2017年06月30日

Hanoi→Tokyo

2012 年 9 月よりベトナムのハノイにある大学の講師として勤務した。毎朝トヨタの車がお迎えに参りますという話だったが、話が違う! スタッフが毎朝バイクで迎えに来てくれる。昼間は暑いので早く帰るために、みんな早朝 7 時頃より仕事を始める。朝靄と大渋滞の排気ガスのたちこめる旧市街、ホアンキエム湖の柳が揺れている。そのそばを駆け抜け、バイクでひたすら街を疾走する。大学に着くと、路面店のフォーで同僚たちと朝食をすませ、それから仕事。

家から割と近かったハノイの中心街のキリスト教会。
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今、日本に戻ってしばらく時間が経ってから振り返ってみると、全部夢だったような気がしている。あの町のバイクの速度と同じ疾走感は、経済発展のスピードと同じで、進めば進むほど、豊かになれるという未来への確信に満ちていた。若さいっぱい。シャンプーのコマーシャルのような美女たちが、長い髪をなびかせて、暴走していた。

私は、ベトナムの持つアジアと西洋の混ざり合うアンニュイな雰囲気、おそらくそのイメージは、作家マルグリット・デュラスと、ベトナムを描いたフランス映画によって形成されたのだが、そこにそこはかとない憧れを抱いていた。だから到着した日、湿度の高いアジアの喧噪、カオスな町並みに建つ西洋建築のような、しかし近代的では決してない5階建ての家の3階にある天上が高い窓の大きい部屋を与えられたとき、私の年期の入った憧れと現実世界がハイタッチをした。ベッドに寝っころがってみると、大きなファンがゆっくりと天井で回転していた。基本的に家の中も外履き。だから、ハイヒールで部屋の中を歩き回って、スイッチ等を確認した。

フォーの朝ご飯、バインミーの昼食、ブンの夕食、チェーの間食、ベトナムコーヒーと蓮茶を、はしごする日々。夜はホアンキエム湖の周りを、おデブな事務方の男性スタッフがダイエットしたいというので、一緒にジョギング。仕事にも馴れて、町にも馴れて、知り合いもたくさんできた。だが、ここは根本的に何かが足りない。そう、食文化と食器や漆器などの食文化にまつわるもの以外、何もないのだ。文化がない。英語で書かれた本を買おうにも、検閲で禁書になっているとか。普通の小説や普通のガイドブックを、闇のルートをたよって危険をおかしてまで手に入れる始末。夕方の皆のお腹がすいて心細い時間帯になると、何と言っているかわからないが、政府の宣伝カーが拡声器で、たぶん思想指導をしてまわる。誰に聞いても、あれが何と言っているのか、訳したがらない。そうなのだ、ここは、言葉一つで人の運命が大きく変わってしまう場所だった。誰もが口をつぐむのは、自分の身を守るために大事なことは言わないでおく、という意味だった。

アオザイは式典などの行事の時だけ着用。
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同年、10 月、ホーチミンの女子大生が反体制のビラを巻いたという事件が起こる。ビラをまいただけでも懲役10 年以上が相場のこの国で、彼女の支援活動があれば参加したいと思ったことが事の発端だった。金曜の夕方、帰宅前に大学で彼女の名前を検索し、翌週月曜の朝出勤して再びパソコンを開くと私のパソコンだけネットがつながらない。警察による警告マークが画面に出てくる。検閲というものは、自分で体験してみないと恐怖はわからない。ネットがアウト。だからメールもアウト。「1企業1スパイ」という政府の方針も噂にはきいていたが、やっとリアリティを持って理解できるようになる。また、ビザ等の手続きに関して、役人から賄賂を再三求められる。まっとうな民主主義の価値、まっとうな行政の価値、何よりも人権を、今や最後の砦のように信じ、そこに必死にすがっている自分に気づくのだった。

だからこの前、狂暴在(漢字は自分で変換し直してくださいね)が通過した際に、日本のセンスがだんだん後進国になっていくように思えたし、究極的には、こう言っては失礼かもしれないが、政府が人々の活動と言論を制限するベトナムになりたいのか?と思わずにいられなかった。

だが、ハノイにはちょっとだけ希望もあった。女性オーナーがやっている店だ。タンマイ(Tanmy)という店で、旧市街の絹を扱う通りにある。そのセンス、商売手腕、その手腕によって様々な作家を支援する懐の深さ、(最後にもう一度)そのセンスの良さで、私が知る中では、他に見たことがない店を経営している。お土産と衣類屋さんとカフェという名目だが、実際には「自由の雰囲気」そのものを売っていた。日曜日の午後は、中2階で、年配の女性がピアノ演奏をする。ショパンを弾いているが、下手でよく間違える。間違えると8小節くらい戻って、そこから再スタートする。客たちは、1階から3階まで、ゆっくりめぐり品物を眺めながら、下手なピアニストの応援する。そこのオーナーと何度も話した。別にたわいもない話。この絵が綺麗だとか、この麻は綺麗だとか。

Tanmy(入り口近くか?)
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Tanmyのフロアの一部分(写真で見るとたいしたことないんだけど)
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Tanmyの外観(夜のハンガイ通り)
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日本に帰ってきて、さらにずっと暮らした福岡から東京に移って仕事を始めたら、以前感じていたよりも町のスピードがえらく遅かったが、少子高齢化などの山積みになった問題ゆえに斜陽だとしても、いい意味のサビレ方、年の取り方、成熟の仕方を選択すれば何とかなるんじゃないのか?と思ってる。

東京では、私はコム・デ・ギャルソンに行く。ハノイでは、私にはタンマイが必要だった。東京では、私にはコム・デ・ギャルソンが必要だ。たとえ買わずとも見ているだけでも。その共通項は、自由と自主独立と美なんだと思う。そういえば、ベトナムに引っ越す前、私が音楽をやるきっかけを与えてくれたプロデューサーの高橋信之さんが送別会をしてくれた。そのとき「ベトナムにはコム・デ・ギャルソンはないぞ。みねまい大丈夫か?」と言っていた。彼の言葉は予言のように、その通りになった。みねまい、大丈夫じゃなかった。

次回の更新は7月31日です。
posted by minemai at 11:08| 日記
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