2009年04月09日

着物という妄執

こんにちは。1年に1回くらい天才になることがある、みねまいこです。「筆舌に尽くしがたい」ほどに多忙のため、今週の『週刊みねまいこ』は数日延期します(タイトルだけ、UPしています)。

さて、改めましてこんにちは。4/5(日)、世界激場関連の勉強会、JIYU-KENKYUがありました。そちらで報告を行っています。興味のある方はどうぞ。

4/9(木)には、公開リハーサルを親不孝通りのKING BEEで行った。第一部、第二部とやって、第二部はほとんどセッション。ブルースコードをベースに即興で私とバンドで曲を構成していった。最中にある感覚が沸いて楽しかった。それは8分休符や16分休符が目の前にはっきり見えたということ。今回はMacとの同期はまったく行わず(打ち込みは無し)バンドだけのシンプルな演奏だったけど、そうなると音数が極端に少ない。結果的に、ボーカルの次のフレーズは16分休符遅めに待って入るとか、そんな息継ぎのような「間」を手に取るように簡単に作れたので、そこが楽しかった。ひどくひどく、楽器の音と音の隙間、一瞬生まれる「間」をかぎとっていた。以前、ジャズバーで歌っていたときの、ミュージシャン同士の皮膚感覚レベルでの勝負!みたいな感覚が蘇った。こういうのもいいと思う。むしろ、こっちの方が私にとって正しいのかもしれない。

面白かったのが、第一部終了後に、お客さんとして来てくださったご夫婦が「長男の嫁に...でも、あなたはもう、どなたかいらっしゃるんでしょう?」と縁談を持って来てくださったことだった。ティファニーの宝石商の方だった。ときめいてしまう。何に?思いがけない縁談に?ティファニーに?ふふふ。あなただったら、どっち?わたしの場合、こたえは、、、。

さて、今日は着物の話をしたい。実は世界激場関連のJIYU-KENKYUで、辻井喬『伝統の創造力』を読み、報告する機会があった。その際に、一度正面から伝統と取っ組み合いをしてみてもいいのでは?という気持ちになった。伝統というと、日の丸とか君が代とか神道とか神風とか侵略戦争を思い出すものか、もしくは男たちだけが活躍できる芸能(歌舞伎、能など)や技術(寿司職人や、宮大工とか)しかなく、女の私にはアレルギー状態か、選択肢がないというしろものだった。

唯一、女性にできそうな伝統的職業といえば、海女さんみたいな仕事はありそうだけど、寒い海に入りたくない!海といえば!ところで全然関係ないが、オペラはなぜあんなに面白くないのだろうか。音の迫力はあるけどストーリーが目も当てられないくらいにひどい。弱い女がたいてい男のために尽くして、やっぱり弱いから女が病気なんかで死んで終わる。そこで思うのだけど『ジョーズ』なんかをオペラにすると良い。以下、ジョーズのテーマで歌って下さい。「サメ、サメ、サメ、サメ、サメだー」って大舞台で大迫力だと思う。まず成功すると思う。あとは『ゴジラ』とか。以下、ゴジラのテーマで歌ってみてください。「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」みたいに歌って、オペラ歌手が闘うわけよ。すごくいいオペラになると思うよ。小道具をしこんでおいて、舞台で火なんか吹いたりしてね。ね。素敵じゃない?

話を戻すとですね。一度、敬遠してきた日本の文化を正面から受け入れてみようかと。それでたぶん、伝統なんていっても時代によって「ねつ造」された部分はたくさんあるんだけども、それでも自分にとって「信じるに値する伝統とは何か?」っていうことを考えてみようと思ったわけ。

忙しい合間、博多駅のそばの喫茶店でコーヒーを飲みながら外を見ていた。すると横断歩道をコリアン系のチマチョゴリ姿の女の子たちが風に吹かれて信号を待っていた。チマが花のように大きく膨らんで、天国にいるみたいな気持ちになった。そして私は、日本の着物が着たいと思った。

