2009年03月25日

ハンキンナイト/スピード

今日は先週のライブの報告に徹します。だから今日のブログは、それほど面白くないと思う。たんなる記録の列挙が多いので。

3/21(土)に、博多のプレアデスというライブハウスで出演した「ハンキン・ナイト」。これは、満員御礼で終了した。出演依頼を受けて即席でこの約2週間くらいの間にバンドを結成したので、音楽的には、残念ながら15〜18%くらいのクオリティだったかなと思う。これが自分のソロライブだったとしたら、お客さんに髪の毛をひっぱられて、唾をはかれても文句は言えなかった。しかし、この日のメインはウィーンから来日された内橋和久さん(UAのバンドリーダーもなさっている方)だったので、私は前座だから気楽だったぞ。(←反省がないな!)

内橋和久さんは、私のステージの感想を、一言「衣装が良かった。」とおっしゃった(笑)。あ、音楽が良かったわけではないわけですね、わははは。その日私は、半身が拘束着になっている服を着て歌ったのだった。さて、彼の演奏には、ノックアウトされた。最初のギターの一音。たった一音で、鳥肌が立った。なんじゃこりゃ、なんだこの音のオーラは。なんでこんな音が出せるのだ。たった一音、最初の一音で「ただことじゃあないぞ、この人のギターは」と思った。ものすごかった。最初から思わずスタンディングオベーションしそうになり、後ろの人の邪魔になると気がついて息をつめてやめた。それくらいにすばらしかった。こんな才能のある人がこの世にはいるんだなあ。神様ありがとう。幸福な気分だった。

さて、この日は毎日新聞の取材がライブ中、ライブ終了後に行われた。3/28(土)の毎日新聞の夕刊に、掲載予定。エリアは九州全域です。でも、大きな事件があれば、どんなに優秀な記者の記事でも、私ごときのネタだとふっとぶかもしれないので、確定とは言えないけれど...。でも、九州在住の方は、3/28(土)の毎日夕刊を買って読んでみて下さい。←注!「朝刊:福岡エリア」のようです。

以下のライブの写真は、「せん」さんが、たくさん提供してくださいました。ありがとう。(注意:最初の会場の写真は、私が演奏しているときの様子ではなく、たぶんこの日の最後の方の様子だと思います。)(参考:ギター=大将ゆうじ、ドラム=渡辺ハンキン浩二、ベース=古庄竜太、キーボード=高木一宏)
588788354_26.jpg588729735_207.jpg588729735_86.jpg_DSF1632.JPG.jpg588788354_132.jpg
_DSF1482.JPG.jpg_DSF1452.JPG.jpg_DSF1418.JPG.jpg

以下の写真は、佐藤直樹(現代評論家、刑法学者)がアナログのカメラで撮影してくれたものです。
mine4.jpeg
mine3.jpegmine2.jpegmine1.jpeg

とまあ、こんな感じでした。来て下さった方々、どうもありがとうございました。いろんな方からご感想をいただいたのだけど、中でも多かったのが「楽しそうに歌っているので観ていてこっちも楽しい」というコメントだった。いいえ!ちがうんです!楽しそうに歌っていたというよりは、この日、余りの自分のヘタさにびっくりして、恥ずかしくて笑ってしまったのだ。なんだろうね、まったく歌手で歌がヘタだというのは、死罪だね(笑)。そうそうこの2週間で、バンドがやっと流れに乗り始めたので、ついでにボーカルスタイルも変えちゃおうと思ってる。どんどん変える。昨日の失敗なんか知らない。

新しいバンドは、30インチという名前にした。みねまいこ&30インチ。ギターは、めんたいロック出身のベテラン、大将ゆうじさん、ドラムはオンゴロというプログレバンドをされており(昨年CDジャーナルなど各誌で取り上げられた)、内橋和久さんの瞬間音奏で即興演奏をしたり、過去には頭脳警察というバンドの助っ人をなさったり鮮やかすぎて全貌は不明。彼の名は渡辺ハンキン浩二!新加入のベースは古庄さん。古庄さんはですねー。泣く子もだまる、メタル出身だ!しかも練習のオニ。

