2010年01月13日

時間はとまる

ちっとも時間が進んでいかない、そんな気が日々している。耐えるのだ、耐えるのだ、1月を耐え忍ぶのだ。そこで3つ、覚えておきたい。

孤独でグズな女とはつきあわない
キン玉が小さい男とは口をきかない
細かいこだわりの多い人たちからさっさと逃げる

この3つのことに気をつけないと、自分の時間が分散するだけで、何も進まない。時間が進まねば2月も3月も、きっと今後10年も同じ生活から抜け出せないのだ。それは、おそろしいことだ。きたない言葉をつかってごめんなさい。逆にいえば、私は上の3つの種類の人間に巻き込まれ易かったと言ってもいい、だから極端に自分で警戒しているのだろう。

さて、時間は流れるようで、実は油断すると止まってしまうものだ。そして気がつかないまま、巻き戻ったりもするものだ。一生を通じて、私は時間と闘ってきたし、ずっとその闘いに拘泥するのだという気がする。一番の敵は時間だ。

轍(わだち)がついているから安心だ。過去から左から後ろから、未来へ右へ前へ、そんな風に直線に流れる時間は。でも、そんな風に壮大に流れる時間や音楽や教会や文学は、初めはひかれても、間違いなくうんざりするのだ。もしも時間の流れの姿が見えるならば、それはもっと突拍子もない動きのはずだ。

旧約聖書でモーセが書いたと言われる申命記の最後の第34章には「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。」(新共同訳『聖書』日本聖書協会)とある。つまり、モーセは自分で「モーセは死んだ」と生きてる時点で書いちゃったらしい。

彼は、死ぬのを待てなくて先に書いたのだ。そんな時間感覚はとても好きだ。本当は、時間の流れに素直に反応すれば、飛べるのだ。ばいちゃ。

参考:佐藤優『はじめての宗教論 右巻 見えない世界の逆襲』NHK出版、2009年
posted by minemai at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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