そうこうしていると数日後、着物を着る機会があった。

kimono3.jpg

※スキャンの際に、画像が反転しているため、
打ち合わせの左右が逆になっているように見えています。

帯は人間国宝の金糸の帯。桐の箱に入っていた。着物は、これは手で柄を描いて染色しているわけではない。なんと総刺繍、すべての柄が糸で一針一針、糸は微妙な色で陰影がつけられ、すべてが刺繍で表現されていた。圧巻の着物だった。地の色は、水色。もちろん上には上の着物があることは知っている。何千万もするような。私の着物はそこまではいかない。だが袖を通しただけで、心が通った。だから、いい着物だとわかった。見る人が見たらわかるのだろう、着付けの人が「あっ!」と言い、帯からえり、小物に至るすべてが完璧に計算しつされていると言った。福岡の博多座の前を歩けば、着物を着て観劇を楽しんだ後の老婦人の団体を黙らせ、街を歩けば知らない人から「そのお着物の写真を撮らせて欲しい」と言われた。

これは、私の祖母が私に作ってくれたものだ。祖母は富豪でもなんでもない、サラリーマンだった優しい祖父がいて、ずっと年金生活者だった。料理が上手だった。普通の生活をしていたと思う。ただ、着物だけは「狂気」と言ってもいい。月賦をくんでも、自分の思う最高の品を買っていた。私が作ってもらった着物はこれだけはない。他にもあって、もし自分の命の危険にさらされるくらいに生活に困ったときに質に入れてしまおうと、大学生の頃姑息なことを考えていたこともあった。幸い、そこまで悪党になる勇気はなかったのですべて着物は手元にある。今思うと、とんでもないことだった。一度手放したら、二度とめぐってこない。また、これだけの着物を作れる作家も、どんどんこの世からいなくなる。

いろんな柄がある。どれも品がある。色に目がさめる。見ていると、私も狂ってしまいたい。

祖母は数年前から、痴呆で病院にいる。お正月に着物を着てお見舞いに行ったことがあった。もう今では誰のこともおもいだせない。祖母は、何も思い出せない自分が悔しくて、ぽろぽろ泣いていた。私の顔を覗き込んでじいっと考える。でも思い出せない。それが悔しくて、また泣いている。祖母は私が子どもの頃から、私の額と、お尻の形が美しいと言っていた。病院で両方を見せるわけにはいかないが、とりあえず前髪を上げて額を見せた。それでも効果はなかった。

帰るときに、びっくりしたことがあった。着物のそでをつかんで離さないのだ。そして、着物の柄を何度も撫でて、手のひらで絹の清らかな暖かさと、重みを確かめていた。着物だけは、覚えているのだ。自分が審美眼のすべてをかけて見極めて選んだ柄、色、そしてそれに合わせて選び抜いた帯、小物。全てが彼女の愛したものであり、彼女の狂気だった。

たぶん、こういうことだと思う。伝統というものは、誰か一世代、一人でいい。異様なまでに何かに精力を注ぎ込んだら、意図せずして残ることがあるのだ。しかし何に夢中になるかは、本人の才覚によるところが大きい。

祖母は若いときに戦争があって、あまり着飾ったりできなくて、それでも江戸時代の祖母の祖母や明治時代の祖母の母たちが、もっと昔に美しい佇まいで水仕事をしたり、身のこなしの中の優しさとか、鏡の前で年に何度か一番いい着物を着てめかしこんだり、そんな記憶が残っていたと思う。そんな豊かな生活の風景があって、着物を買えるようになったときに、一気に自分の中の記憶の美を放流し始めたのだと思う。

私は、日々洋服を着て生き、西洋音楽で生きている。西洋音楽はいつも他人の顔をしている。かといって日本の古い音楽と、心をひとつにすることもない。また両者を混ぜるような、下品なこともしたくない。大正生まれの祖父母の記憶までしかなく、さらには、空爆で風景は大きく変わった。戦後は世界中どこを探しても、こんなにやりたか放題、街を壊しては作り、大型店が恥も知らずに増殖する国はない。しいていえば、新自由主義を徹底させたアメリカも、日本に近いが、日本ほどではない。一方で、靖国やサムライジャパンが日本の伝統として(ちょっと違うか)あがめたてまつられている。伝統とは、靖国のことではない。伝統というものは、一人の人間の中に生まれた狂気のことだと思う。それを時間と共に発見し、感動しつづけることだと思う。

posted by minemai at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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