バンドの名前30インチは、W.H.オーデンの詩からの引用だ。あまりにも異なるジャンル出身である各プレイヤー。最大限に各人から能力を引き出すには、個人の領域を守りつつ、バンドとしても両立できるような関係性(音楽性)が必要だと思ったので、それを意図して、つけてみた。また一方で、互いが30インチの内部に入ったりもできる親しい関係性も、ときには必要だしね。両面の意味でつけたともいえる。

私の鼻先三十インチに

私の人格の前哨線がある。

その間の未耕の空間は

私の内庭、直轄領

枕を共にする人と交わす

親しい眼差しで迎えない限り

異邦人よ、無断でそこを横切れば

銃はなくとも唾を吐きかけることもできるのだ。
___
きゃー(W.H.オーデンにたいして)。

さて、ハンキンナイト終了後は、中洲の「ふとっちょ」だか「ふとっぱら」だか、どっちか忘れたけど、飲み屋へ、打ち上げに直行した。内橋和久もいらっしゃっており、どきどきした。しかし、明日公演があるとのことで、内橋さん他、早めに(といっても夜中でした)帰られた。で、残った私がおり、そして先日うちのバンドを脱退したなんとベースのこーち君がおり(じつはこの日彼は、内橋和久&瞬間音奏で出演していた)。さあ!眼鏡をとれ!(こーち君は別に眼鏡をかけてないんだけど)私と彼、1対1でケンカ&殴り合いだ。なんて面倒くさいことにはならない。みねまいこのバンドのオリジナルメンバーと新メンバーみんなでわーわー。しかも旧ベーシストと新ベーシストが真顔で語り合っている(注意:私の悪口ではなく、エフェクターについて話していたようでした)。結局、午前3時までみんなわーわーいってた。帰宅して、ライブを観に来てくれていた、現代アートのソン・ジュンナンからもらったピンクのカーネーションを銀色の花瓶にいけて、お風呂に入ったら朝だった。

バンドの次に必要なの、スピードよ。
あなたは、どうするつもりなの。
posted by minemai at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月18日

巨大な後悔の怪物

先週、NHKの「プロフェッショナル」という番組を観ていたら、なんてことはない、知り合いが出ていたので驚いた。奥田知志という北九州の教会の牧師だ。奥田さんが北九州の夜の街を、路上生活者に声をかけては、もくもくと歩く。彼の仕事の特徴は単なる支援ではなく、社会復帰をさせるところにある。路上生活者の社会復帰率は全国でも驚異的な業績をあげているとのこと。そんな彼とは10年前、九大大学院の修士課程1年で知り合った。自分は社会人入学であり、普段は牧師で路上生活者の人を支援する仕事をしていると、本人からきいていた。そのときは「へえっ」と思っただけだった。

当時の私は寺園嘉基先生(ナチズムに反対したドイツの神学者カール・バルトの研究者)という先生の下で、黒人神学/黒人霊歌を研究していた。奥田知志さんは、ボンヘッファー(カール・バルトと同じ時代の人)という神学者の研究をされていた。で、私は自分の研究に(人生に)疑問ばかりを感じていた日々で「(やったこともないのに)フッサールの現象学がやりたい!」など大学院入学そうそう、突如無謀なことを言い出した。それに対して「おやりなさい。」とゴーサインを出してくれ、(やったこともないから)ドイツ語から始めることになった。そこでもともとドイツ語が必要な奥田さんと私、寺園先生の研究室で二人肩を並べパイプ椅子におさまり、私がてんで初心者でついていけないため、ドイツ語の基礎から習った。しかも最終的に私は現象学をやる才能が絶望的にないと気がつき挫折したため、習ったご恩に報いることはなかったばかりか、もうドイツ語は忘れてしまった!まさに合わせる顔がない!でも不思議なのは、こうやって他人から献身的に教えてもらったことは、それが短期的な費用対効果のようして外に出て来なくても、こうやって自分の中で後悔とか、感謝として、いつまでも散ってはいかずにずっと残っているってことだ。

で、テレビで奥田さんの姿を見て興味をひかれたのは、あなたにとってプロフェッショナルとは?の質問に「使命の風が吹いたら、自分の都合や好き嫌いを断念できる人」という主旨の話をしていたことだった。たぶん、聖書の箴言16:9「人は心に自分の道を考え計る しかしその歩みを導く者は主である」のことかな?と思った。私が、いちばん苦手な聖書の句だ。Aの方向に行きたい、もしBの方が広い視野(神の目と言ってもいい)でみれば正しいとしても、自分の好きなAの方向に行く。Aでは失敗して、ずいぶん痛い思いをする。なんてことをさんざんやった気がする。人生の終わりに私は、貴重な時間を無駄にしたという「巨大な後悔の怪物」になっているのだろうか?いやいや、そんなくだらないことを考える暇があったら、早起きして新聞配達をした方がいい。もしくは曲のひとつや、ふたつ作ってみろ。そして、次はAではなく、Bを選んでみようか?自分好みのAではなく、自分の理解を超えた不可解なBを!

