2010年03月31日

沖縄国際アジア音楽祭

「総評」
すばらしい音楽祭でした!そしてあまりにも大規模。福岡ではMUSIC CITY天神なる音楽イベントがありますが、それを上回る規模の、県単位のイベントでした。なのに、ひとりの若い女性が実行委員会のトップに立って、ものすごい人数のスタッフが組織されていたこと。しかも彼女はずっと私のようなストリートの出演者とも、これまで数ヶ月にわたり何度も個人的にメールで打ち合わせを行ってきたわけです。いったいどうやって全体の仕事も、細かい仕事も、同時にこなしたのか?まず、そこにびっくりしました。そして、その他のスタッフの方々の歓迎ムードと、組織的な優秀さにも驚きました。要約すると、みなさんお祭りに対する集中力がすごい。だから私は、音楽で頑張ります!

というわけで、がんばった結果がこれだよ。翌日3/29の朝刊『沖縄タイムス』に写真が載りました!(一番右が、あなたの町の、みねまいこ)

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「3/27那覇空港」
3/27に空港に着きました。飛行機を降りていきなり垂れ幕が。別の場所には、ガラス張りの空港の3階から2階部分まで垂れ下がった、もっと大きな垂れ幕も。思わず撮影しました(今回は、カメラマン同行です)。

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夕ご飯に、伊勢エビのお味噌汁と、ハリセンボン(アバサー)の唐揚げと、海ぶどうを公設市場でいただいたら、ホテルに帰って早く寝ました。明日は3ステージあるからです。ぐー。

「3/28 くもじspot 14:05」
晴れです。昨日の寒さが嘘のよう。午後2時05分。国際通りのくもじspotで歌い始めます。通行人が多いけども、立ち止まって聴く人は少なし。その方が、燃えるぜい。

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途中で電気が来なくなって、音が止まるというトラブルがあったり、スピーカーの片側からしか音が聴こえなくなるなどのピンチもあったけども、スタッフの方はよくしてくださいました。個人的には、昨年ニューオリンズの路上で修行した経験が生きたのか、ぜんぜん気にならない。ただ、気になったのはねえ。

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キ印のおじちゃんが近寄ってきて、私にコーチを始めたことです!その方はポロシャツのポケットに2本、「うまか棒」をさしていて、それだけで十分やばい(笑)という感じだったけど、歌いながらふと思い出したことは、そう。沖縄は日本で一番、精神病院の数が少ないのです。地域で見守る、というやり方で、病院に閉じ込めたりしないのです。それは、良いことだし、すごいことだと思います。そして知っています。こういうタイプのキ印の人は、絶対に他人に触れたりしないのです。距離を保ったまま「キ印」でいるんだよ。

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初めはちょっとびびってた私。目が助けを呼ぶ。しかし、歌いながら、よく聞けば、そのおじちゃんの言うことが、的を得てるわけ。「疲れたら、顔がこわくなる!スマーイル!そう!その顔!いいよー!スマーイル!OK!かーわいー!」(コーチを受けて、私も一生懸命応じている)「よーし、よーし、今、良い声が出た!よくやった!すごい!OK、OK!いただきました!あ、ダメ。スマーイル。そうそう。かーわいー!OK!」(コーチに褒められてちょっとうれしい私)それで、その後20分間ずっと、コーチの指示に従って、歌い続けました。私の歌が終わると「持ってかえりたーい」と言ったけど、やっぱり何も危害を加えずに、霞のようにどこかへ消えて行きました。
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キ印の人は、異能者に近い気がする。今思えば、このコーチの出現は、私にとって何かの予兆でした。

くもじspotでの演奏の後、疲れをとるために、散歩(じっとしてなさい)。路地で、黄色い猫と「長男」と書いたTシャツの、「那覇の一休さん」みたいな少年に出会いました。彼に話しかけて、人生相談にのっていただくことに。触っても手を洗う場所がないよなーと思ったので、手の甲で猫をなでたのでした。自分の都合のよいときだけ動物を可愛がる、みねまいです。

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「まつおstage 16:35」
私の前の台湾から来たというCheshire Cat柴郡猫(猫という漢字は難しい方の字)さんは、とてもよい演奏でした。透明感のある声のギターの弾き語りは、嫌いな人はいないんじゃないかな。日本語のMCが上手い。私は中国語でも日本語でも、あんなさりげないMCはできない。感心してしまいました。

