2010年07月14日

福岡、魔のバミューダ海域、魔のトライアングル

沖縄県の仲井眞県知事から、先日行われた沖縄国際アジア音楽祭の出演のお礼状をいただいた。こういった、最後まで気合いの入った音楽祭というのはどこにもないと思う。また、スタッフの方からの好意的なコメントも届き、来年の日程が出たので、来年もよろしくお願いします!と書かれてあった。もちろんお願いされます!!ふふふふふ。封筒はすでにMUSIX2011に更新されて印刷されてある。2011年3月18日〜20日までの3日間、開催されるとのこと。わかりました。来年のこの日は、予定を開けておきます。そして皆さんも、ぜひ来年一緒に沖縄へ!ちなみに、すでに終了した今年の国際通りでの音源は、ひょっとしたらホームページでUPするかもしれません。

さて。本日はフィールドワークです。

*****

福岡市に、イスラム教徒にとり念願の九州で初めてのモスクが建った。しかしモスクの向かいの、ペット葬儀場が、何枚か張り紙をした。「無断駐車お断り」。
<写真の左がモスク、張り紙は右手のコンクリートの壁です>
Field Work.jpgNO Parking.jpg

一方、このような張り紙を出した当のペット葬儀場は、町の中にあるわけで、動物の火葬とはいえここで行われるのはちょっとと、周辺住民から煙たがられているという(火葬の煙のことではありません、ごめんなさい、ちょっと笑えない冗談でした)。
<写真右手の奥です>
Between.jpg

さらには、モスクの左隣には、謎のキムチ屋さんがある。といっても普通の玄関も外観も普通の民家だ(ん?日本語がへんかな)。そして、車の様子からおそらくヤクザのお兄さんたちではないか?と思われる人たちが立ち寄っては、キムチを買っていく姿がよく目撃される。3時からしか開けますって手書きで玄関に書いてあった。おそらく2時59分まで、仕込みなんだなあ。そして、この謎のキムチ屋さんには、ときどきこんな手書きの看板が出る。「クロネコあります」。子猫が生まれたのかな?

<個人の家なのでキムチ屋さんの写真なし。モスクの写真だけ>
Islam and.....jpg

というわけで、モスクと、ペット葬儀場と、謎のキムチ屋さんがトライアングルをなしているこの一角。私はここのエリアを「福岡、魔のトライアングル、もしくは魔のバミューダ海域」と呼ぶことにした。

モスク、ペット葬儀場、キムチとクロネコを売っている謎の店、すべての存在が際立っていて、それぞれが何かを逸脱している気がする。同時に、3者は雄弁だ。表面上は分かりやすい小競り合いやぶつかり合いをするんではなく、単に「車を止めるな」とか、「ペット火葬」とか、「キムチあります」「クロネコあります」とか、「(アラビア語なので分からないけど)アラビア語で何か書いてある看板」、そんな単純な看板や張り紙のやりとりだけ。それだけで、非常に雄弁に自分を主張している。

私と一緒に福岡でイベントをやっている世界激場の実行委員の聡くんは、その場所を知っていて、いわば、モスクは宗教問題、ペット葬儀場は広い意味での環境問題、謎のキムチ屋さんとヤクザらしきお客は、ひょっとしたら在日の人たちで、それは民族問題といえるかもしれない、と言っていた。彼はこう続けた。残念なのは振り返ったとき、どうして僕らは、在日の人たちと、お互いぶつぶつ言いながら、それでも一緒に生きて行けなかったんだろうか?と。

思い出したのは、高橋竹山さんだ。彼は言わずとしれた津軽三味線の名手だけど、彼は角付けで、日々のご飯を三味線ひとつで稼いでいた。戦時中は、誰もみんな貧しくて、演奏をしても食えない。空腹でもうだめだと思ったときに、強制労働をさせられていた、朝鮮半島から連れてこられた人々が、たき火をして、歌って踊って、わずかな食事をしていたんだと。自分たちこそが、大変な思いをさせられていたのに、竹山さんを輪に呼んでくれて、握り飯を握らせてくれたんだと。それで、竹山さんは、それから演奏の度に、アリラン協奏曲として、津軽三味線でアレンジをして必ず演奏するようになったらしい。そのライブ演奏のレコードを私は持っているけども、これはすごい1曲だ。

しかも、そのときの経験と関係があったのかどうかは知らない。でも亡くなる直前まで、竹山さんにはライブの直前に、必ずおにぎりを食べる習慣があったはずだ。ともかくこの話は私にとって、強烈な印象を残している。それでイスパーニャという曲を作った。そしていつか、津軽三味線のアレンジで歌いたいと思っていた。歌詞は、別の場所から飛んできたけど。

