2010年02月24日

ファッションを語る(1)

こんにちは。まずは宣伝から。
3/28(日)は、沖縄の那覇市、国際通りの野外ステージでライブをします。通りかかったら、来て下さい。
http://www.minemai.com/live.html


さて最近、ちょっと動揺してしまったことがある。オリンピックで、アイスダンスの課題で「民族」をテーマに踊るというものがあったわけだけど、このテーマはいったい誰が何を考えて、誰が出したのだろう?頭が悪いんじゃないだろうか。誰が喜ぶのだろう。うん、きっと審査員が喜ぶのだろう。意地悪い言い方をすれば、先進国が民族という名のもとに後進国の姿を、その表面的なエキゾチックさを見て、喜んでいるんじゃないの。「民族」に対する独自の解釈をしたチームもいたけれども、基本的になにか嫌な気分が残った。

ロシアチームのアボリジニの民族衣装は、アボリジニから抗議されていたことは知っていたけども、アボリジニ的なモチーフを使うことで、彼らはいったい何を表現したかったのか?私がアボリジニのとある酋長だったら(彼らのルールで女は酋長になれるのかしらないけど)、やっぱり怒るんじゃないだろうか。私たちの姿は、あなたがたのように格好悪くない!と言って。

格好が悪い。そう、その一言に尽きる。格好悪い格好は、格好が悪いからすべきじゃない。その点、日本の代表選手の「着物」は後味が悪い。ロシアチームがアボリジニをやる、というのには、無知ゆえの残酷さがあったけども、日本チームが日本をあのように表現することは、まじめな話、やっちゃいけないんだよ。それが西洋の審査員が気に入りそうな、解り易い日本だったとしても、媚びちゃいけない。

ミンストレルショーという悲しいショーがアメリカにある。黒人を戯画的に描く歌あり踊りありの舞台で、顔をラッツアンドスター(だっけ?)のように黒くし、そしておもしろおかしく黒人を表現し、目をぎょろぎょろさせる。それを白人が見て喜ぶ。その際、黒人は、自分の皮膚の上に、わざわざ黒い顔料を顔に色を塗って黒人っぽさを誇張し、そして自分からバカなことばかりをやってみせて、明るく白人を喜ばせる、そんなショーだ(書いてて落ち込みそうだ)。

本当に日本をテーマにやるんだったら、男性選手は下にズボンをはいてはいけない。女性選手は着物のすそがぱっくり割れていたわけで、そもそも足を180度近く上げるのだから、スポーツに着物はぜったいに無理があるんだけども、それでも着物でやりたければ、パンツをはいてはいけない。なんかよくわからない方向に行っているけども(笑)。白木屋の1932年の火災の際に、女性店員が多く亡くなってしまったのは、はしごで救助される際に、下の見物人から自分の女性器をのぞかれるのが嫌だったから。私達がパンツをはくようになったのは、たしかかなり最近のはず。

もし私が「民族」なんていう、厳密には誰も定義できないような、エキゾチック趣味のふざけたテーマで何かやれと言われたら、裸で出場する。「みねまいこ、人類を表現します!」と宣言するのだ。
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2010年02月17日

オリンピックでぴっくぴく3

冬季オリンピックが始まった。開会式は、冗談のようにつまらなかったので、妙に落テンションが下がった。

さて、国母選手の「服装の乱れ問題」が浮上した。彼のチームメイトがブログで「やはり武士の心が大事」という主旨のことを述べているらしいので、私が前回、朝青龍のはなしで言った武士道のことは、当たっているのかもしれない。しかし私はべつに国母選手には興味がない。彼のファッションにはオリジナリティがないから。日本チームからは外れていている一方で、彼は典型的な、すごくありがちなファッションのバランスを全身なぞっているだけだからだ。彼の形式のあるファッションと武士道は非常に親和性がある、叩かれているけども、実は彼の本質はサムライではないだろうか。

