2010年03月17日

ちくたく筑豊

友人から、原稿の依頼があって、持つべきものは仕事を見つけてきてくれる友人だなと思ったのもつかの間。うまく書けない。やるならきちんとやりたい。私にあるのは、行動力だけだ。よし。取材だ!というわけで、1時間半をかけて、福岡市内から筑豊へ行く。

十代の数年間、ここで過ごして、ジャズバーで修行して、女の子と暮らして、頭のてっぺんから足の先までファッションに溺れて、着替えまくって、映画ざんまいだった場所。

レコードとCDをしこたま借りて自分の部屋で大音量でかけて、一緒に大声で歌う。私にとって、それだけしかやってこなかった筑豊だ。以上を要約したら「バカ女」って感じだ。ふふん。

筑豊の風景写真を撮ってみるけど、あまりぴんとこない。もう、あのときのパッションは、そこには無いのだ。なんか、それだけを確かめに行ったようなものだった。

たしかに、正しい。小林秀雄がどこかで言ってたけど、20代前半で考えたことが、その後の一生のテーマになるということは。

だけどね。行ってみてわかったことは、もうそこにはないんだってえの。建物も、風景も、まるで同じで、たいした発展もなければ、逆にスラム街になったわけでもない。風景はまるで変わらないけどもう、私はそこには何も関係がなくなっていた。

そんで、わたし川向こうから、「おーい」と叫んだ。やみくもに「おーい」って。船を見送るみたいにしてね。自分がいなくなった風景に、叫んだんだと思うんだよね。挨拶でもするべか、って。家族がそばにいたら「そんな恥ずかしいことはやめなさい!」って怒られるだろうけども、誰も止める人はいないのさ。けけけ。

でもそのときだけは、パッションを感じたんだよね。自分の声が、物理的に風景に届いたからだろうね。

きっと、言いたいことや歌いたいことは、自分の中で「終わっていないこと」なんだろうなって思う。一方で、自分の中で「完全に、終わってしまうこと」というものがある。そして終わったことに、言葉も歌も何も見つけてくることはできない、本当に何もないんだ。

香春岳はあいかわらず、顎関節症のようにぽっかりと口を開けたまま、遠ざかる風景の中で、国道沿いの黄色い菜の花が、嬉しそうに手を振った。

さて、ちょっとコマーシャル。

もうすぐ沖縄で歌うんだ。沖縄は楽しみだ。

今日は自分のことばかり書いたので、みなさんのことも書きましょう。それは無理なので、本の引用を贈りましょう。

野ねずみは目を片手でこすりこすり云いました。
「はい。ここらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはいって療(なお)すのでございます。」
「すると療(なお)るのか。」
「はい。からだ中とても血のまわりがよくなって大へんいい気持ですぐに療(なお)る方もあればうちへ帰ってから療(なお)る方もあります。」
「ああそうか、おれのセロの音がごうごうとひびくと、それがあんまの代りになっておまえたちの病気がなおるというのか。よし、わかったよ。やってやろう。」
ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合わせてそれからいきなりのねずみのこどもをつまんでセロの孔(あな)から中へ入れてしまいました。

宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より

posted by minemai at 18:36| Comment(0) | 日記
Copyright (C) 2003-2007 みねまいこ. All Rights Reserved.