奥田さんが研究されていたボンヘッファーは、ナチズムに対し異をとなえる行動を起こしたことで殺されてしまった神学者だった。いわば、自分の信念に誠実であることを前にして、自らの生命をも断念した人だったといえる。奥田さんには、一緒にパイプ椅子におさまっていた頃よりも、ずっといい顔をしていた。「おお!奥田さんってば、日本のマリア・テレサじゃん!」なんて思った。

番組司会者たちのブログ(興味のある方は参考まで)
http://www.nhk.or.jp/professional-blog/100/16847.html
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/2009/03/post-8953.html
posted by minemai at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月11日

ソン・ジュンナン

現代アートの作家とお会いした。彼の名はソン・ジュンナン(SONG, JUN-NAM)氏。最近になって偶然この作家を知った。彼は神戸出身、今は福岡で活動をしており、しかし今月末で福岡を離れるとのこと。彼のアトリエは第三倉庫にある。そこは匿名の方が正体を現すことなくずっと「あしながおじさん」として支援している場所。そこに遊びに行った。

行く途中で迷い、とうとう海に出た。向こうは対岸、韓国だ。海にパナマ船が停泊していた。船乗りのおにいさんたちが船上から手を振る。私も手を振った。日本に上陸するのには、なにか許可がいるのだろうか?船に乗ったままで、じっとこちらを見ている。私は船を見上げ、一瞬互いに共通の言語を探し、そしてどちらからともなく諦めるのを感じた。言葉の代わりに、笑顔で手を振った。

ソン・ジュンナン氏と話をし、彼のアトリエにもお邪魔して、まさに作品を制作する場所を写真に撮らせてもらったけど、作品と現場はまったく別個の物だという気がするのでここでの掲載はひかえたい。

第三倉庫でのソン・ジュンナン
11032009.jpg

アトリエを見せてと私が頼んだら、
そっとご自身のアトリエをのぞいていたソン・ジュンナン

11032009(002).jpg

私が、藤田嗣治でもなくレオナルド・ダ・ヴィンチでもなく、他の誰より彼のことをいい!と思ったのは、ソン・ジュンナンが今を生きているからだ。極論かもしれないけど、私は死んだ人には興味がない。そして彼の作品は、私たちの生きている時代が刻印されている。自分が生きていることを、再確認させてくれる。私にもっと息をさせてくれる。そうじゃなくっちゃいけない。私はもっと世界を愛したい。
posted by minemai at 23:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2009年03月04日

音楽と空間(2)人はパンのみにて生きるにあらず

さて前回、日本に1000以上もあるライブハウスに喧嘩を売るようなことを言ったけど、買う人はいないからこれまでのはなしを思いきって要約すると、ライブハウスのチケットノルマ制は「クソだ」と言ったわけだが、じゃあライブハウスに出演しないで別に表現活動の場としてのあてはあるのかといえば、まるでないの。教会に戻って、宗教音楽をもう一度やる気はない。黒人霊歌ならやりたいが、日本のキリスト教会で黒人霊歌を歌ったらきっとまた追い出されるだろう。だったら、自分でイベントをやるしかない。しかし、自分の力でイベントをやるのは困難で大変な労力を伴う。これはいろんな人がすでに経験してきたことだ。か、もしくはチケットノルマが存在しない海外に逃げるしかないだろう。でもいったい海外にまで逃げて、そうまでしないとのびのび音楽がやれない国って、いったい何よと思う。逃げてもいいけど、いまいる場所(とりあえず福岡かな)で自由になることができた方がずっといい。と思っていたら、チェコのミュージシャンから連絡があった。うーん。できれば近所でライブやりたいんだけどな。でも、検討します。そうね、チェコの雪が溶けたら。