それでも見逃せないのは、「服装の乱れ」が国中でこれほど問題になるってのは、きっと深刻なことだってこと。日本は何かあると武士道に回帰するってこと自体を、取りあげないといけないと思う。ちなみにアメリカも何かあると「建国の理念」に回帰するので、これまた嫌な国だなと思うけども、それでも星条旗を燃やしていい。そんな思想の自由を認めた、最高裁での判例が過去にある。

なにはともあれ、フィギュア・スケートが一番見ていて楽しい。ロシア代表の川口選手へのインタビューで気になったのは、日本のレポーターがペアのロシア人男性の方に質問する際に、彼女にロシア語の通訳を頼んだことだった。失礼だな、と思った。彼女はロシアを代表して、試合に来ているのに、しかも忙しいのに、馴れ馴れしいやつらだな、と思った。通訳を準備していないのなら、はじめから、彼女に通訳をしてもらう算段で現地に乗り込んだということなのだろうか。

ロシアといえば、前回金メダルのロシアのプルシェンコは、3年休んで、ガールフレンドに「あなたまだ、やれるんじゃない?」と言われてその気になってそれで現役復帰した。そして復帰後の世界大会で優勝した際に「3年間頑張って来た他の選手に、(3年間遊んでた?)僕が勝ててうれしい」と言った。それを聞いたら、世界中の真面目にがんばってきた男子選手はあたまに来るよな。ちなみに彼の周囲のスタッフはどこか皆あやしい。怪僧ラスプーチンみたいな人が、常に右か左側いる。

男子フィギュアのショートプログラムを見ていて、ひとつショックなことがあった。ずっとルックスが素敵だわ!と私が思っていたある選手が、妙なコスチュームで、ピンク色のひもで体を縛り上げるようなセクシーなデザインだし、唇の色が赤すぎるし、気合いの方向性がなにかヘンだなと。そしたら、試合後のスコアを待つ場所で、演技を終えた安堵感からか、彼が何やらはしゃいで話しているのをマイクが拾った。その喋り方が(英語なんだけど)、はっきり言って、おすぎとピーコさんたちの喋り方にそっくりなんだ。世界共通なんだな、と思い、それが、勉強になった(笑)。

いっぺんにいろんな国の人の言動を知ることができるから面白くって、見ているんだけど、日本人のコメントがけっこう不思議だったりもする。「五輪には魔物がいる」とある日本人選手がコメントしていて、バンクーバーなのになにやら『陰陽師』みたいな雰囲気だなと思ってつい笑ってしまった(ごめんね)。中には負けた際に「応援してくれたみんなに申し訳ない」と言って泣いてる選手もちらほらいて、日本人選手には周囲に気遣いの出来る、あまりにも良い人が多いのだろうか。エミール・ガレの作品『好かれようと気にかける」という題の、蛙の形のガラス工芸を思い出す。

かつての水泳の千葉すずさんは正しいと思う。メダルが欲しければ、自分で取るべきだ。みんなの気持をバンクーバーに持っていく、ここまでこれたのはみんなのおかげ、と言っている選手も、そう言わせている日本の応援して挙げている人達も(私は断る)、見ていてなにかテンションが下がる。ふてぶてしい、人をバカにしたようなプルシェンコと、常に側にいる怪僧ラスプーチン似の人の方がはるかに面白い。

おそろしいことだけど、スキーの「日の丸飛行隊」が空を舞った。まだそんな言い方をするってどういうことなのかと思ったけれども、今は非常時なんだろう。そう、オリンピックは非常時なんだ。安全に世界大戦をやっているに等しい。そういうものは、ひとを興奮させるんだ。それに私も興奮しているんだな、と思って、自分で恥ずかしくなった。でも、つづきをまた書くかもしれない。

オリンピックでぴっくぴく1
http://minemaiko.sblo.jp/article/18200850.html

オリンピックでぴっくぴく2はこちら。
http://minemaiko.sblo.jp/article/19129007.html
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2010年02月10日

