2008年02月09日

高齢社会と同性愛、または8日間の夢

何から話したらよいのか途方にくれるほど、この10日間は忙しかった。だが、身をすり減らすような忙しさではなくて、明確な目標を伴う忙しさだったから、ちっとも疲れず、むしろこの季節の吹雪に立ち向かったとき、自分がふとヒーローのような気分にもなった。

私はとある東北の街にいた。知人の葬儀のためだった。普段生活している九州の冬が幼稚園のお遊戯のようで「こんなに寒いとは、甘くみてました。」と、東北の冬に降参した。まったく東北の凍てつく冬の寒さには閉口してしまった。

超高齢の男性が亡くなり、妻である高齢の女性が残った。そんなに親しくしていたわけではなかったが、私はこの高齢の女性と妙に気が合い、おそらく葬儀も絶対には行かなくてもよかったが、「まいこさんに(葬儀の雑用は)全部まかせます」となぜか電話で強く指名されたので、私が誰かに期待されるのならばと、ヒコーキで(紙ヒコーキではない)駆けつけた。

葬儀の後、女性の家で故人の遺品の片付けを手伝うことにした。自宅へ向かう途中に車の中で、その女性が「誰と誰が同性愛だった」と何度も口走るが、私は意味がよくわからず、「同窓生」の間違いだろうと思って聞き流していた。とにかく初日は寒くて私は気分が滅入る。私の黒い服は車のヒーターが暖めた先から、冷えていく。

家に着くと、豪奢な住宅街にある庭付き一戸建て、経済的には心配がなさそうなので少し安心する。しかし部屋の奥に入るとショックを受けた。1mくらいの高さでゴミが山積みになり、人間ではなく、なにかの小さな幼虫が主体的に暮らしている部屋があった。腐った果実と壊れた炊飯器、なぜかボーリングのマイボール、中がカビだらけのカリン酒の瓶、などなど意表をつく粗大ゴミは枚挙にいとまがない。

これは尋常ではないわ。たぶん、家一軒まるごと燃やして建て直した方が早い。と、正直思った。ここにずっと住んでいたのか?住んできたんだよな。参りました。女性の行動をひとつひとつ注意深く見守ることにした。彼女は歩行が困難だ。たぶん、ゴミを出すのも大変だからゴミがたまる。あと、見たくないもの、なかったことにしたいものがこの部屋に集まっており、彼女の思考のブラックホールの役目を果たしていると私は解釈した。

80年も90年も生き、歳をとるとはこういうことなのだ。何もかもが面倒で、自分でもどうしてなのかわからないまま、生活のひとつひとつがコントロールできないのだ。だから、食べ残したもの、外まで出しに行けなかったゴミや、いつのまにか自分の力で開けることのできなくなった瓶や、投げることのできなくなったボーリングの玉がほかにどうしようもなく、ここに投げ出されているのだ。

よし。若い私が片付けようと思った。この家の掃除に結局、何日もかかった。その間たまに怒られた。新品の炊飯器を捨てた!とのこと。「捨ててません」「しょうがない、また買えばいいわ」「だから捨ててませんってば」身の潔白を証明するのに2日かかった(もちろん体を動かしながら)。うーむ。介護ヘルパーの仕事は資格も経験も私はないが、仕事として大変な職業なんだろうなあ。

昼ご飯は楽しい。毎日高級レストランに連れて行ってもらちゃったりなんかしちゃったりして。何でも頼んでいいというので、本当に何でも頼んで食べた。高齢の女性は美人なのだが、プライドが高くて、そしてちょっと社会生活ができなくなっている。それで、ウェイターにどなる。「遅い(料理が)!」「ステーキにかけるソースはこれじゃだめです!サラダのドレッシングをかけてちょうだいっ(うわ)!」という具合だ。食事の最後にはナイフやフォークの横に、バックから歯ブラシを取り出して置く。私はもう、何を見てもへっちゃらだ。本人がそうしたいのだから、そうしたらいい。私は騒動はいっさい無視してもくもくと食べていた。おそらくすべてが異様な光景だったろう。

掃除が一段落してホテルに戻る。彼女の血縁者から話きくところによると、今回亡くなった彼女の夫は、ずっと彼女に暴力をふるっていたとのこと。だったら葬式なんてしなくてただ焼けばよかったのに。と、内心思った(おおこわ)。葬式代で、友だちとどこか旅行に行けばよかったのにって。それで夜中は介護保険などを調べて、てきぱき申請の準備を調べてベッドに入って眠った。