ということで、どんな音楽的空間が、みんなでのびのび自由にやれるか?ってのを、考えてみた。これはあくまでも私に十分な財力があれば、実現するはなしであるが、とにかく夢みたいなことを書いてみる。そのうえ私にいつ、資金を持続的に出してくれる世界で5本の指に入るような「パトロン/パトロネス」との出会いがあるとも限らないのだから。

まず、広さについて。ライブハウスは3種類に分けられる。もっとも大きいのは1000人以上の規模のものであり、それは大きな企業の経営するものだ。そのように規模が大きくなると、1日あたり100万はくだらないホールのレンタル料、PA、照明、その他人件費になると思う。事前の準備も入念さが必要になるし、客が確実に入るネームバリューのあるミュージシャンが演奏する必要がある。そうなると、当然そのミュージシャン目当ての客しか入らない。つまり「単発の出来事」として、ライブが消費される現象が起きる。客はライブハウスを通り過ぎていくだけになるだろう。そういう用途の会場は会場として存在意義が十分あるけども、これから何か生まれるというよりも、もうすでに作られたミュージシャンや、東京の資本を中心に作られた既成の文化を、再確認しているにすぎない。また、そこに集まった人たちが偶発的に出会い、自己紹介をし、互いに会場の中をうろうろしながら談笑をしたり、謀議(なんじゃそりゃ)をくわだてたりするだろうか?おそらく、椅子にぎっしり詰め込まれて、身動きも歩き回ることもできず、ひたすら見に来たミュージシャンとの濃密な、対幻想的な(1対1)関係だけで、ショーが進む。客同士のつながりは、まず生まれないと言える。

しかし、200〜500人程の中規模、50人程度の小規模であれば、それほど赤字を気にすることもあるまい(少しは気にしなさいって)。リスクは少ないので、いろんなミュージシャンを出すこともできる。ヘタでも、面白い人がたくさん集まるかもしれない。上手になることはいつでもできる、まずは情熱(そろそろ私も上手にならないといけないネ)!規模は100人くらいでいいのではないだろうか?もっと狭くてもいいかもしれない。きっと客のスペースは、バスケットコート1枚分くらいでちょうどいいんじゃないだろうか。深夜、テレビをつけたら、アメリカの黒人のお兄さんたちが元気に走り回っていて楽しそうだった。走って飽きない距離ならば、客が歩いてうろうろするのも楽しい距離なのだ。そうだよね?そのくらいがちょうどいい気がする。建築は新しく作る必要はない、廃墟で良い。コンクリートの壁のままでいい。そして1バンド60分の演奏だ。じっくりそれくらいの時間を使う。また、それくらいの時間を演奏できないレベルでは困る。

ノルマ制はない。ノルマ制がなくて、いかに客を集めるか?次に、そこを詰めてみたい。キーワードは2つ。「リピート性」と「余暇性」だ。その2つが新しい文化を創ると私は思う。新しい文化が生まれる気配は、人を引きつける。「リピート性」「余暇性」、この2つがあれば、客が来る。ノルマ制の最大の弊害は、バンドが客をライブハウスに連れて来ることだった(←すでに気持ちは過去形)。つまり、ライブハウス自体に顧客がつくわけではないのだ。だから余計にライブハウスはノルマ制にしがみつく。そこで、音楽空間に顧客がつくことこと。これが最大の課題だといえるわけね。顧客、つまり「リピート」してくれること。そして「リピート」して来たくなるような、「余暇性」が空間に漂っていること。ってわけ。

では、「リピート性」はどうやって生まれるかを考えるぞ。アイデアは、私のヨーロッパプロモのSnigel氏とかつて行った、あるヨーロッパの国の首都のはずれにある、地元っ子しか知らない非常に個性的なある店がヒントになった。これは、Snigel氏が自身のHPでもまったく書いていないことだ。彼のHPは影響力があるので、それは聡明な判断だったと思う。HPを見た人が日本から大勢で行くと、たちまち地元の人たちの作っている均衡が崩れてしまう、そんな店だ。事情は後でわかると思う。

