2009年02月25日

音楽と空間(1)ライブハウスのチケットノルマ制

先週からノロウィルスという病気に感染して、自宅療養した。もう元気になったのだが、病気の間なぜか「ライブハウス」について考えてばかりいた。私は2007年の5月を最後に「ライブハウス」に出演していない。演奏してきたのは商業施設、野外ステージ、演劇ホールなどだ。ライブハウスに出演しなくなった理由はいろいろあるが、重大な問題が実はそこにあったんじゃないかという気がしている。また、ライブハウスに出演せずして今後私はどこで演奏すべきなのか?という課題は放置されたままだ。そこで今回本を読んだり(参考資料は下)、大学院の授業のノートをだしてきて、自分なりにまとめながら一度意見を述べようと思った。病気で寝ていた時間は5日間、120時間なので、時間はたっぷりあった。それを2回に分けて話したい。

初回は「ノルマ制」についてだ。マリア・カラスの恐ろしいまでの神々しさ、大迫力の歌劇『ノルマ』ではない。チケットの「ノルマ制」についてだ。えげつない話で大変恐縮している。だが、話をしたい。通常ライブハウスでは、出演するミュージシャンにチケットの「ノルマ」を課している。ノルマの金額はライブハウスによって異なる。ミュージシャンは、ライブハウスから「出演しませんか?」と依頼が来ると同時に「ノルマはチケット◯◯枚です」という条件を伝えられる。そこで、ミュージシャンは客を集める。メールを出したり手紙を出したり電話をかけたりして、ファンや知り合いに必死に声を掛ける。もしもノルマがこなせなければ、自腹で払うことになる。たとえば、ノルマ10枚(1枚2000円)の場合、客がまったく来なければ20000円は自腹を切ることになる。

このようなチケットノルマ制というシステムは、通常のライブハウス(ステージ、照明、PA、ドリンクを出す)ではごく当然のことだ。また、全国津々浦々どこへいってもどのライブハウスも「チケットノルマ制」を出演者(ミュージシャン)に課す。しかし、なんと驚くべきことに、「チケットノルマ制」は日本だけの独自のシステムなのだ。2005年にベルギーのとある芸術団体からコンサートの依頼を受けて、ベルギーへ来られないか打診を受けたことがあった。宿泊は無料だが、交通費が自費という悪条件だったので断った。実はそのときたまたま依頼者と話して初めて知ったのだが、ヨーロッパではどんな小さなコンサートでもミュージシャンにギャラが出るということだった。それをきいて愕然としたことがあった。

一度、友人の聡氏(TARJEELING)にこの話をすると「そうらしいですよ。日本だけなんです、チケットノルマ制って。アメリカに一部チケットノルマ制のライブハウスがあるそうですが。ニルバーナのほら、『PAY TO PLAY(演奏するために金を払え)』っていうタイトルの曲がありましたよね?」ということだった。社会学者でミュージシャンの宮入恭平氏の本によれば、アメリカに4軒のみチケットノルマ制のライブハウス(music club)があるとのこと。しかしこのアメリカのライブハウスは、メジャークラス(もしくはメジャー目前)のミュージシャンが出演する会場であり、つまり一般的なライブハウスにはチケットノルマ制はない。とすると、やはりこのチケットノルマ制は日本特有の現象であるわけだ。これはやはり、一度よく考えるべき問題ではないだろうか?

やや先走った言い方をすれば、私は、ライブハウスのチケットノルマ制があることで、一度も幸せだったことはない。常にアムウェイの洗剤を売ってる気分だった(経験はないけど)。みんな誰だって仕事や家庭で忙しいのに「ライブに来てね(しかも平日の夜に!)。チケットいかが?」と、あまりしつこく言えやしなかった。とりあえず声は掛けるけど、またそれでけっこうな人数も来てくれるのだが、しかしこんなことをしていたら私はいつか友だちを失うだろうと思った。最初の何回かは興味や、善意によって。しかし何度も買ってもらうわけにはいかない。気違いねーちゃんが歌う、へんてこりんな曲のためにあなたの貴重な時間を割いて来てくれなんてとても言えない!!もしくは、見ず知らずのファンの方が来て下さったとしても、照れ屋なんだ実は。私には、連絡先をきいて次回からお誘いといえばきこえはいいが、要は勧誘メールや電話を出すなんてどうしてもできない。むしろたぶん脅迫ならできるんだけどね(笑)。それはいくらなんでも唐突だし。考えれば考えるだけ面倒なので自分でチケットを買い取って、周りに配ったりもした。