翌朝、10時に彼女の家へ行くと約束していたので、10時きっかりに行くと、家の門の前で待ってるんだな。これが。コートをたくさん着て、北風に吹かれるのが春風のように、にこにこしながら待ってるんだ。ちょっと驚いたけど、家の中に一緒に入り、掃除開始。だいたい掃除のキリがよいところで、今度は台所へ。私はもうすっかり慣れたのだが、そこは美しい色の胞子が飛ぶ、風の谷のナウシカに出てくる腐海のようだった。

休憩時間に一緒にお茶を飲む。台所を片付けて、お団子を作ったら、喜んでくれた。ふと、女性がこういう。「あのね、同性愛者だったのよ。」「へ?同性愛って、あの同性愛ですか?」「今はそんなのあるかしら?昔はあったのよ。」「今はけっこうおおっぴらにあります。」「あのね、同性愛者だったのよ。」「誰が?」「うちの主人は同性愛だったのです!」きけば、ご主人の恋愛の相手がわざわざ葬儀に参列しに来てて(もちろん相手はおじいさん)、彼女は葬儀の間、心中おだやかではなかったようだ。それで、葬儀の後、私にぶつぶつ言ってたわけだ。そういえば、家族よりはるかに悲しみ、涙を流す男性が会場に何人かいたなあ。彼らは彼の恋人だったのだ。

うーうー。とすると、彼女は何十年間も、おそらく半世紀以上、夫の同性愛と暴力に耐えて生きてきたわけね。すさまじいね。「もう、これからは自分の好きなことをして生きてください」と私が言った。なんか、それしか言えなかった。認知症なんて他人の話を時間をかけて聞くことをおっくうがる、次世代の人間らが勝手に作り出した病気、だからちょっと耳が遠いとか、別の考え事をしているとかで、本人たちは正確な情報に基づいて、濃厚な時間の流れを生きているのだとここで初めて思った。

そんなふうに東北での葬儀の後の1週間が過ぎ、1週間目の夜にその街のすごく偉くてなおかつ面白い人々と、知人の紹介で会って飲む機会があった。弁護士や歯科医などで、弁護士事務所を訪ねたら自社ビル、歯科医師を訪ねたらあまりにも広く最新式の手術室まで備えた歯科だった。彼らの話す話は、お金のことならもちろん億単位で、彼らの交際するグループは超有名漫画家や大学の学長やら市長やらもう豪華で、彼らが日本の最前線にいて、日本の輪郭の一部を作っていることが伝わってくる。最先端というのは、どんなことでも楽しい。

ただ、女性がまっこうから権力を目指し、とくに日本でそれを極めるのはなかなか大変だと思う。勉強プラス家柄、プラス財力、プラスできれば外見的魅力か、チャーミングさがなければと思う。一方で、芸術系に向かう女性はわりと数も多くそして強い。いちばん生き延びたと私が思うのは、日本画家の片岡球子さんだ。先月103歳で他界した。彼女の絵がすごい。80を超えても新作。90を超えても新作。男だと、こうはいかない。わりとすぐに線が弱くなる(たまに横山大観のような例外もいるけれど)。

草間弥生さんもエネルギーが螺旋状にぐるぐると渦巻いていて好きだが、メス的なしつこさがたまに嫌になる。オノヨーコさんもエネルギーがすごいとおもう。しかし私だったら「ジョンが...」なんて言わない。銃で打たれて死んだ夫はさっさと忘れて、あっというまに別の男を見つけて、子どもをたくさん産んでハッピーに暮らすだろう。「ジョンはね、死にましたー」で終わり。んで、自分の人生を生きる(ちょっと意味不明だが)。

とにかくだ。片岡球子さんはすごい。近代を突き抜けている。西洋も東洋も突き抜けている。昼間は堅気の仕事をして、夜に絵を描いて、また朝には堅気の仕事に出掛けて、まったくたいした人だったと思う。そういえばこの人は国際公務員だけど、元国連難民高等弁務次官の緒方貞子さんもすごい。子育てしながら勉強して、介護もして、なおかつ30をすぎてからなんだよな、本格的に政治外交の勉強を始めたのは。ものすごい人だなあ。