みーんなクソ

(今日は少し長い。)

世は朝青龍の話題で持ち切りだ。彼を「増長させ過ぎた」らしい(いじめっ子がいじめられっ子に「あいつ最近調子に乗ってるから」と言う難くせに似ている)。そして彼には「よく反省してほしい」らしい。

いつも思うのは、朝青龍への世論とは、外国人労働者へ日本の対応と同じだということ。結局、根本のところで日本は、どれほど人口が減っても、持ち前の几帳さとがんばりで、なにがなんでも外国人を中に入れないのではないだろうか?(たとえば東南アジアからの外国人看護師と介護福祉士の受け入れは進みつつあるけど※参照、とうてい受かりそうも無いような難しい国家資格試験が最後に待っているので、彼らは最終的に日本に残れない可能性の方が高い、など)

場所中の朝の4時まで飲んで酔っぱらって、ちゃんと相撲とって、優勝するんだから、すごいじゃん(笑)。暴行うんぬん犯罪は、犯罪を摘発するのは警察のシゴトで、それはそれだ。引退に際し彼の両親のコメントは「息子は名誉の引退をした」という内容のものだった。そうよ。彼はモンゴルの蒼き狼の子で、彼らの誇りは彼らのものだよ。

さて、日本国家の品格、女性の品格、◯◯の品格というように、この数年は品格がもてはやされて来た。で、同時にセットで語られる単語があって、それは「サムライ」「なでしこ」という物言いだ。品格とは、武士道のような精神性のことだろう。

ところで、武士道の精神性というのは、人を幸福にしないと私は思う。切腹にしろ、刀の装備にしろ身だしなみにしろ、早寝早起き(だったっけ?)にしろ、形式のことだ。もうすこしいえば、形式が先にあり、それに究極まで内面を従わせることではないだろうか。心の中ではもっと生きたいと思っても、名誉の死という美学に従わせたりもする。

もちろん、場合によっては、武士道は良い方向に働くことは多いにあるとは思う(そういう理想がないと、無為徒食に生きてしまうこともあるだろうから)。ただ、武士道が私はあまり好きではないのだ。だんぜん!無為徒食の方が好きかもしれない。

去年、沖縄に行ったとき、何かが楽だったのは、沖縄には武士道がかつて一度も存在したことが無かったからじゃないか?と今になって思う。感情がまず先にあって大切にされて、体面とか形式とかが後回しなら、ぜったいに生き易いはずだ。ひょっとする形式が先にあって、内面の方が後になるような生き方は、武士道が変異して、腐った形で日本軍に存在したような気がちょっとしている。わたしたちは普段気がつかないけど、感情を大事にしないで、形式を大事にすることを、よくやってるような気もする。

武士道や品格を語る人を信用できないのには、もうひとつ理由がある。サッカーで「サムライブルー」とか「なでしこジャパン」とか、他の競技でも「サムライ魂」とか、そんな言い方をする。でもよく考えたら、サムライっていうのは、階級のことだ。農民ブルーとか、商人ブルーとかがあってもいいはずだ。近代スポーツは本来平等のはず。力だけで競うはず。身分は関係ないはず。メンタリティにおいても、身分制は好きじゃない(セレブというのも身分制度のことだ)。「サムライ◯◯」って言う人は、自分で気がついてないけど、本当はそれをスポーツだと思っていないんじゃないかな。

相撲はスポーツではないらしい。日本独自の伝統のものらしい。だったら、最初から、外国人を入れるべきではないと思う。歌舞伎のように、徹底的に、外国人も女性も入れず、日本男児。日本男児。日本男児だけで楽しくやればいい(ひょっとしたら、歌舞伎の反動が宝塚なのかもしれない。今後、性転換した元男性が宝塚で活躍したり、性転換した元女性が歌舞伎で活躍するようになると、本当はきっともっと自由で楽しいのにと思う)。