その店のテーブルや椅子は質素な木製、ソファーがあったり、突如シャンデリアがぶら下がっていたり、アンバランスでもあるが暖かみのあるリビングルームのようだ。赤いランプシェードがぼんやり灯っている。明るいうちから深夜まで客でごったがえしている。私とSnigelは見つめ合い「みねまいの瞳に乾杯」と彼が言う。うっとりする私。さーて、どこから嘘でしょうか?はい、私とSnigelは見つめ合い〜から全部嘘。すみません、ややこしいことしてしまったが、説明を続けたい。中にはいくつか小さな部屋があり、おそらくレストランとして設計されたわけではなく、普通の住宅を無理矢理レストランにしたようだった。中央に置かれた大きなテーブルには、次々と大きな皿で料理が運ばれて来る。それをセルフサービスで取りにいく。料理の種類は4つくらいしかない。飲み物はワインだけ。つぎつぎカラになり、つぎつぎと笑顔で店員がキッチンから持って現れる。活気がある。

料理が美味しい。たくさん好きなだけとって食べる。皆、幸せそうだ。ある者はソファーを陣取り、ある者は気持ちがいいのか外に椅子をがたがた出して、外で食べている。たしか、私とSnigelも外で過ごした。お腹いっぱいになった日暮れ。薄暗くなり、お互いの顔が群青色になる。空気の色がきれい。寂しげな通りとは対照的に、店には活気がある(うるさい)。Snigelもよくしゃべる(うるさい)。つかれたので最後に会計へ。Snigelが払ってくれたと思う。そこで驚きの事実が告げられる。It dipends on youという主旨の話をされる。お任せします。つまり、値段はあなたが決めること。あなたが満足した分だけ、払って下さい、と。ああ驚いた。さあここで私が支払いに立っていたらどうだろう?美味しかったくせに、たくさん食べたくせになるべく少ない額を出したと思う。私はその程度の人間だ。しかし、Snigelは違うのだ。ホテルのレストランで食事をしたくらいの額を十分に満たすほど、おそらく地元っ子でもそんなに出さないぜ、おい。と思われる額を出した。店員、スマイル。みんなふんわりした空気になった。そしてその店を後にした。どこまでも敷き詰められた石畳に、私達の足音が歴史のように響いていた。良い夜だった。そしてSnigelはいい人間だと思う。

なぜ、支払いを個人の自由裁量にまかせるというユニークな店で、Snigelがあんなにたくさん支払ったのか?その話題が昨年、彼がアイルランドから私の家(福岡)に遊びに来た際にとつぜん思い出して出たことがあった。すると彼は言った(突然ですが、彼は私の恋人ではありません、彼が私の家に泊まったとしても何もありません、しかし彼はゲイでもありません←たぶん、ただの大切な友人です!なんか矛盾した言いようだけど)。「みんながみんな安い金額を払ったら、あの店はつぶれてしまうでしょ?次に行ったときにつぶれてたら、悲しいでしょ?つぶれて欲しくなかったら、お金は出すべきなの。」とのこと。断っておくが彼はとくべつリッチでもない(失敬!)。ただし、彼は極めて「公共性が高い」人物なんだと思う。

公共性。これまで日本人がこれを持てないばっかりに、富士山が世界遺産に登録されなかった、あの公共性だ。同じ店を日本でやったらどうなるだろうか?少なく払う人はいても、Snigelのように高く払う人はいないのでないだろうか。大分県のある地方では弘法大師のお祭り「おせったい」というものが4月にある。毎年持ち回りで、あるエリア内に10軒くらいだろうか、民家を解放し、婦人会が釜と薪で炊いたおこわや、春の山菜が出される。当番の家には大きなのぼりが立つのでひとめだそれとわかる。のんびり歩き回って、入りたくなったら10円、20円のお賽銭で、知らない人の家にあがって食事をいただくことができる。子どもたちが主に食べて回る。ところがこれがテレビで放送されて以来、よそから車でたくさんの人が乗り付けてくるようになり、家族連れでほんとうにわずかなお賽銭で大量に食べさられてしまう。地元の人たちで祝おうと準備した食事はからっぽになるとのことだ。もし日本で、Snigelと行ったような店をやれば、そんな風になってしまうだろうか。

もし、その公共性がうまくクリアできたなら。そうね、Snigelのように「つぶれて欲しくないから僕出すよ」という客がいれば。もしくは今週は金がないからこのくらいしか出せなくても、次の週は「先週の分も多めに出すよ」という客がいれば、店の経営は成り立つ。メニューが限られていてセルフサービスだとしても料理がおいしくて活気があり、支払いのシステムがユニークで料金が自分で決められる店があれば、お金がない日でも安心して何度でも来られる。どんどん人も集まる。そこにかならず「リピート性」はある。そして人が集まるところには、すべての可能性が生まれる。

