2010年06月30日

ファーストフードの起源

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みねまい in フランスです。

冗談です。徹夜明けでへろへろになって飛び込んだ、福岡の喫茶店です(ノーメイクだけど)。

さて、今日はそば屋で、お昼を食べていた。混んでいたので、上品な老婦人と、相席となる。会釈。ふと、思ったのだけども、この店内を全員、タイムスリップさせたら、そのまま江戸の風景になるんじゃないか?と。

出てくるまでに、スピードがある。食べるのも早くすむ。勘定して、外に出て行くのも早い。寿司がファーストフードだというように、そばも江戸のファーストフードだったんだろう。寿司は高級化路線をたどるか、回転寿司のようにアトラクションと化して、ファーストフードではなくなってしまったけども、そばは昔の面影がある気がする。

ファーストフードの定義を、辞書で調べてみると、待たずに食べられる簡単な食品のこと。持ち帰りもできる。らしい。

ファーストフードは、強い町人文化があって、はじめて栄えるのだろう。2時間かけて食べるようなフレンチやその他もろもろは、時間があって働かなくていい、文字通りの意味でも、「〜みたいな人達」という意味でも、いわゆる貴族の食事だろう。

町人は、忙しいのだ。商売やら、ゴシップ話やら、旅行やら(彼らは徒歩ね)、火事や喧嘩やらで。それが、活気だ。フレンチのレストランに、活気があるか?品と、格式はあっても、活気はない気がする(逆に厨房はありそう)。だから、ファーストフードが栄えることは、町や人々、時代と経済が栄えるってことなんだと思う。はたして、西欧にファーストフードは、昔、あったのだろうか?

私はマクドナルドはあまり行ったことがなくって、去年の夏に友人の男の子とフランスからの留学生のパリジャンじゃないけど、パリ近郊ジャンの3人で朝まで遊んでて、明け方朝ご飯を食べようということになり、そのとき初めて行った。「美味しくないだろうから、絶対に嫌だ。せめてファミレスで和食を」と言い張ったが、負けてしまい、騙されたと思って入ったところ、びっくりするくらいに美味しくて「こんなに美味しいもの、食べたことがない!私が間違っていたわ!」と2人に謝罪した記憶がある。

そんなマクドナルドは現代発祥だ。マクドナルドは、アメリカ型グローバリズムや、経済合理性の象徴として、近年憎まれることが多いか、逆にフランチャイズの手法の成功物語として見られることもある。しかし、これじゃあ、十分に説明したことにはならない。

どうして、私達の生活に、ここまで入り込んだのだろう?資本主義が、長いこと商品化できなかったものは、家族と学校だった。高度資本主義の過剰商品化の中で、本来、家庭でまかなうべき「食事」を、マクドナルドが「外食化させる」ことに成功した、ということ?でも、ただそれだけだろうか?マクドナルドを考えることは、私達の本質的な問いだと思うんだ。だけど、本日のまいこには、答えがよくわからない。

はたして中世の時代から、ファーストフードって、ヨーロッパにあったのだろうか?英国のフィッシュ&チップスはどうなのだろうか?あれは、おやつなの?おやつの概念なのだろうか?じゃあ、世界的に、ファストフードが中世から存在していたのは、日本(江戸)だけなんだろうか?

スローフード、スローセックス、スローなんとか云々かんぬんってもんが、最近、流行っているけども、もたもた生きて、なにが楽しいんだろう(読者の方が引いている気がしますが、続けます)?

うーん。ファーストフードっぽいのを見たのは、フィッシュ&チップスの他には、スペインのタパス(小皿料理)かなあ。ちょっと生ハムとか、ちょっとガスパッチョ(トマト冷製スープ)とかを注文して、ビールのつまみにして、みんな立って、食べていた。これはしかし、アルコールのつまみみたいなものだろうから、ファーストフードとは言わないかもしれない。

ファーストフードは、考えたら深い問題かもしれない。歴史のあるファーストフードは、日本以外に果たしてあったのだろうか?で、私は、ファーストフードが必然的に生まれてくるような、社会と人々の「活気!」が大好きなんだけどナ。
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2010年06月23日

いかれ、全国のお母さん

みなさま、こんにちは。頭が悪いわけではないけれど、頭のネジが1本とれていて、しかもそれが頭の一番大事な部分のネジだったんだよね。そんな、みねまいこです。

サッカーのワールドカップが、世界を動かしている今日この頃ですが、今日はひとつ、笑っちゃう記事があったので、それについて書きます。

6/20(日)朝刊、朝日新聞の38面(オランダ戦に1-0で負けた翌朝)。


「左手わずかに及ばず GK川島」
 0-1。芝の上で大の字になった。地面をたたいて悔しさを表した。猛攻は、その想像を超えていただろうか。
 新しい「守護神」は、常に困難なレベルに自らを追い込んできた。
 埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身。「相手が強いほど燃えるタイプ」と……(中略)
 夕暮れ、無人のグラウンドに向かって大声で指示を出し、想像上のボールに向かって飛び続ける―。(中略)
 県立浦和東高校サッカー部の野崎正治監督(50)は、そんな姿をよく覚えている。「世界レベル」と戦うためのイメージトレーニングだった。
 「学校の正門は川島が開け、川島が閉める」と校内で言われるほどの練習の虫。毎朝5時半に起き、授業が始まるまで自主的に練習。夕方の全体練習の後も、自主練習に打ち込んだ。
 自己管理も徹底していた。
 炭酸飲料には口をつけない。ご飯は必ず5杯以上食べるが、揚げ物はほとんど口にしない。弁当に冷凍食品が入っていると、怒って母親に電話をかけることもあった。10代からユース各世代の日本代表に選ばれた。