ん?何の話だったっけ?「福岡、魔のバミューダ海域」の話だ。この魔のバミューダ海域、魔のトライアングルは、偶然生まれた一角だけども、この国の未来は、質問されたこととまったく関係のないことを目尻を下げながらすらすらと答えることができるので、日本の政治家としての資質を十分に備えていると思われる柔道着の女からじゃなく、この場所から始まるんじゃないかって思う。出会った今日から親友になろうといわんばかりのハイな国際交流で、実態は相手が一方的に英語をしゃべって、こっちがそれを辛抱強くリスニングしているだなんて関係は3日しか持たない。互いに相手のことをいぶかしげに見ながら、よくわからない言葉を一斉に話し、それでもとりあえずそばで一緒に生きてるという場所があれば、それが私たちの未来なんだぜい。
posted by minemai at 02:25| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
 こんにちは、いつも軽率な発言をする世界激場の聡です。
 いつも楽しく拝見致しております。
 さて、今回の記事に引用された私の発言について、いくつか捕捉したい事がございましたので書き込み致します。
 不適切なら「ええぃ構わぬ切り捨てい」とばかりにDELETEして下さいね。

 ええと、まずここですね。
>残念なのは振り返ったとき、どうして僕らは、
>在日の人たちと、お互いぶつぶつ言いながら、
>それでも一緒に生きて行けなかったんだろうか?と。

 多分ね、実際にはそういう地域にいる人は「ぶつぶつ言いながら、生きていった」んだとおもいます。
 と言うか生きていかざるを得なかったし、「ぶつぶつ言う」以上の軋轢や衝突もたーくさんあったはずです(今も)。
 私が指摘したかったのは、実際にそこで生きてきた人達の事と言うよりはむしろ、自分も含めてその衝突の現実に「我関せず」でやってきたこの国の大多数の人たちの事について、なんですね。

 あの時私は確か60年代のソウルミュージックを引き合いに出して話していたと思います。
 よく知られていることですが、「ソウルミュージック」って、「アメリカの黒人が作った音楽」と単純に言えるものじゃないそうです。
 例えば、60年代の南部ソウルを支えたバックバンドの中にかなりな割合で、「黒人音楽好きなカントリーミュージシャン上がり」の白人がいたり、
 昔のラジオは黒人音楽をかけてくれなかったから田舎の方には白人音楽しか聴いた事の無い黒人が結構いて、その中から優れた歌手が生まれたり。
 勿論人種差別というのは彼の国の現実として歴然としてあるのですが、そのネガティヴな要素が逆にオリジナルなものが産まれる土壌となったり、
 被抑圧者の価値観が逆にクールなものとしてもてはやされたり、本当に一筋縄ではいかない黒人と白人との関係性・相互のカルチャー他の捉え直しがあって、
 それが音楽史的に例のないユニークで豊穣な作品群を生み、公民権運動など、現実の社会を動かす力の一助となっていったわけですが、
 翻ってわが国のマジョリティは、自国内の(在日コリアンに限らない)マイノリティの文化・生活・風俗に関して、そういう捉え直しをしてきただろうか、今後果たして出来る日が来るだろうか?
 という事なんです。

 これから先って多分日本に限らず、色んな自分と異なる価値観に対して「ぶつぶつ言いながら一緒に生きていく」事をせざるを得ない局面に立たされると思うんです。
 その際に憎しみとか、排除とか、対立とかというベクトルとは違う方向性での「(自分にとっての)異物」の捉え方が出来る、その余地があるというのは結構大事な事になるような気がするんですが、
 どうも日本人、そういうベクトルからはどんどん目を背けて生きていこうとしているように私には思えるので、そこが心配というかイヤというか、もう知らんわ勝手にせいと言うか(笑)。
 気付いている人たちは気付いているんでしょうけど。私なんかよりもっと切実に。

 あと、これは本文の主旨とは関係ありませんが、

>「クロネコあります」

 というのは、宅配受け付けますよという意味では(笑)?

 長々と失礼致しました。でも、基本的にみねさんの論旨に関しては大OKだからね。
Posted by 聡文三 at 2010年07月14日 14:38
コメントをどうもありがとう。面白く読ませていただきました。あなたは、音楽やっているときは、ぜんぜんダメだけど、普段は良いことを言う。まさか、先日のライブで床を転げ回っていたパンクのお兄ちゃんと同一人物だとは、思えない。先日のライブは、良かったよ。CDにできない、再現性の不可能な、一回ぽっきりのライブでした。
Posted by みね at 2010年07月14日 17:22
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