この東北滞在中は他にも面白いことがあった。知人に頼まれて銀行に付き合う。奥の部屋に通され、しかもお茶まで出る。銀行は基本的にはお金持ち相手の商売なんだなとあらためて知る。支店長、次長ら合計3人が入ってくる。「すみません、なにせ額が額なものですから...」待つこと約1時間。本店から輸送されたり、またキャッシュディスペンサーに残っている金が集められて運ばれた額はおよそ数千万円。お盆に乗った札束が、サロメの愛したヨハネの首のように運ばれてきた。大金を一度に見るのはじつは初めてだったが、思ったほど大したことがなかった。その後、その銀行の支店長と本店のトップらしき人がユーハイムのバームクーヘンの高いやつを持って知人の家にきた。札束よりも、そっちの待遇の方が、私にはへえっと思った。

ペーペーの私などが、一緒にお酒を飲める人たちではない人たちとお酒を飲み、東北のお金や権力が集まるところを垣間みたら、楽しくなっちゃって、翌日は勢いで最高に奇麗な配色のスカーフをデパートで買って巻いて、女性の家に掃除に戻る。とはいえ、もう私もいいかげん福岡に戻らなくてはならなくなっていた。「お別れ会をしましょう」と彼女がいうので、きゃっほうと喜んで今日は一流ホテルのレストランへ。

彼女は、おそらく彼女なりの理由で、とうてい食べきれる量ではない料理をずらずらとテーブルに並べ、私は私で完全に自分の世界に入って食べることに集中した。白ワインを飲みながら、彼女が言った。「この8日間は夢のようでした。こんなことがあるなんて。」それを聞いて、私はふと食べるのをやめて彼女を見た。私はただ、そばに居て掃除をして、身の回りのことを整えただけだ。「たったこれだけのことがあなたにとって夢のようだったのですか?」発作的に泣けてきてしまった。抱きついてぶわっと泣いた。

が、しかし。いまは食うぞ。というわけで。彼女はあいかわらずレストランでのマナーを破りまくり、私は他人ごとのように知らん顔をして、美味しい料理(本当においしかったから)を頂いた。

帰りの道。商店街を少し一緒に歩いてみることにした。すると歩行が困難な彼女が、通りすがりの男にぶつかってしまった。すると男は怒って、彼女をなんどもどついた。私が「何するのよ!!」と大声を出して、彼女の代わりに男をどつきかえした。だが、男は彼女を狙ってどつくのをやめない。私は殴ろうと思った。拳を振り上げながら、最低な人間ってとことん最低なんだなと思った(自分のことではない)。

ところが、ふと気づくとその男もすごく高齢者でなおかつ、足が不自由なのだ。私が殴ったら、この男はこけて骨を折るかもしれん!と躊躇している間も、男は彼女を狙う。カラスのようにピンポイントでどつく。くー。とにかく彼女を避難させることにした。すると、勇敢な青いジャンパーの男性が現場に躍り出てきて「何やってんだー!ばかやろー!」と、ファイティングポーズ。ファイティングポーズだけだから、勇敢でもなんでもなかったのだが、それだけでそいつはすたこらさっさと逃げてった。人通りの多い商店街で、他の人は遠巻きに見ていただけだった。しーん。

ちー。その場で地団駄を踏む私。女で(私のことでもあるんだけど)しかも高齢者だと、社会のいちばん弱い層の人間になっちゃうって、初めて実感した。そして、彼女は甲斐性なしの旦那をもって、これまでもずいぶん気を張って生きてきたし、歳をとったらとったで、外で今日みたいに誰かにいじわるされたこともあったのだろうな、と思った。ゆ、ゆるせん。そういえば、『罪と罰』で殺されるのも、老婆なんだよな。女性は最終的に殺されない程度に、たちの悪い老婆にはなるべきなのではないだろうか?

もしかしたら。彼女がまだ生きており、まだなんとか自分の体力で歩けるうちに、彼女の望む東北のとある街(子どもの頃育ったそうだ)に、連れていくかもしれない。今年の夏はスペインでまたライブをするはずだったが、彼女と青森でリンゴをかじりながら、彼女の子ども時代へ行って、夏を過ごすのもいい、とふと思ったりもした。

posted by minemai at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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