インターネット版はこちら→http://www.asahi.com/sports/update/0620/TKY201006200003.html


文脈からして、高校の先生の談話を、記者がまとめていると思われる。紙面の結構大きなスペースをこの記事が占めていた。社会面がわずかなスペースで内容の濃い記事を書くのに対して、朝日のスポーツ面はバカなんじゃないかと思う。書名記事で、3人の名があった。はっきり申し上げて、こういう記事を3人掛かりで書いた時点で、記者生命は終わりだと思う。じゃあ、この記事の何が悪いのか?

練習熱心なのは美談。そこは本人の努力なのですばらしい。誰もいないグランドに向かって「大声で指示を出し、想像上のボールに向かって飛び続ける―」それはちょっとヤバいんじゃないか(笑)?という気がしないでもないけど、とりあえずここも美談としよう。

しかし、ここ。「自己管理も徹底していた……弁当に冷凍食品が入っていると、怒って母親に電話をかけることもあった」。

お母さんにお弁当をつくってもらっておいて、それは自己管理とは言えませんね。記者は日本語を間違えていますね。その他。揚げ物の何が悪いの?かわりに、ご飯を必ず5杯以上食べることの、一体どこが自己管理なの?「冷凍食品が入っていると、怒って母親に電話」と言ったって、いまどき、冷凍食品じゃないものは厳密に言えばあまりないヨ(卵くらいか?)。肉だって魚だって、いったん冷凍して、その後で解凍してスーパーに売っている。

総合して、意味がわかりません(笑)。

この記事は後で問題になるんじゃないかと思う。2つの意味で。1つは、自己管理の言葉の意味が間違っていること。2つめは、「常に困難なレベルに自らを追い込んできた……」その困難なレベルに対し、記事の内容が空虚であること。

この選手は、高校時代に練習熱心だったかもしれないけど、この選手のやっていたこと(揚げ物禁止、ご飯5杯、など)は、科学的(栄養学やスポーツ医学)に有効な方法なのか?ひょっとしたら、世界レベルと戦う為のイメージトレーニングだって、誰もいないグラウンドに向かって指示を出したことも、飛んで来ないボールに向かって飛び続けたことも、本当は「意味がなかった」ことなのではないのか(と、私は個人的に思う)?

こんなふうに言葉遣いが間違っていて、なおかつ根拠の薄い、空虚な記事を、大きなスペースで読ませるなんて、滅多にないほどに、ひどいことだ。

では、果たして私がこの記事をまとめるとしたら?「練習熱心、ご飯が大好きな高校生。おかずが気に入らないと、お母さんに電話して文句を言うこともある、わがままな子だったけど、今では立派な日本代表に。お弁当のこと、お母さんに土下座して、謝っておいてください。(みねまいこ)」と、書くと思うよ。この話を、無理に美談にしてはいけない。

自立して、自分でやるのが、自己管理。ついでに申し上げれば、この記事は、子供のお弁当を毎日作ったことのある女性にとっては、ここ最近の朝日新聞で、ワーストワンの記事。いかれ、全国のお母さん。
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2010年06月16日

アウトレイジ

北野武の新作映画『アウトレイジ』を、観に行った。すごく面白いわけではなかったが、彼の最近の映画では、いちばん良かったと思った。ヤクザ映画で、ひたすら、人が虫のように死んで行く。教訓もなにもない。

作品名を具体的に挙げるのは割愛するが、一般的に外国のマフィア映画でも、日本のヤクザ映画でも、そういった映画の中では、主役が悪いなりに、どこかで正義が描かれるものだ。しかし、この映画には正義というものがまったくない。だから、映画からなにか真理を得るとか、学ぶものも何もない。繰り返すけど、虫みたいに、人が死んで行く。

人があれやこれや、バラエティたくさんの手法で痛めつけられて、「あ」と思ったら、死んでいるので、仁義を見たいヤクザ映画が好きな人からは、きっと好かれない映画だろう。そして、アートの香りを求める映画ファンからも、好かれないだろう。「あ、死んじゃった」という、乾いた感じがあるだけだ。感動もない。悲しみもない。だから、おそらくこの作品は、感想が出にくいだろう。