私が歌い始めたら、なぜか人が遠巻きに(笑)。どこか良い雰囲気のある日本人のお客さんと、外国人ののお客さんと、その他、国籍不明のお客さんが、立ち止まって見ておられた気がします。
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そんでさ。特筆すべき点は、まつおstageのPAさんが優秀で、とんでもないセンスだったの。一度私のいるステージの中で小さな音の宇宙を作って、その後で、外側の拡大する宇宙に(国際通り)音を伸ばしていくような、そんなイメージの音作りだと思いました。だから、私は演奏だけに集中できるので、これまた良い音しか出ない。狙った音、狙った音、すべてが意図したように当たっていました。この最近の3年間のうちで、このステージは、ベストパフォーマンスでした。だから、このステージを見た方は、ラッキーです。
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ちなみにCDもよく売れました。生まれて初めて、白い真新しい色紙にサインを頼まれたのですが、サインなどこれまでいつもただ名前を書くだけだったので、色紙にそれでは見栄えが悪かろうと、即席でデザインして書きました。今後も、この日、アドリブで大胆に作ったなんちゃってサインを使っていきたいと思います(魚とハートが入っています)。
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私の次に演奏された、岡村聡士さんのバンドは、すさまじく上手でした。うちのバンドもそれくらいに鍛えて、今度は一緒に連れて来たい。だから鍛えよう。そのためには…と、鬼のようなアイデアを次々と考えながら、夕食をとりに行きました。この日の夕食は、戦後すぐから、ずっとやっている老舗のステーキ屋に移動しました。沖縄スタイルのステーキでした(食べるのにいそがしい、写真なし)。

「ファイナルステージ 20:00頃」
県庁の前の広場に大きなステージがあり、その裏手にある、控え室へ通されました。野外の控え室はテントなんだけど、その中でいろいろなミュージシャンとお話。伊藤水季ちゃんという女の子とお話しました。ロスからきたPaul Datehさん(バイオリン)と、サポートギターの方とは英語で。みねまい、にわかバイリンガルに変装(変身)です。他にもいろいろな国から出演者は来ていました。

ステージではムードのある多和田えみさんと、爽快なSOUTHさんと、All Japan Goithさんらが爆発的な演奏を繰り広げました。基本的に管楽器は大好きなので、Goithさんらの演奏では、控え室を抜け出して、ひとりぼっちで音楽に合わせて私はステージの裏でわーわー、飛び跳ねていました。そうしたら、スタッフの方が「これから、ファイナルステージの打ち合わせをしますよ!みねさん、控え室に入って下さーい」と声を掛けてくれました。この暗がりの中で、名指しで注意を受ける私ってどうよ…(笑)と反省しつつ、「はーい!」と返事をして…。

曲は忌野清志郎さんの『雨上がりの夜空に』。ステージに上がります。この沖縄国際アジア音楽祭のフィナーレを飾るにふさわしい。みねまいこさん!と名前を呼ばれて、はい!と、手を振りながら登場。全員が上がったところで、安里副知事からのご挨拶。琉球王国の時代、色んな国と交易をしながら、平和に暮らした沖縄は、世界中からミュージシャンを呼んで、音楽を通じて世界に平和を発信するのにふさわしい場所だ。という内容の話で、とても心のこもったよいスピーチでした。

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で、音楽がはじまりました!熱唱します。みねまいこ、脇役のはずなのに、目立っています。ただのバカです。ひたすら歌います。ドレスは、Yohji Yamamoto
でした。友禅染めの麻のドレスです。サイズがあまりに小さくて、誰も入らず、売れ残っていたのを、リーズナブルにゲットしたものです。本来は非常に高価だし、色の出方や、カッティング、縫い目のリズム感、全てがすばらしい、天才が作ったドレス。

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左右に揺れています。
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これで、みねまいこの出来上がりです。
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おしまい(最初の『沖縄タイムス』の記事にもどる)。