日本が嫌いとか、そんなことが言いたいわけじゃないの。私は、品格や武士道を信じていないだけ。人間ののびやかで、かわいくて、やわらかい、ばかばかしい、投げやりな元気な気持を、窒息させるものに見えるから。戦争に負けたとき、品格も武士道も一緒に、完全に葬り去ってしまうべきだったと思っているだけ。ところが、そういった日本人にとっての、そういう統一的な理想は、エイリアンみたいに、しつこいんだ。

誰のことだとは言わないが、どんなすぐれた日本の思想家も、なぜか最後は武士道に行き着く。また繰り返される時代劇は歴史の物語を描きたいのではない、武士道が純粋に武士道だった頃のはなしをあらためて自己のなかに確認して、蘇らせたいのだ。日本人という果実の全部、皮を剥いていったら、最後の拠りどころとなるのは武士道だけなのかもしれない。

女は、なんの映画か意図的に忘れたが、武士の妻が陵辱されて泣いちゃって、夫が妻の敵をうつとか、武士の成長を見守る毋か女か、あぜ道のような存在だ。そんな武士道に反感を持ったり巻き込まれないようにして生きる日本の女性たちは、成熟をやめた女の子の物語を描くか、自らの物語を書こうとして日本社会との軋轢にもがくか、海外に出る道を選択するのだと思う。でも、そういうのも、まいこしんどい(実は典型的なまでに、私はそういうことをやってる気もするけどね、ふふふふふ)。もしくは、武士道を内面化して頑張りやになって生きるか。それも面倒だ。

なんにせよ、全部クソ。武士道にせよ、剣道にせよ、柔道にせよ、相撲道にせよ、華道にせよ、茶道にせよ、ぜーんぶ道がついてる。そんなのクソだと思うわ。ついでにヨーロッパの騎士道も基本的にはクソだと思うわ。すでに人の歩いた道を行き、その道を守ることがそんなに好きなのけ?

そこで、◯◯道と対抗できる概念を考えてみた。

ジャングルの野獣…かな。そうだわ。わたし、ジャングルのけだものか、ケモノか、サルになるわ。
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2010年02月03日

ストーリーテラー

2010年3月28日(日)に、沖縄国際アジア音楽祭に出演します。詳細は、後ほど。那覇市にお住まいの方は、ライブに来て下さい。1日、2回出演します(1ステージは30分くらいなんだよ)。ふふふふ。

さて、音楽の方も沖縄デビューということで軌道に乗って来たところで、作家活動も本気でやろうと思ってたんだ。最近、本気で両方やろうと思っていたりする。だから、2冊目と3冊めの本の原稿にとりかかっている(1冊めはまじで3月にでるぞ)。

歌手で作家の未映子さんのように芥川賞が欲しいのか?そうだね、素敵だね。直木賞も両方欲しいよね。なんでもいいんだよね。そうなんだ、最近気がついてしまった。世界は物語でできているんだ。

なんでこんなことに気がつかなかったんだろう?おそらく聖書が人類史上、いちばん売れた物語なんだと思うけどね。文字という意味だけでなくたって、世界は物語でできているんだ。そして自分の最初から最後まで、すべてがまったくストーリーで、人は自分が自分のためのストーリーテラーなんだ。

ある意味、オウム真理教もストーリーを語ったんだ。そしてそのストーリーに、わたしたちは負けてしまったんだ。9.11もある意味、ストーリーを語ったんだ。そして、また負けてしまった。ここんとこずっと負けているんだと思う。まったく歓迎できないストーリーが語られて、それに対抗できないまんま、時間が止まっているんだと思う。

必要なことは、負けを認めることだと思うのよ。誰が語っているのかはわからないけど、確実に誰かが語っている、大きな規模の、ぞっとするストーリーに、大きな規模でやられちゃってんの。そういうこと。

だから、新しいストーリーをまき散らす、ストーリーテラーになる、誰かが楽しむストーリーになるようなわたしの一生をあげる。

posted by minemai at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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