ライブは通常、4、5組かのバンドが一緒に出演する。そんな中で、各バンドが連れて来た客(たいていがバンドの身内や知り合い)は別のバンドを観て名前を覚えたり、あのバンドは始めて観たけどなかなか良かったので別の日にまた観に行ってみようかというように徐々にファンが増えていくのが理想的だ。ライブを通じてファンがあまりにも増え、業界が注目してデビューというストーリーは、しかし99.99パーセントないと言ってよい。もし、チケットノルマ制のある通常のライブハウスから、そういう奇跡のような経緯をたどるためには、絶対にはずせない条件がある。演奏と曲の良さは当然だが、それからさらに「男性複数からなるバンドであること(女の子のファンは絶対に裏切らないし、さらなる友だちを連れて観に来てくれる)」「バンドメンバーは多い方が有利であること(勧誘の機会がメンバーの数だけ増えるから)」「ライブ開始時点で学生であることが望ましい(ライブに来られるだけの暇を持て余している知り合いが多いから)」この3つだと、わたしは様々な観察の末、個人的に結論づけている。どうだろうか?この日本のライブハウスで、チケットノルマ制を生き抜き、人気を得てデビューし成功したのはすべて若手の男性バンドではなかっただろうか?

さて、私の音楽キャリアを商業的な面から述べさせてほしい。10代の頃から大分の教会でオルガンを弾いたり、山口の教会で歌い始めたのがことの最初だが、宣教師から「これからも歌の勉強を頑張りなさいね」という応援の気持ちのギャラをもらったことはあった。また福岡のジャズバーでも歌っていたが、そこではYAMAHAの講師などの実力のある有能なプレイヤーとセッションしつつ、また音楽理論などいろいろ教えてもらっており(すみません、全部忘れました)むしろただでジャズを勉強させてもらっているという感覚だった。ギャラはないがもちろんこちらがジャズバーにお金を納めることもなかった。大塚怜子先生とおっしゃる声楽家の弟子みたいなことをやっていた時期もあったが、仕事をいただくとギャラは声楽レッスンで支払われた。声楽のレッスンは高額であるためこれは助かった。さて20代になると、東京のコンシピオレコード主催のライブに出た。原宿RUIDOだった。レコード会社が宣伝をし、ホテルを用意してくれ、私のような新人に演奏する機会を与えてくれていた。目的は、芸能プロダクションや大手レコード会社や音楽出版社を集めてスカウトの機会を作ることと、客がつくきっかけを作り出すことだったと思う。

その後、福岡でライブをするようになった。まず青年センターという福岡のNPOやNGOの集まっている基地のような公共の施設での、無料ライブに出演した。福岡で活動するのに何から始めて良いのやらわからず、市の広報誌に出演者募集の記事がありそれが出演のきっかけだった。そこで知り合ったPA(現在の私の録音エンジニアの小山氏)や、ファンの方とは現在も交流があり影響を受けているため、よい選択だったとはいえる。しかし一方でもう少し「商業的な活動」もしたいと思い、いわゆるライブハウスに出演するようになったのはこの数年のこととなる。福岡の親不孝通りにあるアーリービリーバーズというライブハウスで「ガールズナイト」というイベントに毎月出演し、毎月ギャラを受け取っていた。ミュージシャンを大事にするライブハウスだったと思う。だがしばらくするとそのライブハウスにはノルマ制が導入された。つまりここからなのだ、私がノルマと出会ったのは。

他の福岡のライブハウスにも出演するようになったが、どこも完全にノルマ制がしかれており、常にシャクゼンとしないものを感じつつ、しかしノルマのなかった環境には戻れないという状況が続いた。また福岡ではストリートライブも計画したが、楽器が傷むのが嫌で計画倒れに終わった。その間、福岡以外の国内では、東京のスターパインズカフェで1度、知り合いのミュージシャンからライブに呼んでいただいた。ライブハウスのオーナーがいい方でノルマはなく、むしろギャラをいただいた記憶がある。プロフィールが長くなったが、つまりノルマを個人的に経験したのは、福岡の数年間だけだということになる。よって、今回のノルマの話は福岡に限定して話をしている。