「深夜の部」
疲れたけども、このくらい疲れてちょうどいいのです。私はいつもエネルギーが有り余っているのです。そして、沖縄民謡を聴きに行きました。「島思い」というお店へ。彼女はあまりにもお美しい方でした。名人、大城美佐子さんの歌に涙し、プロの三線の弾き手でなおかつ、三線を作っていらっしゃる知念氏から、直々に三線を習ったのだけど、「お誕生日の歌(ハッピバースデー)」と、「僕の名前はやんぼー。僕の名前はまーぼー。二人合わせてヤンマーだー。」のCMの2曲を課題曲とし、それらをわずか10分で弾けるよう、ご指導くださいました。面白かった(笑)。

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左の固まりは、真剣に練習中のみねまいこ。

お店におられたお客さんの数人が「あ、今日国際通りで歌っていましたよね?」と気がづいて声を掛けてくださったのには、照れる気持ちがしました。深夜を過ぎて、またさらにお客が多くなったので、そろそろ引き上げることに(沖縄の方々は、いつ眠っておられるのでしょうか)。

すばらしい、沖縄国際アジア音楽祭でした。
posted by minemai at 17:26| Comment(0) | 日記

2010年03月24日

おしらせ3ケ

こんにちは。不況に強い、みねまいこです。
さて、みっつお知らせを。

いつも私の曲のアレンジをしてくださっている(私のライブでは、彼女がバイオリンを弾いているのも絶対にみたことがあるはず)サクラダがおりますが、彼女の楽曲が坂本龍一さんのラジオでON AIRされました。興味のある方はこちら。Podcastで視聴可能です。M-9です。

もうひとつのお知らせはくどいけど、週末に沖縄でライブをやります。
28(日)の午後、国際通りを通りかかったら、声をかけてちょうだいな。出演時間はこちら。公式ホームページはこちら。2ステージ、計13〜14曲です。屋内で有名な方々が有料で演奏します。私は野外で、野ざらしで歌います。無料です。

で。3ケ目は、急遽、沖縄国際アジア音楽祭のフィナーレのステージに追加出演することになりました。

同じく3月28日(日)の18:00〜20:00のKENMINHIROBA Stage(県民広場ステージ)にて、多和田えみ、SOUTH、AllJapanGoithさんらの演奏の後で、安里カツ子沖縄県副知事の挨拶があって、そのあと一緒にいろいろな出演者と、19:45頃かな、みねまいこも、ステージに上がります(名前を呼ばれて手を振る)。そんで全員で「雨上がりの夜空に」を大熱唱して、この県民参加型の沖縄国際アジア音楽祭が閉幕する予定です!(しかしまだ、屋内の各ステージの演奏は夜遅くまでつづきます!とりあえず、ここで集合的な閉会式をここでやっておくだけです)

「いつか言いたいことを言えるから、今言わなくても次がある」と思ったりしたら、永遠に言えるチャンスは来ないのよ。そのまま死んじゃうんだろ。だから、毎回毎回どんな形でもいいから、思い立ったが吉日。何でも良いから動いておいた方がいいと思う。以上、遺言でした。

さて、今日はバンドのリハーサルでした(写真はクリックして拡大してみてください、なんだかよくわかんないくらいに拡大されます)。

ベースの古庄氏。
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ドラムのMOGI氏(今日は1時間ちょっと前にスタジオ入りした私が勝ったと思ったら、2時間前にとっくに入ってやがった。今日も負けた。)
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ギターのゆうじさんを撮影しようと思いましたが、あれれ?過ぎ去ってしまいました。左=ゆうじさん、中央=MOGIさん、右=みねまいこ
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いろんな意味でもうちょっとでハイ・レベルになると思うんだけど、今はまだ、なまけてはなりません!!

それでは、沖縄国際アジア音楽祭に行って参ります。
posted by minemai at 00:20| Comment(0) | 日記

2010年03月17日

ちくたく筑豊

友人から、原稿の依頼があって、持つべきものは仕事を見つけてきてくれる友人だなと思ったのもつかの間。うまく書けない。やるならきちんとやりたい。私にあるのは、行動力だけだ。よし。取材だ!というわけで、1時間半をかけて、福岡市内から筑豊へ行く。

十代の数年間、ここで過ごして、ジャズバーで修行して、女の子と暮らして、頭のてっぺんから足の先までファッションに溺れて、着替えまくって、映画ざんまいだった場所。

レコードとCDをしこたま借りて自分の部屋で大音量でかけて、一緒に大声で歌う。私にとって、それだけしかやってこなかった筑豊だ。以上を要約したら「バカ女」って感じだ。ふふん。

