとそれらが地下に潜るから、逆に蔓延して危険も高くなる(たとえば麻薬はひどい混ぜ物がされて売られる、聞いたところによると麻薬にガラスの粉を混ぜて容量を増やして密売など)ので、いっそのこと日の当たる場所に出しちゃいましょうという合理的な考え方。

でもふと考えたんだ。麻薬吸っていい、売春買春も合法だというのは、一見自由なように見えて、実はそれはほんとはちっとも自由なわけじゃないんじゃないだろうか。 いわゆる不良行為を、いちいちお上の許可をもらってやってるっていうことだもん。己の欲望のままどこまでも両手両足を好きなだけ伸ばした、燃えるようなやけっぱちの自由とは違う。実はこの国は極めて巧妙に管理された社会ではないかしら?

自分が誰にも管理されない、自分が自分の主人であるような、そんな自由がここにはない気がした。 本当に危険なものは、この国には存在しない気がした。 そして危険なものも、この国から生まれない気がした。だからきっと、ここしばらくの間はこの国からは天才は生まれない。私は妄想に似た確信を持ってそう思った。

ところで日本は法的に一切認められていないのに、売春は公然と存在するよなあ。騒音防止条例の類いはあるけれど、街の中でアンプ使って音楽の演奏してる人は実際によく見る風景だし、右翼の車が捕まった話も聞いたことがない。日本には法があってないような、ひょっとしたら実はなかなかやり手の無法地帯的なのかもしれない。これが、アムステルダムの報告ね。 (15/9/06)

バルセロナ1 http://minemaiko.sblo.jp/article/5287414.html
バルセロナ2 http://minemaiko.sblo.jp/article/5287451.html
posted by minemai at 00:00| Comment(0) | 日記
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