私が思うには、死体が、一番よく撮れていた。血だらけの死体を、じいっと見つめるカメラの視線。不思議なことに、死体が、いとおしく思えてくるようになる。人間の胸の、孔のあいた銃弾の埋まった場所や、投げ出された、白っぽい裸の湿った肉体の重み。さっきまで無邪気に(ヤクザなんだけどね)命があった、無防備な生命の「余韻」。それが、いちばんよく描けていたと思う。

そういう意味で、北野武という監督は、これだけ凄惨な映画を描いたところで、彼の本質にあるものは、「純粋さ」なのではないだろうか。

ところで、映画館の中は、白い帽子を深くかぶったお爺さんたちが多かった。女の人もいたけど、謎のお爺さんたちが集団でいた。しかも座席後方に、まとまって座っていた。引退したヤクザたちなのだろうか?それと女性が、映画の途中で何かを落としてしまったらしく、暗がりの中を四つん這いで、しばらくはい回っていた。それも気になった。スクリーンでは、たけしたちの殺し合い、劇場では四つん這いの女と、お爺さんたちの集団。どっちも怖くって、それが私はおかしくってしょうがなかった。
posted by minemai at 00:35| Comment(0) | 日記

2010年06月09日

キンドル、iPad、蚊

こんにちは。右翼でも、左翼でもない、たんなる過激派の、みねまいこです。一週間、お休みをしてすこし頭を整頓したら、これまで書いた文章の中で、良く書けたものは、たった以下の7つくらいだった。その他は、読んでも時間の無駄だと思うんだな。
自分のライブや音楽のこと
ライブハウス評論
私の高貴な老婦人のこと
オリンピック論
家族のこと
男と女のこと
フェミニズム。以上です。

神戸では、本屋の棚で名前を見かけるような有名な学者に何人もお会いできて、うれしかった。私もいつか、外国に研究と、仕事に行きたい!と思った。ただし平日昼間は研究に費やす、プラス夜は寝ないでライブで稼ぐ。なおかつ、週末は黒人教会で思いっきり演奏する。帰りにレコード会社まわりをしてチャンスをつかむ。家に帰って本を書く。最初に戻る。私の場合は、そんな多忙な生活になるだろうけど、それでも行きたいなあ。

今週の月曜日に、ひとつ報告せねばならないシゴトがあったので、週末はずっと英語を日本語に訳して(意訳)いたのだけど、すぐできると思っていたら量が思った以上に多く、あまり寝ていなかった。で、その報告が月曜日に終わって、夜に家路につく。地下鉄で。

ところで私は必要に迫られた場合、Amazonのキンドルという電子書籍を使っている。本(洋書)を丸善に買いに行く時間がないとか、手に入るまで時間がかかるとか、夜中で図書館が閉まっているとか、そのような場合には、1分でダウンロードできるので便利だからだ(総合すると紙の書籍の方がはるかに良いのだけど)。iPadは持っていない。だけど、最近キンドルを使っていると、よくiPadと間違えられる。これが、今日の前提ね。

そう、月曜日。夜の地下鉄で。iPadだと今日も間違えられて、視線を感じる。真向かいに座っていた、6人掛けの席の6人の男性全員がときどきちらちら、「あ、iPadじゃん」と、こちらを見ている視線を感じた。サラリーマン5人と、大学生1人。うーん、これはiPadじゃなくて、キンドルなんだけどなあ。と思いつつ、それを読みながら新規のシゴトをする。

地下鉄の中で、滅多にしたことはないのだけど、本日は睡眠不足のため、居眠りをしてしまった、キンドルを読みながら。そしたら、本気で眠ってしまい、つい「がくっ」と体のバランスを崩してしまった。キンドルは私の手から「つるっ」とすべる。やべっ。

私は眠りながら、それでも瞬間的に、落ちかけたキンドルの端を、かろうじて触れていた右手の指先の第一関節で、「くいっ」とひっかけた。そして、上に向かって軽くふわっと放り投げたわけ。キンドルが浮かんだ滞空時間を利用して、その瞬間に「くわっ」と目を覚まして中腰まで立ち上がり、蚊を殺すみたいに、両手を大きく広げて、水平に弧を描き真ん中ですばやく「ばちん!」。両の手の平でキンドルをはさんでキャッチ。ああ、やばかった。落として壊すところだった!ああ、どきどきした!

すると前からの視線を感じた。向かいの6人席全員が一斉に「ひいっ!iPadが壊れる!」両手を差し出そうかどうしようか、微妙な手の位置のまま、体を前につんのめらして固まっていた。しかもその恐怖の瞬間に、私の目が開いて、曲芸のような技でキャッチしたので、なおさら緊張したらしい。やがて安堵感が満ちて「コノヤローどきどきさせるなよなー」とでも言わんばかりの、恨みがましい顔でこっちを見た後、6人全員、コントみたいに同時に、深く席に座り直したのだった。大学生などは、よほど心臓に悪かったらしく、私が降りるまで何度もこちらを見ていた。

電子書籍なんて、通り過ぎる人類の想い出だ。久しぶりに、人間たちの全身の本能というか、野生が目覚めるような気がした。
posted by minemai at 08:25| Comment(0) | 日記
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