2007年の5月以降、私は脱サラならぬ脱ノルマを計画したわけだが、理由はノルマ制の持つ根本的な欠陥を発見したからだ。なんて言えば偉そうだけど、ただ単に「貧乏から抜け出そうという意思がない限り一生貧乏だし、ライブハウスやイベンターは説明もせず、当然のようにノルマ制を強要する。私がここから抜け出そうという意思がない限り、一生ノルマを背負いながら歌うことになる。一生それでいいのか?よくないっしょ!『ここがロドスだここで飛べ!これがバラだここで踊れ!byマルクス』」なんて、ひらめきのように思ったからだった。要するに、いいかげん頭にきてたんだ(笑)!しかしそれは、ただ単に自分自身の「不甲斐なさ」の告白であり、「福岡における約2年半のライブハウスでの音楽活動の敗北宣言」でもあるのだが...。

まずライブハウスのノルマ制は何のためにあるかといえば、それはライブハウスが潰れないためだ。どんなに客が来なくても、確実にミュージシャンから安定した入金がある。またノルマ制によって、ライブハウスが集客を行わねばならない責任は究極的にはない。もちろんライブハウスは宣伝をしてくれるだろうが、最終的に客を連れてこなければならないのは、ミュージシャン自身なのだから。するとどういう現象が起きるかといえば、ミュージシャンの連れて来る客は、ミュージシャンか関係者だった、という事態になる。そして客はいつも同じ顔ぶれ、知り合いばかり、みんな身内じゃん、ということが起きる。そればかりではない。ミュージシャンばかりが客だと、この間お前のライブを観に行ったのだから、次は俺のライブを観に来いよなという(言葉に出さないでも)、暗黙のうちに「贈与互酬的」なことが延々と続く。そこから、新しい文化は生まれるだろうか?何か思い詰めた後のような新しさはあるだろうか?仲間内で持ちつ持たれつのコミュニティーが形成されて、ライブは常に身内を相手にしたピアノの発表会状態と化すのは必然的なことなのだ。

では、ライブハウスが悪いのだろうか?メジャーへ行くために一緒に盛り上げて音楽シーンを作ろうよと、甘い夢をみさせて99.99%のミュージシャンを騙す、あくどい商売なのだろうか?ステージにあがる人間は常に更新されていく。常に顔ぶれが変わる。しかも年代は一定、10代〜20代、つまり無知な連中がたえずリクルートされてくる。彼らは今は自分らはこんなんだけど、いつかは花開くと思っている。その切実さを食い物にしているのだろうか。ライブハウスは誰でも、ただノルマを払ってくれるならば誰でもいいのか。成功を夢見てノルマを払う人間は後から後から出て来る。だからライブハウスはつぶれない。宮入氏の著書にも詳しいが、つまりライブハウスの最大で本質的な顧客は、音楽を聴きに来る観客ではなく、演奏するミュージシャンということではないか。高度な騙しのテクニックなんだろうか。いや、それは違う。ライブハウスのオーナーやイベンターは、印象としてみな善意だったように思う。自分はプロになるのに挫折しても、音楽発表の場とチャンスを皆に提供する善意があったと思う。そこでは、盛り上がりもあったことだろう。そんな中から実力をつけた者もいただろう。

しかしノルマ制がある限り、やがて最終段階では行き詰まる。同じ顔ぶれが再生産される空間から、新しい文化が生まれることは難しいだろう。そして新しい文化が生まれなければ、ライブハウスはその本来が持つ魅力のほとんどを失ったことになる。やがて次第に文化を発信したり、生活スタイル、誰かの人生にうっかり関わってしまうような重大な役目などを到底果たすこともなくなるのではないか。求心力も存在意義も失う。新しい時代の匂いや刺激に敏感な人、何か情熱のある面白いものを探している人間は、なんらかの機会がない限り寄り付かなくなる。自分からは「ふらり」と、出掛けてきてはもらえなくなるだろう。そうこうしているうちに、新しい文化は別な方角からやってくる。面白いものは、なにも音楽だけでなくてもいいのだ。

また、ライブハウスも高齢化を免れない。ノルマを背負うミュージシャンの数も減る。宮入氏の著書に詳しいが、なのにいまもライブハウスはどんどん増えているそうだ。そうなると、ターゲットは2007年に退職が始まった団塊の世代のおじさんたちだ。彼らは、お金と時間と良い楽器を(若者よりは)持っている。彼らに思いきってパーティを開いてもらって会場をまるごとレンタルをしてもらうか、もしくはアマチュアを対象としたカラオケ大会がライブハウスでは開かれることになる。もともと照明とスピーカーはある。最適だ。もうすでに一部のライブハウスでは、曜日によってはカラオケ大会が開かれているそうだ。すでにライブハウスは「死に体」以外の何ものでもない。福岡でも、ノルマを払ってくれるミュージシャンをめぐって、ライブハウス同士での競争がいっそう激しくなるだろう。ノルマ経営の行き詰まりはすでに始まっている。