ぴっ(笛を吹いた)。ここからが私のオリジナルのアイデアなのだが、その店と同じ場所で、音楽をやればいいと思うのだ。ただ、問題は何度も言うように「リピート性」が、公共性に裏付けられない限り、失敗する。そして日本では、公共の利益を考えることに慣れていないため、失敗する可能性が高い。毎回10円しか払わずに、満腹になって帰る客もいるかもしれない。貧乏な若者に混じって、高給取りの社会的地位もある人が、節約のためにこのレストランを利用するかもしれない。しかしもしも公共性の問題がクリアできたら、面白い店ではないだろうか?

音楽の話に移ろう。そのレストランと同じスペースに、しかし別の部屋に音楽の部屋を置くのだ。仮にレストランを「腹が減ってはいくさはできぬ」というニックネームで呼ぼう。そして音楽の部屋を「人はパンのみにて生きるにあらず」と名付けてみよう。うん、いい名前だ。「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋では、4種類の料理とワインしか出さない。パスタ、サラダ、8mm程にスライスされたフランスパン、デザートの4種だ。季節に応じて買い付けた食材で作ると良い。パスタとサラダなら、どんな食材でも応用がきく。デザートは私がティラミスが好きなのでティラミスだけにしたい。よほどの間抜けでない限り、同じシェフが同じティラミスを毎日作り続れば、いずれ世界1の美味しさのティラミスができるようになるのではないだろうか?だんだん私が「お店やさんごっこ」の空想のレベルで話をしていることがバレてきたと思うが、続けよう。

「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋では、壁紙は赤のような茶色が良い。古い額縁に最近描かれた新しい絵が飾られている、とても元気の良い油絵が。体にしっくりとなじむ花柄のソファーがいくつかあり、ビロードのカバーのクッションがあり、足下には複雑な模様のベルギー絨毯もある。木製の質素なテーブルと椅子で構わない。しかし唐突にシャンデリアが天井からぶらさがっていると素敵だ。風が心地良ければ、外に出て食べられるといい。白いシンプルな皿、しかし皿の縁に小さなレースのような模様が浮き出ている、そんな皿に好きなだけ食べ物をよそおって、白ワインを飲みたい。友人と会い、新しい友人と出会う。そして隣の部屋からさっきからディストーションのかかったギターがごうごうと鳴っているのだ。ちょっと見に行ってみましょうか?皿とワインを持って移動する。入り口に「人はパンのみにて生きるにあらず」と書かれている。なんか説教くさいわね!入ると、音が大きくて耳が慣れるまでちょっと時間がかかる。ギターのディストーションがうるさいけど悪くない。

壁はコンクリート打放し。地面も石ころがころがっていてあまり衛生的とはいえない。見上げると天井が高くてびっくりする。なんとこちらの「パンのみにて生きるにあらず」の部屋は、天井は1階から上にむかってぶち抜いて、2、3階分の高さを出している。飾り気はまるでなく、むしろ廃墟すんぜん。「勝手にしやがれ」的な、まるで統制のとれていないアナーキーな感じが、むしろ音楽をひきたてている。ちょっと座って聴こうか。「腹が減ってはいくさができぬ」部屋と同様の木製の質素な椅子がころがっていたり、キャンプ場のバーベキューをするところにあるような、木の長椅子が無造作にある。長椅子の方がワイングラスを置けていいわね、ね。こっちに座らない?

ふうん。ピアノはもしやスタンウェイのアップライト?グランドピアノじゃないところがかっこいい。いま気がついたけど、ここにはスピーカーがない。どうしてないのだろう?あのライブハウスの特有のスピーカー、どこか音が割れてるような、時間が経つとこちらの疲労度が溜まるような音がしない。なのにどうして音が大きいのだろう?ボーカルだけ、見たことがない白い四角いスピーカー(このボーカル専用アンプ付き白いスピーカーは私が前に夢で見たもの、現実には売られていないと思う)でちょっぴり声を拡張しているけど、他の楽器はほとんど生音か、ギターとベースはアンプを使用している。どうしてスピーカーを置いていないのに、音が伸びるし音に芯があってなおかつ迫力があるんだろう?しかも音が澄んでいる。ああ!もしかして、この部屋全体が巨大なスピーカーになるように設計されているというの?!だから天井がゴシック建築の教会みたいに高いんだわ!!さすが、この奇抜な設計のアイデアを思いついたのは「安藤忠雄の髪型を考える会〜あの髪型は一級建築士としていかがなものか〜」の副会長をつとめる、みねまいこだわ!(ふっふっふっ by みね)

