2009年10月22日

Sing for Darfur

先週から、東北に出張があり、秋田に行かねばならなかったが福岡からは直行便がない。そこで東京までは飛行機で、あとは新幹線で向かった。途中の東京で、映画を観た。Sing for Darfurというドキュメンタリー手法の映画。

監督はヨハン・クレイマー。彼は、この前に、「The Other Final」というタイトルのドキュメンタリーを作っており、FIFAワールドカップ2002年の際に、ブータンVSモンセラートの世界最下位決定戦を撮影したものだったけど、それが以前から好きだったので楽しみにしていた。

スペインのバルセロナで「ダルフールを救え」という大きなイベントがあり(U2などの面々がやっているスタジアムでのスーパーイベントという設定)、しかし肝心のそのイベントの様子はいっさい出ない。ましてや、ダルフールの悲惨な状況の映像もない。ただ「いかに誰もがダルフールを知らないし、関係がなく生きているか」ということを、あるがままに描いた異色の作品だった。

バルセロナの街の人々が、「チケット買わないか?」「この偽造チケット、高く売ろうよ」「チケットごとバックを盗まれた!」というように、ダルフールのイベントをめぐって、会話する。そして道ですれ違い、ぶつかる。ある登場人物が誰かに触れた(ぶつかった)瞬間に、触れられた(ぶつかった)その新しい人物を軸にして新しいストーリーが始まる。そしてやがてはダルフールとはまるで関係のない、バルセロナ中の人々の生活が描かれる。

最後の方で驚いたのは、夜中にひとりの老婆が「革命のような歌」を歌っていたこと。「自分が倒れたら、赤い花とこの歌を愛する人に届けてほしい、この戦いに勝ったなら....私は人魚に会いに行く」というような歌だった。毎晩夜中の12時ちょうどになると、窓を開けてひとり歌い始める。誰に向かって歌うわけでもない、世界に向かって夜中に窓をあけて、たった一人で歌っている。真っ暗な路地裏に歌声が響いていた。

これだな、と思う。この老婆は気違いなのかもしれないけど、こんな風に毎日毎晩、祈りのような歌を、窓を開けて歌う、それがすごいと思う。部屋を閉じてひっそりと歌うのでもない、部屋を開け、こんな風に声をあげるということがすごかった。そして、アリーナでもない、普通の生活の場で、、、考えたらわかるけど、誰が生活の中でそんなことをやれるだろうか?

映画が終わった後で、いきなり日本公開用オリジナルテーマソングがレコーディング風景と共に流れたのには驚いたけれど(これまでの本編がどこかにかき消されました)、映画そのものは大変よかったと思う。そして、今の最前線の感覚とは、これなんだと思った。半ば暴力的に世界中が結びつけられているのに、ひとりひとりがばらばらで、だからひとりで窓を開け、しんとしているから響く声で呼びかける。それを毎日毎晩つづける。

余談。
なぜかわからないが、映画は最近、ノンフィクション、ノンフィクション仕立てが多い気がする。つまり、説得力のある創造的な新しい「物語を語る」ことが、出来なくなったのかもしれない。それだけにストーリーを語ることは今後、貴重になると思う。音楽を毎晩聞かせる店はあるけども、物語を毎晩語って聞かせる店というのは、あまりきいたことがない。そのうち、誰かが作れば、流行ると思うのだけれど。
posted by minemai at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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