この10年くらいだろうか、ライブハウスに限らない音楽表現活動の場は増えた。「アンチラブハウスの流れ」とでも言うべきか。カフェを中心にしたカフェミュージックや、数は少ないがアイリッシュパブのようなバー、ちょっとした異国風レストラン(フラメンコショーがやれるようなラテン系のものが多い)などだ。基本は飲食のじゃまにならない音楽が、求められるといえる。昔の知り合いに通常は7人くらいでライブハウスに出演しながら、一方でバンドをカフェ向けにカスタマイズし2、3名(アコースティックの楽器を使用し)でカフェやパブをまわり、ライブハウス以外の活動の場を広げる努力をしているバンドもいた。店は基本的収入を、お客の飲食に頼っているからノルマはない。ギャラは出たり出なかったりということだ。そこでの音楽の役割は、客に飲食をより楽しんでもらうことである。したがって演奏する際の条件として、より酒のすすむ、料理がひきたつ音楽が求められることが多い。このように脱ライブハウスの流れは確実に生じている。しかし、演奏する側に音楽的な制約が求められるし、そういった場所ではアンプを通した大きな音では演奏が難しい。

私が思うことは、ライブハウス自身が「アンチ・ライブハウス」というコンセプトで、自らの体質を変えていくといいのではないか?ということだ。月並みな言い方だが、ノルマ制のもたらす悪循環から抜け出す道をライブハウスはミュージシャンと一緒に模索し始めることだ。一方で、他にはない特異さをそなえたライブハウスとなり、今を生き抜く以外にない。史上最高に耳の良いPAを雇うとか、涙が出るほどおいしいドリンクを出すとか、ステージの天井からロープがぶら下がっていて、私が歌いながらアスレチックもできるとか...言っててよくわからないけど(笑)。極端だとしても、わかりやすいメッセージが必要だ。面白ければ、やっぱり本当に面白いのだから。

また私がお客だったらどんなところが好きか、そもそも自分がどんなところで定期的に演奏したいか?という個人的な視点で、次回は今後の展望について、もうちょっと考えてみたい。

続きはこちらです。 音楽と空間(2) 

参考資料:
宮入恭平『ライブハウス文化論』青弓社、2008年。(これは必読!)
毛利嘉孝『はじめてのDIY-何でもお金で買えると思うなよ!』P-Vine Books、2008年。
山田晴通教授(東京経済大学)による、九州大学大学院比較社会文化学府での集中講義「ポピュラー音楽論」(2008/1/21〜25)での授業ノート。(みね私物)
posted by minemai at 12:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
「チケットノルマ」で検索してお邪魔しました。
ノルマは精神的にキツイです……。
みねまいこさんの考えたライブハウスが日本にできたらいいなぁ!と思います。
宣伝になってしまいますが、私なりにノルマ制度を良く出来ないかと考えて作ったのがhttp://noruma.sns-park.com/
です。
音楽ライブだけではなく、いろんな分野のチケットノルマに困っている人たちで協力しようというところがポイントであります。
コメントに相応しくなければ削除してください。
Posted by ノルマSOS at 2011年01月29日 17:53
始めまして、こんばんわ。TAKAといいます、現在佐世保、横須賀を中心に既存のライブハウスとは異なる、自由な空間をテーマに事業展開しています。 こちらに書かれている理想のライブハウスに近い空間では?と思いコメントさせていただいています。お店は出演ノルマ等はもちろんなく、パフォーマンスをしたい方はいつでもウェルカムな空間で、既存のライブハウスと同等の音響設備、客の8割がアメリカ人で、週末には200人近くの集客があります。日本のライブハウスは絶対におかしいというのが私の初めからのコンセプトで4年半ほど前から運営しております。