演奏が始まって時間が経てば経つほど、音が美しくなっていく。演奏者が集中し始めたのだろうか?たっぷり演奏を聴く。いい音楽を聴くというのは、聴くのではない。音を浴びるのだ。ひとっ風呂浴びた気分だ。食事に続いて、さらなる贅沢。私たちそういえば途中から聴いてたのよね、もう次のミュージシャンが交代する。さっきのひと割と良かった。今度いつ偶然、さっきの人の演奏が聴けるかわからないから、CDを買っておこう。彼氏に聴かせよう。ふうん。今度の人たちは日本では珍しいキューバ音楽。楽しいじゃない!踊っちゃえ。きゃはは。「腹が減ってはいくさができぬ」部屋から「パンのみにて生きるにあらず」の部屋に人が流れて来る。みんな、うっぷんたまってるんだねー。あの人たち社交ダンスの人?めちゃめちゃ本格的に踊ってるわー(笑)。ちょっと疲れたな。ティラミス食べに向こうの部屋に行こうっと。

とまあ、こんな感じで時間を過ごせる場所が必要だと。ちなみにミュージシャンに対してギャラは出さない(オニィ)。演奏の後でCDを売ってもらう。毎日演奏してもらっていい。ここではなるべくたくさんの、いろんな職業、いろんな夢を持ち、いろんな恋愛をして、いろんな秘密を持っている誰かに、行きがかりに聴いてもらうのだ。知らない誰かの好みに委ねる場所、同時に不特定多数に認めてもらう場所。そしてCDを売って収入を得る場所として位置づけてもらう。一人(バンド)60分の演奏だから、聴く方は気に入ったらどこまでも心を自由に泳がせれば良い。気に入らなければ、お皿を持って「腹が減ってはいくさはできぬ」部屋に戻ってゆっくりくつろぐのだ。明日も早いし帰ろうか?会計は?昨日給料日だったから多めに出すわ。私はダメ、これっぽちしかないの。お金がないときにこの店助かるー。あ、じゃあ私が今日多めに出しとくわ。ってな感じなの!実現したら、楽しいだろうに!

全経営は超有能な人に任せて、調理場は超有能な人に任せて、接客は超有能な人に任せて、会計は超有能な人に任せて、それらすべてにおいて無能な私は、毎日ただ、人々の数時間の「余暇」のために演奏して歌うのになあ!!人々は各人が持てる中から払い、パンと余暇を得る。どんなにお金がなくても人間らしく息をして、生きられる街は、実際にヨーロッパに存在するのだから、日本で存在してもいいはずだ。その後は何かが一人歩きして、関係の網の目が複雑な動きをして、私たちの時代に役に立つ「文化」が生み出されると思う。

こほん。新しい文化を創るだなんて大義名分を出したけど、本当は自分がのびのび歌いたい場所が欲しかっただけみたい。自分がわくわくするような環境が欲しかっただけみたい。ライブハウスのチケットノルマ制なんて世界中で日本だけの悪習だと、ある日わかってびっくりして、無性に反抗したくなっただけみたい。インドの農村で花嫁が焼かれるくらいに、アフリカの女性割礼くらいに、日本のチケットノルマ制はものすごく悪い習慣だと思ってる。手に負えないくらいに最悪だと思う。他の人はどうか知らない。少なくとも私は幸せではない。そのとおり。今の私には空想しかない。だけどそんな場所を見つけようと思ったり作ろうと考えていたりしたら、いつか見つかると思うんだ。今までだって無謀な感性と同時に、現実的にも生きて来れたのだから。結局、夢見る夢子のようなことを言って、この「音楽と空間」をまとめます。そんで、明日からは通常業務に戻ります。バイ。

みねが関わっている「世界激場」2009年の公式サイトのお知らせです;
http://sekaigekijou.cocolog-nifty.com/
posted by minemai at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記
Copyright (C) 2003-2007 みねまいこ. All Rights Reserved.