筑豊の風景写真を撮ってみるけど、あまりぴんとこない。もう、あのときのパッションは、そこには無いのだ。なんか、それだけを確かめに行ったようなものだった。

たしかに、正しい。小林秀雄がどこかで言ってたけど、20代前半で考えたことが、その後の一生のテーマになるということは。

だけどね。行ってみてわかったことは、もうそこにはないんだってえの。建物も、風景も、まるで同じで、たいした発展もなければ、逆にスラム街になったわけでもない。風景はまるで変わらないけどもう、私はそこには何も関係がなくなっていた。

そんで、わたし川向こうから、「おーい」と叫んだ。やみくもに「おーい」って。船を見送るみたいにしてね。自分がいなくなった風景に、叫んだんだと思うんだよね。挨拶でもするべか、って。家族がそばにいたら「そんな恥ずかしいことはやめなさい!」って怒られるだろうけども、誰も止める人はいないのさ。けけけ。

でもそのときだけは、パッションを感じたんだよね。自分の声が、物理的に風景に届いたからだろうね。

きっと、言いたいことや歌いたいことは、自分の中で「終わっていないこと」なんだろうなって思う。一方で、自分の中で「完全に、終わってしまうこと」というものがある。そして終わったことに、言葉も歌も何も見つけてくることはできない、本当に何もないんだ。

香春岳はあいかわらず、顎関節症のようにぽっかりと口を開けたまま、遠ざかる風景の中で、国道沿いの黄色い菜の花が、嬉しそうに手を振った。

さて、ちょっとコマーシャル。

もうすぐ沖縄で歌うんだ。沖縄は楽しみだ。

今日は自分のことばかり書いたので、みなさんのことも書きましょう。それは無理なので、本の引用を贈りましょう。

野ねずみは目を片手でこすりこすり云いました。
「はい。ここらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはいって療(なお)すのでございます。」
「すると療(なお)るのか。」
「はい。からだ中とても血のまわりがよくなって大へんいい気持ですぐに療(なお)る方もあればうちへ帰ってから療(なお)る方もあります。」
「ああそうか、おれのセロの音がごうごうとひびくと、それがあんまの代りになっておまえたちの病気がなおるというのか。よし、わかったよ。やってやろう。」
ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合わせてそれからいきなりのねずみのこどもをつまんでセロの孔(あな)から中へ入れてしまいました。

宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」より

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2010年03月10日

パッショネート

今日は、ひとつ仕事を終えてわんわんわんという気持ちで、外へでた(猫がすきだけども)。さて、雪だった。丸い形がひとつひとつ、仲良く手をつなぐようにして、横にふき流れていった。

久しぶりに映画を観た。いや、先週も映画を観てたっけ。映画の無料招待券が、毎月たくさん届くとうれしいのに。

さて、今日観た映画は13年かけて、愛する映画を完成させた男の話だった。最後のせりふはこうだ。「公開することよりも、完成させることが映画には大事なんだ。」

ふと、パッショネート。という言葉が浮かんだ。何が一番好きかっていうと、愛でも平和でも希望でもなくって、パッションってのが私はいい。

情熱を失ったら、私はただの泥人形だ。

『日本橋』っていう日本映画があったって。1930年代のフィルムで、もう紛失したんだって。それを淀川氏が観たことがあるって。淀川氏、「パッショネートな女が」って言ってた。

パッショネートな女がいて、彼女に財産もぜんぶ身ぐるみはがされた男が、熊の毛皮を着てるんだって。もうそれしか着るものがなくなったって。夜中女を殺そうとやってくるんだって。パッショネートな女は「ぎゃ」と言うんだけど、しまいに女が気迫で勝っちゃって、「やい、金太郎だい。やれすすめ!」と言って、女は着物の前ははだけて素っ裸。熊の毛皮のおとこの背中に乗っかって、男はやっぱり言いなり。背中に乗られてうなだれてるんだって。