興味あられればホームページ、私のBlog等にアクセスしてみて下さい。



私のblogです。
http://blog.enterco.jp/
Posted by TAKA at 2011年04月03日 22:10
海外のライブハウスを探していて、偶然、記事を読ませて頂きました。
私自身はバンド活動で海外に出演したり、ライブハウスの店員、イベンター等を経験してきた者です。ですから、双方の意見は分かるつもりです。
バンド活動についてはチケットノルマ制を経て、現在では1枚目からのチケットバックになるバンドに成長させました。
昨今のチケットノルマ制、ライブハウスの営業への非難を存じてはいました。ただ、どこの批判的意見を読んでも、私としては浅はかな意見にしか聞こえません。
まず、管理人様が言われているように、日本のライブハウスの環境(照明、PAシステム等、楽屋、立地)を考えた場合、海外諸国より断然良い状況で有ると言う事。海外のエンジニアも含めた、PAシステムは金銭が動く程の事ではありません。照明システムに関しても同様です。またメンテナンス料や、それを扱う人への人件費等は、海外諸国とは比べられないものでしょう。
そして、家賃の高さを考えれば、最低限の売り上げ収入を保証する事を考えるのは仕方の無い事かと思います。
一部ノルマの無い店を経営されている場合は、立地的に安い箱で有ったり、自社ビルでの経営の場合が殆どだと思います。また、このようなノルマの無いお店に関しては、出演バンドの厳選が行われる事は当然です。出演バンドがお客さんを連れてこなければ、そのバンドは出演出来なくなります。
結局の所、バンド側の集客力が問題になるんです。
では何故バンドに集客力が無いのか?
実力の無いアーティストのライブを見たいと思わない人が殆どだからです。
最近のライブハウスは新規店が多く作られ、何の経験も無い、素人のブッカーが多くなってはいますが、きちんとバンドを育てられるブッカーはいます。
日本の音楽業界の底辺のこの人達に育てられたバンドも数多くいると思います。
音楽的に価値がないバンドに経験から来る「アドバイス」を提示するのも、私は立派な経済価値があり、それに対して無料で貰うと言う考えは、それこそ批判の対象だと思います。

現在、都内にあるライブハウスの殆どに関しては、オーナーと店長は別で、ノルマ制の事を箱に問いつめても意味が有りません。

また、ノルマ制の破綻論に関してですが、ある程度の動員を誇るバンドになっていったバンドは、良いライブを行い、他のバンドのお客さんを奪い、努力をして、「身内ライブ」から脱却していったのです。

現在の「チケットノルマ制」の利点は、どのようなバンドでも設備の整ったライブハウスに出演出来ると言う事を分かっておくべき無いでしょうか?
そして、全てのライブハウスを「ノルマ制のシステム」として一緒にせず、バンドにとって金銭のやり取り以上に出演の意味を教えてくれる箱があり、バンドがそれをきちんと理解し「価値あるバンド」に成長する事が大切だと思います。

私の経験上、ノルマ制に意義を唱えているのは、動員に関係無く金を得られるに達していないバンドが殆どだと思います。
また、経験を積んできたバンド程、「ノルマを課せられる意味」をきちんと考え、ノルマを達成出来なかった場合は自分達の不甲斐なさを謝罪されます。

ここ数年で「チケットノルマ」に関して異論を唱える人が増えたのは、ライブハウス側に素人のブッカーが増え、バンドへの意見、納得をさせられなくなった事。
バンド側に関しては、箱が増え、どこのライブハウスへも努力無く出られなく出られるようになった事だと思います。
個人的に「ゆとりの世代」がライブハウスの出演バンドの中心になった事も一つかと思いますが。

最後に金銭のやり取りだけのライブハウスは無くなれば良いと思います。
そして、ライブハウスの店員は決して好条件のなか仕事をしている人ではなく、ブッキングが上手く行かず、精神的に病む人もいる事を分かって下さい。
そしてバンドは自分達の辛さをノルマ制にするのではなく、自分達の実力の無さに原因が有る事を分かるべきだと思います。
Posted by TAKA at 2012年06月05日 15:39
↑のライブハウス元店長さんの話はワタミの社長が言ってることと似てるな。「仕事をすることの目標は人格を成長させること」みたいなさ。いやだからって労働に見合った対価を支払わない理由にはならないだろうと。

ぶっちゃけた話だけどさ、そのお金をとれるバンドがライブハウスに出演するときにはそいつらからはノルマ取らんだろ。ギャラだけ払うだろ。んで対バンの奴らからは有名人と一緒に出れるってことで普段よりノルマ多めだろ。もし「お金の取れるバンド」が客を呼べなくても損しないように多めにチケットノルマを対バンに課すっていうのが卑怯だろ。ダ二枚舌っていうんだよ、そういうのは。

どこまでリスクを背負わない気なんだよ。むしり取られる弱者でいたくないなら強者になれってか?そんなんだから批評されてんだろ。ちょっとは理解しろよ。自分に都合の悪い話はスルーってのはやめろよ。真摯になれよ。
Posted by なんか at 2013年01月25日 01:51
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