すごい映画があったもんだ。1930年代の日本人って、いったい何を考えてたんだ。『ホテルニューハンプシャー』にも、熊の着ぐるみを着た女がでてたけど、そんなの目じゃない、あんなのジェリービーンズだ、ガキだ、ガキ(そういえば、ジェリービーンズは私は好きだった、ごめんなさい、ジェリービーンズ)。しかし『日本橋』ときたら1930年代の映画だものね。男が熊で、女が金太郎だよ。ちょっと違うよ。

パッショーネート。

知人が(金髪の美女)、彼氏と(私の友人のラテン系。ラテン系とガテン系はどうして言葉がにているの)別れて、友人は落ち込み、ぐずぐずしたメールが来る。

どしたの。金髪の美女はチョウチョなんだよ。飛んでいったのだから、あなたもどこか遠くに行ってしまいなさい。なんて、これを聞いてもどこの誰もまるで慰められないような励ましの言葉を私はかける。

またラテン友人から連絡がきて、金髪の美女は、新しい国で新しい男とあっというまに(1ヶ月未満ね)らぶらぶなんだって。自分のブログに、新しい彼との蜜月の写真を大公開。「落ち込むこともあるけれど、日溜まりはいつも自分の心の中にあるものよ」と、世界に向かって数カ国語で教訓も書いてあった。魔女の宅急便のコピーかと思ったよ。

文化人類学者に問いたい。研究対象は、飲料水を気にしなければならないフィールドにいかずとも、こんな身近なところにあるんだって。過去の男との写真を公開し、今の男との写真を公開し、「がんばらなくっちゃ。日溜まりは...」と言っているの、そのテンションこそが、研究しつくされなければなんないの。

私は、その女をあまりパッショネートな女だとは思わないけども、はあ(ただ、なんとなくためいき)。

映画の帰り、上記のようなことを考えながら外食をしていたら、スーツケースをがたがたいわせた男が店にはいってきて、客は私ひとりだったけども、目の前でコリアンエアのタグ付きのスーツケースを開けて、衣類がいっぱい。そこからレントゲン写真みたいなものを取り出した。この店で個展をするみたい。

私の勘違い。レントゲン写真じゃなかった。ふつうの写真。「これ、あげます」と言って、自分の写真集をくれた。商売もんをもらっちゃあ、と思ったけど、受け取った。

そのカメラマンは日本語がおぼつかなかったので、ああ、じゃあ英語でと私が気をきかせたら、カメラマン「英語はわからない、やめて!カタカナでしゃべって!」と言った。それは哲学的難問だ。

つつがなく、日付は更新された。
posted by minemai at 22:23| Comment(0) | 日記

2010年03月03日

ファッションを語る(2)

洋服は好きだ。肉体改造そのものが好きな人もいるだろうが、洋服は肉体の上に、再び肉体のフォルムを創ることができるからだ。そして洋服を着ている人が歩いた後に残る、衣擦れのような気配も好きだ(でも、そういう人とすれ違うってのは、なかなか難しい)。

今まで、1人をのぞいて誰にも言わないでだまっていたのだけども、私は20歳くらいの頃、女の子と恋愛をしていて、一緒に暮らしたことがある。でも、同性愛っていうんじゃなくて(肉体的にどうとかもなく)、それでも私は彼女と結婚しようと本気で思っていたんだ。結婚の意味もよくわかっていなかった、ただのバカだと思うけど、長崎に新婚旅行に行く計画を立てたんだよね(福岡から長崎に新婚旅行に行くっていうのが、なんか一生懸命だったかも)。

で、彼女と出会うまえは、私はただの人だったんだけど、その彼女が異様に美人で異様にセンスが良かったので、ミヤケイッセイやヨウジヤマモトやコムデギャルソン、その他。あらゆる店に連れて行ってくれて、全身改造してくれたというわけ(それ以前は無印良品を全身着ているような、無頓着なコだった)。優しくてお金持ちの女の子で、いろいろ買ってくれたり、彼女が着ない服をゆずってくれたりしたっけ。

喧嘩をして彼女と別居して以降、すっかり私は考える人になってしまった。彼女の助けなしに一人で、世界で一番素敵な洋服を探す旅に出た。

つづく。

「沖縄に行くのなら、この日行こうよ。」
(勝手に、頼まれていないけど観光大使としてPRをつくってみた)
http://www.minemai.com/live.html
posted by minemai at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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